26話 フードイベント開催です!(食べ過ぎにはご用心)
「パール、暑くない? 大丈夫?」
七月の上旬。すっかり夏になった日差しを浴びながら、スライム牧場に日よけの布を張る。
元々は別館の裏手にあったが、領内がようやく都市の形を成してきたので、領民の皆様を驚かせないために郊外に移設したのだ。
とはいえ、徒歩で十分ぐらいしか離れていない。背後からは賑やかな声が聞こえてくる。
何しろ、今日は待ちに待ったフードイベントの日。なけなしのお金を払って新聞に広告を載せてもらったおかげで、土魔法で築かれた市壁の中は今まで見たこともない人であふれていた。
「盛況なのはいいけど、人が多いわね……。それに暑い……」
「そうか? まだまだこれからだろ」
「あなたは火属性持ちだもの……。私は氷属性持ちだから夏に弱いのよ。聖属性の方が強いから、氷属性だけの人に比べたらマシかもしれないけど」
属性持ちのデメリットは相反する属性に弱くなることだ。ロイも闇属性持ちなので、光の魔素が増える夏の時期は日差しが辛いはずだが、元々の体力が違うのか、まだ平気らしい。
「……影になろうか?」
こちらが答える前に肩をくっつけてくる。気遣いは嬉しいが、ロイは体温が高いので余計に暑い。さりげなく離れるとロイは残念そうな顔をした。なんでよ。
「そろそろスライムの蒸発対策も考えないとね。せっかく育てたのに死んじゃったら嫌だもの」
「すごく増えたよな。元いたやつに比べて色艶もいい気がする」
「わかる⁉︎ 最初は生ゴミを食べさせてたんだけど、最近はポチと同じご飯をあげてるのよ。やっぱりスライムも美味しいものを食べた方が栄養が取れるんだわ」
鼻息を荒くする私に、ロイが吹き出した。彼が肩を震わせて笑うのは珍しいことだ。そんなに変なことを言っただろうか。スライムについて語っただけなのに。
「何よ。そんなにおかしい?」
「いや、楽しそうでよかったと思って。サーラは嫌だと思ってても言わないだろ」
思わず喉が詰まる。「そんなことないわよ……」とごにょごにょ言う私に、ロイが話を続ける。
「どう進化させていくのか決めてるのか? サーラの力で順調に魔力も増えてるんだよな」
そうなのだ。毎日コツコツと少量の魔力を与え続けた結果、そろそろ聖属性を帯びる頃合いになってきた。成体になるまで今の魔力量を維持できれば、おそらく乳白色の核を形成するはずだ。
「予定通り樹脂スライム化してもらうつもり。パールは……悩んでるけど、このまま力を与え続けて聖属性化させてみようかなって。樹脂スライムにすると、出荷しなきゃいけなくなるし……」
柵の中でぴょんぴょんと跳ねるパールを見てため息をつく。スライムに愛着を持つのも変な話かもしれないが、こうして懐かれると無碍にもできない。私は牧場主失格である。
「まあ、一匹ぐらいペットにしたっていいんじゃないか。スライムってそう寿命長くないだろ。最後まで責任持って育ててやれば」
最後か。果たしてパールを失ったとき、人間らしい感情を抱けるのだろうか。実の親に人でなしと罵られた私が。
「……私に育てる資格なんてあるのかな」
ぽろりとこぼした言葉に、ロイが驚いた顔をする。私もだ。まさか人前でこんな弱音を吐くとは。
「ご、ごめん、今のなし。変なこと言っちゃった」
「……サーラはパールを殺したいと思うか?」
「いや、思わないわよ。そもそも死なせないために日よけ張ってるんだし」
「じゃあ、大丈夫だ。俺の母親は俺を殺そうとしたからな」
え?
