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53話 最後の仕事(時が過ぎるのは早い)

 振り向いた先に居たのは青い鎧を着たデュラハン――ハリスさんだった。面頬を上げて、ウキウキとした様子でこちらを見つめている。


「競売は終わったんですか? 飛竜、手に入れられました?」


 私の問いに、ハリスさんは得意げに胸を張った。

 

「おかげさまで! 十羽中、六羽も手に入れられましたよ! これで空飛ぶ魔物便も始められそうです」


 伯爵が連れて来た飛竜十二羽のうち、十一羽はほぼ無傷な状態で捕獲できた。そのうちの一羽は公爵家の預かりとし、残りの十羽は希望者に払い下げとなったのだ。


 それにしても、六羽も手に入れるとは……。どれだけ分厚いお財布で殴りつけたんだろう。大商会って怖い。シエルが少し羨ましそうな顔をしている。


「いやあ、まさか我々がのんびり温泉に浸かっている間に、あんなことになるとは。大きな被害がなかったのは幸いでしたが、しばらくは物流に影響が出るでしょうな」

「それを見越して飛竜を魔物便にするんでしょ? 骨の髄まで商人なんだから……」

「商人として最大級の賛辞ですな! ラスタにお越しの際はぜひ我が社の飛竜便をご用命ください!」


 ちゃっかり営業するハリスさんは意に介さず、クリフさんが手袋とエプロンをつける。私たちがプレゼントしたものだ。


「長丁場になるから、適当に休憩しろ」


 それだけ言って、クリフさんは炉に向かった。コークスを敷き詰め、大ぶりの赤い羽根を置いたかと思うと、その上で火打石を叩く。すると、羽根から火が燃え広がり、轟々と唸る音と共に炉の中があっという間に赤くなった。


 離れたところにいても熱気が伝わってくる。ロイは平気そうだが、木属性のシエルと氷属性の私には少し辛い。


「あっつ……。あの羽根なんですか?」

「火食い鳥の羽根ですな。今は使わなくなりましたが、昔の職人はみんなあれで火を起こしていたのですよ。炉の温度は約千度まで上がります。熱処理をすることで鋼材に硬さと粘りが出るのですな。鉄は熱いうちに打てというのは、まさにその通りなのです」

 

 さすが商人。職人仕事にも詳しい。


 こうしている間もクリフさんは片手でふいごを操りながら、慎重に火の色を見定めている。


 鍛造に最も大切なものは火の温度なのだそうだ。そして、その見極めは経験に左右される。火を見つめるクリフさんの目は狩人のように険しかった。


 やがて、クリフさんは大きなやっとこみたいな道具でインゴットを掴み、慎重に炉の中に入れた。


 そのまましばしおき、タイミングを見計らって炉から取り出す。薄暗い中で煌々と赤く輝くインゴットは、神々しくも禍々しくあり、火に対する根源的な恐怖を呼び起こした。


「さて、ここからが鍛冶場の真骨頂です。クリフどのが一流の職人たる所以ですよ」

 

 ハリスさんが言い終わるや否や、カン、と甲高い音が響いた。


 指揮者が拍子を取るが如く、一定のリズムで何度も何度も金槌が振り下ろされる。ハーフとはいえ、ドワーフのクリフさんは腕の力が強い。鍛冶場に音が響くたびに、インゴットが形を変えていく。

 

 クリフさんはまず柄の部分を作り、真ん中から上に伸ばすように刃の部分に取り掛かった。これは先端と真ん中では温度が違うため……だそうだが、私にはよくわからなかった。


 途中でシエルがコリンナに呼び出されても、ロイがポチとシロに散歩をねだられても、クリフさんは剣から一度も目を離さず、何かに取り憑かれたみたいに金槌を振るい続ける。


 冬の寒さを溶かすような熱気の中、小さな赤い星が周囲に散り、耳をつんざく金属音が胸の奥でこだまする。


 圧倒される……いや、鬼気迫るとはこのことを言うのかもしれない。クリフさんの盛り上がった右腕から繰り出される一打一打は、まるで剣に魂を封じ込めているようだった。





 

