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56話 招かれざる訪問者(今度は誰?)

 五月上旬。私がグランディールに来て一年が過ぎた。すっかり見違えた市内のあちこちでは、朝から威勢のいい声が上がっている。


 東の渡し船では大量に積まれたコンテナが、西の大門では魔物便の荷台に乗せられた木箱が、まさに出荷されるところである。


 コンテナと箱の中身はもちろんライス酒。何度か試飲会を開催し、北の伯爵の事件がルクセン中の会話を掻っ攫ったおかげで、受注具合は上々だ。店頭に並んで皆様のお口に入る機会が更に増えれば、今期分の完売も夢ではないかもしれない。


「こちらの箱はリッカへ。こちらはグリムバルドへ。向け先ごとにまとめて保護魔法を……。いいえ、それは違いますわ。箱にラベルが貼ってあるでしょう!」


 桟橋でコリンナが鬼気迫る声で叫ぶ。荷物を運ぶのは配送業者やお手伝いを買って出てくれた力自慢の領民たちだが、配送先、出荷数、その他諸々を管理するのは事務方の仕事なのである。


 ものが売れるのは喜ばしいことだが、その分仕事は増えていく。領民を何人か雇って事務方に育て始めたとはいえ、まだまだコリンナの負担は大きい。まあ、当然、私も。


「サーラさん! これ、どこに送るの?」

「サーラ姉ちゃん、パレット足りないよ」

「サーラ、緩衝材どこだ」

 

 次々に押し寄せてくる問い合わせを片っ端から片付けていく。こちらはシエルがいるので捌くスピードは早いが、さすがの彼も今日ばかりは余裕のない顔をしていた。

 

「サーラ! 顧客リスト一枚ない! 執務室探してきて!」

「わかった!」


 解き放たれたポチの如く執務室へ駆ける。とはいえ、貧弱なのですぐに息切れする。


 荒い息を整えながら執務室の鍵を開けようとしたが、鍵がかかっていないことに気づいた。執務室には機密書類が保管されているため、全員が出払っているときは鍵をかける決まりなのに。

 

 左手で杖を握りしめ、静かにドアを開ける。隙間から中を覗くも、人の姿はない。


 忙しすぎて鍵をかけ忘れたのかもしれない。警戒を解こうとした瞬間――領主テーブルの下で何かが動く気配がして、咄嗟に部屋に飛び込んだ。


「動かないで! 私は魔法使いよ。この距離でも攻撃できるわ」

「奇遇だな。俺もだ」


 私の制止を無視してゆらりと立ち上がったのは、小柄なエルフの男だった。窓から差し込む光で、金糸のような髪がキラキラと光っている。その反面、エメラルド色の瞳には隠しきれない曇りがあった。


 長杖を突きつける私に対して、杖は構えていない。それだけ自分の力に自信がある証拠だ。


 何がおかしいのか、低く笑うたびに琥珀色のイヤリングが揺れている。木属性の魔鉱石なら厄介だ。エルフは木属性だから、威力を底上げできる。


「いきなり客を攻撃しようとするとは、シエルはどういう教育をしているんだ」

「怪しい人間に吠えるのが番犬のお仕事よ。随分と世間知らずでいらっしゃるのね?」

 

 シエル仕込みの軽口を叩きつつ、油断なく睨め付ける。シエルを知っているということは、ブリュンヒルデ家の人間なのだろうか。シエルのお姉さんともシエルとも似てないけど。


 男は煽り耐性が低いのか、不快そうに眉を寄せると、ふんと鼻を鳴らした。


「怪しい人間か。俺はあいつの……」

「サーラ、見つかった?」

「ダメよ、シエル! 来ないで!」


 反射的に足を止めたシエルが、私の肩越しに執務室の中を覗いて「あっ……」と声を漏らした。その顔は硬い。お姉さんが来たときと同じ……いや、そのときよりも緊張している気がする。


 シエルの動揺を感じ取ったのか、男は片頬を吊り上げると、一枚の紙を顔の脇に掲げた。顧客リストだ。持ち出すときにファイルから外れて机の下に落ちたのだろう。しゃがんでいたのは、それを取るためだったのか。


「書類の管理が甘いな、シエル。顧客リストなんて紛失してはいけない最たるものだぞ。だから、お前はこんな辺境に追いやられるんだ」

「……ご忠告どうも。わざわざ嫌味を言うために来たの、イスカ兄さん。そういうところ、姉さんとそっくりだね」

「俺をあいつと一緒にするな! エルフもどきが!」


 男――イスカが激昂して書類を机の上に叩きつけた。ブリュンヒルデ家の長男とは思えない沸点の低さだ。随所に漂う傲慢さといい、シエルのお姉さんが嫌うのがわかった気がする。彼女も高飛車だったが、貴族らしい矜持があった。

 

「エルフもどきで悪かったね。確かに僕はブリュンヒルデでは出来損ないだったよ。でも、そんな僕でもついてきてくれる領民たちや、開拓の成功を信じて取引を持ちかけてくれる人たちがいるんだ。兄弟といえど、今の僕はここの領主なんだから筋を通してよ」


 夜の海のように静かに話すシエルに、イスカが「はっ」と嘲笑を返す。

 

「こんな辺境を与えられたぐらいで胸を張るなよ。取引が増えたのもアマルディのおかげだろう? 帝国議会は北の伯爵の話で持ちきりだぞ。こちらの失態を踏み台にしてラスタの存在を印象づけ、自国の商会を食い込ませたんだからな。差し詰め、飛竜に襲わせたのも計算づくじゃないのか?」


