23話 聖女様と呼ばないで(面倒ごとに巻き込まれたくない)
玄関を開けるのはいつだって怖い。真鍮のドアノブに手をかけ、深呼吸をする。
昨日目覚めたばかりだが、体はもうなんともない。三日も寝ていたとは思えない健康ぶりだ。
筋肉が衰えないように、レーゲンさんが生命魔法をかけてくれたおかげらしい。元の世界にもこの力があれば、リハビリは随分と楽になるだろうに。
「どうしたの、サーラ。クラーケンのところに行くんでしょ。ドア開けないの」
「いや、外に出るの四日振りだから。なんか怖いなあって」
「大丈夫だよ。別にとって食いやしないから」
私の後ろには準備万端のシエルとロイ。仕事の手を止めて見送りに来てくれたミミ。みんな私がドアを開けるのを待っている。
仕方ない。私が行かなければクラーケンを貫いた氷は溶けない。聖属性の魔力を組み込んだ魔法は他属性を弾くからだ。
「……よし、行くか」
気合を入れ、玄関のドアを開く。
最初に感じたのは眩しい日差しだった。クラーケン出現の影響で周囲の魔素が乱れているのか、水の季節とは思えないほどの青空が広がっている。
そして、外に足を踏み出した私を待っていたのは、安堵の表情を浮かべた領民たちと、クラーケン討伐に参加していた魔法学校生たちの羨望の眼差しだった。
「ロステムさんだ!」
「クラーケン退治の英雄だ!」
子供はどこの世界も遠慮がない。口々に私を褒め称えながら駆け寄って来る。こちとら青春時代なんてとうに忘れた大人だ。その勢いに圧倒されてしまう。
「ち、違うから。たまたま、人より魔力が多かっただけだから」
「謙遜はやめてください。魔法学校の先生たちも驚いていましたよ。あれだけの魔法を扱えるヒト種は百人に一人もいないって」
「どこで魔法を学んだんですか? あんな強い魔属性を浄化できるなんて、もしかして聖女様なんじゃ……」
「そうだ! グランディールの聖女様だ!」
あ、これ、まずいやつだ。
一気に脈拍が早くなる。子供たちの目があの女の目に重なる。このままだと崇拝の対象にされてしまう。カミサマ扱いなんて真っ平ごめんだ。この騒ぎがエルネア教団の耳に届いても困る。
「やめて、やめてよ。私、聖女なんかじゃ……」
「はい、そこまで」
シエルが私と子供たちの間に割り込んで両手を広げた。
「それ、やめてって言ったよね。君たちもラスタ国民なら、エルネア教団がどんなに厄介かってわかるでしょ。サーラは聖女じゃない。僕の護衛だ。くだらない噂を広めるつもりなら、これ以上の協力はしないよ」
同世代とはいえ、他国の領主にここまで言われて反論できる子供はいない。「すみません」「ごめんなさい」と囁き声が返ってきたのを機に、シエルは周囲の領民たちを一人一人見渡して声を張り上げた。
「領民のみんなもわかるよね。サーラは人より魔力がほんの少し多いだけ。過度な期待はしないで。誰かに何か聞かれたら、クラーケンを倒せたのはみんなで力を合わせたからだって、そう答えてね」
あちこちで了承の声が上がる。それに満足した様子で頷き、シエルが私を促した。
「じゃあ、行こうか。コリンナが首を長くして待ってるよ」
「ありがとうシエル。私、上手く対応できなくて……」
「言ったでしょ。これが僕の仕事なんだよ。サーラは後ろでドンと構えててくれればいいから」
ポチの荷台に乗り込み、一路北を目指す。後ろに流れていく景色を見ているうちに、ざわついていた気持ちも落ち着いてきた。
さっきはシエルのおかげでなんとかなったけど、これからはもっと気をつけないと。大きすぎる力は良くないものを連れて来てしまうから。
「お待ちしておりましたわ、シエル様! サーラ様!」
河岸でコリンナが大きく手を振った。その目にさっきの子たちみたいな盲目的な色はない。私を神格化しない分別はあるようだ。
彼女が乗ってきたらしい馬の横にポチを停め、荷台から降りて河岸に近づく。クラーケン討伐のために作った堤防と物見櫓は跡形もなくなっていた。魔法学校の生徒たちが片付けてくれたそうだ。
「先日は本当にありがとうございました。グランディールのおかげでアマルディは救われました。リッカ公に代わりましてお礼申し上げます」
ああ、この子賢い子なんだわ。シエルに頭を下げるコリンナを見てそう思った。
個人ではなく、グランディールに感謝を示すことで、シエルを立てると同時に私の存在を隠してくれている。
これで私はただのグランディール側の戦力。書面の上での数字の一。サーラ・ロステムがクラーケンを倒したとは公式の記憶に残らないだろう。
「サーラ様、お体はもう本当によろしいのですか?」
「うん。大丈夫。グランディールには天才医師がいるからね。コリンナはよく知ってると思うけど」
「嫌ですわ。もうお止めくださいませ」
あえて冗談めいた口調で言うと、コリンナは恥ずかしそうに頬に両手を当てた。
