45話 覗き魔は出禁です(女の敵!!)
「オヤオヤ、気づかれてしまいましたカ。気配は完全に消していたんデスけどネエ」
「嘘つかないでよ。わざと殺気を放ったくせに」
シエルの礼服を着たトルソーの影から音もなく姿を現したのはネーベルだった。「いつの間にそこに……?」と汚物を見る目を向けるアルマさんにも怯むことなく、ただニヤニヤと笑みを浮かべている。ぶっちゃけキモい。
「嘘じゃありませんヨ。最初から最後までワタシは平静デス。気づいたのはアナタの聖属性の力が増したからではありませんカ? 北の森から戻った日かラ、ぷんぷん匂うんですヨ。エルネア教会みたいなイケすかない匂いがネ」
杖を握る手が跳ねそうになったが、必死にこらえる。ほんの少しでも動揺すれば一瞬で気づかれてしまうだろう。それだけの訓練と経験をネーベルは積んでいる。
聖属性の力が増したのは、きっと塔の聖女のスマホを拾ったからだ。スマホが帯びる聖の魔素は、帝都のエルネア教会に漂う魔素よりも遥かに多かった。
このまま補填せずに魔素を摂取していけば、いずれは鉄屑に戻るとしても、それまで誰かに知られるわけにはいかない。下手に手放しても諍いが起こりそうだし。
「シロが来たからでしょ。あの子も聖属性だもの。よく一緒にいるから増したように思うだけよ」
「フフ、聖女の森から連れ帰った聖属性の獣……差し詰め聖獣ですカ。教団が食いつきそうな話デスネエ」
「ご忠告のつもり? 心配しなくてもシエルはシロが聖属性だと公言しないわよ。あんたがベラベラ話さない限りね」
「オヤ、信用のなイ。レーゲンに絶交される危険は犯さないと言ったでしょうニ」
演技じみた仕草で肩をすくめたネーベルが両手を上げる。降参のポーズのつもりだろうか。
「ここに居たのは、単純にアナタの体に興味があったからデス。夏は見損ねたのデ」
あまりの変態ぶりに、アルマさんが「ひっ」と引き攣った悲鳴をあげた。
「さっさと出て行きなさいよ! 二度と入れないように結界を張ってやる!」
怯えるアルマさんを背に、高々と杖を振り上げる。ネーベルは楽しそうに笑うと、その場からふっと姿を消した。
閉じたはずのカーテンが風に揺れている。目にも留まらぬ速さで窓から出て行ったのだろう。
その途端に部屋の中から重苦しさが消えた気がする。やっぱり殺意放ってたんじゃないの? と思ったが、これ以上ネーベルに振り回されるのは嫌なので考えるのを止めた。
でも――気づかれるほど力が増しているとは思わなかった。魔属性の人間は数が少ないとはいえ、気をつけないと。
「あの変態に気づかされるのは癪だけどね……」
それはそうとして、覗きは絶対に許せない。念入りに結界を施して、私はようやくドレスに袖を通した。
十二月末。グランディールは年越しの熱気に沸いていた。
あちらこちらで「今年もお世話になりました」「来年もよろしくー」と声が行き交う中、領主館前の広場では、腕自慢の領民たちがちらつく雪も溶けそうな勢いで餅つきをしている。
それを横目で見ながら、私は黒猫夫婦と一緒に年越しにゅうめんと雑煮の準備に追われていた。
ルクセンでは長寿を願って大晦日ににゅうめんを食べるが、ラスタでは年明けに雑煮を食べるそうで、せっかくだから食べ比べしようとシエルが言い出したのだ。そこら中で臨時の屋台も出ているし、実質三回目のフードイベントである。
「ラスタの雑煮は土地ごとにスープが違うって言ってたけど、潮汁だけで大丈夫かねえ」
「さすがに全部は作れないからね……。まさかあれだけ種類があるとは思わなかったわ。みんな譲らないし」
不毛な話し合いを思い出したのか、おたまで鍋をかき混ぜていたネレイアさんが苦笑した。
雑煮を作るにあたり、ラスタ代表としてコリンナやハリスさんたちに相談したのだが、潮汁、クリームシチュー、すまし汁、山菜汁……と次々候補が上がり、喧嘩にまで発展しそうだったので、結局、一番訪れるだろうアマルディの人間の好みに合わせて潮汁になったのだ。
クリフさんが今日のために作った特大寸銅鍋の中には、ブラウ村の漁師たちが獲ってきた新鮮な魚介類が煮込まれている。正直、今すぐ食べたいぐらいにいい匂いがする。
「準備進んでる?」
もこもこの毛皮に身を包んだシエルが鼻の頭を真っ赤にして現れた。毛皮はアルマさんが仕立ててくれたものだ。材料はポチとシロをブラッシングして抜け落ちた毛である。
隣のロイはいつも通りの服装なので対比がすごい。今にも風邪を引きそうな見た目だが、革鎧に周囲の空気を温める魔法紋を書いてあげたので、思ったよりも暖かいはず。たぶん。
「潮汁とにゅうめんのお出汁はできたから、あとは麺を茹でるだけね。餅ももうすぐつき終わりそうだし」
「そっか。楽しみだね。僕、お餅も好きなんだ」
心からウキウキした様子に口元が緩む。領主として初めての年越しイベントだ。気持ちが落ち着かないのだろう。
「シエル様、演出の準備ができましたわよ。最終確認をお願いいたしますわ」
「わかった。じゃあ、またあとでね。僕の分もちゃんと取っといてよ」
領主館の周りで作業しているコリンナの元へ、シエルが駆けていく。人工魔石という共通の秘密を得て連帯感が高まったのか、傍から見ても親密さが増している気がする。
