47話 新年パーティーに出かけよう(気が重い)
ルクセンの新年祭は十日まで続く。
普段は忙しい領民たちも、この期間は仕事を休んで家族や大切な人たちと新しい年の始まりを祝う。特に今は職人たちが揃って湯治場にいるので、朝夕響く金槌の音も聞こえず、市内は穏やかな静けさに包まれていた。
ただ、その中でもフル稼働している場所はある。それは病院だ。
冬は風邪が流行る季節。それは異世界に来ても変わらない。新しく領立病院として生まれ変わった元領主館別館は、新年早々風邪を引いた不運な患者たちで満たされていた。
「三十九度五分……」
「完全にフールー風邪だな。火属性は寒さに弱いからなあ。毎日ご領主様の特訓に付き合ってたのが祟ったんだろ」
ウイルスの侵入を防ぐため、風魔法を付与したマスクをつけた私とレーゲンさんの前で、真っ赤な顔をしたロイがうめく。
フールー風邪とは元の世界でいうインフルエンザのことだ。たぶん愚者からきてるんだろう。どんなお馬鹿さんでもかかれば寝込むと言われ、毎年冬になると大流行するらしい。
「にしても、災難だな。よりによって今日熱出すかね。予定を変更するわけにもいかねぇし」
そう。今日は前々から予定していたアマルディの新年パーティーの日だ。私もこれから着替えて化粧をすることになっている。ダンスを披露しなくてもよくなったのはいいが、ロイが欠けるのは痛い。
向こうは魔物への忌避感が強いラスタだから、ポチやシロを連れていくわけにはいかないし、自警団には領地を守っていてもらわなければならない。一応、探索者組合に道中の護衛は依頼するつもりだが、招待状のない人間はアマルディの領主館に入れないので、結果的に私が一人でシエルを守ることになる。
「レーゲン……。治療魔法で治してくれ……。あんたなら病気も治せるだろ……」
「ダメだ。ただの風邪ならともかく、フールー風邪は体力の消耗が激しすぎる。解熱剤を飲んで大人しく寝てな。それしか術はねぇよ」
「でも、サーラ一人じゃ……」
「おい、寝てろって言ってるだろ。風邪だからって甘くみんなよ。毎年、何人も死んでるんだぞ」
ベッドから身を起こそうとするロイをレーゲンさんが力尽くで押し留める。獣人の血を引くロイが大人しく抑えられるなんて、それほど弱っているのだ。普段何をしていても顔色一つ変わらないだけに、こうして辛そうな姿を見るのは胸が痛んだ。
「大丈夫よ、ロイ。日付が変わるまでには帰ってくるし、アマルディの私兵団は優秀だって話だから」
汗でしっとりした右手を握り、極力優しく聞こえるように話す。伝わる体温に少し落ち着きを取り戻したのか、ロイは枕に頭を預けると、潤んだ瞳で私をまっすぐに見上げた。
「……シエルを頼む」
「任されたわ。だからロイも無茶しちゃダメよ。あなたは風邪を治すことに専念して。パールに見張っててもらうからね」
私の声に応え、ベッドの上をうろうろしていたパールがロイの額に飛び乗った。レーゲンさんの手伝いをしているうちに、すっかり氷嚢係が板についたようだ。
乱れた掛け布団を掛け直し、レーゲンさんに後を任せて踵を返そうとしたとき、ロイがぽつりと呟いた。
「……サーラのドレス姿見たかった。ダンスも」
まさか人混みが嫌いなロイがそんなことを言うとは思わず、目を丸くする。
そんなにパーティーを楽しみにしてたのか。確かに、ずっと森に住んでいたなら華やかな場所は初めてのはず。私もパーティーに行くのは憂鬱だけど、ほんのちょっぴり期待していたりするし……。
「戻ってきたら見せてあげるわ。ダンスは……考えとく」
手を振る私に、ロイが弱々しく手を振り返す。
元の職場でもそうだった。こういう不測な事態はよく起きる。私ができることは目の前の仕事をこなすことだけ。戻る頃にはロイの風邪も少しは良くなっているだろう。
「……ま、大丈夫よね。一人とはいえコリンナもいるし」
自分に言い聞かせるように独りごちる。
正直なところ、私は油断していた。クラーケンレベルの大事件なんて、そう起こらないとタカを括っていたのだ。だから着飾って馬車に乗ったときも、すぐにグランディールに帰れると思っていた。
まさか、こんなにも長い夜が待っていたなんて。
「シエル様、サーラ様、いらっしゃいませ!」
満面の笑みを浮かべたコリンナが私とシエルを熱烈に出迎えてくれる。
彼女の背後には古い歴史を感じさせる石造りの建物。開け放たれた扉の向こうには眩い光と楽しそうな声が満ちている。
アマルディの領主館は小島の中心に位置するアラスト山の頂上にある。さすが光の魔石が多く取れる領地だ。山頂から見下ろすアマルディ市内は夜とは思えないぐらい明るく、まさしく光の洪水だった。
「今日はお招きありがとう。あとでリッカ公爵と第三公女様にもお目通り願えるかな?」
「もちろんですわ! 何しろ帝国貴族をお招きするのは初めてのことですから、二人とも朝からソワソワして……あら、ロイ様は?」
フールー風邪を引いて寝込んでいることを話すと、コリンナは痛ましそうに眉を寄せた。
「まあ、あのロイ様が風邪を引くなんて、飛竜でも降ってくるかもしれませんわ。ちょうど巨大蜂を駆除をしたところですから、ぜひ蜂蜜を持って帰ってらして。とても滋養にいいですから」
