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39話 聖女の森に潜むもの(餌になるのはご勘弁)

 夢を見ている。


 でも、いつもの悪夢じゃない。穏やかな光が差す森の中で、私と同じ黒髪黒目の女性が、小さな白い子犬の頭を撫でている。子犬は安心し切った様子で、可愛いらしい尻尾を左右に振っている。


 どこにでもある微笑ましい光景。唯一、普通でなかったのは子犬の頭が三つあることだ。


 たくさん撫でて満足したのか、女性はゆっくりと立ち上がると、背後を振り返った。誰かが迎えに来たらしい。名残惜しそうな子犬に手を振って、慌ただしく駆けていく。そのポケットから何かが落ちた。


 私はそれを拾おうとして――頬に当たる冷たい感触に気づき、不意に目を覚ました。

 

「……え? わっ!」


 つぶらな六つの目に覗き込まれて、咄嗟にその場に飛び起きる。


 秋だというのに地面には青々とした草むらが広がり、色とりどりの花が咲き乱れていた。脇には大きな切り株が一つある。まさか精霊界では……と思ったものの、ちゃんと息はしている。


 目の前には同じ顔をした頭が三つ。それぞれピンク色の舌を垂らしている。ポチがシベリアンハスキーなら、こちらはサモエドといった感じだ。無意識に触れた私の頬にはベッタリと何かがついていた。もしかして涎?


「あなた……さっきのケルベロスよね? 私をご飯にするつもり?」


 ケルベロスがこくんと首を傾げる。頭から齧り付く気は無いようだ。確かに、こうして対峙していても敵意は感じない。


 頬と同じく涎まみれのローブの上から体を弄ってみる。圧迫された胸に痛みはなく、服に穴も空いていなかった。甘噛み――というか運ぶために軽く咥えただけなのだろう。


 何度周囲を見渡しても、ロイたちの姿はなかった。私が連れて行かれる隙に上手く逃げてくれただろうか。そうであってほしい。


「なんで、ここに連れてきたの?」

 

 ケルベロスがはっはと息を漏らす。何か言いたいことがありそうだが、私はロイじゃないのでよくわからない。


 その真意を探っているうちに、杖がないことに気づいた。意識を失ったときに落としてしまったに違いない。大失態である。


「どうしよ……。杖なしで森を抜けられるとは思わないわ。シエルたちに居場所を知らせることもできないし、これだけ涎まみれなら、臭いを辿っても来れないだろうし……」


 詰んだ。完全に詰んだ。力が抜けてその場に大の字に寝転ぶ。よく晴れた青空に極彩色の鳥が何匹か横切って行くのが見えた。


 同時にお腹が唸り声を上げる。考えてみれば、朝食を食べ損ねていた。


 ケルベロスがその場を離れ、あっという間に戻って来る。口には折れた枝。その先にはたわわに実った柿が四つ。そして、容赦無く垂れる涎。


「食べていいの?」


 柿を私の膝の上に落とし、ケルベロスが小さく吠える。ローブの、かろうじて涎がついていないところで柿を拭い、風魔法で皮を剥く。普段から料理で使っているから、杖がなくともこれぐらいならできる。


 途端に甘い香りが鼻をついて、誘われるように口に運んだ。しゃくり、と食欲を誘う音と共に、瑞々しい果肉の味が口の中に広がる。


 なんだこれ、めちゃくちゃ美味しい。


 昨日食べた柿も美味しかったけど、これはそれ以上だった。一口齧るごとに魔力が回復する気がする。店に出したら飛ぶように売れるんじゃないだろうか。無事に持って帰れればだが。


「ありがとう。あなたも食べる?」


 残りの柿の皮を剥き、両手に乗せて差し出す。ケルベロスは嬉しそうにひと鳴きして、器用に一つずつ柿を平らげた。


 私のことを『餌を分けてくれる奴』だと認識したのか、頭を擦り付けてきたので撫でてやる。ポチで慣れたおかげか、ケルベロスに対する恐怖心はすでに失われていた。


 目一杯撫でられて満足したのか、起き上がったケルベロスがロープを咥えてぐいぐいと引っ張る。どこかに案内したいようだ。ここに残っていても事態は進展しないので、とりあえずついて行く。


 誘われたのはぽっかりと大きな口を開けた洞窟だった。中を覗いても、広がるのは闇ばかりだ。進むのを促すように、ケルベロスが頭を擦り付けてくる。けれど、明かりもなしに突入するのは流石に無謀だった。


「あなた、火の魔法使えない? もしくは真っ赤な鉱石持ってない? 触るとあったかいやつ」


 ケルベロスは少し考える素振りを見せると、またその場を離れ、すぐに戻ってきた。口には火を閉じ込めたような真っ赤な鉱石がある。火属性のイフリート鉱石だ。


 通常は火山の近くで採れるものだけど……この大陸の歴史は長い。もしかしたら昔、ここに火山があったのかもしれない。


 火傷しないようローブの裾で掴んで顔を近づけると、微かに硫黄の匂いがした。温泉が湧いていたら大当たりだが、今は呑気に探している場合じゃない。


 私は魔法紋師。魔力と文字さえあれば魔法が使える。筆記具がないので、仕方なく人差し指の腹を噛み切り、その辺に転がっていた枝に血で文字を綴っていく。


 ケルベロスの毛を少し拝借して枝に魔鉱石を取り付ければ、簡易松明の出来上がりだ。洞窟の中がどれだけ深いかわからないが、私の聖属性の魔力で底上げすれば、行って戻って来るまでは持つだろう。たぶん。


