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43話 お酒作りを始めます(早く飲みたいなあ)

 白く煙る部屋の中に熱がこもる。

 

 とても暑いが夏が来たからではない。この日のために作った蒸し器が一斉に水蒸気を吐き出しているからだ。お揃いの三角巾と作業着に身を包んだ杜氏たちが忙しく行き交う中、蒸されたライスの匂いがあちこちで漂っていた。


「サーラ、これそっちに広げてー」

「はーい」


 シエルから受け取った蒸しライスを、ロイと協力して大きなバットに移す。ここでモタモタしてはいけない。手早くライスを広げたあと、風魔法で温度を下げる。ライス酒作りにおける放冷という手順だ。


 ライスが十分に冷めたら、部屋を移動する。


 ライス酒はざっくり分けて精白、発酵、仕込みの工程を経て作られるが、一番重要なのは次の麹作りだ。ここの作業自体で出来が左右されると言っても過言ではない。


 麹作りは室温を三十度に保った麹室(こうじむろ)と呼ばれる部屋で行われる。冷ましたライスをもう一度広げ、麹菌を培養して乾燥させたものを振り掛けたあと、満遍なく混ぜ、また振り掛ける、を繰り返す。


 本来ならここで一旦作業をやめて、菌が増殖するのを待つのだが、ルクセンのライス酒作りは日本とは一味違う。部屋の隅っこで大人しく待機していたレーゲンさんを手招きすると、彼は腕まくりしていそいそと近寄ってきた。


「ようやくか。待ちくたびれたぜ」

「蒸し上がるまで先に進めないからね。これから次々くるから頑張って」

「おう」


 広げたライスの上にレーゲンさんが両手をかざす。すると、みるみるうちにライスに白い点が浮いてきた。ほんのりと甘い香りもする。麹菌の菌糸が根付いてきた証拠だ。


 麹菌はその名の通り菌。つまり微生物。生命魔法で発酵を促すと聞いたときは半信半疑だったが、こうして目にすると納得せざるを得ない。


 適度なところで魔法を止め、固まったライスをほぐしていく。こうすることで、温度を均一にしてライスに酵素を行き渡らせるのだ。それを何度か繰り返すうちに、ライスが綿みたいに白くふわふわしたものに覆われ、板状に固まった。


「すごいわね。あっという間にできた」

「生命魔法なしでやると、二日はかかるってシエルが言ってたな。俺じゃこんなに上手く出来ないからレーゲンがいて良かったよ」


 ライスの塊を手で触ると簡単にほぐれ、栗みたいな匂いが漂ってくる。成功だ。


「ありがとう、レーゲンさん。次のもよろしくね」

「任せとけよ。その代わり、出来たら絶対に飲ませてくれよな」


 ロイと共に麹室を後にして、出来たばかりの麹を酒保造りの作業場に運んでいく。酒保はお酒の元となるもので、麹、蒸しライス、水、乳酸菌、酵母を混ぜて作る。生命魔法は容器越しだと調整が難しいため、ここから先は元の世界のやり方と変わらない。


「出来たよ、シエル」

「さすがレーゲン先生。早いね」


 蒸し場から移動していたシエルが、麹を見て目を細めた。その傍らにはブラウ村の女将さんたちがいる。


 マーピープルは水の専門家だ。水を必要とする現場には必ずいる。彼女たちも例に漏れず、旦那衆が漁に出ている間、酒造りを内職としていたらしい。けれど、今年はクラーケンによって酒蔵が壊されてしまったので、そっくりそのままシエルが雇い入れたというわけだ。


「まあ、立派な麹。これならいい酒が作れるよ。ライスの品質もいいし、ミネラル豊富なエスティラ大河の仕込み水もある。ご領主様、あんた本当に恵まれてるねえ」

「おかげさまで。よろしくお願いしますね」

「あいよ! 帝都のライス酒なんか目じゃないもんを作ってやるよ!」


 どんと胸を叩いた女将さんが、腰ぐらいの高さの円筒形の容器に、麹、蒸しライス、水、乳酸菌を入れていく。そして、櫂という先端が平たくなった棒で酒保の様子を見ながらかき混ぜていく。


 白く濁って見た目はまさに甘酒だ。それから六時間ほどが経過したあたりで、女将さんに手招きされた。


「酵母は熱に弱いから温度を下げなきゃならないんだ。容器を氷で冷やしておくれ」

「え? いいの?」

「もちろん。さあ、やってくんな」


 言われた通りに氷魔法を使う。隣で興味深そうに容器の中を覗いていたロイがぶるりと震えた。麹室と違って、酒保作りの作業場は寒い。火属性の彼には辛い環境だろう。


 逆にシエルは元気そうだ。ライス酒造りに立ち会えて嬉しいと顔に書いてある。十代ということを差し引いても、お肌がツヤツヤしている気がする。


「ありがとね。あとはひたすら酵母を培養させるよ。二週間もすれば立派な酒母が出来上がるさ」

「二週間も……。そのあとはどうするの?」

「四日間かけてもろみを仕込んで発酵させるんだ。そうさね……。二月頃には飲めるんじゃないかい」


 今は十二月だから、あと二ヶ月。アルマさんは妊婦だから無理だとしても、ナクトくんとクリフさんにはギリギリ飲んでもらえそうだ。

 

