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28話 災いは招いてないのにやって来る(勘弁してよ)

 船の灯りがゆっくりと目の前を横切っていく。


 空にはすっかり月が昇り、無事にイベントを終えた市内は昼間とは打って変わった静けさに包まれていた。虫の声と河のせせらぎに紛れて、時折屋台を解体する音が聞こえてくる。


 私は今、ポチを枕にしてエスティラ大河を眺めているところだった。お腹の上にはパール。そばにはビール。欲張りセットだ。


 決してサボっているわけではない。無茶したのをアルマさんにしこたま怒られて、屋台の片付けが終わるまでここで休んでいろと言われたのだ。


「お腹空いたな……。お昼あれだけ食べたのに……」


 パールにお腹の音を聴かせていると、背後から足音が聞こえてきた。デュラハン特有の鎧が擦れる音――ハリスさんだ。

 

「お待たせしました、サーラさん。こちら、アルマ嬢からです」


 渡されたのは具沢山のサンドイッチだった。ハリスさんにお礼を言い、早速齧り付く。美味しい。疲れた体に染み渡る。

 

「今日は大変でしたな。あのご令嬢、ようやく認めましたよ。呼び出した子爵から裏も取れましたし、明日にでも伯爵をシメに行くようです。レーゲンどのも女性陣からこってり絞られて意気消沈していましたな。ロイどのが思わず止めるほどの勢いでした」

「じゃあ、あの手紙は本物だったんですね」

「左様ですな。まあ、こちらではよくあることでしょう。辺境伯も冷静でいらっしゃいましたし」


 今回の騒動を企んだのは、北の領地を治める伯爵だった。後を継いだばかりの若造が、先日のクラーケン討伐で早々に武功を立て、あまつさえフードイベントまで開催するのを忌々しく思ったらしい。


 最初は隣地の子爵に計画を実行させようとしたが、やんわり断られたのでその娘を利用した――というのが真相のようだ。


 想い人に裏切られたと知って、令嬢は泣き崩れたそうだが……正直、可哀想とは欠片も思わない。


「クラーケン襲来でマーピープルの入江が被害に遭ったそうなので、その鬱憤晴らしもあったのでしょうな。辺境伯の交渉次第ですが、北の海の漁業権の付与と領民の譲渡が妥当な落とし所だと思いますよ。これで海産物の安定供給が可能になりますな。弊社からご購入いただけなくなるのは手痛い所ですが」


 マーピープルとは水の魔素を多量に取り込んだヒト種から生まれた種族で、入江とは彼らの集落を指す。青い髪と肌と水かきを持ち、泳ぎがダントツに上手いため、大半が漁業に携わっている。


 つまり、グランディールに漁師村ができるかもしれないということだ。


「ハリスさんが令嬢を引き留めてくれたおかげです。本当にありがとうございました」

「なんの。お客様のご要望にお応えするのが商人ですからな。あのご令嬢は物の価値もわからず、こちらの言い値で買ってくださるいいカモ……もとい上客でしたので、むしろお礼を言いたいのはこちらの方です」


 尋問に入る前に買わせるだけ買わせたらしい。商人って本当に怖いな。

 

「そうだ。引き留め料っておいくらですか? まだ払ってませんでしたよね」

「そうですな……」


 ハリスさんは顎あたりの闇に手を当て、考える素振りをした。どれだけ吹っかけるつもりだろう。怖い。ドキドキする。


「これからも辺境伯の助けになってあげてください。あの人には、まだあなたが必要だ」


 まさかの回答に「え?」と間抜けな声が漏れる。いつものお世辞なのかと思ったが、ハリスさんが私を見つめる目はとても真剣で、その光の強さに思わず目を逸らした。

 

「……シエルにも言われました。開拓が終わっても居てほしいって。でも、そこまで買ってくれる理由がわからないんです。好かれることをした覚えもないのに」

「さて、私は辺境伯ではありませんからな。ただ……いくら大人ぶっていても、子供には甘えたくなるときがあるものですよ」


 シエルにとって、私は甘えられる存在なのだろうか。こんなにも冷え切った人間なのに?

