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54話 さよならは言わないで(また会えるよね)

 二月下旬。少しずつ春の足音が近づいてきたと感じる晴れの日の午後。


 穏やかな日が差す領主館前の広場には大勢の人間が詰めかけていた。泣くもの、笑うもの、反応は様々だが、皆一様に離別のときを惜しんでいる。その中心にいるのは、防寒具に身を包んだナクト夫婦といつも通りのクリフさんだ。


 今日はいよいよ三人がグランディールを離れる日。連日続いたお別れ会を経て、ハリスさんが飛竜便で迎えにくるのを待っているところである。


「本当にお世話になりました。命を助けていただいたのはこちらなのに、こんなに良くしてもらって……」

「お世話になったのはこっちだよ。ナクトが現場監督を引き受けてくれたから、こんなに立派な領主館ができたんだ。君に依頼して本当によかった。これからも活躍を祈ってるよ」

「シエル様……」


 涙ぐんだナクトくんが頭を下げる。その手には、瓶詰めしたライス酒やめいめい渡したお土産が握られている。隣のクリフさんも、シエルが融通した天然の魔石塗料を抱えて珍しく上機嫌だ。工房に戻ったら早速溜まった依頼に取り掛かるらしい。


 みんなが口々にナクト夫婦やクリフさんにお礼を言う中、珍しくロイがすっと前に出た。


「ありがとう、クリフ。あんたに打ってもらった剣、大事にする」

「好きにしろ。お前も職人の端くれなら、腕は錆びさせるなよ。定期的にこいつのかんざしの手入れもしてやれ。こいつは魔法紋以外は不器用そうだからな」

 

 わかった、とロイが頷く。さりげなくディスられた気がするが、本当のことなので何も言い返せない。ロイだって、ネックレスを渡したときに不器用って言ってた気がするけど……鍛冶仕事は別ってこと?


 私がクリフさんに作ってもらったかんざしは、素人目から見ても芸術品レベルの出来栄えだった。


 銀製の一本足の先にランプを模った飾りがあり、その根本から小さなスズランの花が連なっている。細工の繊細さは思わずため息をつくほどで、もらった場に居合わせたハリスさんに恨みがましい目で見られてしまった。


「アルマさん、お元気で……。アルマさんに教えてもらったこと、絶対に忘れませんから」

「ミミも元気でね。私の代わりに、サーラさんが無茶しないように見張ってて」

「ええ……。子供に見張られる私って……」

「それが嫌なら無茶しないでください。せっかくできたお友達がいなくなるのは嫌ですもの」

  

 優しく微笑むアルマさんのお腹は大きく膨らんでいる。中にいる赤ちゃんはレーゲンさんが太鼓判を押すほど健やかに育っていた。


 今までずっと妊婦さんは近づくのも怖いと思っていたけど、相手がアルマさんなら平気だ。そんな私を目を細めて見つつ、レーゲンさんがアルマさんに紹介状を手渡す。


「ナクトとアルマはアクシス領だったよな。戻ったらフランツ・ドクトールって名前の医者を訪ねな。俺と同じで教団を飛び出したやつだが、人は底抜けにいい。腕も保証するぜ」

「ありがとうございます、レーゲン先生。このご恩はいずれ必ず」

「そんなもん忘れちまえ。母子共に健康でいてくれりゃあいい。それが俺たち医者の一番の願いだからな」


 肩を揺らすレーゲンさんに、アルマさんは黙って頭を下げた。

 

「ルクセンからラスタに行った人もいるのね。教団の体制を差し引いても、この国は医療の最先端だから、来る方が多いと思ってた」

「ラスタはルクセンと比べて大らかだからな。医者もそれぞれだぜ。見た目は戦士みてぇなのに、趣味はレース編みにお菓子作りなんて乙女チックな奴もいたしな。俺が抜ける前に教団を飛び出して行ったけど、今頃何やってんのかね」


 どこかで聞いたような……。まさかゴルドさん……いや、きっと他人の空似だろう。そう思っておこう。


 そっと思い出に蓋をしたとき、体の上に影が落ちた。頭上には大きく羽を広げた飛竜。見事な緋色の体毛で、背中に籠らしきものがついている。頭にちょこんと乗っているのは魔物使いだろうか。


 周りの領民たちが「でっかいなあ」とはしゃぐ中、飛竜は悠々と地面に着地した。


 衝撃で地面が揺れ、飛竜の背中に取り付けた籠の前面が開く。どうも客室だったらしい。中からハリスさんが降りてきて仰々しくお辞儀をした。


「お待たせいたしましたな! 我がワーグナー商会自慢の飛竜便です。安心安全、そして速い。快適な空の旅をお届けいたしますよ!」


 領民たちからやんややんやと歓声が飛ぶ。その盛り上がりぶりに、シエルが悔しそうに独りごちた。

 