「ありがとう。今夜の君もとても素敵だね。森の女神様も隠れちゃいそうだよ」
着飾った女性を褒めるのは帝国紳士の嗜み。そして、女性を森の女神に讃えるのはエルフ男性の最上級の褒め言葉だ。シエルはエルフではないが、たぶん兄か父親を真似しているのだろう。それを承知のコリンナも貴族女性らしく嫋やかに微笑んで応える。
「ありがとうございます。シエル様もとても素敵ですわよ。サーラ様も」
ありがとう、と余裕ぶって返しつつも、内心はコリンナの美しさに圧倒されていた。
いつもお下げの亜麻色の髪はシニヨン風にまとめられ、黒いローブの代わりにまとう緑色のパフスリーブのドレスは、夜の闇の中でもコリンナの白い肌を十二分に引き立てている。
知り合いの欲目を差し引いても、まるで妖精みたいだ。同じ女でいて申し訳ない気持ちになる。
それに、今日のコリンナは分厚い黒縁メガネをかけていなかった。愛らしいチョコレート色の瞳を縁取るまつ毛は長く、光魔法の明かりに照らされて頬に陰影を浮かび上がらせている。
彼女を前にした男は誰しも虜になるだろう。平気な顔でいるシエルが信じられなかった。
「さあ、参りましょう。我がラスタが誇る名産品を数多く取り揃えておりますわ! ぜひご賞味ください」
「あっ、急いじゃ危ないわよ。メガネがなくても大丈夫なの?」
「実は伊達メガネですのよ。よく知らない男性に声を掛けられてしまうものですから」
美人には美人の苦労があるらしい。ちらりとシエルを見ると、「何?」とこともなげに返された。
二人の仲がどうなっているのか朴念仁の私にはわからない。でも、できることなら上手くいってほしいと思う。貴族の恋愛事情には詳しくないが、隣国の領主と公女の侍女じゃ難しいのだろうか。
……難しいんだろうなあ。
アマルディの領主館はグランディールとあまり変わらない大きさだった。
あくまでリッカ領の一部なので、執務室や応接間などの実用的な機能しか備えていないという。ただ、領主館の周りには広大な庭園があって、普段は一般客にも開放されているそうだ。人混みに負けたら行こう。
「うわあ、明るい……。まるで帝都みたい……」
「嬉しいですわね。でも、今日は特別ですのよ。リッカの財力を示すために、市内も普段より二割増し明るくしているのですわ。内緒にしていてくださいましね」
大広間に設置された見事な魔石シャンデリアを見上げる私に、コリンナがこっそり耳打ちする。比較的緩いラスタでも権力闘争は存在するらしい。
中に進み入る私たちの周りでは、色とりどりのドレスを着た貴婦人たちと、彼女らをエスコートする男性陣が楽しそうに雑談を交わしている。後程ダンスをするためか、中央には広い空間ができていて、壁際に料理や客たちの贈り物が乗ったテーブルが並んでいた。
奥の一段高くなったスペースは公爵家のためのものだろう。白いクロスがかかったテーブルが見えるが、まだ誰も席に着いていないようだ。
「コリンナ! お越しになられたの?」
「公女様! お越しになられましたわ!」
笑顔で近寄ってくるピンク色のドレスを着た女性に、コリンナがドレスの裾を摘んでお辞儀をする。おお、リアルカーテシーだ。
艶やかな亜麻色の髪に優しい光を帯びたチョコレート色の瞳――リッカの第三公女様は、コリンナが身代わりだと自嘲していた通り、コリンナとよく似ていた。ドレスの色こそ違うものの、並んで立つと双子みたいだ。
「初めてお目に掛かります。対岸のグランディール領を治めるシエル・ローゼン・フォン・グランディールと申します。こちらは僕の護衛のサーラ・ロステム。公女様におかれましては、その麗しいご尊顔を拝謁できて感激の至りです」
「まあ、堅苦しいご挨拶はおやめになって。辺境伯とサーラ様のことはコリンナからよく伺っております。わたくしはシェーラ・リッカ。リッカ領主、アラン・リッカの末娘です。今日は来てくださって本当にありがとうございます」
嫋やかに微笑んだ公女様が、コリンナに勝るとも劣らないカーテシーをする。それだけで、その場にふわりと春の花が咲いたようだった。
こんな至近距離に美人が二人……いや、シエルを入れると三人もいるなんて。眼福だけど今すぐ逃げ出したい。
「公女様、公爵様はどちらにいらっしゃるのですか? ホストなのにお姿が見えないのですけど」
「魔法学校の先生と話し込んでいますわ。スライム樹脂の研究が興に乗っているらしくて」
「まあ、相変わらずですのね。シエル様たちが来られると、あれほどお伝えしたのに……!」
コリンナが拳を握る。一歩引くのが侍女の役目と言っていたが、公女様とも公爵とも随分と気安そうだ。それだけでコリンナが公爵家の面々から愛されているとわかる。幼い頃からそばにいるから、もう一人の家族みたいなものなのだろう。
「いいよ、コリンナ嬢。公爵様もお忙しいだろうし、挨拶はまたあとで……」
そのとき、シエルの言葉を遮るように大広間を貫く大声が響き渡った。
コリンナが緑色のドレスを着ているのはそういうことです。
さて、大広間で騒いでいるのは誰でしょう。




