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50話 道化師は闇に踊る(二度と踊れないようにしてやる)

「人形……⁉︎」


 すぐ後ろから引き攣った声がする。魔法学校に通っているとはいえ、実戦経験は豊富ではないだろう。公女の身分を明らかにしている以上、本当に危険な場所には駆り出されていないはずだ。


 私たちの眼前でふらふらと宙に浮いているのは道化師(ピエロ)の人形だった。


 背中に糸はついていない。古いダンジョンに潜ると、一体や二体、こんな風に彷徨っている人形に出くわすことがある。


 魔力が染み付いた人形が魔素に惹かれて動いているとも、魔法使いが魔法で生み出した存在とも言われているが、発生条件は今もはっきりしない。魔法学界隈では土人形(ゴーレム)みたいなものだとされている。

 

 ルビィは自我が宿っているかもしれないと言っていたけれど……無機質に赤く光るボタンの目玉を見ていると、とてもそうは思えない。


「魔生物ね。浮いてるから風属性も持ってるみたい。魔属性を浄化して、体を壊してしまえば動かなくなると思うわ」


 こういうときは聖属性でよかったと思う。公女様を背中に守りつつ、どうやって近づこうかと思案していると、突然人形の口が動き、ケタケタケタと耳をつんざく音を立てた。


「サーラ様! 何かきます!」

「魔法……? 違う!」


 咄嗟に風を起こして飛来してきたものを叩き落とす。微かに石畳に響く音には聞き覚えがある。――針だ。人形の体には無数の針が内蔵されているのだ。


 冗談じゃない。足元も見えないほど暗い上に、こちらの魔法は聖属性しか効かないのに、物理攻撃まで対応できない。


「何よこれ! まさかロボットってこと?」

「ロボ……? おそらく昔の魔法学校生の作品だと思いますわ。学内には魔生物の研究論文もいくつかありますので!」

「学生のおもちゃで殺されちゃたまんないわよ……!」


 言っている端から針が飛んでくる。尽きる様子がないのは、きっと風魔法で床に落ちた針を回収しているからだ。捨て身で飛び込めばなんとかなるかもしれないが、公女様の身が危ない。


「サーラ様、わたくしのことはお気になさらないで。こう見えて、わたくしも魔法使いですから、自分の身は自分で守れますわ」

「でも、あなたにもしものことがあったらコリンナが……」

「あなたの天秤は辺境伯とコリンナのどちらに傾くのですか?」


 ぐ、と喉が詰まる。そんなの決まっている。私はシエルの護衛だもの。


「……信じるわよ」

「お任せくださいな。わたくしもあなたを信じていますわ」


 長杖を握りしめ、風魔法で光魔法の届かない暗闇に飛ぶ。私の姿が掻き消えたことに気づいたのだろう。ギョロギョロと赤目を周囲に巡らせた人形が、ところ構わず針を放とうとする……が、それよりも早く公女様がドレスの中に隠し持っていた杖を抜いた。

 

「あなたの相手はわたくしですわ! ピエロさん!」


 杖の先端から打ち出された稲妻が細く白い軌跡を描いて人形に向かっていく。しかし、人形は動かない。魔属性には魔法が通用しないとわかっているのだ。


 周囲に出現した赤い霧が公女様の魔法を飲み込んでいく。それを見た公女様が「くっ」と悔しそうに息を漏らし、背後の闇の中へジグザグに駆け出した。目の前の獲物から始末しようと思ったのか、人形は猛スピードでまっすぐ宙を飛び――。


「お利口そうに見えても所詮人形ね」


 ()()から響いた声に、人形は黒板を爪で引っ掻いたみたいな不快な音を立てた。急停止しようとしたが慣性の法則に抗えず、古びた体が軋む音だ。


「美人につられちゃった? スピードを出した分、急には止まれないでしょ? 風魔法で横着するからそうなるのよ!」


 腕を伸ばして頭上を通過する足を掴み、聖属性の力を叩き込む。同時に氷魔法で体を粉砕すると、人形は完全に沈黙した。ローブの上に散った針を風魔法で払い落としながら、その場にゆっくりと立ち上がる。


「うまくいきましたわね。さすがクラーケンを倒した方ですわ」

「逃げたと見せかけて床に伏せてただけなんだけどね。足元が暗くてよかったわ」


 初めてアマルディに上陸した夜、魔属性に取り憑かれたデュラハンの足の間を潜ったロイを参考にした。魔属性に取り憑かれたものは強大な力を得る代わりに理性を失って視野が狭くなる。人形にも適用するかは不明だったが、なんでも試してみるものだ。


