35話 炊き立てご飯は何より美味い(みんなよく食べるね)
「ライス……」
「ライスだ……」
「炊き立てのライスだ……」
ざわめく声に苦笑する。
領主館別館の前、今日のために作った炊き出し場には多くの人が詰めかけていた。
背後には芳しい香りを放つ土鍋がずらりと並び、目の前の長テーブルには湯気を立てる豚汁が等間隔に並べられている。日本人にはありがたいことに、この世界には味噌もあるのだ。
みんな自警団の誘導に従って大人しく並んでいるものの、期待と興奮で目をギラギラさせている。昼時なのを差し引いても、飢えた獣にしか見えない。
「うーん、この感じだと一瞬で無くなりそう。豚汁だけにしといて正解だったなあ。おかず有りだったら黒猫夫婦が過労死してたかも」
「領民だけでなく、近隣の領地からもお越しですものね。集客に成功したのはいいことですけど……」
「学校の野外演習を思い出しますわ。きっとライス一粒も残りませんわよ」
揃いのエプロンとスカーフに身を包んだ炊き出し隊――私とアルマさんとコリンナが同時に嘆息した。フードイベントの第二弾を兼ねて、ルビィ村で収穫した新ライスを振る舞おうと決めたのはいいが、まさかここまでとは思わなかったのだ。
「これ以上引っ張ると暴動起きちゃうよね。――ねえ、シエル。そろそろ挨拶してよ。みんなお待ちかねよ」
かまどの火の後始末をしているロイの横で、シエルはうっとりと土鍋を眺めていた。周りの様子には気付いてない様子だ。ライスのことになると目の色が変わるんだから……。
「シエルったら! 挨拶してってば!」
「あっ、ごめんごめん。つい見惚れちゃって」
シエルは小さく咳払いをすると、私の隣に並んで来客たちに向き合った。
「皆様、本日は我がグランディールの試食会にお集まりいただき、誠にありがとうございます。ルビィ村の領民たちが丹精込めて育てたライスです。美味しいと感じたら、お知り合いにぜひお勧めしてくださいね。今年は大豊作につき、十分な在庫があります。ご購入希望の方は遠慮なくお声がけください」
挨拶というか営業トークである。ともあれ、ご領主様からお許しが出たので、紙の器に盛ったライスと豚汁を流れ作業でお客様に手渡していく。
「アンケートにご記入いただくとお代わりできますので、たくさん食べて行ってくださいね。あちらのテーブルにライスのお供がございますから、よろしければ合わせてご試食ください。ライスのお供は試食スペースの臨時販売所の他に、市内のワーグナー商会やお土産屋でもお買い求めいただけます」
アルマさんとコリンナの美貌に当てられたお客様たちが、顔を真っ赤にしてふらふらと試食スペースへ向かっていく。あっちのテーブルにはブラウ村で獲れた海苔や鰹節のふりかけなどが置いてある。
私もいただいたが、とても美味しかった。「これは売れますな!」とハリスさんにも太鼓判をもらったし、きっと領内にお金を落としていってくれるだろう。
「大盛況ですわね」
「一瞬でなくなりそうとは言ったけど、まさか本当になるとはなあ」
配布を開始して間も無く、ライスも豚汁も底が見えてきた。
試食スペースのご飯のお供も好評のようで、ワーグナー商会の店員さんが何度か補給に回っていた。シエルは早速現れた購入希望者との商談で執務室にこもっている。もちろん護衛のロイも一緒だ。
「スミマセン、お代わりくださイ」
「はーい……って、ネーベルじゃないの。あんた、ミミたちが働いてる横で、よくそんなにモリモリ食べられるわね。恥ずかしくないの?」
「そんな言葉、ワタシの辞書にありませんネ。ア、もうちょっと多めに盛ってくださイ」
「多くの方にお召し上がりいただきたいので、全て同量としております。何卒ご容赦ください」
棒読みで返す私に、ネーベルがつまらなさそうに唇を尖らせる。
「つれないデスネエ。誰が大量のライスを運んだと思ってるんデスカ」
「運んだのはあんただけじゃないでしょ。転送魔法の魔法紋を書いたのは私だし、あんたの癖の強い魔力に合わせて調整したのはロイよ」
転送魔法とは、術者の生んだ闇同士を連結して通路にし、人や物資を一瞬で運搬できる夢のような魔法である。
ただ、闇魔法の中で最も高度な魔法なので、ネーベルのようなシャドーピープルや、ロイみたいに闇猟犬の血を引くならともかく、他種族はそう易々と使えない。
魔法紋を介して連結させるには、個人の魔力を分析して紐づけるという非常にめんどくさい手順があり、ルビィですら「極力やりたくないねえ」とため息をついていた。
「稲刈り機や精白機もアナタが主導して作ったと聞きましたヨ。簡単に冷めないよウ、この器にも保護魔法をかけていますよネ。スローライフがどうのこうの言っていた割二、やけに積極的に働きますネエ。どういう心境の変化デスカ?」
きっかけは間違いなくネーベルの仕事ぶりを見たからだ。でも、そんなこと素直に言いたくないので、答える代わりにアンケート用紙に目を落とした。
「ダンマリデスカ。マア、いいでショウ。ここに愛着が湧いたならせいぜい大切にしなさイ。その方がこちらも好都合デスかラ」
え? 今、なんて言った?