「すっかり宣伝の場に使われちゃったよ。敵わないなあ」

「商人としては私の方が先輩なのでね! 最初にやり込められた借りは返しましたよ」


 大声で笑うハリスさんに促され、ナクトくんたちが客室に乗り込んでいく。ついにお別れのときだ。いつも見送られてばかりだから、なんだか感慨深い。


「では、皆さん本当にありがとうございました。またお会いしましょう!」


 さよならではなく、また、と言うところがナクトくんらしいと思った。


 年甲斐もなく全力で手を振り返す。別れというものが、こんなにも寂しいものとは思わなかった。……アルも同じ気持ちを抱いていたのだろうか?


 みんなを乗せた飛竜は徐々に高度を上げると、あっという間に大河の向こうまで飛んで行ってしまった。


 まるで儚く消える流星のように。






「できた……」


 スライム牧場に併設した殺風景な研究室の中で、私は独りごちた。白い息が出るほど寒いのは、まだ冬……だからではない。そばにパールがいるからだ。


 机の上には色とりどりの魔石が転がっている。大きさは魔力の強さによって様々だが、一番小さいものでも親指の先ぐらいはあった。これぐらいあれば三日三晩は全力で魔法を使っていられるし、最新式の魔機や魔具なら一ヶ月は持つ。


 我ながらとんでもないものを生み出してしまった。いや、生み出したのはスライムたちだが、再現性を持たせたのは私だ……と、少々自己評価高めの発言をしても許されると思う。


 シエル、ロイ、コリンナ、レーゲンさん……と協力者はいたものの、秘匿性の高さから、ほぼ一人で研究を成し遂げたからだ。


 大変だった。繰り返すが、本当に大変だった。朝はスライムたちの世話と研究。夜はシエルの護衛をしつつ、事務仕事の手伝い。その合間に化粧品の開発に関わったり、フードイベントの企画を出したり、酒蔵の様子を見たり、コリンナの卒論に付き合ったり、アルマさんたちと女子会したり。


 まあ、それもようやく終わりだ。特許を取れば堂々と人に任せられるだろうし、量産体制に入れば私の出番はもうない。


 属性同士が反発し合わないように魔石を慎重にケースに詰めて、パールと共に研究室を出る。


 外はすっかり春の陽気だ。春の社交シーズンを狙って、そろそろライス酒も一般販売するらしい。教団の手を介していない分、値段を抑えられるし、晩餐会でこのライス酒が出れば、舌の肥えた貴族は飛びつくだろう。


「幸先いいわね。グランディールの名前が広がれば、アルマさんも喜んでくれるかな」


 先日、無事に男の子が産まれたと手紙が来た。やや早産だったが、母子共に健康らしい。名前はキハチ。名付け親は恥ずかしながら私。辞退しようとしたら、私がつけないと永遠に名無しのままだと脅されたのだ。


 センスがないとわかっている。でも、三日三晩悩んで考えた名前だ。喜八。喜ばしいことが末広がりにありますようにと願いを込めて。


「シエルー、ちょっと話があるんだけど……」


 ノックの返事を待たずにドアを開ける。最初はきちんとしていたのに慣れとは怖い。


 だから、その場にいたレーゲンさん、コリンナ、シエルがはっと息を飲んで私を見たのを見て、まずいことをしてしまったと気づいた。


「あ……。ごめん。取り込み中なら、出直すわ」

「いや、俺の用事は終わりだ。仕事の邪魔をして悪かったな」


 笑みを浮かべたレーゲンさんが私の横をすり抜けて行く。その左手には新聞を握っている。一瞬だけだったが、一面の見出しにブリュンヒルデの文字が見えた。


 シエルのお姉さんが次期皇帝だと発表したのだろうか。なんでレーゲンさんがわざわざ知らせに来たのはわからないけど。


「わたくしも出た方がよろしいですか?」

「ううん、コリンナもいて。というか、いてもらわないと困るの。認識阻害の魔法をかけてもらっていい? 私は防音魔法を張るから」


 すぐに顔を引き締めたコリンナが部屋に認識阻害の魔法をかける。日の高いうちからカーテンを閉めると目立つからだ。


 只事じゃないと察したシエルがロイを伴ってソファに座る。魔法をかけ終えたコリンナも着席したのを機に、鞄から人工魔石の入ったケースを取り出してローテーブルの上に置いた。

ようやく寂しいと思えるようになったサーラです。


次回、ついに完成した人工魔石について話し合います。

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