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36話 風は別れを連れてくる(永遠なんて存在しないのよ)

 ライスの試食会の余韻も消え、朝晩の風がすっかり冷たくなった頃、ついに領主館が完成した。


 中世ものの漫画によくあるお城みたいな外観ではなく、明治時代の市役所か学校の校舎に似ている。


 二階建てで、コの字を右に九十度傾けた形をしていて、東側に来賓用の部屋、中央にシエルの執務室や私室、西側に従業員寮があるそうだ。


 総大理石……とまではいかないが、アース石という頑丈な建材で作られた建物は、多少の衝撃ではびくともしないように思われた。


「すご……。今日からここに住むの?」

「……いきなり環境変わるな」


 呆然と領主館を見上げる私とロイの横で、シエルは満面の笑みでナクトくんと握手していた。

 

「ありがとう、ナクト。立派な領主館を作ってくれて」

「いえいえ、お待たせしました。荷物は運び込んでいますので、すぐにでも仕事を始められますよ」

「いや、今日はじっくり見て回りたい。案内してくれる?」


 ナクトくんはお日様のように顔を輝かせて、私たちを先導してくれた。


「まずは玄関です。開放感があるように吹き抜けにしています。右側に進むと執務室が、左側に進むと食堂や役場が、正面の大階段を上ると、シエル様の私室やサーラさんとロイさんの個室があります。従業員寮にはつけていませんが、皆さんの部屋にはそれぞれ浴室とお手洗いがついていますよ」

「え? 私たち、従業員寮に住むんじゃないの?」

「二人は僕の護衛だもん。近くにいてくれないと困るよ」


 当然のように言い放つシエルに思わず怯む。

 

「ロイは親戚だからわかるけど……。私もいいの?」

「魔素欠乏症から回復した日に僕が言ったこと忘れちゃった?」


 忘れてはいない。というか忘れられない。気持ちは嬉しいけど、どんどん外堀を埋められている気がする。ぎこちなく「ありがとう……」と返すと、シエルは目を細めて領主館の探索を再開した。


「一階に役場を作ってくれたんだね」

「これから事務員も増えるでしょうし、シエル様が直接対応する案件と、事務員でも対応可能な案件を分けた方がいいと思いまして。食堂も昼間は領民に開放したいと仰っていたので、少し広めに作りました。黒猫夫婦が喜んでくれましたよ。――まずは役場からご案内しましょうか」


 通された先には市役所然とした部屋があった。


 入り口真正面には落ち着いたブラウンの長テーブルが横一列に並べられていて、窓から差し込む日の光を一身に浴びていた。その前には訪れた領民の皆様が座る小さな丸椅子が等間隔に並んでいる。


 長テーブルの奥には向かい合わせになった事務机が窓に沿って置かれ、両端の壁際には天井まで届く書類棚がいくつも置かれていた。今は空っぽでも、いずれぎっしりと書類が詰め込まれるだろう。


「早くここが埋まるほど、事務員が来るといいね」

「言わないでよ。そろそろ手が回らなくなってきたから、経験の有無に関わらず、領民から何人か雇うつもりなんだ。来ないなら育てるしかないからね」

 

 切実な言葉に苦笑する。


 役場の向かいが食堂と厨房だ。ナクトくんの言う通り、食堂は百人ぐらいは一度に入れそうなほど広々としていた。


 厨房では早速黒猫夫婦が昼食の支度に勤しんでいる。フードイベントのおかげで料理人や料理人見習いが何人か増えたので、食堂を開放してもなんとかやっていけるだろう。


「来賓を招く際は来賓用の食堂をお使いください。運搬中に料理が冷めないよう、保護魔法を付与したワゴンをご用意しています」


 そういえばナクトくんに言われて魔法紋書いたな。うーん、至れり尽くせり。


 そのあと、西側の従業員寮や東側の来客用の部屋を見せてもらい、いよいよ二階に上がることになった。窓から市内が見渡せる位置にシエルの私室があり、隣には将来のシエルのお嫁さんの部屋がある。


