32話 研究はひょんなことから進展する(失敗は成功のなんとやら?)
「ごめん、市場で売る分の箱に氷を入れてくれるかな。この暑さじゃ、すぐに痛んじゃうし」
「行ってください、サーラ様。わたくしはグラスを片付けて参りますわ」
コリンナは私の手から空いたグラスを回収すると、さっさと村長の家に歩いて行ってしまった。仕方ないのでパールを連れてシエルの元へ向かう。
河原には大きな空の木箱が十箱と、樽や壺の中にぎっしりと詰められたタコ。そして、領主館に持ち帰り用の小箱が一箱置かれていた。
「こっちの大きな箱に出せばいいの?」
「うん。できる?」
「夏でも、これぐらいは余裕よ。みんな、ちょっと下がってて。ロイ、しっかりポチを押さえててね。当たると凍傷になっちゃうわよ」
「わかった。ポチ、伏せ。田植えのときみたいに動くなよ」
ロイがポチの首輪を掴んだのを確認してから一歩前に出る。聖属性の魔力も組み込めば、この暑さでも溶けにくい氷ができるだろう。
深呼吸して神経を集中し、握りしめた杖を振り上げて魔法を放つ。
キラキラした白い粒子が箱に向かって放物線を描いた瞬間、足元で大人しくしていたパールがいきなり飛び上がり、魔法を飲み込もうとするように体表を大きく引き伸ばした。
「パール!」
キン、と高い音がして、石が地面に転がるような鈍い音が辺りに響いた。足元にはミルククラウンの形になったパールが物言わぬ体を横たえている。氷魔法の直撃を受けて一瞬で凍りついたのだ。
私が使ったのは空気中の水分を凍らせて氷を作る魔法。対象を砕く効果はないが、この魔力量にパールが耐えられるとは思わない。そこまで考えたとき、背筋がゾッとした。
――私、パールを殺してしまった?
「嘘でしょ、そんな……。パール! パール!」
「落ち着いて、サーラ。もし死んだのなら体が自壊するはずだ。パールはまだ生きてる。すぐに戻ってレーゲン先生に診てもらおう」
「シエルの言う通りだ。いくら氷属性でも、素手で触ると凍傷になるぞ」
地面にしゃがみ込んでパールを抱きしめる私を、ロイが優しく引き剥がす。次にパールを拾い上げると、手近な布で包んで私に渡してくれた。
いつもの弾力のない硬い体――真白い布で包まれたパールは土に返す前のルビィみたいで、胸が締め付けられるように痛んだ。
「ロイ、サーラを連れて先に戻って。コリンナもいるし、僕なら大丈夫だから」
「でも、タコ……。タコを冷やさなきゃ……。せっかくみんなが獲ったのに……」
「いやいや、よくわからねぇけど、行ってください。氷なら俺たちでなんとでもなりまさあ。タコも船がありゃ運べる。漁師はみんな腕っぷしが強いんだ。シエル様だって守ってみせますよ」
船長さんに促され、ポチから切り離した荷台を闇魔法に収納しているロイに近づく。ロイは無言で私を抱き上げると、伏せをしたポチの背中に乗せて自分も飛び乗った。
そのまま私の上に覆い被さり、ポチの毛を両手のひらに巻きつける。ロイの腕の中にすっぽりと包まれた格好だが、恥ずかしがっている余裕はない。
「パールをしっかり抱いてろよ。――ポチ、走れ!」
ロイの号令と共に、ぐん、と周囲の景色が後ろに下がっていく。髪が巻き上げられ、激しく顔を打っても構わなかった。砕いてしまわぬように気をつけながら、両腕に力を込める。消えゆく命を閉じ込めるように。
ポチの頑張りのおかげで、あっという間に市内に着き、診療所に飛び込む。幸いにも、診察中の患者はいなかった。
「どうした、血相変えて。あんたがそんなに取り乱すなんて珍しいな」
「お、お願い。パールを診てあげて。私、私、凍らせちゃって」
呂律の回っていない私に、レーゲンさんが眉を寄せる。すぐに私の腕の中のパールと背後のロイに視線を走らせると、おもむろに椅子から立ち上がり、縋る私の両頬に手のひらを当てた。
じわりと温かい体温が伝わってくる。そのとき初めて、私は自分の血の気が引いていることに気づいた。
「落ち着け。あんたの魔法なら、あんたが解くんだ。氷が溶けると同時に生命魔法をかける。必ず助けてやるから」
「……うん」
紫色の瞳に見つめられて、少しずつ冷静になってきた。ロイに支えられて椅子に腰を下ろし、闇魔法から取り出した杖を握る。
「じゃあ……解くわね」
私の前に跪き、パールに手を当てたレーゲンさんがこくりと頷く。すう、と深呼吸して氷を解こうとしたそのとき――。
ぱきり、と小さな音がした。
「パール?」
膝の上でパールがみじろぎするたび、卵の殻を剥くようにぱらぱらと氷の欠片が床に落ちる。苦しんでいる……わけではなさそうだ。体が自壊を始めているわけでもない。その場にいる誰もが、呆気に取られた顔でパールを見つめている。
表面の氷が完全に剥げ落ちたあとに現れたのは、雪玉のように真っ白な色をしたパールの姿だった。
「……こんなスライム見たことあるか?」
「……ない。サーラは?」
「私もないわよ。パール、大丈夫? 体はなんともないの?」
私の呼びかけに答えたパールが、元気いっぱいに伸び上がって私の頬に体を寄せた。キスのつもりだろうか? さっきブラウ村で抱きしめたときよりも遥かに冷たい。まるで体が氷になったみたいに。
……氷?