慌てて顔を上げると、ネーベルは意味深な笑みを浮かべ、試食スペースで豚汁を啜っているレーゲンさんの元へ歩いて行った。
「サーラさん、大丈夫ですか? ネーベルさんに絡まれていたようですけど……」
「私もよくわかんない……。お客さんのお代わりも落ち着いたみたいだし、アルマさんも食べる? 私とコリンナは隙間時間にいただいたけど、アルマさんはまだでしょ?」
ライスを盛った器を差し出したが、アルマさんは首を横に振った。食欲がないらしい。そういえば、いつもより顔が青い気がする。九月とはいえ、まだまだ暑い。立ちっぱなしで体調を崩してしまったのかもしれない。
「大丈夫? 最近、診療所によく通ってるよね。具合悪いなら無理しちゃダメだよ」
「……気づいてらしたんですか?」
「そりゃそうだよ。毎日顔を合わせてるんだもん。ここはもう大丈夫だから、ゆっくり休んでよ。アルマさんに倒れられると困っちゃうからね」
努めて優しく言うと、アルマさんは一瞬だけ泣きそうな顔をした。
「……いえ、大丈夫です。胃が荒れているみたいで、その……ライスの匂いが少し鼻につくと言いますか」
「ええ? じゃあ、こんなところ居ちゃダメでしょ。ナクトくんー!」
アルマさんの体を支え、クリフさんと肩を並べて試食していたナクトくんを呼ぶ。
何度も言うが私はコミュ障だ。人の気持ちを察することに疎い。
だから、腕の中のアルマさんがどんな想いを抱いていたのか、このときの私にはわからなかった。
「まだ読んでるの?」
月も傾き出した深夜。昼間とは打って変わってひんやりした居間で、アンケート用紙を手にしたシエルの向かいの椅子に座る。
傍らにはコリンナの光魔法で灯したランプ。長く持つよう光量は抑えているが、文字を読むには十分なほど明るい。
「嬉しくてさ。サーラも読んだ? 『他の領地のライスより美味しかった』『もっと食べたいと思いました』……中には『期待はずれ』なんて厳しい意見もあるけど、概ね好評だよ。早速、商会や料亭といくつか契約できたし、これからもライスの生産地としてやっていけそう」
「冬にはライス酒作りも始めるんだっけ」
「うん。寒い方が温度管理しやすいからね。ライス糠で化粧品も作るつもりなんだ。グランディールには高品質のライスを作る農民も、水を自由自在に操るマーピープルもいる。コリンナやアルマさんも製作に協力してくれるって言うし、ハリスさんも販路の相談に乗ってくれるって。僕は恵まれた領主だよ」
にこにこ、と音が出そうなほど嬉しそうな笑みを浮かべている。そんなシエルに釣られて笑いそうになりつつも、アルマさんが体調を崩していることを話した。
「アルマさんが?」
「うん。建設現場の裏方はアルマさんじゃないと無理だけど、それ以外のことは私が代わるから休ませてあげて。化粧品の製作も、ほら……一応女なわけだし?」
ぎこちなく髪を掻き上げて主張すると、シエルは一瞬ぽかんとした表情を浮かべ、思いっきり吹き出した。
「何よ、失礼ね。確かに、アルマさんと比べるとトウが立ってるかもしれないけどさ……」
「そんなこと思ったことないよ。……でも、無理してない? グランディールのために動いてくれるのは嬉しいけど、転送魔法の魔法紋を書くのも、稲刈り機や精白機の製作も数日掛かりだったよね。ライスの育成にも聖属性の力を使ったんじゃないの?」
「違う違う。大豊作だったのはピグさんたちが愛情込めて育てたからよ。農具の製作もメインはナクトくんとクリフさんでしょ。私は元々あった魔法紋を改良しただけ。お給料以上の働きはしてないわ」
稲刈り機も精白機も内部の爪やプロペラを動かすのに風魔法を使う。
風魔法は他属性と比べて魔力の消費量が多い反面、魔素の確保が容易なので、周囲の魔素を集める魔法紋を組み込めば、魔石がなくてもある程度は動かせるのだ。燃費は悪いけど。
今回はワーグナー商会が所持していた既製品の魔法紋を参考にしたので、一から書くより労力はかかっていない。
