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44話 身内が一番タチが悪い(さっさとお帰りいただこう)

「アマルディ名産のササラスカティーです。レモンをかけると色が変わりますので、ぜひお試しください」


 静まり返った執務室のテーブルの上に、ミミがササラスカティーを差し出す。隣に立つロイも驚くぐらい完璧な仕草だ。自警団の仕事も忙しいのに、いつの間にこんなに成長したんだろう。

 

 日頃、多くの来客が腰を下ろすソファには、シエルの姉――エイシア・アニエス・フォン・ブリュンヒルデが長い両足を優雅に組んでふんぞり返っている。見た目は非の打ちどころのない美人なのに、どう好意的に捉えても高飛車が服を着て歩いている印象だった。


 対するシエルは、さっきから顔面に笑みを張り付かせたまま一言も話さない。それが逆に怖い。


「ふん、兎の割に所作は綺麗じゃない。獣も服を着ると一端の人間になれるものね」


 シエルの肩がぴくりと動いた。あ、まずいかも、と思うよりも早く、ミミがにっこりと笑みを浮かべる。


「親身にご指導頂いた先生と、何も知らない私を温かく見守ってくださったシエル様のおかげです。何かございましたら、お気軽にお申し付けください。失礼致します」

 

 深々とお辞儀をして去っていくミミに、シエルの姉はつまらなそうな顔をしている。私の心の中は拍手でいっぱいだ。アルマさんにも見せてあげたい。


「……いきなり来て僕の従業員を侮辱するのやめてくれる? 一体何しに来たの」

「あら、ご挨拶ね。出て行ったっきり、ろくに連絡もよこさない弱虫の顔を見に来てやったんじゃない。この私が! 遥々! こんな辺境まで!」


 やたら強調して胸を張る。わざとシエルを煽っているのだろう。それだけで、シエルが実家でどんな苦労を重ねてきたのか伝わってきて嫌な気持ちになった。


 ちらりとロイを見上げたが、彼は平然とした顔でエイシアを眺めている。意外だ。てっきり怒ると思ったのに。


「悪かったね、こんな辺境で。今は小さいかもしれないけど、いずれ立派な領地として……」

「そうね。随分と精力的に動いているようだから」


 シエルの言葉を遮ったエイシアが、組んでいた足を解いて前のめりになる。その目は獲物を狙う猫のように細められていたが、瞳の奥底には隠しきれない愉悦が浮かんでいた。


「聞いているわよ。南の村を復活させて、クラーケンを討伐して、フードイベントを成功させて、北の伯爵領から領民と漁業権をもぎ取ったんですって? あのバカ、お父様に泣きついてきたわよ。『おたくのご子息に奪い取られました!』って」

「だから? 説教しに来たってこと?」

「はっ! あんな小物のために、ブリュンヒルデが動くとでも? 襟首掴んで放り投げてやったわ。豚みたいに鳴いて滑稽だったわよ。私があんたなら、領民と漁業権なんかで手を打たず、そのまま領地をぶん取っていたわね。飛竜をたくさん飼っているって話だし、惜しいことをしたわ。皇帝の養女になっていなければねえ」


 思わず声を上げそうになって必死にこらえた。今の皇帝には子がいないから、ブリュンヒルデ家の子供が後継者になる可能性が高いと噂では聞いていたが、まさか本当になるとは。


「……正式に決まったんだ?」

「内定と言ったところね。年明けには発表されるんじゃない? どう? 羨ましい? 目の前にいるのは次期女皇様なんだから、もっと敬いなさいな」

「おめでとう。で? 次期当主は誰に決まったの? 父さんのことだからいっぺんに決めたんでしょ」


 さらっと流されてエイシアは不服そうに眉を寄せたが、すぐに(あで)やかな唇を吊り上げて、ササラスカティーに手をつけた。

 

「――エイミールよ。同時に魔法学会の会長職もお父様から引き継ぐわ。優秀な弟を持って鼻が高いこと」


 弟……ということは、エイミールはブリュンヒルデ家の次男だ。後を継ぐのに生まれの順序は関係ないといえども、長子がそのまま後継者になるのが多いルクセンでは珍しい結果だった。


