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42話 隣の芝生は青いもの(話さないとわからないこともある)

「はい、できましたよ」


 裁縫箱に糸切り鋏をしまい、アルマさんが微笑む。その手には綺麗に修復されたシャツとローブがある。


 窓から差し込む光に照らされた部屋の中には、大工道具や布がきちんと整頓された状態で収まっていた。


 ここはナクト夫婦の作業小屋だ。グランディールに来てから、二人はずっとここに住んでいる。何度か従業員寮に移らないかと誘ったが、やんわりと断られていた。いずれ、ここを離れるつもりだったからかもしれない。


「ありがとう、アルマさん。裂けたところ、全然わかんないよ。どんな魔法使ったの?」

「もちろん、傷を目立たなくする魔法ですよ。私、服にかけては凄腕の魔法使いなんです」


 珍しく冗談を言うアルマさんを見つめる。なんだか嬉しそうなのは希望的観測なのだろうか。


 受け取ったローブとシャツをぎゅっと握りしめる。用件は終わった。本題はここからだ。

 

「あのさ……。先週、北の森で温泉が見つかったって言ったじゃない? そこで採れた柿を持って来たの。これなら食べられるかなって思って」

「ありがとうございます。ぜひ、いただきますね」


 立ちあがろうとするアルマさんを制して、ズボンのポケットから柿と木製の食器を取り出す。穴で仕留めた闇露蜘蛛(ダークスパイダー)から取り出した粘液を糸に加工して、魔法紋を縫い込んだのだ。


 ロイの闇魔法ほどの容量はないものの、旅行鞄ぐらいの荷物は入れられる。貴重なものを売らずに譲ってもらってありがたいのだが、その代わりに、今後は逸れても無茶しないように、常に魔石や杖の予備を持ち歩けと言われてしまった。

 

 手早く風魔法で柿を切り分け、アルマさんに差し出す。アルマさんは艶やかな唇で柿を一口齧ると、顔を輝かせた。


「あら、とても美味しいですね。こんなに美味しい柿は食べたことありません」

「でしょ? 本当は温泉卵を持ってきたかったんだけどさ。妊婦さんは生物ダメだと思って……」


 掘り当てた温泉は現在、着々と湯治場に生まれ変わっているところである。ナクトくんが張り切ってくれているので、雪が降る頃までには完成するだろう。

 

 アルマさんは少し寂しそうに笑うと、空っぽになったお皿にフォークを置いた。


「ごめんなさい、サーラさん。色々と気を遣わせてしまって。その上、せっかく良くしていただいたのに、こんな中途半端なことになって」

「な、なんで謝るの?」

「本来なら、きちんと契約を完了してから子供をもうけるべきでした。この領地はまだ発展途上。ただでさえ人手が少ないのに、突然戻ると言われても困ってしまいますよね。ご恩を返すと言っておきながら、あなたの信頼を裏切ってしまったことを、ずっと謝りたかったんです。でも、あれ以来なかなか顔を合わせられなかったから……」


 お皿の上に乗ったフォークが小さく揺れている。いつも優しい蜂蜜色の瞳も。


 咄嗟にアルマさんの両手に自分の両手を重ね、強く握りしめる。その弾みでアルマさんの膝から食器が滑り落ちたが、今は構っている場合ではなかった。


「違うの。謝るのはこっち。ごめん、私……」


 この先を言うのが怖い。でも、いつまでもコミュ障な自分に甘えていてはいけない。


『ここにゃ、あんたを咎める奴なんていやしねぇよ』


 レーゲンさんの言葉を何度も思い返しながら、ところどころつっかえつつも、母親という存在が怖いこと、アルマさんの赤ちゃんが羨ましいことを正直に話した。


「……私、母親と上手くいかずに逃げてきたの。だから、アルマさんが母親になるって聞いて怖かった。アルマさんは私の母親じゃないのに、勝手に重ねちゃってたの。本当にごめんなさい」


 返ってきたのは沈黙だった。耐え切れずに顔を伏せる。

 

 怖くて顔が上げられない。握りしめた手に汗が滲み出てきた頃、アルマさんが、「私も……」と呟いた。

 

「……私もサーラさんが怖かったです。誰にも助けを求めず、一人で傷つくあなたが。なんでもない顔をして、無茶をやってのけるあなたが。自分の命なんてどうでもいいと言ってるみたいで」