 念の為、杖代わりの枝も腰に差した。どこまで魔法が使えるのかわからないが、ないよりはマシだ。


「さ、行きましょ。もし魔物が出てきたら守ってよね」

 

 洞窟の中はケルベロスが悠々と入れるぐらい広かった。中に魔物の気配はなく、天井から垂れ下がった鍾乳石から落ちる雫の音が闇の中に反響していく。


 その中で赤々と燃える松明は、はたからすれば人魂のように見えるだろう。こうして歩いていると、ここが此岸なのか彼岸なのかわからなくなってくる。

 

「……なんか火の勢いが強いわね。無意識に魔力を込め過ぎてるのかな?」


 呟いても、返ってくるのはケルベロスの吐息だけだ。洞窟は一本道で、奥に奥に続いているようだった。


 しばし黙って道なりに進む。思ったよりも深そうだ。魔鉱石の魔素が持つのか不安になり始めた頃、隣を歩いていたケルベロスが唸り声を上げた。


 その先には闇が広がるばかり――松明で慎重に照らすと、足元に大きな穴が空いていることに気づいた。


 地面に這いつくばって中を覗いてみる。それほど遠くない地面の上で、松明の明かりを反射した何かが八つ浮かんでいた。


「げ! 大露蜘蛛(ビックスパイダー)じゃない! こんなところに巣を張ってるなんて……。もしうっかり落ちたらそのまま餌になっちゃうわよ」

 

 大露蜘蛛とは、でっかい蜘蛛の魔物の総称で、持つ属性によって雪露蜘蛛(スノウスパイダー)闇露蜘蛛(ダークスパイダー)と名前を変える。その糸は強く、丈夫で、織り込んだ服は属性効果を帯び、主に貴族に愛されている。


 下にいるあいつは体毛が黒みがかっているので、闇露蜘蛛かもしれない。闇露蜘蛛からとれる糸で魔法紋を縫い込めば、某猫型ロボットのポケットみたいにいろんなものを収納できるため、特に単価が高い。


「……まさか倒せとか言わないわよね?」

 

 ケルベロスが穴の中に鼻を突っ込んで何かを示す素振りをした。蜘蛛に悟られないよう、そっと松明で照らすと、縦横無尽に張り巡らされた糸の上に、何か長方形のものがくっついているのが見えた。


 さっきは蜘蛛の体に隠れていて気づかなかったが、淡く発光している。魔鉱石の類だろうか。その割には形が整っている気がする。


「なんだろう、あれ。見た目はスマホみたいだけど……そんなわけないか。私のは兎ちゃんと一緒に燃えちゃったし」


 周りには動物の骨らしきものもくっついていたが、それは見ないことにした。


 どうもケルベロスはあれを取ってほしいみたいだ。もしかしたら落としてしまって、取ってくれる人を探していたのかもしれない。


 ケルベロスがこの穴に下りるには体が大きすぎるし、これだけもふもふだと、すぐに蜘蛛の糸に絡め取られてしまうだろう。


「うーん……。死亡フラグがマシマシな気がする。あれ、どうしても取らなきゃダメ?」


 ケルベロスが私の顔を舐めた。そうだと言っているのだろう。断ってパクッと食べられても困るし、行くしかなさそうだ。


 試しに枝で風魔法を使ってみる。完全に思い通りとはいかないものの、なんとか使える。蜘蛛は視力が悪いが、音には敏感だ。松明を風で浮かし、自分にも風魔法を使って、音を立てないように慎重に下りる。


 自分の体ぐらいもある蜘蛛はかなり気持ち悪かった。幸いにも、相手はまだ私の存在には気づいていない。


 蜘蛛の糸に触れないように気をつけて、そうっとスマホらしきものに手を伸ばした瞬間――地面に転がっていた骨らしきものを踏んでしまった。


「っ!」


 八つの目玉が一斉に私を睨む。咄嗟に風魔法を放ったが、焦っていたせいであらぬ方向に飛んで行く。


 風の刃に断ち切られた糸が宙を舞い、スマホらしきものが音を立てて地面に落ちた。


 完全にお怒りモードに突入した蜘蛛が、長い足を鞭のように振り被る。咄嗟にその場に伏せて躱すが、代わりに松明と杖が弾き飛ばされて手の届かないところへ転がって行った。


 その衝撃で松明から魔鉱石が外れ、辺りが闇に包まれる。蜘蛛の糸に引火して火だるまになるのを避けられたのはいいとしても、まずい状況には変わりない。


 頭上からは蜘蛛がシューシューと唸る音。そのさらに上からはケルベロスが吠える声。


 息一つすら憚られるような空気の中で、風を切るような音と共に何かが眼前に迫ってきた。

サーラ大ピンチです。

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