「僕は未成年だから飲めませんが、楽しみにしています。開発した化粧品もそろそろ瓶詰めしたいと思っていますので、ご協力いただけますか?」

「任せなよ。水の扱いでマーピープルの右に出るものはいないからね。別の容器でアルコール抜きの甘酒も作っているから、もらって帰んな。もうすぐ年越しだし、準備に忙しいだろ? 少しでも栄養つけなきゃね」

「ありがとうございます。年越しイベントにもぜひ来てくださいね」


 うっきうきで甘酒のカップを受け取ったシエルの後に続き、酒蔵を出る。ライス酒造りを手伝った領民はもれなく甘酒にありつけたらしい。


 一番の功労者のレーゲンさんは、女将さんたちがクラーケンから守り抜いた古酒を報酬に受け取ったようで、酒瓶片手に意気揚々と診療所に戻って行った。

 

「美味しいなあ。寒いから余計にホッとするね」

「本当ね。ライスの粒が残ってるところが、またいいわよね。手作りって感じで」

「甘酒ってこんなに美味しかったんだな……。昔、シエルと一緒に作ったけど、とても飲めたもんじゃなかったぞ」

「バラさないでよ、ロイ。温度管理失敗しちゃったんだよね」

 

 歩きながらしみじみと甘酒を啜るロイにシエルが苦笑する。


 彼らの作る甘酸っぱい雑炊はここから来ているのかもしれない。絶対に二度と作らせないようにしよう。


 そう心に誓ったとき、冷たい風が首筋をくすぐって肩をすくめた。ロイにカップを預け、つけっぱなしだった三角巾を外して髪を下ろす。氷属性だから寒さには強いといえども、この季節は大河からの風が強く吹くのでとても寒い。


「ここまで寒いと温泉が恋しくなるわね」

「年内に湯治場が完成して良かったよ。頑張って作ってくれたお礼に、職人たちをプレオープンに招待したんだ。もちろんアルマさんもね。ハリスさんも家族を呼んで泊まるってさ。アンケート書いてもらおうと思って」


 きっと経営者目線でびっちり書いてくれるだろう。ハリスさんは年末から、職人たちは年が明けたらそのままお宿へ直行するそうだ。


 この日のためにシロを躾けたので、送迎の準備も万端だ。宿の従業員には開設されたばかりの探索者組合のコネで腕に覚えのある元探索者を雇えたし、魔物避けの結界も張ったから、世界一安全なお宿と言えるかもしれない。


 ちなみに、聖女の森は白の森に名前を変えた。雪が降り積もるから――というわけではない。単純にシロがいた森だからだ。


「それにしても、あっという間に年末ね。いつ秋が終わったのかも覚えてないわ。年越しイベントに、シエルのお誕生日会に、スライムの研究に、化粧品の販売に……まだまだやることは目白押しね」

「アマルディの新年パーティーにもお呼ばれしてるからね。ダンスの練習頑張ってよ」

「うっ……。都合よく忘れてたのに、言わないでよ……」


 ため息をついて肩を落としたとき、不意に領主館の方から「困ります!」と声が上がった。よく見ると、棒を持ったミミが仲間の鳥人や魔法紋師と共に、領主館に入ろうとしている女性を引き留めているところだった。

 

 入場者に制限は設けていないものの、防犯上、入場の際には出生証明書か組合証に準ずる身分証明書の提示を求めている。女性はそれを拒否したのだろう。こういうときに限ってネーベルの姿はない。またレーゲンさんのストーカーをしているのかもしれない。


「あんた何やってんだ。入りたいなら証明書を見せろ。公用語がわからないのか?」


 護衛であり、自警団員でもあるロイが女性に駆け寄って肩に手をかけた。


 その弾みで女性のフードが外れ、見事な金髪があらわになる。その下から覗く瞳はエメラルドのように美しく、髪の隙間から覗く耳は長く尖っている。


 どこからどう見てもエルフだ。どことなく誰かに似ているような……?


「手を離してくれる? 私はそう易々と触れられる女じゃないのよ」

 

 女性はロイの手を振り払うと、唇に嫣然とした笑みを浮かべ、己の美貌を見せつけるように髪を掻き上げた。

 

「久しぶりね、シエル。相変わらず躾のなっていない護衛を連れているのね」


 その場にいる全員の視線が集中する中、シエルが呆然と呟いた。


「姉さん……」

酒蔵によってライス酒の作り方は変わってきます。ルクセンでは生命魔法を使って発酵を促進させる方法が一般的ですが、中には「生命魔法なぞ邪道!」と言って昔ながらの製法を守るところもあります。エルネア教団は生命魔法のノウハウが蓄積されているので、美味しいライス酒が作れるんですね。


次回、突然現れたお姉ちゃんにシエルはどう対応するのでしょうか。

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