 その向かいの私の個室の前で、背筋をピンと伸ばしたアルマさんが待っていた。最近は休みがちなので、こうして顔を合わせるのは久しぶりだ。試食会のときよりは元気そうだけど……どこか憂いを帯びた表情なのが気になる。


「アルマさん、体調は大丈夫なの? 今日もお休みじゃなかった?」

「ご心配をお掛けしてすみません。サーラさんのお部屋はどうしても私がご案内したくて、こっそり小屋を抜け出してしまいました。ナクトが皆様をご案内するのが見えたので」


 ナクトくんは苦笑すると、黙って一歩後ろに下がった。アルマさんには逆らえないらしい。


「中へどうぞ。家具はナクトが作ったものですが、それ以外は私とミミが揃えたものです」

「わあ……」


 ドアの先の光景に、感嘆の声が漏れる。


 カントリー調というのか、家具は全てナチュラルな色合いで統一されていて、床の絨毯にも、掛け布団にも、アルマさんお手製らしき刺繍が施されていた。


 真鍮製の丸鏡が掛かった壁は落ち着いたグリーンで、花の模様が縦のライン状に描かれている。開け放たれた窓に揺れる純白のカーテンには、可愛らしい兎のアップリケが縫い込まれていた。

 

「すごい……。すごく可愛いよ、この部屋。私には勿体無いぐらい」

「気に入っていただけましたか?」

「もちろん。ありがとう、アルマさん。あとでミミにもお礼を言わなきゃ……」


 別館の個室も快適だったけど、ここはそれ以上だ。


 誘われるように窓際に寄り、眼下を覗く。


 こちら側は中庭になっていて、自警団の訓練場や武器庫、黒猫夫婦が管理する小さな菜園がある。その片隅に立派な小屋を作ってもらったポチが、私に気づいて尻尾を振った。


「これで一旦契約は満了だね。僕としては、このまま契約を更新したいんだけど……」


 そうだ。すっかりグランディールに馴染んでいたので忘れていたが、領主館が完成するまでの契約だった。このまま領民になってくれる職人もいることだし、できればナクトくんたちにもまだ居てもらいたい。

 

「そのことですが……」


 ナクトくんはちらりとアルマさんに視線を走らせると、「僕たちは故郷に戻ろうと思います」と続けた。


「理由を聞かせてもらってもいい? もし待遇面で気になることがあれば改善するよ」

「待遇面に不満はありません。シエル様には十分過ぎるほど良くしていただきました」


 そこで言葉を切り、ナクトくんは照れくさそうに頭を掻いた。

 

「実は……子供ができまして。義父の怒りもそろそろ解けそうなので、孫の顔を見せてあげたいんです」


 アルマさんは大商会のお嬢様。父親が『駆け落ちは不問に伏すから戻ってきてほしい』と嘆いていると、ハリスさん経由で一報が入ったらしい。


 幸せそうに笑い合う二人を前に、シエルは一瞬だけ目を伏せ、いつも通りのにこやかな笑みを浮かべた。


「おめでとう! 寂しいけど、そういうことなら仕方ないね。君たちには本当にお世話になった。いつ頃発つ予定なの?」

「安定期に入る来年の二月頃を予定しています。それまでは建築の仕事を続けさせてください」

「助かるよ。アルマさん、仕事はセーブして構わないから、元気な子供を産んでね」

 

 わいわいと楽しそうな声がやけに遠く聞こえる。爽やかな風が吹く部屋の中で呆然と立ち尽くす私の元に、ロイが近寄ってきてそっと耳打ちした。


「……サーラ、大丈夫か」

「え? 大丈夫よ。ちょっとびっくりしちゃっただけ。本当に良かったよね」

  

 こういうときに言うであろう、当たり障りのない言葉を口にする。その反面、杖を握る手は震えていた。


『あんたは醜い子』


 あの女の声が頭の中に響く。

 

