31話 夏の暑さは地獄です(クーラー欲しい)
八月に入り、グランディールは連日蝉の声に包まれていた。
息をするのも嫌になるほど凶悪な日差しが降り注ぎ、私の体力を削り取っていく。
パールも今にも蒸発しそうなので、最近は氷魔法をかけた帽子を被せている。属性耐性が上がっているから、多少は氷の魔力を取り込んでも大丈夫だろう。
「サーラ様! いつまでもそんなところに隠れていないで出てきてくださいな。皆さん、お待ちですのよ」
「だって……。私、もう二十七よ? こんなの晒せるわけないでしょ。誰も見たくないって」
「もう! ロイ様なんて、さっきからソワソワして冬眠前の熊みたいなんですから。自信を持ってくださいまし」
「なんでロイが? あ、ちょ、ちょっと待ってってー!」
強引に腕を引っ張られて、船室から朝焼けの中に引き摺り出される。
その途端に周囲から口笛が上がり、思わず顔を伏せた。恥ずかしい。暑さにやられたのか、顔を真っ赤にしたロイがこちらに駆け寄ってくる。甲板中を彷徨っていたらしい。冬眠前の熊ってそういうこと……。
「いいね、二人とも。夏って感じ」
シエルが屈託のない笑顔で褒めてくれる。でも、こっちは気が気がじゃない。
何故なら私は今、コリンナと共に水着を着ているから。
もちろん、ダイナマイトなボディのお姉さんが身につけるものじゃない。寸胴を隠すためのワンピースタイプで、胸元にはまな板を誤魔化す用のフリルがふんだんにあしらわれている。二の腕を出したくないので、七部丈のパーカーも羽織っているし。
それでも、年柄年中ローブ姿に慣れ切った身には、布面積が少なすぎて落ち着かなかった。十代の横に並ぶのもキッツいし……。
コリンナは弾ける若さがあるので、セパレートの水着でも「ありがとうございます!」って感じだが、私は世の中の荒波に揉まれたアラサー。間違いなくお呼びじゃない。
現に、新たに領民になったマーピープルの漁師たちの視線はコリンナに集中している。ここにネーベルがいたら冷笑されるだろう。
「ねえ、コリンナはともかく、なんで私まで着替えるの? タコ漁体験させてもらえるのはありがたいけど、いつもの格好でいいじゃない。風魔法のベールをまとえば濡れなくて済むし……」
「ダメですわよ、サーラ様。わたくしだけ水着なんて、公女様にはしたないと叱られてしまいますわ。サーラ様が着たからわたくしも着たと、大義名分をいただかないと」
「ええ……。水着を着ないって選択肢はないんだ?」
「ございませんわ! 一度でいいから海で泳いでみたかったのです。いつも川ばっかりなんですもの。水着なんて許してもらえませんでしたし」
チョコレート色の瞳を輝かせてはしゃぐコリンナに、それ以上何も言えなくなる。
「もう諦めなって。そんなに恥ずかしがらなくても、似合ってるよ。ほら、ロイを見な。サーラに釘付けだよ」
「そんなお世辞いらないわよ。そういうシエルとロイは着替えないの?」
このクソ暑いのに、シエルとロイは普段通りの格好だ。特にロイは全身黒ずくめの上に、いつものダサいカーキ色の革鎧を着ているので、見ているだけで体感温度が上がる。
「僕、カナヅチなんだよね」
「俺、護衛だから」
「私も護衛だってば! カナヅチじゃないけど」
しれっと返してくる男どもに食いついたとき、船長さんが「着きましたぜ!」と声を上げた。
彼の青い髪と肌は陸の上だと目を引くが、船の上だと不思議としっくりきた。水かきのついた指が示す先には、太陽の光に煌めく海が広がっている。
「よーし、錨を下ろせ!」
船長さんの号令の下、漁師たちが素早く動く。この船は魔法が動力なので大河も遡れるが、基本的な仕組みは普通の船と一緒だ。