コリンナもグランディールでの生活を心底楽しんでいるみたいで、本来なら年末年始は公女様と過ごすところを、なんとか休みをもぎ取ってイベントのために力を貸してくれている。
ありがたいが侍女をクビにならないか心配だ。新年パーティーで公女様にきちんと挨拶しておかないと……あっ、嫌なこと思い出した。
「そういやダンスは上手くなったのかい、サーラちゃん。この前、足腰が痛くて立てないって言ってただろ?」
心を読んだようなネレイアさんの言葉に、「うっ」と声が漏れた。コリンナとシエルの二人がかりで連日レッスンを受けているのだが、なんとか及第点といったところだ。
パートナーのロイは運動神経がいいから難なくマスターできたけど、私はよちよち歩きを始めたばかりの赤ん坊。本番で足を踏まなければ御の字である。
「上手くなったかどうかは置いといて……。レーゲンさんに湿布をもらったから、痛みはひいたわ。なんか不思議なぐらいよく効くのよね」
「レーゲン先生ご謹製だからねえ。ヒト種は湿布が貼れるからいいやね。あたしらは毛が絡まっちゃうから黙って耐えるしかなくて」
そうか。種族が違うとそういう悩みもあるのか。ラスタならともかく、ルクセンでは獣人に配慮した製品はあまり売られていない。痛みを緩和する魔法紋を書いたサポーターみたいなものを作れば喜んでもらえるかも……。
そこまで考えてふっと息を漏らした。人のために進んで何かしようなんて、昔の自分が見たら驚くだろう。
それほどグランディールに染まってきたのだろうか。ここに来て半年以上が経つ。まだまだやることが山積みなので当面は離れるつもりはないが、その先はわからない。
「来年の今頃って何してるのかな……」
ぽつりと呟いた私に、ネレイアさんが「にゃふっ」と可愛く吹き出す。
「まだ年も越してないのに気が早いねえ。来年も再来年も今日みたいに手伝ってもらうから覚悟しな」
「貯めたお金で屋台を出すんじゃないの?」
「それがねえ。食堂を任せてもらえるのなら、今のまま専属料理人でもいいかなって思ったんだよ。あたしたちの望みは、作った料理でみんなに喜んでもらうことだからね。ねっ、アンタ」
ネレイアさんの隣で黙々とお出汁の味を確認していたクロビスさんが微笑む。黒猫夫婦はグランディールでの居場所を見つけたのだ。それはとても、一年の締めくくりに相応しいと思った。
「ネレイアさん、餅ができたよ!」
「あいよ! サーラちゃん、保護魔法をお願いできるかい?」
黙って頷き、杖を持って臼の周りに群がる領民たちの元に駆け寄る。餅とり粉を敷いた木箱の中には、ほかほかと湯気を立てる立派なお餅があった。杵をつくのは大変だったろうに、誰も彼もいい笑顔をしている。
その中で一人、見慣れたボサボサ頭が汗を拭きながら近づいてきた。
「よう、サーラ。相変わらずよく働くな」
「レーゲンさん? ひょっとして、みんなに混じって餅つきしてたの?」
「教団に居たときは、今頃礼拝の準備に駆けずり回ってたからな。楽しめるもんは楽しみてぇのよ。パールを一匹で放置しとくわけにもいかねぇし」
足元でパールが跳ねる。森の調査中、預けているうちにすっかり仲良しになったみたいだ。少しだけ妬ける。
「ごめんね、いつもお守り頼んじゃって」
「いいさ。今日はお前らみんな忙しいだろ。ポチとシロも自警団の連中と一緒に見回りしてるしさ」
レーゲンさんの視線の先には張り切って見回りをしているミミたちがいた。今日ばかりはネーベルも団長らしく指揮を取っている。
あの覗き事件以降ちょっかいは出してこないが、念の為にスマホは聖の魔素が漏れにくい鉄の箱の中に厳重に隠し、魔力も普段から意識して抑えることにした。おかげで魔力のコントロールが前より上手くなった気がする。きっかけがネーベルなのは複雑だが。
「お餅は一口サイズにするんだっけ」
「そうそう。七つ入れて食うんだってよ」
「なんだかスライムみたいね」
笑いながら風魔法でお餅を一口サイズに分け、箱ごと保護魔法をかける。あっという間に出来上がった小餅を見て、周りの領民たちから「すげー」と声が漏れた。ちょっと照れくさい。
「何よ、レーゲンさん。あの変態みたいにニヤニヤして」
「随分と気軽に魔法を使うようになったじゃねぇか。あれだけ騒がれるの嫌がってたろ」
「そんなの今更でしょ。私が人よりほんのちょっと魔力が強いのはもうみんな知ってるんだから、隠してたって仕方ないじゃない」
そう開き直る私に、レーゲンさんがふっと優しく笑う。
「そうだな、今更だ」
そのとき、レーゲンさんの後方から賑やかな音楽が流れ、色とりどりの光が領主館の壁を照らし出した。集まった観客から一斉に歓声が上がる。コリンナたちに光魔法で再現してもらったプロジェクションマッピングだ。
「皆様、本日はお集まりいただきましてありがとうございます――」
風魔法で大きくしたシエルの声が朗々と響く。懐中時計の針は間も無く零時を指そうとしている。いよいよ新しい年が始まるのだ。
「……来年もいい年でありますように」
その呟きは魔法で打ち上げられた花火の音に掻き消されていった。
来年もいい年で、ということは今年はいい年だったと無意識に認めているサーラです。
次回、シエルのお誕生日会です。