「ほら、焼き戻しまで終わったぞ。あとは磨いて柄をつけたら仕舞いだ」


 もじゃもじゃの髭から汗を垂らしつつ、クリフさんが手袋を脱ぐ。


 日が暮れるまで休みなく金槌を振るっていた割に疲れは見えない。小柄なのにどこにそんな体力が……。こっちは喋る気力も残ってないのに。

 

「どうした、呆けた顔をして」

「クリフどのの腕とスタミナに圧倒されているのですよ。彼らはヒト種ですから」

「そうか。思ったより貧弱だな、お前ら」

 

 無茶言わないでほしい。私もシエルも、どちらかといえば頭脳派なので標準的な体力しかない。ロイなら大丈夫だったかもしれないが、彼は後ろ髪を引かれながらポチとシロの散歩に行っている。


 鋼材が山と積まれた作業台の上には、二振りの剣が載っていた。


 シエルの剣は小振りな短剣。ロイの剣は片刃の曲刀。


 焼き戻しとは金属を硬くする焼き入れ処理のあとに、二百度ぐらいの炉に入れて、金属に粘性を持たせる技法らしい。青みがかった剥き出しの刀身は、見るだけで畏怖を感じさせる凄みがあった。


「これが僕の剣……」

「お前のは振ることより、敵の刃を受け止めても折れない仕様にした。せいぜい自分の身を守れ。お前が死んだらこの領地は終わりだと思えよ」


 ニヤリと笑うクリフさんにシエルは一瞬泣き笑いのような表情を浮かべ、静かに頷いた。


「私のかんざしは?」

「心配しなくてもあとで作ってやる。俺には若い女の好みはわからんが、デザインはナクトとアルマに頼むから期待していいぞ」

「羨ましいですな。クリフどのとナクト夫婦のかんざしなんて、唯一無二ですよ。……サーラ嬢、私に売るつもりはありませんか? 多少色はつけますよ」

「い、嫌よ! 絶対に売らないわ!」


 全力で拒否したとき、ロイが散歩から戻って来た。いの一番にクリフさんの打った剣を見て目を輝かせる。そのまま頬擦りしそうな勢いだったが、ふと何かを思い出したように「そういえば」と口にした。


「黒猫夫婦とマーピープルの女将衆が準備できたって。シエルを呼んできてくれって言われた」

「ああ、もうそんな時間か。クリフさんとハリスさんも一緒に行きましょう。グランディールの新名物のお披露目です」

「もちろん。そのために来ましたからな!」


 みんなで連れ立って酒蔵に向かう。コリンナの光魔法に照らされた試飲台の周りには、クリフさんが剣を打ち始めたときよりも多くの人が詰めかけていた。


 今日は待ちに待った一番搾りの日。酒造りを始めるにあたってお世話になった人、そしてライス酒を扱っている料亭や商会を集めて試飲会を開くことになったのだ。


 白いクロスをかけた長テーブルの上には、領民のガラス職人が作ったグラスや、黒猫夫婦が朝から作り溜めたおつまみが並んでいる。エプロンをつけたコリンナやアルマさんも準備万端だ。規模は小さめとはいえ、フードイベントも四回目になるとこなれてくる。


 いつも通りシエルがそつなく挨拶をこなし、完成したライス酒が満を持して振る舞われる。


 作ったのは二種類。昔ながらの製法を遵守した大吟醸と、ライス酒に馴染みのない人でも飲みやすいようにフルーティーさを付与した純ライス酒だ。


 まず大吟醸から口に含む。すっきりとしたキレのある辛口。やや舌に痺れ感が走るものの、肉にも魚にも合いそうだ。


 次に純ライス酒。こちらは口に含むと花のような香りが鼻腔に抜けて、まろやかな甘みが広がっていく。正直、どちらも甲乙つけ難いぐらいに美味しい。


 集まった客たちも、みんな目を細めてライス酒を堪能している。残念ながら味見できないシエルは、コリンナにその場を任せると、女将さんたちにもらった甘酒を片手に、私の隣にいるハリスさんの顔の闇を見上げた。