 あの飛竜の事件以降、ワーグナー商会以外の商会もルクセンに進出するようになった。確かに、公爵はそれも見越して囮役を引き受けたのかもしれない。


 でも……死者は出なかったといえども、怪我を負った人はいるし、アマルディ市民に恐怖を与えたのは許されることじゃない。


 コリンナは今でも気に病んでいるし、口には出さないがシエルも己の選択を悔やんでいる。だからこそ、嬉々として手柄を立てたみたいに言われたくなかった。

 

「想像力が逞しいね。さすがに、あそこまでのことをするとは思っていなかったよ。あの伯爵に、そんな度胸も財力もないと思ってたからね。だって、そうでしょ? わざと首飾りを盗ませるなんてお粗末なことしか考えつかない人が、どうしてあんな大それたことができるの?」

「他に黒幕がいるとでも思っているのか? お前こそ想像力が逞しいな。どんな小物でも追い詰めれば予想外のことをしでかすものだ。お前の家庭教師はそんなことも教えなかったのか?」


 シエルが苦々しい顔で黙る。イスカは勝ち誇ったように目を細めた。純血のエルフならシエルよりだいぶ歳上だろうに、大人気ない。人形みたいに整った顔にも、だんだん腹が立ってきた。まだ年始に戦った道化師人形の方が可愛げがあった気がする。


 私のイライラにも気づかず、イスカはローブのポケットから革袋を取り出すと、乱暴な仕草でこちらに投げてよこした。シエルの代わりにキャッチし、中を検める。金貨だ。それもめちゃくちゃ入っている。


 問題はなさそうなので、黙ってシエルに手渡す。同じく中を検めたシエルが、微かに目を見開いた。

 

「親父殿から見舞金だ。俺の顔を見たくなければ、早く銀行を招致するんだな。こんな辺境に来てくれるかはわからんが」

「来るよ、必ず。僕はここをどんな領地よりも生きやすい場所にする」


 イスカはそれ以上何も言わず、大仰に肩をすくめて歩き出した。そのまま、私たちの脇を擦り抜けて執務室を出て行こうとする。それを引き止めるように、数歩前に出たシエルがはっきりとした声で告げた。

  

「兄さん。僕はもう泣いてばかりの子供じゃないんだ。あまり舐めてると痛い目を見るよ」

「言ってろ。たかだか百年しか生きられない弱種が。お前がいたことなんてすぐに記憶から消してやる」


 弱種はヒト種に対する蔑称だ。言ったが最後、誹りは免れない……が、イスカは気にすることなく高笑いすると、仕事は終わったと言わんばかりに颯爽と去っていった。典型的な悪役ムーブに辟易する。


「ごめんね、身内が立て続けに。イスカ兄さんは僕のことが大嫌いなんだよ。母親も違うし、僕みたいな出来損ないがブリュンヒルデにいるのが心底気に食わないみたい」


 いつも自分を卑下している私が言うことではないが、出来損ないなんて言わないでほしい。シエルは十分過ぎるほどよくやっている。


 でも……下手なことを言うと余計に傷つけてしまいそうだから、黙ってシエルの背中を摩った。くすぐったそうに笑われて、少しだけほっとする。

 

「最初、お兄さんとはわからなかったわ。シエルやお姉さんとはあまり似てないのね」

「兄さんだけ母親に似たんだよ。だから、余計に僕が気に食わないんだろうね。ヒト種の癖に父さん似だもん。兄さんは父さんを尊敬してるから余計にね……」


 そこで言葉を切り、言いにくそうに頭をガリガリと掻く。


「同じ理由で、イスカ兄さんは姉さんやエイミール兄さんとも上手くいってない。使用人たちの話だと、少なくとも百年単位でギスギスしてる。エルフって基本同族とは争わないんだけど、拗れると長いんだよね」


 私は一人っ子なので同意も否定もできないが、百年単位の兄弟喧嘩なんて考えるだけで嫌だ。そりゃ、家にいても心が落ち着かないわよね。幼い頃のシエルにロイがいてくれて本当に良かったと思う。


 見舞金を贈るところを見ると、父親には目をかけられているみたいだけど、孤独ってお金じゃ埋められないしね……。


「それにしても、とんだ臨時収入もらっちゃったなあ。何に使おう? 学校は資金の目処が経ってるし、図書館かな?」

「たまには自分のために使ってみたら? シエルの部屋、まだスカスカじゃない。欲しいものとかないの?」

「欲しいもの……」


 そんなこと考え付かなかったと言うように、シエルが目を白黒させる。そのとき、窓の外から私たちを呼ぶロイの声が聞こえた。

 

「あっ、そうだ出荷!」

「急いで戻ろう、サーラ!」


 イスカが机の上に置いた顧客リストを持って執務室を飛び出す。配送の荷馬車が集結して、大門はさながら戦場のようになっていた。


 イライラしている業者を宥めつつ、シエルと慌てて出荷指示を出す。そのせいで、どうして執務室の鍵が空いていたのか追及するのを失念してしまった。


 私はまだ気づいていなかったのだ。このときの出会いが、のちにグランディールを揺るがす大事件を引き起こすことに。

お兄ちゃんも来てしまいました。本来なら次男のエイミールが様子伺いに来るところですが、家を継ぐ準備で忙しいため、イスカに白羽の矢が立ちました。それがまた気に入らないようです。


さて、次回は4章最終話。作中、一年ぶりの田植え回です!

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