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41話 温泉は偉大です(極楽、極楽)

「さて、このケルベロスをどうするか」


 眉間に皺を寄せたシエルが小さく唸る。


 朝食を食べ終えた私たちは、それぞれ胸の前で腕を組み、ポチとじゃれあう白いケルベロスを眺めていた。


 ケルベロスは魔物の中でも希少種。このまま森に置いておけば、魔石目当てにタチの悪い奴らが来るかもしれない。探索者組合に討伐依頼を出されても困る。


 そうなると一緒に連れて帰るしかないのだが、領民の皆様が驚いてしまわないかが心配だ。


「ポチとの相性は良さそうだけどね。何属性なのかな。洞窟の中でも魔法使わなかったのよね」

「サーラと同じ匂いをしてるから聖属性だと思う。昨日も現れる前に、森の奥からしてた」


 私の問いにロイが答えてくれる。そういえば、白いケルベロスが飛びかかってくる前に何か言いかけていたっけ。きっと、あのスマホから聖の魔素を取り込んだんだろうな。そんなこと言えないけど。


「聖属性の魔物って珍しいよね。だから森が肥えてたのかな。赤目化した魔物がいなかったのも、この子のおかげかもね。市内に置いておけば魔物避けになるかもしれないけど、餌代がなあ……」

 

 ぶつぶつと呟くシエルにロイが手を挙げた。


「俺としては連れて帰りたい。ポチもそろそろ(つがい)を探す頃だから」

「え? でも、ポチってまだ子供でしょ? このケルベロス、たぶんものすごく歳上よ?」

「寿命が長い種族に歳の差なんて関係ない。エルフだってそうだろ。百歳超えて、二十代のヒト種と結婚したりするじゃないか」


 そう言われると……。でも、中には倫理観に苦しむエルフもいると思うのよね。


 まあ、ポチは魔物だから関係ないか。シエルをチラ見すると、彼は神妙な顔をしたまま頭の中で何かを計算しているようだった。


「餌代は痛いけど……。もし子供が生まれたら、魔物便として働いてもらうかな。いずれ、領民や来客が領内を行き来する手段も必要だしね。領民には僕から説明するよ。探索者組合にも言い含めておく。うっかり毛皮刈られても困るし」


 ご領主様の鶴の一言で話はまとまった。新しい仲間の誕生に、その場が沸き立つ。


「じゃあ、名前決めてサーラ。できれば呼びやすいやつね」

「えっ、また私? たまにはシエルが決めてよ」

「僕、ネーミングセンスないから」


 ずるい。そんなの私だってない。散々悩んだ末、体が真っ白なので安直にシロと名付けた。


 シロはきょとんとした顔でこちらを眺めている。これからみんなと暮らすってこと、わかってるのかなあ。


「予定より早いけど、大体の地形は把握したから、そろそろ戻ろうか? 途中でサーラのズボンを洗っていこう。シロの涎と蜘蛛の糸ですごいことになってるし」

「あ、そのことなんだけど……」


 ひょっとしたら温泉があるかもしれないと話すと、案の定、シエルは「探そう!」と目を輝かせた。


「もし本当にあったら、今回の調査は大当たりだよ。観光客が増えれば税収も増える」

「聖女の森っていうネーミングも集客にいいんじゃないの? 聖女の森に湧く温泉って、いかにもご利益が……」

「それはしない。エルネア教団に目をつけられたくないからね」


 やや強い口調で否定されて思わず目を点にする。そんな私に、シエルは取り成すように表情を和らげた。


「さあ、行こう。シロ、案内してくれる?」


 シロ、が自分の名前だと認識したらしい。シロは元気よくひと吠えすると、私たちをイフリート鉱石が採れた場所に案内してくれた。


 そこは森の中にあるのに、不思議と地面に草が生えておらず、周りを人頭大のイフリート鉱石で囲まれていた。最奥には高い山壁があり、見上げると頂上が不自然に窪んでいた。噴火の跡なのかもしれない。


「……匂いがキツイな」

 

 周囲に漂う卵が腐ったような匂いに、嗅覚の鋭いロイが顔を顰めて鼻を摘んだ。ポチも辛そうだ。シロは慣れているのか、ただ舌を垂らして尻尾を振っている。


「匂いはするけど、温泉は見当たらないわね。枯れちゃったのかな?」

「母さんが遺した地図には、森の詳細は書かれてなかった。聖女にゆかりのある場所を立ち入り禁止にしていた可能性は高い。だから枯れてはいないと思う。……みんな、ちょっと下がってて」