「ハリスさん、どうですか? このライス酒は売れそうですか?」


 ハリスさんは答えない。ゆっくりとライス酒を飲み干したあと、空のグラスを持ってしばし瞑目する。


 周囲が賑やかなだけに、この沈黙はかなり怖い。やがて、食い入るように見つめるシエルの前で、ハリスさんが大きく肩を揺らした。


「いや、お見それしました! 初めての酒造りでここまでのものを作れるとは、正直みくびっていましたな。水がいいのか、ライスがいいのか、それとも女将さんたちの腕がいいのか……。とてもラスタでは作れない味です。全て弊社に卸していただきたいぐらいですな」


 キッパリはっきりと褒めてくれるハリスさんに、「じゃあ……!」とシエルの顔が輝く。

 

「売れますな、これは。直にグランディールの名前は有名になるでしょう。たった一年足らずで領地経営の道筋を立てるとは恐ろしい人だ」


 それは最大限の賛辞に他ならなかった。領主の仮面が外れて「よしっ!」と少年らしくガッツポーズするシエルに、ハリスさんが優しく目の光を細める。


「ここまでくれば、もう私がいなくても大丈夫でしょう。支店の経営は社員に任せ、ナクト夫婦やクリフどのと共に私も首都に戻ります。ステラ商会を吸収合併することになりましてね。しばらく身動きが取れそうもありません。ですから、この酒を売るのが私の最後の仕事です」


 ステラ商会はアルマさんの実家だ。シエルがはっと息を漏らす。私も内心では驚いていた。勝手にハリスさんはいつまでもここにいると思っていたのだ。それほどまでに彼はグランディールに馴染んでいた。


「……ありがとうございます。ハリスさんには本当にお世話になりました。あなたと取引できなかったら、ここまで早くグランディールに人が集まることはなかったでしょう」

「私こそあなたのような素晴らしいお客さまと出会えてよかった。今後とも我がワーグナー商会をよろしくお願いいたします。ただ……そうですな。私が少しでもグランディールの発展に寄与したと仰っていただけるなら、他言はいたしませんので教えてくださいませんか? 酵母は何を使用されたのですか」


 ライス酒の要は麹、そして酒母づくりの際に添加する酵母だ。酵母はアルコール発酵に必要なもので、どの酵母を選ぶかによって香味が変わり、酒蔵によっては、蔵つき酵母と言われる蔵に自生する酵母を培養して添加することもある……と、まあ蘊蓄はともかく、それだけは聞かれたくなかった。


 途端に目を逸らす私たちに、ハリスさんが困ったように首を傾げる。


「申し訳ない。困らせてしまいましたな。もちろん門外不出とあれば、教えていただかなくても結構です」

「いえ、知られたくないわけではないんです。他所には真似できないと思いますので……ただ……」

 

 シエルが言いにくそうに私を見る。やめて。私に判断を委ねないで。


 でも……ハリスさんだったら広い心で受け入れてくれるかもしれない。ごくりと喉を鳴らし、恐る恐る口に出す。


「……ム酵母」

「え?」

「スライム酵母です……」


 市内から少し離れたスライム牧場は、公にしたくないものを保管するにはぴったりの場所だった。故に酒造り用に調達した酵母も牧場の一角に置いておいたのだが……少し目を離した隙に、脱走したスライムが食べてしまったのだ。


 とても栄養価が高かったのか、見事酵母スライムに進化した彼らはあっという間に分裂を繰り返し、残ったのは大量に増えた酵母。この国には魔物食を規制する法律はない。検査したところ成分にも問題なさそうだったので、そのまま使用したわけである。

 

 私の告白を聞いたハリスさんは、一瞬の間をおいて大爆笑した。


「はは、ははは! 参りました! あなた方と商売ができて本当によかった!」

ここで開拓にも一旦区切りがつき、ハリスともついにお別れです。


出会いがあれば別れもあるもの。次回、ラスタ勢との別れの日。サーラは何を感じるのでしょうか。

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