「レーゲンさん、これって……」
「スライムの生態には詳しくねぇから、なんとも言えねぇけど、体に異常はないな。ただ魔力の質が……」
そう呟くと、レーゲンさんは机の引き出しから属性測定器を取り出した。長方形の箱の中に色とりどりの鉱石が九つ並んでいる。
魔鉱石は同属性のものが触れると淡く発光する性質を持つ。それを利用して作られたのが、この属性測定器だ。利用方法は単純。ただ触れるだけ。パールに言い含めて体の一部を細長く伸ばしてもらい、順番に触れさせる。
案の定、氷の魔鉱石――ルクレツィア鉱が淡く発光した。
「っ!」
パールを膝から抱き上げて窓から差し込む光にかざす。白い体の中心に、何か石のようなものが出来ているのが見えた。
状況を察したレーゲンさんが窓のカーテンを引く。ロイはまだ状況がよくわかっていなさそうだが、口を挟まず成り行きをじっと見守っている。
「ねえ、パール……。私に核を見せてくれない?」
これはスライムにとっては、とてもセンシティブなことかもしれない。けれど、パールは素直に体表を波立たせると、体内の石を表面ギリギリまで露出させた。
アイスブルーに輝く石――間違いない。氷の魔石だ。パールはアイススライムに進化したのだ。
「……ありがとう、パール。もういいわよ。成人おめでとう」
パールは嬉しそうに体を震わせると、私の体にぴたりと寄り添った。可愛いけど、お腹冷えるからやめて……。
「おい、どういう経緯でこうなった?」
掠れた声で私を睨むレーゲンさんに、ブラウ村での出来事を説明する。
「パールの聖属性の力は閾値ギリギリまで上がってたから、属性耐久値も相当上がってたはずよ。そこに氷魔法を付与した帽子を被せたことで、体を損うことなく、じわじわと氷属性の魔力も溜まっていったんだと思うの」
「パールはもう少しで氷属性を持てるとわかってたんだな。だから、あんたの魔法を自ら飲み込んだのか……」
レーゲンさんは頭をガシガシと掻くと、椅子に深く腰掛けてため息をついた。
「パールが凍ったの、俺とお前たち以外に誰が知ってる? 村には何人かいたんだよな?」
「ブラウ村の漁師さんと、シエルと、ポチ。コリンナはその場にいなかったけど、シエルが経緯を話すと思う」
「そうか。なら、それ以外には絶対に口外するな。ミミやアルマにもだ。漁師には改めて口止め……いや、凍ったが俺が治したと言った方がいいな。とにかく、今日のことはなかったことにしろ」
「わかってる。この見た目をどう隠すかも考えなきゃ……」
頭を抱える私たちに、ついにロイが口を挟んだ。
「……悪い。俺、何が何だかさっぱりわからない。なんで黙ってなきゃダメなんだ?」
「簡単に言うと、スライムで人工魔石が作れるってことよ。もし量産できたら、今までの産業がガラッと変わる。考えてみて? 魔石が安価に買えるようになれば、高価な魔石灯や冷風機が一家に一台の時代がやってくる。魔法使いも魔力切れに怯える心配がなくなる。スライム樹脂と合わせた魔石塗料ができれば、魔法紋を書くだけで魔法が使える未来が来るかもしれないのよ」
「それは……やばいな」
「やばいのよ。絶対に外部に漏れないようにしないと……」
そのときふと、ネーベルが『特許を取るならコリンナも巻き込め』と言っていたのを思い出した。彼はこれを予期していたのだろうか。
「ねえ、レーゲンさん。ネーベルはまだ教団と繋がってると思う?」
「表向きは切れていても、裏の繋がりは残しているはずだ。あいつの仕事はそういう性質のもんだからな」
「じゃあ、しっかり見張っといて。たぶん、診療所に飛び込んだ時点でバレてるわ。あいつのことは全く信用できないけど、レーゲンさんに嫌われることはしないと思うから」
苦笑するレーゲンさんを尻目に椅子から立ち上がる。
「とりあえず、ここにいるといつ誰が来るかわからないから部屋に篭るわ。ロイ、誰か尋ねてきたら、私は疲れて寝てるって言ってくれる?」
ロイが頷く。これ以上の話はシエルたちが戻ってきてからだ。
私たちの動揺をものともせず、パールは呑気に体をぷるぷる揺らしていた。
パールがアイススライムに進化しました!
次回、コリンナとちょっと仲を深めます。
あと変態も出張ってきます。