思わず絶句する私に、ロイは微笑むと踵を返した。
「そろそろ行こう。腹減った。人混みは嫌だけど、屋台は堪能しないと損だろ」
背筋良くまっすぐに歩く姿はいつもと変わらない。小走りで追いかけて肩を並べる。自分より高い位置にある顔を見上げ、さっきの言葉の意味を尋ねようとしたが――どうしても言葉が出てこなかった。
「サーラ様! どこにいらっしゃいましたの? ずっと探してましたのよ」
市壁の中に戻ると、両脇にミミとアルマさんを連れたコリンナが駆け寄ってきた。
頭にはお面、右手にはリンゴ飴、左手には焼きそば。めちゃくちゃ満喫している。ミミもアルマさんにビーズのブレスレットを買ってもらったみたいでご満悦だ。
「サーラ様が考案した屋台、どれも大盛況ですわよ。特にタコ焼きは行列が途切れずに、黒猫夫婦が喜びの悲鳴を上げていましたわ。アマルディの丸くないタコ焼きも人気みたいです。屋台を回ってスタンプを集めると、景品がもらえるのもよかったと思いますわ。おかげで双方に客が流れますもの」
ベタ褒めである。元の世界の記憶を掘り起こして企画したものだが、楽しんでもらえているようでよかった。
「シエルは? 今、どこにいるの?」
「ポチとハリス様と一緒に屋台を見ていますわ。レーゲン様はビール片手にどこかに行ってしまいました」
「え? ハリスさん、自分のところの屋台はいいの?」
「ここぞとばかりにルクセン民に商品を売り込んでいますのよ。シエル様のそばにいれば貴族が挨拶に来ますからね」
ハリスさんらしい。苦笑する私の肩を叩き、ロイが人混みの奥を指差す。向こうにシエルがいるのだろう。
「俺がシエルのそばについてるから、サーラは屋台を回ってくればいい。あとで合流しよう」
「あっ、ロイ」
言うだけ言ってさっさと歩いて行く。こちらも相変わらずだ。
女ばっかりだから逃げたのか、それとも……いや、考えるのはやめよう。いずれ話してくれるときがくるだろう。私もロイに話していないことが山ほどある。お互い様だ。
気を取り直してコリンナたちに向かい合おうとしたとき、背中に何かがぶつかった。
「オット、失礼」
「あっ、こちらこそごめんなさい」
頭を下げた男はレーゲンさんよりも背が高く、夏だというのに真っ黒なローブと黒い革手袋を身につけていた。
目深に被ったフードの下から覗く顔には闇がまとわりついている。デュラハンに似ているが、髪も目鼻も口もある。多量の闇の魔素を取り込んだヒト種から生まれ、全身の皮膚を可視化した闇の魔力が覆う種族――シャドーピープルだ。
「あの……?」
男は私の顔をじっと見下ろしている。どうしよう、怒らせたかも。
「見事な黒髪黒目デス。アナタ、聖女サマみたいデスネ」
金属を擦り合わせたような不思議な訛り声で囁き、男はチェシャ猫みたいに笑って去って行った。
「大丈夫ですか、サーラ様。女性の顔をじろじろと眺めるなんて、失礼な方ですわね!」
コリンナがご立腹している横で、私は両腕をさすった。宵闇のような紺色の瞳に目を覗き込まれた瞬間、心の中まで覗き込まれた気がしてゾワっとしたのだ。
とはいえ、そんなこと言えるはずもないので、努めて明るい声を出す。
「大丈夫よ。みんな、どこ回ったの? おすすめある?」
「山ほどありますわ! 順番に行きましょう!」
コリンナに連れられて、ハリスさんが敷設してくれた石畳の上を歩く。ここは市内を東西に貫くメイン通り……に発展していく予定の場所だ。
グランディール市内は一日あれば余裕で見て回れるほど小さい。西に完成したばかりの大門、北に建設中の領主館、東に渡し船の事務所、南に領主館別館が達ち、その間の等間隔に区分けした土地に店や住居がぽつぽつと並んでいる。
いずれ……そう、いずれもっと人も店も増えて、今とは比べものにならないほど大きな街になるはずだ。
「サーラ様? 具合でもお悪いの? さっき、ぶつかったからでしょうか」
「ううん。ちょっと感慨に浸ってた。最初は何もなかったグランディールに、こんなに人が集まったのは、みんなのおかげよ。これからもシエルを支えてあげてね」
コリンナたちが顔を見合わせる。
「サーラ様もですわよ。まだまだ開拓は始まったばかりですもの。見てくださいな。組合の一つもありませんのよ! せめて銀行とエルネア教団が支店を出させてくださいと頭を下げに来るまでは満足してはいけませんわ!」
「そうですよ、サーラさん。エルネア教団はともかく、銀行は……。彼らはお金がないと見ると、途端に冷たくなりますからね。もし将来、甘い話を持ってきても信用してはいけませんよ」
手厳しい。そしてアルマさんは銀行に恨みを持っているとわかった。商家出身だから色々見聞きしているのだろう。
「私は難しいことはよくわからないですけど、もっと頑張ります! 立派な女中になるって、アルマさんと約束しましたから!」
ガッツポーズを見せるミミに笑みがこぼれる。
そうだ。まだ開拓は終わっていない。先のことは考えずにいよう。
それから私たちは屋台を回って色々なもの食べた。お好み焼き、チョコバナナ、かき氷……。こんなにイベントを楽しんだのは初めてだった。一緒に回る人もいなかったし、いつも人混みに負けていたから。
最初は真っ青だった空も、徐々に薄ピンク色に染まってきた。
フードイベントは日没まで続く予定だ。夏は日が長い。このままゆるゆると日が暮れていくんだろうな、と思ったときだった。
「ない! ないわ! どうしてくれるのよ!」
建設中の領主館の辺りで金切声が上がった。
ロイの暗い過去が垣間見えていますね。最初は更地だったグランディールも少しずつ賑やかになってきました。
とはいえ、またトラブルの気配です。