ここはグランディールに喧嘩を売ってきた伯爵から漁業権を分捕った海域で、他の船の姿はない。左手は三日月型の入江になっていて、無惨に大破した建物がいくつも見えた。
「あれは……」
「俺たちの故郷でさあ。クラーケンにやられちまってね。北の伯爵様に再建を願っても梨の礫だったんで、シエル様に拾って貰えて良かったよ。こうしてまた漁に出られたしな。感謝してまさあ」
にかっと海の男らしく笑う船長さんの後ろで、水着姿になった漁師たちが次から次へと海へ飛び込んでいく。ゴーグルもシュノーケルもないが、マーピープルは水中でも目を開けていられるし、他種族と比べて遥かに長く潜っていられる。
とはいえ、私とコリンナはそうもいかない。ヒト種用のゴーグルをつけ、風魔法を付与したマスクを口にあてる。これで海に潜ってもしばらくは息が出来る。
「サーラ様、杖を持ったまま潜りますの?」
「杖のない私はただの雑魚だからね。シエル、ロイ。パールをよろしくね」
パーカーを脱いでコリンナの背に腕を回し、風魔法でゆっくり海へ下りる。夏とは思えないぐらい冷たい。漁師たちが言うには、北の海は南の海と比べて水温が低いらしい。
「これが海……! 本当に塩辛いですわ! あっ、見ました? 今、魚が跳ねましたわよ!」
「こら、海水を舐めるんじゃないの。ちゃんとマスクつけなさい。あなた、いつもの淑女さはどうしたのよ」
初めての海に興奮しているコリンナを落ち着かせていると、女性の漁師が近寄ってきた。
「サーラさん、杖を横にして両手で持ってください。これでお二人を海の底まで牽引します。コリンナ嬢はサーラさんにしがみついていてくださいね」
「は、はい! サーラ様、失礼しますわ」
コリンナが私の腰に手を回した。微妙にくすぐったいが我慢する。
マーピープルは水の中だと力が倍になる。二人もお荷物がいるに関わらず、漁師は水中をぐんぐん進んでいく。
タコ壺漁はその名の通り、海底にタコ壷を沈め、その中に入り込んだタコを壷ごと収穫する漁だ。元の世界では船のローラーで巻き上げていたが、こちらではマーピープルたちの腕力で引き上げる。
漁師に導かれて手近な壷を覗くと、いかにも美味しそうなタコが入っていた。
すごいですわね! サーラ様! とコリンナが目で話しかけてくる。それに頷き返していると、沈んだタコ壺の周りに散らばった漁師たちが一斉にロープを掴んで音波のような声を上げた。
マーピープルは水中でも種族特有の言語で会話できる。ルビィにそう教わってたが、まさかこの目にできるとは。
漁師たちの手によって、タコ壷が徐々に引き上げられていく。それに合わせて私の視線も上へ上へと上がっていく。
海面から差し込む光が、スポットライトのように漁師たちを照らしている。その合間を縫って、メタリックな色合いをした魚が忙しなく行き交い、子供を連れた満月クラゲがふわふわと漂っている。
この世界の海は透明度が高い。目を凝らすと、船の上から海面を覗き込んでいるシエルとロイらしき影が見えた。
人魚姫ってこんな気持ちだったのかもしれないわ。
海の底から見上げた世界は、とても、とても美しかった。
無事に漁を終え、新設した漁師村――ブラウ村に着いた頃には、太陽の日差しはさらに凶悪になっていた。水着は脱いだものの、ローブを着る気にはなれず、女性の漁師から借りた夏用の白いワンピースに身を包んでいる。
ブラウ村は南のルビィ村と違って南国情緒にあふれていた。平屋ではなく高床式の木造で、屋根はヤシの葉を葺いて作られている。北の領地にいたのに不思議だが、マーピープルは元々南の海で発生した種族だから、種族特有の文化なのだろう。
今、私に木陰を提供してくれている木もヤシの木だ。敷物の上に三角座りをして、河原でタコの選別をしているシエルたちを眺めてると、さっきまでポチと村の中を散歩していたパールが擦り寄ってきた。抱き上げて頬を寄せる。冷たくて気持ちいい。
