27話 泥棒と誘拐犯は不要です(いくらなんでもヤバすぎる)
金切り声の持ち主は、高そうなワンピースを着た女性だった。
貴族の子女……なのだろうか。お付きらしき男性を従えて、シエルに食ってかかっている。その間に割り込んで女性を制止しているのはロイだ。
「ええ……。一体、何があったのよ」
コリンナたちにはその場で待機してもらい、一歩引いた場所で様子を見守っているハリスさんに駆け寄る。彼の腕の中では、牙を剥き出したポチが今にも飛びかかりそうに唸っていた。
「どうしたんですか、ハリスさん」
「ああ、サーラさん。見ての通りですよ。イベントにはつきもののクレーマーです」
詳しく聞くと、女性は近隣の領地の子爵令嬢で、家宝の首飾りを身につけてた。しかし、屋台を見て回っているうちに、いつの間にか首から消えてしまったということらしい。
「それはそれは見事な宝石をお持ちでしたよ。……まるで見せびらかすみたいにね」
ぼそっとハリスさんが呟く。物の管理は自己責任だと言いたいのだろう。私もそう言いたいが、そんなわけにはいかない。これがきっかけで悪い噂が広がれば、領地経営に支障が出るかもしれない。
「もしスリだとしたら、すぐに捕まえないと……。この人混みに紛れて逃げちゃうんじゃ」
「出入り口は封鎖済みです。今日のために手練れの探索者を雇っていますからな。抜かりなく」
「捜索状況は? 首飾りなら、匂いが残ってますよね。ポチで辿れるんじゃないですか?」
ハリスさんが首を横に振る。すでに試したが、そう離れていないところで匂いがかき消えたらしい。
「消えた……」
どこにあるか、なんとなくわかった気がする。これは聖属性で、魔法紋師の私の本分だ。
ただ、問題は時間だ。私が作業をする間、ご令嬢を宥めて観光客を足止めしなくてはならない。観光客はコリンナに任せるとして、ご令嬢は……。
「どれくらいご入用ですかな」
上から降ってきた声にはっと意識を引き戻された。ハリスさんが静かな目で私を見下ろしている。ヒト種とは違う青白い一対の光。それでもお互い何を考えているのかわかった。
「一時間あれば」
「承知いたしました、お客様。お代はあとで結構ですよ」
三日月のように目を細め、ハリスさんは「お嬢様!」と令嬢の元へ歩いて行った。きっと手持ちの商品を見せて釘付けにしてくれるに違いない。背後にシエルとロイの視線を感じながら、ポチを連れてコリンナたちの元に駆け寄る。
「コリンナ、光魔法で観光客に幻影を見せて欲しいの。できれば、めちゃくちゃ派手なやつ。音もあればもっといいわ」
「魔法学校生たちに協力を要請しますわ。ミミ、あなたも手伝ってくださいませ。あなたの容姿は人目を引きますもの」
「わ、わかりました!」
コリンナとミミが駆けていく。賢い子って本当にありがたい。この前は逃げてごめんね。
「アルマさんは領民の魔法紋師に声をかけて。一人でも多くいれば助かる」
「わかりました。……あの、無茶しないでくださいね」
優しく釘を刺されてしまった。苦笑しつつ、市壁の外に出る。
書くべきものは頭の中にある。うるさく響く鼓動を抑えるために深呼吸し、長杖を地面に突き刺した。
宵闇が迫る。
花嫁がお色直しをするように、空は薄紫色のドレスをまとい、月に追われた夕日は今にも地平線の果てに沈もうとしていた。
その中で、私は市壁の周りに魔法紋を書き続けていた。そばには魔法紋師が二、三人いるが、みんな疲れた顔をしている。それもそうだろう。一時間近くぶっ続けで書いているのだ。私も気を抜けばすぐに膝から崩れ落ちそうになる。
「サーラさん、少し休んでください。このままじゃ、また倒れちゃますよ」
「ダメ……。ここから先は複雑だから私が書かなきゃ……。一文字でも間違えたら発動しないもの……」
「無茶ですよ、こんな大型魔法紋を一時間で書くなんて! 通常は数十人で書くものですよ」
「他に方法が思いつかないのよ……。やめろって言うなら代替案出して……」
魔法紋師は黙った。私とて無茶をしているとはわかっている。それでも、どうしてもやらねばならないときがあるのだ。
「ここさえ書き終われば……」