なんだ、この子可愛いな。物見櫓の上で勇ましく鬨の声を上げていたとは思えない。
「病み上がりで申し訳ありませんが、この氷を溶かしていただきたくて……。このままでは船の運行に支障が出るものですから」
「わかってる。ごめんね、遅くなっちゃって」
大河の中には氷柱に貫かれたクラーケンが無惨な姿を晒している。我ながらえぐいことをした。
ところどころ魔法をぶつけた跡があるのは、なんとか溶かそうと試みた結果だろう。少なくともアマルディ側には私を超える魔力の持ち主はいないようだ。
「うーん。一気に溶かすと河の水嵩が増しちゃうから、砕いて周囲に散らすか。――ちょっとだけ寒くなるけど、ごめん」
コリンナたちに断りを入れ、クラーケンの周囲に設置された足場を渡って氷に触れる。そこを起点として蜘蛛の巣状に細かなヒビが走り、瞬く間にダイヤモンドダストの如く砕け散った。
同時に風魔法でクラーケンを浮かせて、あらかじめ河岸に広げてあった布の上に下ろす。わかっていたけど、めちゃくちゃでかい。
シエルとコリンナが興味深げにクラーケンを眺める横で、ロイが子供みたいに地面にしゃがみ込んで匂いを嗅いだ。
「……四日目だけど、腐った匂いしないな」
「凍ってるからね。氷柱は砕いたけど、本体はまだ溶かしてないの。コリンナ、これどうするの?」
「まず魔石の有無を調べますわ。額の三本線の奥に魔力嚢があるので、切り開いていただいてよろしいでしょうか」
「オッケー」
魔力嚢とは魔物が持つ、魔力を溜めておくための器官だ。魔物によっては角や鱗だったりするが、大抵は体内に存在する。
クラーケンの頭部を解凍して風魔法で切り開くと、中から赤ちゃんの拳大の水の魔石が二つ出てきた。
魔石は魔力が凝縮したもの。つまり、元の世界でいう電池だ。これだけあれば、しばらく水魔法は使い放題だろう。売り捌いてお金に変えても、一家四人が一年はゆうに暮らせるだけの金額になる。
「……もちろん山分けだよね?」
目の色を変えたシエルにコリンナが笑う。
「二つとも差し上げますわ。水の魔石なら、南の討伐隊が持ち帰るはずですから。わたくしが確認したかったのは、魔属性の魔石なのです」
「魔属性の魔石? 魔属性の力の元は精神力でしょ。魔力でもないのに魔石ができるかな」
「わたくしは魔属性や聖属性の力の元も魔素だと思っておりますの。精神魔法と言いますけれど、あまりにも力の質が属性魔法と似通っていると思いませんこと?」
「君は面白いこと考えるね。魔素だったら、確かに画期的だけどさ」
魔法使い同士が盛り上がっている。微笑ましいけど、あとにしてほしい。ロイも話についていけてないし。
それに……こんな開けた場所でこれ以上コリンナに話を続けさせたくない。万が一誰かの耳に入ると面倒なことに巻き込まれる可能性がある。
「あのさ。とりあえずクラーケンを処理しちゃおうよ。さっき市内に居た魔法学校の子達、コリンナの帰りを待ってるんじゃないの?」
「あ、そうだね。ごめん、サーラ。ロイの闇魔法で持って帰るから、とりあえず細切れにしちゃって。――これもうちが全部貰っていいんだよね?」
「はい。二体も市場に出回ると飽和してしまいますもの。商会に卸す場合はルクセン国内だけに留めていただければ。こちらもルクセンには流さないようにいたしますわ」
確かにそうだ。お言葉に甘えてクラーケンをぶつ切りにしていく。だんだん鮮魚店で売っているタコの形に近づいてきた。思わずごくりと喉を鳴らす私の隣で、タコを闇魔法に放り込んでいたロイがぼそりと呟く。
「……生はダメだからな」
「わ、わかってるわよ。ちゃんと火を通せばいいんでしょ」
「サーラは無茶するから信用できない。食べるときはそばで見てる」
「あのね。私、ロイより歳上なのよ。子供じゃないんだから……」
不毛な会話を続ける私たちの後ろで、シエルがコリンナに尋ねる。
「ラスタは魔物も食べるんだよね? ルクセンには魔物食の文化がないから、これを機に広めたいと思ってるんだ。料理人とも相談するけど、初めての人が抵抗なく食べられそうな料理知らない?」
「あら、それなら唐揚げが一番ですわよ。老若男女に人気ですもの。そのまま食べても美味しいですけど、アマルディ名産のレモンをかければ更に美味しくいただけますわ。よろしければ融通いたしましょうか」
「それもいいんだけど、揚げ物は油を大量に使うよね。できれば原価を抑えて利益を出したいんだよ。形ももっとクラーケンだとわからなくしたい」
また駄々っ子みたいなことを言い出した。利益が出て、形が魔物だとわかりにくくて、みんなが興味を惹きそうなタコ料理……。
「ねぇ、シエル。私にいい考えがあるんだけど」
タコが食材になりました!
次回、サーラのいい考えとは……?
ほのぼの回です。




