49話 長い夜の幕開け(なんでいつもこうなる)
人は予想外の出来事に出くわすとフリーズするらしい。
月を覆い隠す勢いで空から現れたのは、色とりどりの体毛を持つ鳥の魔物――飛竜たちだった。
見た目はオオミミヨタカに似ているが、体の大きさは比べ物にならない。鳥の魔物とはいえ夜目が効き、ドラゴンに匹敵する膨大な魔力と高い知能を持つのが飛竜と呼ばれる所以だ。
飛竜が吠えるたび、体がビリビリと震えて立っていられなくなる。熊とは比較にならない咆哮だ。魔物を前にして血の気が引いていく感覚を初めて感じた。
隣の公女様も、帰ろうとしていた客たちも、飛竜の大群を呆然と見上げている。しかし、そのうちの一羽が領主館の屋根に鉤爪を突き立てたのを見て、周囲から怒号が上がった。
「飛竜が襲ってきたぞ!」
「迎撃しろ! 公爵は? 領主館の中に、まだ来客もいるな。すぐに避難させろ!」
周囲を警備していた私兵団員が急いで領主館に戻ろうとするが、飛竜から放たれた火の魔法に阻まれる。
その場にいた水の魔法使いのおかげですぐに火は消し止められたが、戦場の熱気に誘発されたように、領主館の上を旋回していた他の個体が市内へ降下し始めた。
「おい、まずいぞ。奴ら暴れ回るつもりだ!」
「ふざけるな! ようやく復興が終わったところだぞ。また焼け野原にされてたまるか!」
その場にいたラスタ国民たちの目に闘志が宿った。頼もしいが過ぎた激情はさらに被害を拡大させる。今にも飛竜に飛びかかっていきそうな彼らの元へ、額に汗を浮かせた公女様が駆けていく。
「皆様、落ち着いてくださいませ! 第一私兵団は魔法学校と警備隊と連携を取って、市民の避難と防衛を! 第二私兵団は領主館の飛竜を足止めしてください」
そこで小さく息を吸い、公女様はにっこりと笑った。
「大丈夫。中には公爵様も優秀な護衛の皆様もおりますもの。かえって安全かもしれませんわ。すぐに本土から救援隊が来ますから、それまで持ちこたえてください」
「あなたは……」
公女様の姿にその場にいた面々が顔を見合わせ、揃って不敵な笑みを浮かべた。
「任せてください。モルガン戦争の二の舞にはさせませんよ!」
私兵団も客も関係なしに、手に手に武器を持って市内目指して馬を走らせていく。女性たちもだ。逞しいラスタ国民たちと入れ違いに、馬車の停留所で待機していたグランディールの探索者たちが駆けて来た。
「サーラさん! シエル様は?」
「まだ中にいるの。対岸でも、もう気づいていると思うけど、念のために一人はグランディールに知らせに行って。他のみんなは……」
その続きは口に出せなかった。協力を依頼することは、命を賭けろと言っているに等しい。彼らにはそんな義理など欠片もないのに。
知らず知らずのうちに手が震えている。怖い。シエルはいつもこんな決断をしていたのか。
そんな私を前に、リーダー格の探索者がいかにも悪人面で笑う。
「最後まで言わなくていいぜ。俺たちに任せときな! アマルディの連中にはよくしてもらってるからな。シエル様が無事に出てきたら、賞与出すように言っといてくれや!」
「おうよ。お前ら気張れ! ルクセンの戦闘技術を、あの鳥野郎の目ん玉に焼き付けてやろうぜ!」
武器を抜いた探索者たちが意気揚々とラスタ国民たちの後に続いていく。それを見送り、私はおもむろにドレスの裾を捲り上げた。
「サ、サーラ様?」
顔を赤くした公女様が戸惑った声を上げる中、顕になった太ももにつけたミニポーチから長杖を取り出す。ズボンのポケットに使用した闇露蜘蛛の糸のあまりで作ったものだ。
小さいので収納力はほぼないし、糸に残った魔力が尽きるまでしか使えないが、こうしてもしものときは役に立つ。……もしもが起こってほしくはなかったけど。
「領主館の中に戻るわ。私は属性耐性があるし、一人ならなんとか魔法を掻い潜って玄関にたどり着けるはずよ」
「ま、待ってください。飛竜の武器は魔法だけじゃありませんのよ。近づいただけで尻尾や鉤爪にやられてしまいますわ」
それでも私はシエルの護衛だ。今はこちらをターゲットにしている飛竜だが、もし領主館に炎を放ったら? ここでシエルを失う事態になれば、私を信じて任せてくれたロイへ申し訳が立たない。
それに、私はシエルをみすみす死なせたくない。
私の決意を感じ取ったらしい。公女様は形のいい唇を強く噛みしめると、眉を寄せて項垂れた。
「……わかりましたわ。ですが、あなたを死なせるわけにはいきません。リッカ家の人間だけが知る秘密通路をお教えいたします」
「! そんなのあるの? なら、何人かでパーティを組んで……」
「中は濃い闇の魔素が充満して、強い光の魔力を持つ人間しか進めないようになっています。道も狭く、通れるのは一度に二人が限度。人数が増えれば増えるほど遭難の危険は増すでしょう。全員を紐で結んだとて、切れてしまっては終わりです。だから、公爵様も中に留まっているのだと思いますわ。お客様たちを見捨てるわけにはいきませんし」
確かにその通りだ。この混乱状態では不測の事態もあり得る。成功するかもわからない決死行に貴重な戦力を割くのは得策じゃない。
「じゃあ、私一人で行く。コリンナに融通してもらった光の魔石は持ってるし、聖属性で底上げすればなんとかなると思うわ。場所を教えて」