 私は上手く笑えていただろうか。






 ナクトくんたちが故郷に戻る話はあっという間にグランディール中を駆け巡った。


 反応は様々だが、祝福の声が六割、嘆きの声が三割、ナクトくんへのやっかみ半分の怨嗟が一割といったところだ。アルマさんの人気の高さが窺える。


 そして、ここにもアルマさんが離れることを嘆き悲しむ者が一人居た。


「アルマさん、本当に帰ってしまうんですか?」

「悲しまないで、ミミ。貴女はもう一人前の女中よ。無事に着いたら手紙を書くわね。サーラさんも」

「あ、うん……。無理はしないでね」


 我ながらぎこちない笑みを浮かべ、レーゲンさんの診察を受けるアルマさんを見下ろす。


 私たちが離れたあとの別館はそっくりそのままレーゲンさんの病院になっていた。今後、医者が増えたら更に拡張して領立病院にするらしい。


「経過は順調だな。もう少し経てば生命魔法で性別もわかるが、知りたいか?」

「いえ、産まれるまでの楽しみにしておきます。男でも女でも私たちの子供には変わりありませんから」


 女神様みたいな表情を浮かべたアルマさんが下腹部を撫でた瞬間、外から男の怒鳴り声が聞こえた。

 

「クリフ! お前こんなところにいたのか! 半年も工房閉じやがって!」


 一瞬で自警団員の顔つきになったミミと共に病院を出る。すっかり工房に様変わりした鍛冶場の前で、クリフさんに食ってかかっているドワーフがいた。もじゃもじゃの髭に埋もれた顔を真っ赤にして、今にも殴りつけそうだ。


 肝心のクリフさんは我関せずといった様子で黙々と金槌を振るっている。尋常でない気配を感じ取った自警団の面々や、周囲で働いていた職人たちが集まってきた。


「ごめんね、ちょっと通してくれる? ――すみません、貴方はどちら様でしょうか。僕はシエル・グランディール。このグランディール領の領主で、クリフさんの雇用主です」

 

 ロイを伴って領主館から出てきたシエルが、野次馬を掻き分けてドワーフに応対する。


 ドワーフは一瞬面食らった顔をしたが、すぐに居住まいを正すと、「お騒がせして申し訳ない」と頭を下げた。見た目は山賊みたいだが、良識はあるようだ。


「俺はガンツ・ハウルズ。ラスタ王国の首都、グリムバルドで製鉄所を経営している者です。クリフとは昔馴染みでね。この馬鹿、何も言わずに工房を閉めて居なくなるもんで、連れ戻しに来たんでさ」

「ハウルズ……って、あのハウルズ製鉄所ですか? それはそれは大物が来ましたね」


 ハウルズ製鉄所とはラスタ王国で二番目に大きい製鉄所で、その創業者であるガンツさんはストロディウム鋼――元の世界でいうステンレスを開発した優秀な職人だそうだ。クリフさんは工房を開く前にそこで二年ほど働いていたらしい。


 ガンツさんはクリフさんに再び向き直ると、子供を宥めるみたいな口調で、「グリムバルドに戻って来い」と続けた。


「お前の作品を騙し取った貴族野郎はマルグリテ家のご当主様がシメたってよ。人探しも不発に終わったんだろ? 大得意様が首を長くして待ってんだから、それに応えるのが職人ってもんじゃねぇか」


 周りのラスタ国民から「伯爵様だ……」とヒソヒソ声が上がる。貴族のお得意様がそこまでしてくれるなんて、クリフさんってものすごい職人だったんだな……。


 みんなが固唾を飲んで見守る中、クリフさんは小さくため息をついて金槌を金床の上に置いた。目線の先にはシエル。続く言葉を予想しているのか、シエルは緊張の面持ちでクリフさんを見つめていた。


「そういうことだ。すまんが、ナクトたちと共に俺も発つ」


 そのとき、風が強く吹いた。


 出会いがあれば別れもある。


 季節は晩秋に移り変わろうとしていた。

初期から頑張ってくれた仲間たちとついにお別れです。今まで人と別れることに何とも思わなかったサーラですが、その心境やいかに。


これで2章は終わり。3章ではロイの過去に触れます。久しぶりの3人だけの章です。引き続きお楽しみ頂けましたら幸いです。

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