田んぼにしてもそうだ。私がグランディールにいることで、多少は土の魔素の増強に寄与したかもしれないが、ゼロに何を掛けても一にはならないように、あくまで補助的なものに過ぎない。
ピグさんたちの努力がなければ、たとえ塔の聖女様とて稲は実らなかったはずだ。
だから、これは自己犠牲じゃない。私はただ、シエルの荷物を少し軽くしたかっただけ。グランディールのためだなんて大層な思いは抱いていないし……抱く資格があるとも思っていない。
シエルは何か言いたそうに口を開いたが――続きを遮るように、くるるるると可愛らしい音が響いた。シエルのお腹の音だ。顔を真っ赤にしてお腹を抑える仕草に少年らしさを感じ取り、思わず笑みがこぼれた。
「成長期だもんね。ちょっと待ってて。夜食作ったげる」
席を立って厨房に向かう。何故かシエルもついてきた。
黒猫夫婦が日々磨き上げている厨房は、いつ来ても清浄な空気に満たされている。どれくらい綺麗かというと、聖の魔素が発生するぐらいだ。彼らの店が首都で繁盛していた理由がわかる気がする。
魔石灯のスイッチを入れ、冷蔵庫の中を覗く。食事は命の原点。他はケチっても、厨房だけは採算度外視で最新の魔機を導入しているのだ。
「何を作ってくれるの? おにぎり?」
「おにぎりだけど、いつもとは違うおにぎり。きっとシエルは好きよ」
取り出したのは晩御飯で残ったライス。貴重な魔石レンジで軽く温め、ボウルに入れて醤油と鰹節を混ぜる。
あとは三角に握って風魔法で少し乾かしてから、フライパンにごま油を引いて焼くだけ。ルビィに教えてもらった、ロステム風焼きおにぎりだ。
「はい、出来上がり。熱いからゆっくり食べてね」
火傷しないよう、小皿に乗せてお箸を差し出す。芳しい醤油の香りに、シエルはごくりと喉を鳴らすと、ふうふう息を吹きかけながら焼きおにぎりを頬張った。
「っ!」
「美味しい?」
シエルが目を大きく見開いてこくこくと頷く。私も初めて食べたときは同じ反応をしたっけ。
義務じゃない食事の美味しさも、夜食の罪深さも、全てルビィから教えてもらったものだ。私は弟子を持たないけど、こうしてルビィの味を誰かに伝えられるのは悪くないと思った。
「……美味そうなの食べてるな」
「ずるいです、シエル様だけ! 私たちも食べたいです!」
「夜食は太るぜ? 俺も手伝ってやるよ」
厨房の入り口から覗いているロイ、ミミ、レーゲンさんにびくっと肩が竦む。いつ来たのか、全然気づかなかった。護衛失格かもしれない。
「ワタシもくださイ。醤油濃い目でお願いしまス」
突然厨房の中に現れたネーベルに悲鳴が出た。光の届かない暗がりに潜んでいたらしい。シャドーピープルってこれだから怖い。従業員寮にいるはずのネーベルがこの時間に厨房に潜んでいた理由は考えないことにした。
「俺も濃い目がいいな。あと、大きくしてくれ」
「私は鰹節多めがいいなあ」
「俺は薄め小さめで。三十路越えると翌日に響くんだよ」
「注文多いわね……。まあ、作るけど」
急に賑やかになった厨房の中で焼きおにぎりを量産する。幸いにもご飯は足りた。
「シエル、お代わりは?」
旺盛な食欲を見せるロイたちを尻目に声を掛ける。シエルは空の皿を持ったまま、おにぎりを頬張るみんなを眺めていた。
「どうしたの?」
顔を覗き込むと、シエルはくぐもった声でぽつりと呟いた。
「……僕はずっとこの光景を夢見てたんだ。サーラのおかげだよ。金色に輝く一面の稲穂も、ライスを頬張るみんなの笑顔も、この焼きおにぎりも、僕は一生忘れない」
「何よ、大袈裟ね。またいつでも作ってあげるわよ」
シエルの皿の上に焼きおにぎりを載せる。
目尻に光る雫は見ないふりをした。
精白機=精米機です。この世界では米と呼びませんので、この表記になっています。焼きおにぎり美味しいですよね。魔石レンジは温め機能のみの中古品ですが、めちゃくちゃ高いです。
次回、ついに領主館が完成します。
そして、悲しいお知らせも……。