大部分は風魔法を駆使して書いたが、難しい箇所は手書きだ。ルビィなら全て魔法で書けるのだろうが、私にはまだそこまでの技量はない。ズキズキと痛む両腕を動かし、残りの数語を書く。
――できた。あとは魔力を流すだけだ。
「見てなさいよ、コソ泥……。捕まえたらぶん殴ってやるからね……」
魔法紋の上に両手をついた瞬間、市壁の中から一筋の白い光が空に昇った。
力を振り絞ってポチの背に乗り、市壁の中に飛び込む。
観光客にぶつからないように屋根に上がり、市内を見渡す。建設中の領主館の辺りで、コリンナが魔法学校生たちと共に幻影を駆使して観光客の視線を釘付けにしていた。ミミとアルマさんは綺麗に着飾って客たちの呼び込みをしている。
令嬢の姿は見えない。別館の執務室の中に通したようだ。扉の前で哨戒していたロイが私とポチに気づき、素早く屋根に飛び乗って駆けてくる。
「ポチ、首飾りの匂いを辿って。もうわかるはずだから」
元気に返事をしたポチが屋根の上を駆ける。目的の人物は街の外れにいた。黒いローブを羽織った長身の男だ。魔法紋で強制的に出現させた闇魔法の闇の中に、飛び出した首飾りを押し込もうとしている。
退路を断つように地面に着地し、ポチから飛び下りて杖を構える。男の足元には誰かが倒れていた。見慣れた白衣にボサボサの黒髪……。
「レーゲンさん?」
「サーラ! それ以上近づくな!」
追いついたロイが屋根から飛び下りてきた。もう逃げ場がないと悟ったのだろう。男がゆっくりと振り返る。
深く被ったフードから覗く顔は闇に覆われている。宵闇のような濃紺色の瞳――さっき、ぶつかったシャドーピープルだ。
「ヤレヤレ、首飾りを飲み込んだ闇を魔法紋で暴くとハ、とんだ力技デスネ」
「ポチが追えない場所なんて、闇魔法の中しかないでしょ。それより、なんでレーゲンさんを? 泥棒の上に誘拐魔とか洒落にならないわよ」
「話はあとだ! とりあえず捕まえるぞ!」
ロイが男に向かって駆け出す。闇属性に闇魔法は効かない。動きを封じるため、男に氷魔法を放とうとして――違和感に気づいた。男に目を覗き込まれたときに感じた怖気が全身を走り抜ける。
「ダメ! そいつ魔属性だわ! 下がって!」
「オット、もうバレましたカ」
男の背後から出現した赤黒い鞭がロイを襲う。ロイはすんでのところで鞭を躱し、体操選手も真っ青なバク転で戻ってきた。
「魔属性? 赤目じゃないぞ」
「魔属性持ちが全員取り憑かれてるわけじゃないのよ。力を制御できれば赤目は抑えられるわ。……あまり知られてないけどね」
完全に魔力を制御した魔属性持ちは、強い魔法を使うときか、激しい感情を抱いたときだけ赤目に染まる。まだ紺色の瞳を保っているということは、男の魔力は相当多いはずだ。モルガン戦争を引き起こしたラグドールのモルガン王ほどではないだろうが。
「ご名答! 教団内部や魔法学会でも一部の人間しか知らない情報ヲ、アナタは一体、誰に聞いたんでしょうネ?」
「誰でもいいでしょ。それより、首飾りを返してよ。足元に転がってる人も」
「ンーンー。いけませんネエ。人に何かを頼むときは『お願いしまス』デスヨ」
言い終わるや否や、一足飛びに近寄ってきた男の手が私の首にかかった。同時に全身を赤黒い鞭で拘束される。ロイですら反応できない速度だ。私と同じく拘束されたロイとポチが、赤黒い鞭で首を絞められて呻き声を上げる。
「ロイ! ポチ!」
「バカなお嬢サン。人のことを心配している場合デスカ?」
「馬鹿はあんたよ!」
体に巻き付いた赤黒い鞭が弾け飛ぶ。私のローブには聖属性の魔法紋を縫い込んである。魔属性を浄化するほどの威力はないが、弾くぐらいはできるのだ。
そのまま男の懐に飛び込み、両手で男の顔を挟む。どれだけの魔力を込めれば浄化できるのかわからないが、やるしかない。
「オヤオヤ、熱烈なこト。デスガ、まだまだ甘いデスネエ。力量差を考えまショ」
聖属性の魔力を流し込むより先に、足を掬われ地面に押し倒される。
聖属性の魔力は素肌か魔力を通してしか流し込めない。黒手袋を嵌めた手で両手首を握り込まれてしまえば、成す術もなかった。
「闇魔法を暴かれたお返しデス。アナタの心を暴いてあげましょうカ」