「何、間抜けな顔をして。意外?」

「いや、エイミール兄さんの魔法知識は群を抜いてたから順当だと思う。……でも、それじゃあ、イスカ兄さんはどうなるの」

「さあ? 魔法騎士か学会所属の研究員ってところじゃないの。いい気味だわ。長男だからって、いつも偉そうにして。きっと精霊様のバチが当たったのよ。庶民の言葉を借りるなら、ざまあみろってとこね」


 ほほほほほ、と文字で書けそうなぐらい高笑いしている。実の妹にここまで言われるとは、どんなに嫌われてるんだろう、長男。


「ま、次期女皇と言ってもすぐに皇帝の座に着くわけじゃないわ。まだ世継ぎが生まれる可能性はあるし、失踪した皇弟が戻ってくるかもしれないしね。エイミールもそうよ。お父様は五百歳越えの割にはお元気だから、あと百年は現役でいるでしょ。でも、待てない長さじゃないわ。あんたみたいな短命種と違って、私たちには時間がたっぷりあるもの」


 純血エルフの寿命は千年。五百歳越えということは、ヒト種で換算すると五十歳ぐらいだ。短命種の十年は、純血エルフにとってはほんの一年。わかってはいたが、何だかスケールが大きすぎて頭がくらくらしてきた。


「それは良かった。僕が生きてるうちは姉さんたちに(かしず)かずに済むってことだね。――わざわざ、それを伝えに来たの?」

「まさか。私はそんなに優しくないし、暇でもないの。さっきも言ったでしょ? あんたがどんな惨めな生活を送っているのか高みの見物に来てやっただけよ。あんなに泣き虫だったあんたが、クラーケン討伐なんて吟遊詩人が喜びそうな逸話を生んだとは信じられなかったからね」

 

 エイシアは肩をすくめると、空になったカップを置いて立ち上がった。


「まあ、せいぜい足掻いてみなさいな。百年後までここが残っているのか確かめてあげるから」


 一瞬だけ寂しそうに微笑み、ドアに向かって行く。シエルはソファに座ったまま動かない。仮にも雇用主の身内なので、出口まで送った方がいいかと思ったとき、ドアノブに手をかけたエイシアが肩越しに振り向いた。


「ねえ、そこの黒目のあなた。あなたよ、ミントグリーンのローブを羽織った魔法使い。察しが悪いわねえ」


 悪かったわね、反応が鈍くて。でも、正直に言えるわけがないので黙って首を傾げる。


「見事な黒髪黒目ね。――あなたは、あの女と違う?」


 嘲笑うように言われて、胸が大きく跳ねた。あの女って、誰のこと? まさか、私の過去を知ってるんじゃ……。

 

 問い返そうとしたものの、一歩遅く、エイシアは謎めいた微笑みを浮かべて颯爽と去って行った。


「ごめんね、うちの身内が。あの通り、歩く傍若無人なんだ」

「それは見てわかったけど……。シエル、大丈夫?」

「うん。……と言いたいところだけど、ちょっと疲れたから休むよ。朝早かったしね。ロイ、あとはよろしく」

「ん」


 ふーっとため息を吐き、肩を落としたシエルが執務室を去っていく。


 何が起きても仕事の手を休めないシエルが日の高いうちから私室に戻るなんてよっぽどのことだ。それだけエイシアと接したダメージが大きかったのだろう。他人であれば縁を切れるが、家族はそうもいかない。いつだって、身内が一番タチが悪いのだ。


「……すごい人だったわね。いつもあんな感じなの?」

「ブリュンヒルデ家でも例を見ない七属性持ちだからな。火と闇と聖魔以外は使えたはずだ。魔力も桁違いに多い」

「は? そんなの物語の中でしか見たことないわよ。どこまで規格外なの?」


 大抵の人間は三つまでしか属性を持てない。七つ持ちなんて今後百年経っても現れるか不明だ。


 純血のエルフで、ブリュンヒルデ家の子女というだけでも萎縮するのに、それだけの力があれば誰も逆らえないだろう。子供の頃から周りに傅かれる環境が当たり前だったなら、傲慢になるのも仕方ない気がする。

 

