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52話 月下のダンス(見ているのは月だけ)

 スライムも眠る丑三つ時。スライム牧場の柵に両腕を掛け、空を見上げる。


 人工魔石の研究を秘匿するため、牧場の周りには認識阻害の魔法をかけている。薄いベール越しに外を眺めているようなものだが、それでも冬の冷たい空気は感じられた。


 レーゲンさんのおかげで怪我は完治している。捕獲した飛竜の処遇を決めたり、壊れた領主館の片付けをしたり、長い長い夜を越え、ようやくグランディールに戻って一息ついたところだ。


 今頃はコリンナや公女様も夢の中にいるだろう。


 太ももにつけたままのポーチから一枚のカードを取り出す。シエルの騎士服の胸ポケットに入っていたものだ。裏面には魔法紋がびっしりと書き込まれていて、表面には道化師の絵が描かれている。


 これは、あらかじめネーベルが仕込んでいた「お誕生日プレゼント」だ。彼は事前に伯爵の不穏な動きを察知していた。ドワーフの貴金属店で盗みがあったとき、大門で捕らえた女性が伯爵の諜報員だったのだ。グランディールに不利な情報を集めて来いと命令されたらしい。


 諜報員から情報を搾り取れるだけ搾り取ったあと、魔法で記憶を消して放逐したそうだけど……本当かどうかは聞かなかった。


 その報告を受けたシエルは、人知れず伯爵を警戒していた。そんな最中、シエルのお姉さんがグランディールを訪れたのだ。あんた狙われているわよ、と忠告をしに。


 結果的に誰も死なずに済んだとはいえ、自分の察しの悪さに落ち込む。事後処理のため、レーゲンさんと共にアマルディに上陸したネーべルは、『プレゼントは役に立ったでショウ?』とニヤニヤ笑っていた。本当にムカつく。


 捕らえられた伯爵は今も公爵の監視下にある。夜明けと共にルクセンの帝国議会に抗議の書面が届くだろう。


 伯爵がシエルに迫ったとき、私の魔法は押し負けた。より強い風魔法で相殺されたからだ。


 あとで調べたところ、伯爵は服の下に最高純度の風の魔石を隠し持ち、身体強化の魔法紋を刻んだ鎧を着ていた。ルビィに匹敵するほど緻密で高度なものだ。とても値段などつけられないだろう。


 でも……伯爵家とはそこまで財力があるものだろうか。ネーベルの言う「戦場を知らない」お貴族様が。


「ここにいたのか」

「ロイ? まだ起きてたの?」


 足早に近寄ってきたロイに、思考を中断して向き合う。市内の肉屋に依頼されて育てた血吸いスライムのおかげで、飛竜の返り血はすっかり落ちている。顔色もいつも通りだ。もう完全にフールー風邪は抜けたらしい。


「探したぞ。怪我が治ったばかりなんだから、大人しく寝てろよ」

「そっちこそ」


 ロイと肩を並べて、眠るスライムたちを眺める。おかげさまで研究は順調だ。もう少しすれば初の人工魔石が採取できるだろう。もしかしたら、また誰かから嫉妬を買うんじゃないかと不安が過ぎったが――それ以上考えるのはやめた。


「シエルは?」

「ぐっすり。さすがに疲れたみたいだ。ポチを見張りに残してきたから大丈夫だよ」

「そう……」


 そのまま沈黙が降りるかと思いきや、ロイが珍しく言の葉を紡いだ。


「今日はびっくりした。サーラがあんなに怒るなんて」

「私もよ。馬鹿なこと言ったわ。私はただの護衛。シエルは領民の未来を抱える領主。なんでもかんでも話せるわけじゃないってわかってたはずなのにね」


 領主という立場にはある種の秘匿性がつきまとう。不用意に漏らした一言で家が傾くことはザラにあるのだ。だから大抵の貴族は側近を身内で固めたがる。アルたちとパーティーを組んでいたときも、自分の立場はわきまえていたはずなのに。


 ……それに、きっとシエルは私たちを守ろうとしてくれたのだろう。もしものことがあったとき、一人で責任を取ろうと思って。だから余計に腹が立ったのだ。


「シエルは喜んでたと思うぞ。理不尽に怒られることはあっても、心配して叱ってもらうのは初めてだから」


 不器用なフォローに苦笑で返す。たとえそうだとしても、他国の重鎮がいる場で見せる態度ではなかった。


『僕には言えないことがたくさんある。でも、君たちのことは心から信じてる。だからどうか、僕を見捨てないでほしい』


 そんなこと、言わせてはいけないのだ。


「……私たちにできることは、シエルを信じて守ることだけね」

「そのために俺たちがいる」

「ご領主様の期待には応えなきゃね。これ以上仕事が増えるのはごめんだけど」

「だな」


 小さく笑い合い、ふと自分の酷い有様に気づく。傷は治ったものの、髪もドレスもぐちゃぐちゃで靴もドロドロ。アルマさんに申し訳が立たない。


「戻ったらドレス姿を見せてあげるって言ったけど、これじゃあね。いつもの格好の方が幾分かマシよ」

「……いや」


 そこで言葉を切り、ロイは優しい笑みを浮かべて私を見下ろした。

 