赤目が私を覗き込む。魔属性は人の心を操ることができる。聖属性で抵抗しようとしたが、ぶっ続けで魔法紋を書いた無茶が祟ったのか一瞬だけ反応が遅れた。
「……ラ!」
ロイの声が遠くに聞こえる。やめて。やめて、暴かないで。
あの女のことを思い出させないで。
「ネーベル! いい加減にしろ!」
レーゲンさんの怒声に、男がぴたりと静止した。同時に負荷がなくなり、一斉に汗が吹き出す。
心臓の音がうるさい。身動きできずに呆然としていると、顔を真っ赤にしたレーゲンさんが私から男を引き離した。
「相変わらずお優しいデスネ。だから逃げたんデスカ。ご自分の役目も放り出しテ」
「うるせぇな。いいからロイとポチの魔法も解け。これ以上サーラに触れたら、八つ裂きにされるぞ」
「オオ、怖。お嬢サンを守る騎士サマたちでしたカ。これは失礼」
男――ネーベルはロイとポチを解放すると、胸に手を当てて慇懃無礼に頭を下げた。
「申し遅れましタ。ワタシ、レーゲンの元同僚のネーベル・トートと申しまス。教団では少々物騒な職についておりましテ……詳しくはお聞きにならない方がいいかト」
「……レーゲンさんを連れ戻しに来たってこと?」
「イエイエ、ワタシは単なる有給中デス。ここにハ、たまたま立ち寄っただケ。たダ、逃げた同僚が呑気にお医者サンしているのに腹が立ちましてネ。ちょーっと嫌がらせしてみましタ」
「冗談がお好きなようね」
ロイに肩を借りて立ち上がり、ネーベルに杖を突きつける。二人と一匹から睨みつけられても、ネーベルは平然な顔だ。こんな修羅場には慣れているのだろう。
「ひどいですネ。ワタシはこの領地の救世主デスヨ」
芝居がかった仕草でローブの袂から手紙を取り出し、ひらひらと振る。
「あの子爵令嬢が持っていたものデス。わざと首飾りを盗ませて辺境伯に言いがかりをつケ、領地の評判を落とせト、そう書いてありますネエ。差出人は令嬢が心を寄せる伯爵サマ。証拠を残すなんて間抜けと言いますカ、平和ボケしてると言いますカ、実に戦場を知らないお貴族様らしイ」
「あなたの仕込みなんじゃないの。そういうお仕事なんでしょう?」
「疑り深いお嬢サンダ。ワタシは別に構いませんヨ。首飾り共々燃やしてしまってモ」
「だから、やめろって! 信じられねぇとは思うが、受け取ってやってくれ。この件に関しては、こいつの言ってることが確かだ」
レーゲンさんにそこまで言われたら仕方ない。軽い足取りで近寄ってきたネーベルから手紙と首飾りを渋々受け取る。
「……ちょっと、手を離しなさいよ」
「この領地の警備は甘いデスネエ。守って差し上げましょうカ? お給料は相場通りでいいデスヨ」
「お断りよ。どんな事情があっても、盗みを働いて人を誘拐する奴はいらない」
「そう言うと思っていましタ。黒髪黒目はみんな頑固者ばかリ。嫌になっちゃいますネ」
ネーベルは紺色の瞳を細めると、手紙から手を離して踵を返した。
「ネーベル……」
「すみませんでしたネ。久しぶりにお会いしテ、はしゃいでしまいましタ。教団には内緒にしておきまショウ。アナタのやりたいことヲ、思うままにやればいいデス」
レーゲンさんが「悪ぃ……」と呟き、ネーベルが「いつものことでショ」と返す。それだけで二人の関係が深いものだとわかる。
正直、ネーベルは碌でもない人間だと思うが、レーゲンさんに向ける感情だけは本物の気がした。
「デハ、皆サン、さようなラ。本物の泥棒は診療所のベッドに縛り付けておきましたかラ、あとで回収してくださいネ」
言い終わると同時に、ネーベルの体がふっとかき消えた。
屋根の上から、カタ、と微かな音がする。生命魔法で筋力を増強して跳躍したのだろう。ロイが忌々しそうに舌打ちをする。
「俺、あいつ嫌いだ」
「奇遇ね。私もよ」
「すまん、俺のせいで二人を巻き込んじまって」
「詳しい話はあとでシエルにして。とりあえず、首飾りを持っていかないと……あーっ!」
突然声を上げた私に、ロイがビクッと肩を揺らした。
「どうした、サーラ。大丈夫か」
「あいつのこと、ぶん殴るの忘れた……!」
癖が強すぎるシャドーピープル、ネーベル登場です。
このまま大人しく引き下がるかと思いきや……?




