29話 新入りは筋金入りの変態です(前途多難……)
「レーゲンさん、私に何か言うことないの?」
「……パールの成長も順調みたいだな。もし生命魔法が必要なら、いつでもかけてやるから言えよ」
「誤魔化さないでよ! なんなの、あの変態は!」
びし、と指差した先には、診療所の窓ガラスにへばりついてこちらを眺めているネーベルがいる。私がパールを連れて診療所に入ってからというもの、ずっとこの調子だ。
レーゲンさんに構ってほしいのか、深く被ったフードの下で、チェシャ猫みたいな笑みを浮かべて延々と手を振っている。どこからどう見てもストーカーだ。
レーゲンさんは深いため息をつくと、そっと窓のカーテンを閉めた。
「あいつのことは木にへばりついた蝉だと思ってくれ。うるせぇが、それ以上悪さはしねぇ。こちら側にいる間はな」
「とても信じられないんだけど……。もしかして、教団を飛び出したのってあいつのせいでもあるの?」
踏み込んだ質問だが、もっと思ったことを口に出していい、と言われたので勇気を出して聞いてみる。レーゲンさんは一瞬だけ目を見開き、「違ぇよ」と笑って椅子の背に体を預けた。
「俺とあいつは幼馴染でな。歳は離れているが、一緒に育って、一緒に教団に入った。俺は医者として、あいつは……戦闘員として」
ただの同僚の割には執着度合いが異常だなと思っていたけど、子供の頃からの付き合いだったのか。なら、ようやく見つけた幼馴染を闇の中に取り込むのも仕方ない……のかな?
首を捻る私に、ふっと目を細めたレーゲンさんが話を続ける。
「あんたも薄々気づいてんだろ。二年前、俺は医療団として、ある紛争地帯に行った。……まあ、地獄だったよ。人間ってのは魔物より怖ぇ。いくら敵対した相手の領民だからって、女子供にあんなことできちまうんだもんな……」
あんなこと、の内容はとても聞けなかったが、レーゲンさんの表情が全てを物語っていた。元の世界でも幾度となく戦争は繰り返された。その度に犠牲になるのは、いつだって弱い立場の人間だ。
膝の上に乗せたパールを撫でる。パールは私を伺うような素振りを見せ、そのぷるぷるした体を私に寄せてくれた。
「医療テントには今にも命が尽きそうな患者が連日運び込まれて、人員は常に枯渇状態だった。何日も不眠不休で生命魔法をかけ続けて過労死した同僚が何人もいたよ。見兼ねた教団外の医者たちが支援を申し出てくれたが……エルネア教団はその手を払い除けたんだ。患者を救うことよりも、ちっぽけなプライドを取ったんだな」
ありえそうなことだ。懸命な判断を下せる人間は驚くほど少ない。
生命魔法は患者の生命力を使うか、術者の生命力を使うかの二択だ。患者の命か、自分の命か、医者は常に葛藤に苛まれる。
エルネア教団が躊躇なく医療を発揮できるのも、教義と信仰心で縛っているからだ。自己犠牲はカミサマにアピールできる手っ取り早いツールだから。
そんなことをしても、救われるとは限らないのに。
「……それが、ここに来た理由なのね」
「そうだ。俺はそのとき初めてカミサマを呪った。医療を教団で独占せずに広く連携を組めていれば、もっと多くの命を救えたはずなんだ。同僚が馬鹿げた教義に殉じて命を散らすこともなかった。だから俺は教団を飛び出したんだよ。自分の信じる医療を追求するために」
カミサマに絶縁状を叩きつけたレーゲンさんは古今東西の医療を習得するために、教団の目を掻い潜って帝国中を回り、患者に治療を施してきた。そして、いよいよラスタの方まで足を伸ばそうと思っていた矢先に、コリンナの事件に遭遇したわけだ。
レーゲンさんにとって、グランディールは都合が良かった。今なら支援金を出してくれる上に、辺境で教団の目も届きにくく、アマルディを介してラスタの医療も吸収できる。それに……シエルが領主でいる限り、ここに教会が建つことはないだろう。
昨日、ネーベルを雇うと決めたあとのシエルの言葉を思い出す。
『護衛と女中と事務員と、医者に料理人に自警団。だいぶ揃ってきたねえ。今、街の建設に携わっている職人たちも何人かはそのまま領民になってくれるって言うし、いろんな職業の領民もぽつぽつ増えてきたもんね。あとは銀行と組合が来れば一端の都市だなあ』
『エルネア教団は?』
『考えてない。レーゲン先生に出て行かれる方が困るからね。冠婚葬祭は僕が代行すればいいし、それに……』
『それに?』
『いや、何でもない。それよりネーベルと仲良く……はしなくてもいいけど、喧嘩はしないでね』
シエルが何を言おうとしていたのか結局わからなかったが、あまり教団に良い印象を抱いていない気がした。だから私も安心してここで呑気に護衛をやれている。