「綺麗だよ。今のサーラは誰よりも綺麗だ」


 お世辞はいいわよ、と返そうとしたものの、私を見つめる金色の瞳があまりにも綺麗だったので何も言えなかった。そのまま魔法にかけられたように目を離せない私に、ロイがそっと手を差し伸べる。


「踊らないか? あれだけ練習したんだから」

「お互いボロボロで、音楽もないのに? ……でも、私たちらしくていいかもね」


 私よりも大きくて、硬くて、力強い両手を握る。練習のときはなんとも思わなかったのに、こうして改めて向き合うとなんだか照れくさい。覚えるのに精一杯だったから?


「足踏んじゃったらごめん」

「平気だ」


 どちらともなく始めたステップはひどくぎこちなかったけど、ここには私たちを笑う人間は誰もいない。


 私たちを見ているのは、空に煌々と浮かぶ金色の月だけだった。

 




 

「どうして、お前たちはそうトラブルに巻き込まれるんだ」


 呆れた顔をしたクリフさんが金床の前でため息をつく。その通りなので何も言えない。さすがのシエルも黙って笑みを浮かべている。一蓮托生の私とロイも大人しく聞いているしかない。


 そんな私たちを領民や観光客がチラチラと見ていく。いつもより人が多いのはこれから「お楽しみ」があるからだ。


 あの長い夜から半月が経ち、ごたごたしていた領内も徐々に落ち着いてきた。逞しいラスタ国民の努力の甲斐もあって、アマルディの領主館も元の姿を取り戻しつつある。コリンナも早々と職場復帰を果たし、相変わらず侍女と事務員の二足の草鞋を履いている。


 公爵様が叩きつけた抗議文書にルクセン帝国議会は飛び上がるほどの騒ぎに……はなりはしなかった。事前にシエルのお姉さんが手を回していたからだ。抗議文書が届いた時点で、どう対処するかすでにまとまっていたらしい。


 伯爵は爵位を剥奪され、禁錮十年。伯爵家はかろうじてお取り潰しを免れたが、男爵位に降格の上、今後は分家が領地を治めることになった。


 世間的には甘い処罰に思えるかもしれないが、多額の賠償金を負った挙句に、永続的にアマルディを出禁になり、ルクセン帝国内の評判も地に落ちたので、実質的に死んだも同然である。


 ラスタ側も事を大きくしすぎるのは好ましくないと判断したのか、捕らえた飛竜の譲渡と関税の軽減で手を打ち、この騒ぎは内々に収めることになった。


 王家に横槍を入れられた公爵様が異議を申し立てなかったのは意外だったが、おそらくこの際に借りを作っておこうという政治的判断だろう。


 もちろん、グランディールにもいくばくかの慰謝料は支払われる。けれど、グランディール領内には直接的な被害はなかったため、全てアマルディの現状回復費用に充ててもらうことにした。


 そして、そんな諸々が終わった直後、クリフさんから珍しく呼び出されたわけだ。


「僕たちも平穏に日々を過ごしたいんですけどねえ。それで、ご用件は?」


 笑みを崩さず問うシエルに、クリフさんが「ああ」と思い出したように言う。

 

「これから剣を仕上げる。手の型を取らせてくれ。本当はじっくり打ちたかったが、渡す前に死なれたら元も子もないからな。ついでにお前もだ、黒髪の小僧。強い剣を打ってやるから、お前がこいつを守ってやれ」


 ロイの顔が輝く。これからもトラブルが起きる前提なのが情けないが、クリフさんの剣が手に入るなら安いものだろう。


「私は?」

「お前にはすでにいい杖があるだろう。それ以上のものは俺には作れん。その代わり……まあ、かんざしでも作ってやる」


 おお、ラッキー。ロイのヘアゴムと使い分けよう。それにしても、このルビィの杖とんでもなく良いものだったんだな……。ますます手放せなくなりそう。


「打つところを見ていてもいいですか?」

「俺も見たい」


 シエルのお願いにロイが素早く乗っかる。ファンタジーど真ん中の世界に転移したものの、職人ではないので剣を打つところなんて滅多にお目にかかれない。二人に続いて「私も……」と見学の意思を表明する。

 

「好きにしろ。大して面白くないぞ」


 クリフさんが粘土で二人の手型を取る。これを元にグリップを作るらしい。興味津々に眺めていると、背後から大声が響いた。

 

「私も見学させてください!」

初めてルビ村に行った時は計画を拒否されるのを恐れて黙っていたシエルですが、今度はサーラたちを守るために黙っていました。三人の絆は着実に育っています。


さて次回。ようやく鍛冶職人として腕を存分に振るうクリフと、ライス酒の試飲会の模様をお届けします。

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