 

「どうして、そんなにグランディールを気にかけてくれるんですか? ただの商売相手にしては……親切過ぎますよね」

「……ここはね、ラスタ国民にとっては目の上のたんこぶなのですよ」


 三日月みたいに目を細め、ハリスさんは静かに続けた。


「五十年前のモルガン戦争でラスタは徹底的に蹂躙され、復興には二十年以上の歳月がかかりました。今の繁栄は先人たちの努力の成果なのです。……でも、ここは違った。五十年経っても無惨な姿を晒したままだった。対岸から眺めるたびに悔しくてたまりませんでしたよ。まだ戦争は終わってないんだ、とね」


 ぐ、とハリスさんの拳に力が籠る。それを見て初めて、私はハリスさんの熱い胸の内を知った。


 この人はただ、商売をしたいだけじゃない。商売を通して示したいんだ。ラスタ国民の矜持を。


「ここが元の隆盛を取り戻して、初めてラスタは完全に復興を遂げたと言えるのです。ここに集う職人たちも、大なり小なり同じ思いを抱えているから、あなた方の誘いに乗ったのではないですか。……まあ、ナクトくんの場合は純粋に恩返しでしょうけど。あの子は超がつくほどお人好しですからね」


 ふふ、と笑みが漏れた。心の底から湧き出た、自然な笑みだった。


「なら一日でも早く開拓を進められるように、私も片付けを手伝います。もう十分休ませてもらいましたし」

「あなたも働き者ですね。よろしければ、エスコートいたしましょうか? 黒髪の美女を腕に抱く機会など、そうそうないですからな」

「遠慮しておきます。既婚者の誘いには乗るなって師匠にきつく言われてますので」


 コミュ障には珍しく気の利いた返しができた。ハリスさんが目を丸くして肩を揺らす。

 

「賢明ですな。私も騎士様の怒りは買いたくありません。では、お先に。ポチに乗ってゆっくり戻ってらっしゃい」


 颯爽と去っていくハリスさんの背中を見送り、ゆっくりと立ち上がる。


 見上げた夜空に瞬く星が、いつもより綺麗に見えた。






「落とし前つけてもらってきたよー」


 爽やかな笑顔で物騒なことを言い放ちながら、シエルが別館に帰ってきた。


 後ろには満足げなコリンナと、心なしかげっそりしたロイ。そばで眩しい太陽を浴び続けて疲弊したようだ。「これ、土産……」と紙袋を手渡し、そそくさと去っていく。


「何、これ?」

「お詫びの品。干物だって。今度新しく領民になるマーピープルが獲ったやつ。帝都の古代食専門店に高値で卸してるみたい」


 紙袋から木箱を取り出して居間のテーブルの上で開ける。中にはつぶらなお目目の赤い魚がびっしりと詰まっていた。


「ノ、ノドグロじゃない! 物によれば、一枚五千エニ以上はするやつよ」

「え? 本当? じゃあ、今日の晩ご飯にしよう。あとで黒猫夫婦に渡しといて」


 軽い。軽すぎる。どんな豪華な晩ご飯だ。貴族にとってはノドグロなんて、一山いくらの魚と同じなのだろうか。


「マーピープルたちには一週間後に移ってもらうことにしたよ。職人たちが頑張って村を作ってくれるって。魔法使いの人足が増えたから工期も短縮できるしね」

「本当に漁師村ができちゃうんだ……。場所はどの辺りにするの?」

「市街と北の森の間。ほら、君がクラーケンを討伐したところ」


 確かにあの場所は開けていたから村を作るには最適かもしれない。シエルの手腕に感心していると、ミミがパタパタと足音を立てて居間に入ってきた。


「移住希望の方がいらっしゃいました。腕に覚えがあるので、自警団に入りたいと」

「お、いいタイミングだね。昨日の事件もあったし、そろそろなんとかしないとなあって思ってたんだ。サーラ、一緒に来てくれる? ロイはどっかいっちゃったから」


 護衛なので拒否する選択肢はない。先導するミミのあとについて執務室の扉を潜る。移住者は魔法使いの男性のようだ。黒いローブを羽織って、やたら背が高い。


「お待たせ致しました。移住希望者の方ですね? グランディールにようこそ」


 シエルの呼びかけに、男が肩越しに振り返る。その瞬間、思わず叫んだ。


「どの面下げて来たのよ!」

「ドウモ。無事に領民をゲットできたようで何よりデス。これもワタシのおかげデスネエ。お礼は給料二割増しで結構デスヨ」

 

 ソファでひょろ長い背中を窮屈そうに丸め、ひらひらと右手を振るのは、昨日対峙したばかりのシャドーピープルだった。目深に被ったフードの下からは真意の読めない紺色の瞳が覗いている。顔の表面を覆う闇は、昼間に見るとより一層黒々として見えた。