「サーラも大丈夫か。エイシアの言うことは気にするなよ」

「え、あ、ああ。私は大丈夫よ。何が言いたかったのか、よくわからなかったし」


 咄嗟に嘘をつく。本当はまだ胸がざわめいていたが、それよりも今はシエルが心配だった。


「あとでおにぎり作って様子を見に行くわ。食欲ないかもしれないけど……」

「サーラの握ったお握りなら食べるだろ。そんなに心配しなくても、シエルなら大丈夫だ。確かに、エイシアはシエルを泣かせまくってたけど、森にいるシエルを迎えに来たのもエイシアだったから」

「え?」


 戸惑う私を残して、ロイは執務室を出て行った。シエルの部屋の前で見張りをするのだろう。


 こちらの静寂とは裏腹に、窓の外からは領民たちの笑い声が聞こえ、開け放たれたドアからも微かに黒猫夫婦が作る昼食の匂いが漂ってくる。


 いつも通りのグランディールを感じながら、両手で長杖を握りしめた。


 ――そっか。少なくとも一人はシエルのことを気にかけてくれた家族がいたんだ。


 今までなら羨ましいと妬んでいたかもしれない。けれど、心に浮かんだのは「よかった」の一言だった。






「まあ、そんなことが?」


 窓にカーテンを引きながら、アルマさんが目を丸くする。そばには白い布がかかったトルソーがある。春から作ってもらっていた礼服がついに完成したのだ。


 ここは領主館中央棟の二階にある衣装室だ。部屋の隅には先に完成したシエルとロイの礼服もある。シエルは白、ロイは黒を基調にした騎士服だ。


 服飾品を入れるための棚も、服を吊るすためのハンガーもスカスカだが、そのうちここもいっぱいに……なるかな? シエルのお嫁さんが来たらなるかもしれない。私と同じで、シエルもあまり服に興味がないタイプだから。


「格好良かったよ、ミミ。シエルのお姉さんにも物怖じせずに、所作も完璧で。アルマさんにも見せてあげたかった」

「最初は言葉遣いもままならなかったあの子が……。子供の成長は早いものですね」


 しみじみと頷くアルマさんの目尻にはうっすら涙が滲んでいる。何も知らないミミを一から育て上げたのは彼女だ。感動もひとしおだろう。


「私も負けていられませんね。ここを離れるまでの間に、もっともっと服を縫わなきゃ。せっかく衣装室ができたのに、数が少なすぎます」

「お、お手柔らかに……」


 無理をしてお腹の子供にもしものことがあっては大変だ。あとでナクトくんに忠告しておこう。


「まずは、この礼服ですね。もし具合の悪いところがありましたら遠慮なく言ってください」


 白い布の下から現れたのは、レモンイエローを基調にしたエンパイアドレスだった。


 両袖は肘までの長さの総レースで、胸には幾重にもフリルがついている。その代わり、胸から下のラインはとてもシンプルだ。丈が少し短めになっているから、もし魔物が襲ってきても足捌きに支障はなさそうだった。


 靴もローヒールのものを用意してくれたらしい。トルソーの下にはドレスの色に合わせたパンプスが置かれていた。

 

「綺麗だし、とても可愛い……! 私なんかが、こんな素敵なもの着ていいのかな。ドレスに負けちゃいそう……」

「サーラさんに合わせて作った、サーラさんだけのドレスです。着てもらわないと、このままお蔵入りになりますよ」

「お、脅さないでよ……」

「大丈夫。絶対に似合います。私の目に狂いはないわ」

 

 笑顔で着用を促されて、ミントグリーンのローブを脱ごうとしたそのとき、ふと嫌な気配を感じ取った。


 闇がとぐろを巻いてどっしりとのしかかってくるような、そんな感覚だ。一気に全身が総毛立ち、反射的に握りしめた長杖を部屋の隅に向ける。


「サーラさん?」

 

 戸惑うアルマさんには応えず、何もない空間に声を張りあげる。


「そこにいるわね? 出てきなさいよ!」

傍若無人なシエルの姉、エイシア。彼女が来たのは他に訳があります。


さて、試着室にいるのは果たして何者なのでしょうか。

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