 袖をまくったシエルが地面に両手をつく。そのまま何かを探るように何箇所か移動した後、「ここかな……」と呟く。


「ちょっと、まさか……」


 声を上げる私に、シエルは不敵に微笑んだ。


「温泉を掘る」


 止める間もなく、シエルが土魔法を使う。土属性持ちは地面の中を探れるとはいえ、無謀すぎる。慌てて近づいて左肩に右手を置き、聖属性の魔力を流し込んだ。


 それが功を奏したのか、大きく地面が陥没したと同時に湯柱が高々と上がった。飛沫がかからないよう、咄嗟に風のベールでその場にいる全員を包む。


 青空に虹を作る湯柱にシエルは満足そうだ。鼻歌を歌いながら、土魔法で簡易的な浴槽をあっという間に作り上げてしまった。


「温度もちょうどいいね。戻ったら、職人たちに湯治場を作ってもらおう。どう宣伝しようかな? 腕が鳴るなあ」

「む、無茶しないでよ。魔素欠乏症で倒れたり、熱湯だったらどうするつもりだったのよ」

「ロイとサーラが守ってくれるでしょ?」


 純粋な子供みたいな顔で見上げてくるのが非常にタチが悪い。なんとか言ってもらおうとロイに視線を向けると、黙って肩をすくめられた。言っても無駄だと言いたいらしい。


「まあまあ。せっかくだからみんなで入ろうよ。野営中は拭くぐらいしかできないしさ。サーラも帰る前にさっぱりしたいでしょ」

「そうだけど、さすがにそれは……。先に二人で入ってよ。私は後でいいから」

「服着て入ればいいじゃん。予備持ってるでしょ。ついでに洗濯もすれば」


 ああ言えばこう言う。無視しようかと思ったけど……温泉の誘惑には勝てなかった。だって私、日本人だし……。


 シロに見張ってもらいながら、ロイに出してもらった薄いシャツとハーフパンツに着替え、そっと温泉に足を入れる。温かい。思い切って肩まで身を沈めると、おじさんみたいな声が出た。やばい、これ。もう二度と出られないやつ。


 向かいでロイとシエルも幸せそうな顔をしていた。水面からは剥き出しになった肩が覗いている。男の人は下だけ穿いていればいいからずるい。


「気持ちいいな。俺、温泉って初めてだ。人前で服を脱ぐことなんてなかったし」


 そう言ってお湯で顔を洗うロイの腕にも、筋肉質な広い肩にも、苦しみと悲しみの跡がしっかり残っていた。


 明るい日差しの下ではより一層痛々しさが増して、また胸が痛んだ。でも、いつまでも気にしているのはロイも望まないだろうから、努めて意識の外へ追いやる。


 ついでに都合よく洗濯のことも忘れ、浴槽の淵に頭をもたれかけた。

 

「真昼間から入る温泉は最高ね。極楽、極楽……」

「極楽って何?」


 シエルが首を傾げる。

 

 しまった。極楽の概念は広まっていないのか。咄嗟に故郷でいう精霊界みたいなものだと誤魔化す。移民だと説明しているから、不自然ではないはずだ。

 

「楽しいが極まる……。確かに、そうだね。あー……。このために生きてるって気がする……。溶けそう……」

「おじさんみたいなこと言わないでよ。まだ十代でしょ」

「来年には成人だもん。きっと、あっという間におじさんになっちゃうよ」

「三十間近の私に喧嘩売ってる?」


 指鉄砲を作って、シエルの顔にお湯を飛ばす。水魔法であっさりと阻止されたが、シエルの興味を十二分に引いたようだ。エメラルドみたいな目をキラキラさせている。


「何それ、どうやるの? 教えてよ」

「悪い子には教えてあげません。……って、きゃっ! 何するのよ、ロイ! 鼻に入ったじゃない」

「できた。案外簡単だな」

「得意げな顔しないでよ。子供じゃないんだから……」


 誰からともなく吹き出し、それに釣られたポチとシロが吠える。

 

 賑やかな笑い声が青空の下に響いた。

シエルは水属性もありますから、地中の水の気配も感じ取ったのでしょうね。お風呂は正義。


次回、アルマと向き合うサーラです。

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