「いえ、わたくしも連れて行ってくださいませ。中は追っ手を撒くために複雑な迷路になっています。わたくしがいなくては、そのまま精霊界に辿り着いてしまいますわよ」
「は? そんなのダメに決まってるでしょ。あなたはアマルディの公女様なのよ!」
「わたくしもシェ……シエル様やコリンナが心配なのです!」
嫋やかな見た目とは真逆の迫力に、思わず口を噤む。公女様の目は本気だった。グランディールで働きたいと言った、あの日のコリンナみたいに。
「……絶対に無茶しないって誓える?」
「! ええ! もちろんですわ!」
途端に顔を輝かせる公女様を見て、ロイたちもこんな気持ちで私を見てたのかな、と思った。
「くっら……。足元も腕の先も見えない……」
「領主館を建てる前から存在するダンジョンですわ。最後に使われたのは五十年前のモルガン戦争時と聞いています」
「天然のダンジョンの上に領主館を建てたってわけね……。こんなに闇の魔素が濃いところも、そうそうないわ。リッカ領は光の魔素が多いんだっけ。その影響で地上に漏れ出ないようになってるのかも……」
腰に紐を結び、お互いの腕を絡めながら道なき道を進む。気づいたら敬語が抜けてしまっていたが、咎められないのでそのままにしている。
私たちの頭上には聖属性で限界まで効果を底上げした光魔法の光球が漂っている。
公女様が光魔法を使えてよかった。念のために無地のスクロールも持っているが、こんな暗闇では文字を書けないから領主館に辿り着くまでは公女様と私の魔法頼みになる。
頭上からは時々爆発音や破裂音が聞こえてくる。飛竜の攻撃を防いでいるのだろう。
私兵団員に地下を通って領主館に潜り込むと説明したとき、彼らはできる限り飛竜の目を惹きつけてくれると約束してくれた。戦闘では高い位置にいるものが有利だ。なんとか持ちこたえてくれればいいが。
「コリンナは大丈夫でしょうか……。もし飛竜の魔力に当てられた魔物が入り込んでいたりしたら」
「……大丈夫よ。あのクラーケンにも勇ましく立ち向かったんだもの。公爵様もお強いんでしょ? シエルは……賢いから危ない真似はしないと思うわ」
シエルの剣捌きはど素人の私から見ても拙かった。クリフさんの剣を受け取るまでに腕が上達する見込みは残念ながらない。
「それにしても、どうして飛竜が襲ってきたんだろう。何か心当たりある?」
「わかりません。渡りの時期でもありませんし、周辺に強い魔物が出たという情報もありませんでしたわ。巨大蜂は出ましたけど、そこまで強くありませんし」
なら、追われて流れてきたわけじゃないのか。逸れた子供がアマルディに迷い込んだとか?
――いや、それなら誰かが気づくはずか。ここは大河の中に浮かぶ小島。侵入経路は限られている。アマルディの税関はきっちりしているそうだから、積荷で密輸したとも考えにくいし。
「飛竜、飛竜……。ルビィ……師匠はなんて言ってたかな。習性はほぼ鳥って聞いたような気がするけど」
「飛竜は群れで暮らし、仲間愛がとても強い魔物です。仲間を一羽だけ残して市内へ降りたのは不可解ですわ。まるで、わざと戦力を割いているような……」
ぴた、と足が止まった。
そうだ。鳥にしてはやけに組織だった動きをしている。飛竜は魔物便にも利用されるほど温厚な魔物。理由もなしに無闇矢鱈に襲ってきたりはしない。誰かに命令されない限りは……。
「公女様、急いで! すぐに領主館に向かわないと!」
「走ってはいけませんわ! 私も同じ気持ちですが、迷っては元も子も……」
「きっと飛竜は目眩しなのよ。目的は領主館の中にいる人間なんだわ! 混乱に乗じて侵入するのは諜報員のやり口だって聞いたもの。新年パーティーには公爵様も他領の要人も集まっているわけだし」
「そんな! 襲われる心当たりなんて……」
そこで言葉を切り、公女様は悲痛な声で叫んだ。
「たくさんありますわ!」
逸れないようお互いの腰に手を回し、二人三脚の要領で迷宮内を走る。時折、骨らしきものを踏んだ感触がしたが、気にしては負けだ。徐々に高まる鼓動を感じながら何度も何度も角を曲がり、ようやくゴールに辿り着いた。
少しだけ広くなった空間の奥に、うっすらとハシゴらしきものが見える。あれを登れば領主館の執務室に出られるそうだ。できればみんなそこで固まってくれていればいいけど。
「私から先に上がるわね。合図したら公女様も上がってきて」
公女様が頷いたのを確認して、腰の紐を解き、ハシゴに足をかける。錆だらけで今にも崩れそうで怖い。
一歩、二歩……。慎重に足を運んで、もう少しで出口の取っ手に手が届くところまできた。下で公女様がほっと息を吐く気配がする。しかし、次の瞬間、濃い闇の中で何か不吉な気配が一気に膨れ上がった。
「公女様! 下がって!」
咄嗟にハシゴから飛び下り、公女様の腕を引いて聖属性の結界を展開する。バチン、と何かを弾く感触。忘れもしない。初めてネーベルと対峙したときに向かってきた赤い鞭だ。
「……これだけ陰鬱な場所に魔属性がいないわけないわよね」
実は迷宮に入ったときから嫌な予感はしていた。聖属性の私を避けてくれると期待したのだが、どうやら賭けに負けたようだ。
誘蛾灯に引き寄せられた虫の如く、禍々しい気配を漂わせた敵が、闇の中からゆらりと現れた。
新年早々大変な事になっていますね。
次回、サーラと公女様がタッグを組んで頑張ります。