「さあ、行きましょう。シエルたちが待ってるわ」






 長いハシゴを上り切り、錆臭い扉を押し開いた先にあったのは殺風景な空間だった。調度品も何も無く、長らく封印されていただろう埃だけが空中を舞っている。


 耳を澄ませても、外から時折轟音が聞こえるだけで、周囲は不気味な静けさに包まれていた。


「ここは……? 執務室に出るんじゃなかったの?」

「執務室……の隠し部屋ですのよ。確かこの辺りに……」


 暗い部屋の中を光魔法で照らしながら、公女様が壁を何箇所か押す。すると、壁の一部に亀裂が走り、引き戸のように横にスライドしてぽっかりと穴が空いた。


 ルクセンの帝都でもあまりお目にかかれない高度な自動扉だ。光魔法で認識を阻害して、風魔法で扉を動かす仕組みだろうけど……。今はじっくり見ている暇はない。


 後ろ髪を引かれながら、公女様に先導されて穴を抜ける。そこは資料室のようだった。


 今度は普通の扉を押し開くと、ぐちゃぐちゃに乱れた室内が目についた。魔石灯の明かりが消え、床に本や書類が散乱する中、金髪の少年と亜麻色の髪の少女が執務机を背に、並んで絨毯の上に座り込んでいた。


「シエル!」

「サーラ!」


 暗くて見えづらいが声には張りがある。ほっと息をついて二人の前に膝をつく。念入りに確認したが、シエルに怪我はなさそうだ。けれど、シエルの腕の中のコリンナは額から血を流してぐったりと目を閉じていた。


「コリンナ!」


 悲鳴を上げて縋ろうとする公女様を押し留め、太もものポーチから借りていたストールを取り出して止血……しようとしたが、とっくに血は止まっていた。生命魔法使いがいたのだろう。意識はないけど呼吸はしっかりしているし、命に別状はないと思うけど……。


「一体何があったの? 公爵様は?」

「飛竜が屋根に降りた衝撃で倒れた本棚に頭をぶつけたんだ。傷は塞いだから大丈夫。ただ、足も捻挫しているみたいでね。公爵は私兵団と一緒に、逃げ遅れた客たちを広間にまとめて守ってる」

「打撲は治療に時間がかかるからね……。他に魔物はいるの?」

「割れた窓から入り込んだ小さい奴はね。でも、そんなのは大した脅威じゃない。問題はこの中に――」

「侵入者がいるかもしれないってこと?」


 シエルが一瞬言葉に詰まった。普段から褒めまくるくせに、私のこと甘く見過ぎよ。


「サーラも気づいたの」

「一応、護衛だからね。わかってて、なんでこんなところにいるのよ。みんなと一緒に広間にいればいいじゃない」

「……シエル様を責めないでくださいませ。わたくしがそうして欲しいと言ったのです。この怪我では広間に襲撃者が来たとき、足手纏いになってしまいますから」


 目を覚ましたコリンナが弱々しく微笑む。辛いだろうに気丈であろうとする姿が痛々しかった。


「コリンナ……わたくし、わたくし……」

「あらあら、公女様。やっぱり来てしまったんですのね。シエル様と賭けていたんですのよ。あなたは必ずサーラ様を連れて来てくださるって」

「僕はサーラが強引に飛竜の魔法を掻い潜ってくると思ってたよ。負けてよかった」

「わたくしも負けたかったですわ。こういうときはご自分の命を最優先するべきですわよ」


 優しく睨まれて公女様が泣き笑いの表情を浮かべる。


「地下通路を通ってきたんだよね? 外の様子はどうなってる? 救援は来たの?」

「ええっとね……」


 説明しようと口を開いたとき――鼓膜を突き破るような咆哮が夜の闇を切り裂いた。

隠し部屋の魔法紋を書いたのは魔法学校の教師です。魔法学校には魔法紋学科があるので、専門の教師もいます。静かだったのも、防音の魔法紋を書いているからです。声が漏れると気づかれちゃいますからね。


さて、大声、鳴き声ときて次は咆哮。段々レベルアップしていますね。今夜のアマルディはかなり賑やかです。


次回、侵入者と対峙します。

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