33話 アイスブルーの月に乞う(柄にもないことしてるよね)
満点の星空の中、アイスブルー色の月が冴え冴えとした光を放っている。
いつもは蒸し暑い部屋の中が涼しいのは、パールが冷気を発しているからだろうか。
進化して疲れたのか、夜の訪れと共にパールは眠ってしまった。ぷうぷうと寝息を立てて上下する体を撫で、数時間前のことを思い起こす。
アイススライムに進化したパールを抱いて部屋に籠城したあと、無事にタコの処理を終えたシエルとコリンナがやって来て、元気に跳ねるパールを見るなりこう告げた。
『パールを護衛対象に引き上げよう』
一体、どこの世界にスライムを護衛する人間がいるのか。
思わず吹き出した私に、シエルは安心したように目を細め、書き物机の椅子に腰を下ろした。今後のことを話すためだ。コリンナも異論はないようで、ベッドに座る私の隣に腰掛けた。
どれくらい話し合っていただろうか。少なくとも黒猫夫婦がタコ料理のフルコースを作り終えるまでは話していたと思う。グランディールの命運を左右することだ。どうしても慎重にならざるを得ない。
それでもシエルとコリンナのおかげで少しずつ話がまとまっていき、結論として、次のことが決まった。
一、パールに光魔法を付与した帽子を被せて体表の色を変える。
二、これから生まれてくる幼体を人工魔石採取用の個体として育てる。
三、属性を帯びた個体から分裂した個体も、属性を帯びているか確認する。
採取した人工魔石の品質確認や、どう利用するかの決定は採取後の議題とした。取れたはいいものの、実用に耐えないものなら話が変わってくるからだ。
結果がわかるのは早くとも来年。おそらく天然物と遜色ないか、やや劣るぐらいの品質だと思ってはいるが、試してみないとわからない。
二人とも、パールから今すぐ魔石を取れと言わなかったのがありがたかった。とても殺せそうにないから。
パールを凍らせてしまったとき、あんなにも自分が取り乱すとは思わなかった。フードイベントの日に、パールに最後が訪れる日を想像しても、人間らしい感情が持てるか不安だったのに。
……私はあの女が言うほど、薄情じゃないのかもしれない。
「もう自分のことをスライムだなんて言えないわね。私なんかより、あなたの方がよっぽど有能だわ」
パールの眠りを妨げないように囁いたとき、遠慮がちなノックの音が響いた。
「コリンナですわ。少しよろしいですか?」
返事の代わりにドアを開ける。両手でお盆を持ち、頬を紅潮させたコリンナがまっすぐに私を見つめていた。昼間の興奮がまだ収まらないらしい。まあ、気持ちはわかる。
「どうしたの。いつもならアマルディに帰る時間でしょ。船の最終便出ちゃうわよ」
「今日はシエル様のご厚意で従業員寮の空き部屋に泊まらせてもらうことにしました。魔法学校には外泊届を出しましたし、公女様にも許可を取りましたから問題ありませんわ。絶対に羽目を外すなと言われましたけど」
「そりゃそうよ。よく公女様許してくれたわね」
部屋に招き入れて、昼間と同じく並んでベッドに腰掛ける。コリンナが持ってきたのはタコのわさび醤油あえだった。クラーケンを倒したときのことを覚えていてくれたらしい。
「サーラ様は黒猫夫婦おすすめのライス酒をどうぞ。わたくしはササラスカティーをいただきますわ。――乾杯」
静かにグラスをぶつけ合い、ライス酒を口に含む。芳醇な旨みが口の中に広がって思わずため息をつく。
めちゃくちゃいいお酒だ。余韻が消えないうちにタコも口に放り込む。わさびのツンとした香りが鼻を抜け、目尻に涙が滲んだ。
「美味しいわね、これ。新鮮だからかなあ。身もぷりぷりで、居酒屋で出したら人気沸騰しそう」
「ハリス様が嫉妬してましたわよ。水温が低いからか、南の海より身がしまってるんですって。根こそぎ……はさすがに遠慮されてましたけど、結構な数をご購入されてましたわ。ブラウ村と契約を結ぶ日も近いかもしれませんわよ」
「えっ、もう市場調査しに来たの? 営業マン怖……」
肩をぶるりと震わせる私に、コリンナが笑みを漏らす。
「今日は人生史上最も衝撃的な日でしたわ。まさか歴史が変わる瞬間に立ち会えるとは思いませんでした」
「何言ってんの。コリンナは若いんだから、これを超える出来事なんて、これからたくさん起きるよ」
そう。人生は長い。嬉しいことも嫌なことも山ほど起きる。私だって、こうして異世界で十歳も下の子と並んで晩酌する日が来るとは想像もしなかった。
アルたちとパーティを組んでいたときも、ここまで距離は近くなかったと思う。女は私だけだったし、家族同然の彼らとは見えない一線が引かれていたから。
グランディールに来て、私の周りには一気に人が増えた。最初の頃こそ一人が恋しかったものの……最近ではあまり感じなくなった。ずっと一緒にいると疲れるのは変わらないけど、それは性分なので仕方ない。
おかしなものだ。ずっと、独りでいたのに。
「……サーラ様は時折、とても遠い目をされますわね」
また思考の淵に沈んでいたようだ。慌てて顔を上げる私に、コリンナは静かに微笑んだ。
「実はわたくし、サーラ様はグランディールを出て行くのではと思っていましたの。人工魔石の製造はサーラ様がいないと成り立ちません。もっと大きな領地……それこそ帝都に行けば、巨万の富を得られますもの」
そんなこと考えもしなかった。同時に、そんな自分に驚いてもいた。コリンナの言う通り、都会に行けば将来安泰なのに。……どうしてだろう?