 はっと顔を上げる。私を見下ろしていたのは、軽蔑の眼差しではなく、いつも通りの優しい微笑みだった。


「だから今回、死にたくないと思ってくれて嬉しいです。私にはサーラさんの事情はわかりません。でも、これだけは言えます。……サーラさんは醜くないですよ」

「アルマさん……」

「ごめんなさい。魔素欠乏症で寝込んでいたときに、寝言を聞いてしまって……」


 なんだ。とうの昔に気づかれていたのか。肩の力が抜け、肺の底から息が漏れた。


 口角を上げたアルマさんが、私の両手を解き、右手でそっと私の髪を掻き上げる。ルビィ以外にそんなことをされたことがないので、ちょっとドキドキする。


「あなたは本当に不思議な人。いつも自信がなくて、おどおどして、上手く自分の気持ちを表に出せないのに、誰よりも人の痛みに敏感で……。気がつけば常に周りに誰かいる。ロイさんもシエル様も、あなたを中心に動いているように見えるわ。アマルディで魔法紋をもらったとき、私、あなたをすごいと思った。ナクトに支えられてばかりの私と違って、自分の力でしっかりと立っていて」


 バッサリ切りつつも、めちゃくちゃ褒めてくれる。お世辞じゃないのは目を見ていればわかった。頬が熱くなり、咄嗟に目を逸らそうとして……やめた。アルマさんからは逃げる必要がないもの。


「そんなことないわよ。私、ここに来る前はずっと一人だったし、それが当たり前だと思ってた。こんなにたくさんの人と過ごすのは初めてなの。魔法紋を覚えたのだって、それしか生きる術がなかったからよ。アルマさんの方がよっぽどみんなから慕われてるし、必要とされてるじゃない。初めて会ったときから、すごいなあって思ってたわよ」

「おかしいわね。私たち、お互いを羨ましがってる。……私、サーラさんにすごいと言ってもらえる人間じゃないのよ。子供の頃から生意気で、(さか)しらで、職場では優等生ぶってるって言われて友人もいなかった。そんな私を認めてくれたのはアクシス領主様と、ナクトだけなの」


 アルマさんはステラ商会の唯一の後継ぎ。幼い頃から多くの商品に囲まれ、目を養うことを覚えさせられた。


 そのうちに服裁師の仕事に興味を持ち、父親の反対を押し切って服飾学校に進み、実力でアクシス領主様付きの服裁師の職を得たものの、同僚からはやっかまれ、毎日針と糸だけを見て過ごしていたらしい。


「そんな最中、領主館の建て直しに雇われたのがナクトだった。ナクトは明るくて、優しくて、何より職人としての情熱にあふれていたわ。私……いけないと思いつつも、恋に落ちてしまったの」


 すごいことを告白された。まさか馴れ初めを聞くことになるとは思わなかったが、黙って続きを促す。


「ナクトが仕事を終えて故郷に戻る日、私、どうしても離れたくなくて、連れて行ってくれと頼んだの。ナクトは頷いてくれたわ。私の気持ちに気づいていた領主様も快く送り出してくれた。わかる? 私も何もかも捨ててここに来たのよ。逃げたのはあなただけじゃないわ」


 ああ、そうか。アルマさんは私を仲間だと言ってくれているんだ。


 やっぱりアルマさんは優しい。強くて、いつも凛としていて、私にはないものをたくさん持っている。でも、不思議と妬む気持ちは湧かなかった。むしろ、この人にすごいと言ってもらえる自分が誇らしかった。


 きっと、こういうのを友情と呼ぶんだろう。


「私、初めてアルマさんを身近に感じたかも」

「私もです。……これからも仲良くしてくれますか? お友達として」

「もちろん。今度、またアマルディにお茶しに行こうよ。ミミとコリンナも誘ってさ」

「いいですね! 春に行ったときはパンケーキ完食し損ねてましたもんね」


 きゃっきゃっと話に花が咲く。なにこれ。青春じゃん。


 そう思ったとき、アルマさんが目尻に浮いた涙を拭って満面の笑みを浮かべた。


「私、ここに来てよかった。ラスタに戻っても、一生忘れません」

「手紙書いてね。たぶん、まだ……しばらくはグランディールにいると思うし」


 ずっと、と言えない私をアルマさんは咎めなかった。もし、ここに根を下ろしたいと思えるようになったら……アルマさんに手紙を書こう。そのときようやく、『待ってる』って言える気がする。


「……あのさ、お腹を触らせてもらっていいかな?」

「ええ。胎動はまだわからないかもしれませんけど」


 アルマさんの手に導かれて、そっとお腹に触れる。私よりも細くてぺちゃんこなのに、この中に赤ちゃんがいると思うと不思議な気持ちになる。


 そっと目を閉じ、心の中で呟く。


 どうか、誰もが驚く安産で、すくすく成長して、ナクトくんみたいに人に愛され、アルマさんみたいに賢く、やり甲斐のある仕事について、素敵な伴侶に出会い、たくさんの家族に囲まれて毎日楽しく暮らせますように。


 贅沢とは言わせない。腐っても聖女なら、聖女らしい力の一つも発揮してほしい。

 

 私は生まれて初めて、これから誕生する小さな命を祝った。

サーラがちょびっと成長しました。

3章を経て、物語は開拓後半の4章へ続いていきます。

引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。

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