「サーラ様、飲み物をお持ちしましたわ。ヤシの実ジュースですって」
「ありがとう。コリンナも座りなよ。日射病になっちゃうわよ」
隣に座ったコリンナからグラスを受け取り、ストロー代わりの麦わらを啜る。初めて飲んだが、薄いスポーツドリンクの味がした。
「豊漁でよかった。これでしばらくタコ焼きの材料には困らないわ。そう何度もクラーケンが出没するわけじゃないし」
「魔物食の機会は他にもありますし、できれば二度と遭遇したくありませんわね。……それにしても、海の中は素晴らしかったですわ。あんな経験初めてです」
コリンナはまだ余韻に浸っているようだった。さすがに水着は脱いでいるものの、彼女も漁師に借りたワンピースを着ている。同じ服なのに、美人が着るとこうも違うのか……と少しだけ落ち込む。
そんな私の気持ちには気づかず、コリンナはうっとりとした表情を崩さぬまま言葉を続けた。
「わたくし、グランディールで働かせてもらえて本当によかったですわ。毎日が新鮮で、とても楽しいです。学校ではいつも一人ですし」
「え? そうなの? 公女様は? クラスメイトだっているんでしょ? とても慕われているように見えたけど……」
「乳姉妹といえども、公女様とは立場が違いますもの。いくら公女様が望んでも、それを諌めて一歩引くのが侍女の勤めですわ。クラスメイトたちも優しくしてくださいますが、対等ではないと言いますか……。皆さん、わたくしから一歩引いてらっしゃるのです。比較的緩いラスタにも、身分の壁は存在するのですよ、サーラ様」
一転して寂しげな表情を浮かべるコリンナに、私は彼女の孤独を見た。慕われてはいるが、放課後に遊びに行くようなフランクな関係は築けないのだろう。私も学生時代友達はいなかったが、他人を羨むことはあっても、一人の方が好きなので苦にはならなかった。
こんな陽キャにも悩みはあるのか。
何も知らずに逃げていた自分が恥ずかしくなり、少しぬるくなったグラスを両手で握りしめた。
「じゃあ、グランディールで思いっきり青春を満喫していけばいいよ。特にシエルは同世代だしさ。領地経営にも、魔法にも詳しいし、コリンナと気が合うと思う。私も……話すのは下手だけど、聞くことならできるから」
コリンナが目を丸くして私を見る。そして、次の瞬間、花が綻ぶように笑った。
眩しくて目が潰れそう。話を聞くことは、そばでこの明るさを浴び続けることだと忘れていた。ちょっと早まったかも。
「嬉しいですわ。わたくし、もっとサーラ様とお話ししたかったの。大人の方なのに、お姉様たちとは全然違うタイプなんですもの」
「お姉さんがいるの?」
「ええ、二人。とても奔放な人たちで、思い立ったら一直線。わたくしはいつも振り回されてばかりでしたわ」
その血はコリンナにもしっかりと受け継がれていると思う。とはいえ、そんなことを口に出せるわけもないので、さりげなく……いや、ぎこちなく話題を変える。
「そ、そういえば、アマルディにいる公女様も三女だったよね。だから侍女になったの?」
一瞬だけコリンナは言葉に詰まった。聞いてはいけないことだっただろうか?
私の不安を敏感に察知したのか、コリンナはすぐにいつもの調子を取り戻して、「そうですわ」と明るく言った。
「年齢も背格好も同じですし、侍女にするにはちょうどいいとリッカ公のご判断です。……もしもの場合は身代わりになれますし」
「え?」
さすがにそれは聞き流せなかった。
「ねえ、コリンナ。それって――」
「サーラ!」
大きく身を乗り出したとき、河原から私を呼ぶ声が聞こえた。
歳相応にはしゃぐコリンナですが、色々と複雑な事情がありそうで……。
次回、パールが大変なことになります。