「疑って申し訳ありません。他所に行かれるぐらいなら、ラスタにお招きするつもりでしたが……あなたはやっぱり、グランディールの方ですのね。シエル様の言った通りでしたわ」
「……私は移民だよ。シエルが何を言ったのか知らないけど、どこかに根を下ろせる人間じゃない。これまでも、これからも」
そう。シエルたちがどれだけ買ってくれても、私が異世界人だという事実は覆せない。永遠の余所者――それが私だ。
もしバレたら、シエルたちとて私を疎むだろう。一つ間違えれば火薬庫と化す人間なんて、危なっかしくて領地には置いておけない。アルのときのように、契約を解除されるのがオチだ。だから……いつまでもいられるとは考えない方がいい。
コリンナはそれ以上何も言わず、空の器とグラスをお盆に乗せて立ち上がった。
「あっ、寮まで送るわよ。至近距離でも、女の子の一人歩きは危ないし」
「大丈夫ですわ。シエル様がポチと一緒に送ってくださいますから」
「え? そうなの? 良かったわ。そんなに仲良くなったのね」
「違いますわよ。公女様の侍女に気を遣ってくださっているだけですわ」
いつも通りの口調。でも、そのチョコレート色の瞳の奥には寂しげな光が宿っていた。
「では、お休みなさいませ。明日もよろしくお願いいたしますわね」
「あ、ちょ、ちょっと待って」
足を止めたコリンナが首を傾げる。
「あの……。コリンナはコリンナよ。公女様の侍女でも、身代わりでもなくてさ……」
我ながら歯切れが悪い。上手く言葉にできないくせに、どうして出しゃばったのか。あわあわと狼狽する私に、コリンナは口元を綻ばせると、豊かな胸を張って高らかと声を上げた。
「奇遇ですわね。わたくしもそう思っておりましたわ!」
静かにドアが閉まり、軽やかな足音が遠ざかっていく。頬がやけに熱い。コリンナの花のような笑顔に当てられてしまった。
私が男だったらイチコロだっただろう。美少女の陽キャって本当に怖いわ……。
力が抜けてベッドに倒れ込む私の耳に、シエルが何事か話している声が届いた。続いて二人の笑い声も。
十分、仲が良いと思うけど……まあ、これ以上は野暮だ。パールに寄り添うように体勢を整える。
パールは相変わらず気持ちよさそうな寝息を立てている。そっと抱き寄せても、身じろぎひとつしない。それだけ安心しきっているのだろうか。そばにいるのは私なのに。
「……あなたには、私と同じ思いをさせたくないわね」
私はカミサマが大っ嫌いだ。だから、窓の外に浮かぶアイスブルーの月に乞う。
どうか、パールの見る夢がいいものでありますように。
「オヤ、箱入り娘のご登場デスカ。三日も仕事をサボるなんていいご身分デスネエ」
パールがアイススライムに進化してから四日目の朝。別館を出た途端に浴びせられた嫌味に思わずうんざりする。
確かに休んだが、決してサボっていたわけではない。パールの帽子に魔法紋を刻むために部屋に篭っていたのだ。元々付与していた氷魔法に体表の色を変える光魔法を組み込むのは思いの外難しく、ほとんど寝られなかった。
とはいえ、機密事項を正直に言えるわけもないので、深いため息で返す。
「サボってたわけじゃないわよ。暑さに負けて寝込んでたの。ちゃんと有休で対処したんだから、いいでしょ」
「ハイハイ。その雪玉は幸せデスネエ。愛してくれるママがいテ」
「ちょっ……! こんなとこで何言ってんの! レーゲンさんに釘刺されたはずでしょ!」
咄嗟に口を塞ごうとしたが、身長差がありすぎてできなかった。誰が聞いているとも知れない場所で、パールがアイススライムだと言及されるのは困る。
咄嗟にパールを腕の中に隠して辺りを見渡す私に、ネーベルは冷笑を返した。
「心配しなくてモ、口外したりしませんヨ。レーゲンに絶交されたくないデスからネ。ただネエ、今のアナタ、とてもみっともないデス。過保護なママみたいに雪玉を抱きしめテ。そんなにビクビクしてたラ、すぐに気づかれてしまいますヨ」
過保護なママ。一番言われたくないことを言われ、顔が引き攣るのがわかった。それでもネーベルの追撃は止まらない。
「そもそモ、悪事に手を染めているわけでもないのニ、怯える必要はないでショウ。もしバレてもアナタの雇用主がなんとかしますヨ。そんなこともわからないおバカさんは一度土人形にでも殴られた方がいいデス」
刃物でぶった斬るような口調だ。けれど、グランディールに来ていろんな人と接したおかげか、言葉の真意が少しだけ読みとれるようになった。
パールを地面に下ろし、恐る恐るネーベルを見上げる。
「あの……ひょっとして、励ましてくれてる?」
「ハハ、三日サボってる間に脳みそ腐ったんデスカ。生ゴミの収集日は昨日デスヨ」
前言撤回。やっぱりこいつ嫌いだわ。黙って睨む私を意に介さず、ネーベルは勝ち誇ったように口の端を上げた。
「それよリ、窓のカーテンは最後まできちんと引きなさイ。隙間から見えてるんデスヨ、アナタが間抜け面して寝こけているとこロ」
「あ、あ、あんた、まさか覗いたの! サイテー! 変態!」
抗議の声を上げたとき、商店が並んでいる方から俄かにざわめきが起こった。
知らず知らずのうちにグランディールに愛着が湧いてきたサーラです。そして、安定のネーベル。覗いていたのはサーラを監視するためです。変態ですね。
次回、ざわめきの原因は?