「ひょっとして、レーゲン先生の元同僚の? この人がそうなの?」

「そうよ。いい歳したおじさんに付きまとっている変態よ」

「ひどい言い草デスネエ。ご領主サマ、護衛の躾はきちんとした方がいいデスヨ」


 芝居がかった仕草で肩をすくめながら、ミミが淹れた紅茶を飲む姿にさらに怒りが湧く。


「あなたに言われたくないわよ! そもそも、あなた教団員でしょう? 副業なんてしていいわけ?」

「アハハ、辞めてきましタ。レーゲンがいない場所にいても仕方ないのデ」

「大した友情ね。でも、昨日言ったでしょ、どろ……」

「泥棒と誘拐犯はお断りでしたっケ?」


 切り込むような口調で遮られ、一瞬だけ怯む。けど、こんなところで負けていられない。

 

「そうよ、だから……」

「どちらもしていませんヨ。ワタシは盗まれた首飾りを取り戻しただケ、レーゲンは泥棒から守るために保護しただケ。勝手に勘違いしたのはアナタデス」

「は?」

「実はそうなんだってさ」


 間抜けな声を上げた私の肩をシエルがポンと叩く。選手交代の合図だ。


 一体、どういうことなのか。あくまで警戒は怠らないまま、ネーベルの対面のソファに座るシエルの背後に立つ。その途端にネーベルから舐めるような目で見られ、ちょっと嫌な気持ちがした。

 

「レーゲン先生から聞いたよ、ネーベル・トート。帝都出身で今年二十八歳の……そうだな、戦闘員ってことにしとこうか。ああ、出生証明書の提示はいらないよ。偽物を見ても意味がないしね」

「お若いのに道理をよくご存知デ。賢明な人は大好きデスヨ」

「それはどうも。昨日はレーゲン先生がお世話になったね」


 シエルが教えてくれた話によるとこうだ。


 ビール片手に屋台を徘徊していたレーゲンさんは、怪しい男が令嬢から首飾りを受け取って逃げる現場を目撃した。


 そのとき、シエルたちは令嬢から目を離していたので、大事を避けるために単身男を捕まえようとしたものの、反撃され、危機一髪のところをネーベルに保護されたという。


 そんな都合のいい話があるか。いけないと思いつつも、つい口を挟む。


「じゃあ、あの手紙はどうなのよ。保護したレーゲンさんも、すぐに誰かに預ければよかったじゃない。周りにいくらでも人いたでしょ」

「手紙は拾いましタ。レーゲンには久しぶりに会えたので離れたくなくテ。美しい友情でショウ?」

「白々しいのよ!」


 いきりたつ私を、シエルが「まあまあ」と宥める。

 

「見知らぬ変態より、見知った変態の方がいいじゃない。きっとレーゲン先生が見張っててくれると思うよ。今後は、その腕をここで役立ててくれるんだよね?」

「聞き捨てならない言葉がありますガ、もちろン。自警団を預けてくれるなラ、バッキバキの諜報……戦闘員に鍛えて差し上げますヨ」

「ちょっと、あなた今、諜報員って言いかけなかった?」

「ンーンー、何のことかわかりませんネエ。ワタシ、ごく普通の一般人デス」


 本当に人の神経を逆撫でする男だ。ふん、と鼻を鳴らす私に、シエルが忍び笑いを漏らす。


「わかった。君には自警団の選定と運営を任せるよ。でも、その前にサーラに謝ってくれる? あとでロイにもね。それが雇用の条件だよ」


 ネーベルは面白そうに片眉を跳ね上げると、その場に立ち上がり深々と頭を下げた。


「昨日は大変失礼いたしましタ。二度とこのようなことがないよウ、重々注意いたしまス」


 うわ。心の一欠片もこもっていない謝罪。元職場の営業マンを思い出す。


 正直、嫌だ。けれど、シエルが雇用すると決めた以上、拒否はできない。ロイもきっとそうだろう。


「……わかったわよ。ここに来たからには、シエルを裏切らないでよね」


 渋々謝罪を受け入れると、ネーベルはまたチェシャ猫のように笑った。

仲間?が増えました。

レーゲンのストーカー、ネーベル。彼はグランディール内で一番強い人間です。味方にいても敵にいても安心はできません。変態なので。


レーゲンを助けた云々も真っ赤な嘘。シエルも承知で話に乗っています。


令嬢から首飾りを受け取ったのは泥棒のふりをしたネーベルです。レーゲンはあいつ俺の元同僚じゃん……って追いかけて行ったら闇魔法を使われました。この時点で、すでに泥棒は診療所に縛り付けられていました。手紙は令嬢からすりとったものです。


次回、レーゲンの過去に少し触れます。

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