「なんで、あの変態に黙って出て行ったの? 一昨日の様子だと、レーゲンさんのことをずっと探してたんでしょ。最初から話してたら、護衛としてついてきてくれたんじゃない?」
「あいつは頭のネジが何本かぶっ飛んでるから、何をしでかすかわからねぇんだよ。あんた、爆弾抱えて旅ができるか?」
うーん、確かに邪魔者は躊躇なく消しそう。レーゲンさんはネーベルに手を汚させたくなかったんだろうな。仕事と私事じゃ別だもんね。懸念はまだ晴れないけど、一方的な友情じゃないとわかって少しだけ安心した。
「……まあ、事情はわかったわ。でも、見つかったからにはちゃんと手綱握っててよね。また首絞められるのはごめんよ」
「わかってる。あのときは本当に悪かった。これから面倒掛けると思うが、よろしく頼むぜ」
頭を下げるレーゲンさんに苦笑し、診療所を出る。
ネーベルは窓に耳をぴたりとあてて中の様子を伺っていた。変態の極みだ。
「真昼間から変態行為はやめてくれる? 自警団のくせに、自分が捕まるわよ」
「大切な友人ガ、いけすかない小娘に唾をつけられては困りますからネエ」
「人聞きの悪いことを言わないでよ。レーゲンさんだって選ぶ権利はあるでしょ」
ネーベルは背筋を伸ばすと、片眉を跳ね上げて私を見下ろした。
よく見ると、シエルほどじゃないけど顔立ちが整っている。背も高いし、大人しくしていたら女性が放っておかないんじゃないだろうか。喋ると台無しだけど。
「謙虚デスネ。そこは『私にモ』、じゃないんデスカ」
「そう言えたらいいけどね。私なんか誰も……」
ふと、アルを思い出して口を噤んだ。唯一好きだと言ってくれた人はいた。上手く受け止められず、傷つけてしまったけれど。
「嫌デスネエ。その自己評価の低サ。行き過ぎた自己批判はいずれ自分を殺しますヨ」
「うるさいわね。なら、自己評価を上げられそうなことを言ってよ。どうせ無いって言うんでしょ」
「アハハ、無いデスネ。一昨日、出会ったばかりの男に褒めてもらえると思ってるんデスカ」
ほれみろ。黙って睨みつける私に、ネーベルがにやにやと笑う。ムカつく。
「……デモマア、アナタ、ワタシの雇用を拒否する理由に魔属性を挙げませんでしたネ。この訛りも聞き取りづらいでしょうニ、嫌な顔一つしていませン」
シャドーピープルは人口が少なく、同族で固まって暮らすことが多いため、どうしても集落固有の訛りが強くなるのだそうだ。方言みたいなものだろうか?
「あのね。魔属性だろうが、聖属性だろうが人間性に変わりはないのよ。そんなにペラペラ喋れるんだから、訛ってるぐらい別にいいじゃないの。よくそんなに言葉が出てくるわね。羨ましいわ」
「羨ましイ……」
ネーベルは呆気に取られた顔をして、私に一歩近づいた。
気分を害しただろうか? どうでもいいけど、黙って上から覗き込まないでほしい。ネーベルと私の身長はおそらく三十センチ以上は違う。気分は巨人を前にした小人だ。ネーベルは無遠慮に私を上から下まで眺め回すと、やがてにんまりと笑った。
「ワタシ、羨ましいなんて初めて言われましタ。アナタ、面白い人デスネ。俄然、興味が沸きましたヨ。これからはレーゲンだけじゃなク、アナタも観察させてもらいまス」
「は?」
冗談じゃない。こんな身近にストーカーがいるなんて御免被る。
私の危機を感じ取ったのか、足元にいたパールがネーベルに向かって跳躍した。しかし、全然届いていない。そうだよね。
長杖を脇に抱えて、パールを抱き上げようとした……が、先にネーベルに横取りされてしまった。
「ンーンー。このスライム、通常の個体に比べて魔力が高いデスネエ。属性耐性も上がっているようデス。アナタ、何かしましたカ?」
「あなたに教えるわけないでしょ。それより、パールに触らないでよ! この変態!」
「フフ。アナタの身長では届かないでショウ。ぴょんぴょん跳ねて滑稽デスネ」
くっそムカつく。ネーベルの手の中でパールは嫌そうに体を波立たせている。
「雇用を認めてくれたお礼に一つ忠告しておきまショウ。もシ、特許を申請するときはご領主サマとアマルディのお嬢サンを巻き込みなさイ。共同名義はトラブルの元になりますガ、ことアナタに限っては自分を守る盾になりまス」
「……シエルは当然だけど、コリンナも?」
ネーベルはそれ以上何も言わなかった。
狐に化かされた気持ちになり、唇を引き結ぶ。ネーベルは相変わらずにやにや笑っている。そのとき、場の空気を一掃するような元気な声が響いた。
「ネーベルさん、お待たせしました!」
変態にロックオンされてしまいました。
次回、いよいよ自警団発足です。




