21話 でかいタコから領地を守れ(ゲームみたいにはいかないのよ!)
現場は一瞬にして騒然となった。
クラーケンは全長百メートルを超す魔物だ。魔力量も相当だし、足を一本振り回しただけで壊滅的なダメージを生む。特にアマルディは大河の中に浮かぶ小島だ。このままぶつかればタダでは済まない。
「みんな落ち着いて! クラーケンは水の魔物だ。大河から離れれば攻撃はされない。君、クラーケンはどのくらいの位置にいるの? 速さはどれくらい?」
地上に下りてきた鳥人にシエルが問う。鳥人はショック状態からまだ抜け出せてないようだったが、それでも必死に説明してくれた。
「北に二十キロで、速さは人間の足ぐらいか……。じゃあ、まだ時間はある。すぐに避難を始めるんだ。土魔法使いは僕と一緒に堤防を築いて。鳥人たちはアマルディとリッカに伝えて市民の避難を。グランディールはアマルディの避難民を受け入れる!」
目的を与えられると人は強い。シエルの号令の下、その場にいた面々が自分の成すべきことのために動き始める。私も他の魔法紋師と協力しながら、河岸にどんどん魔法紋を書いていく。時間を置くとすぐに雨で流れてしまうので、土魔法使いとコンビになって堤防を築き上げていく。
私はシエルとコンビだ。ロイがいない分まで、私がシエルを守らなくては。
「ロイはルビィ村に着いたかな」
「そうだね。ピグたち、大人しく避難してくれるといいけど……。田植えをしたばかりだからなあ。残って田んぼを守るって言いかねないよ」
クラーケンが近づくにつれて大河の水嵩はますます増していくだろう。ルビィ村にも土魔法使いはいるとはいえ、少数でできることには限りがある。今こうして堤防を築いていても、大河の氾濫に耐えられるかどうかは賭けだ。
「クラーケンって南の海に出たやつでしょ? なんで北から来るの? 二匹いたってこと?」
「かもね。最初の咆哮は南から聞こえた。仲間を呼んだのかもしれないよ。討伐隊が南に向かったはずだから」
「その通りですわ」
雨音に負けず凛とした声に、魔法紋を書く手を止める。
背後に立っていたのは、黒いローブをまとった魔法学校生の少女だった。風に靡く亜麻色の三つ編み。黒縁の大きなメガネ。その下のチョコレート色の瞳には見覚えがある。アマルディでレーゲンさんを吹っ飛ばした女の子だ。
「先日はお世話になりましたわね。お礼が遅れまして申し訳ありません。あなたったら、黙って立ち去ってしまうのですもの」
「サーラの知り合い?」
「知り合いっていうか……。話したでしょ。ストーカーに魔法紋くっつけられてた子」
「あー、あの子か。レーゲン先生にビンタかました子」
得心したように頷くシエルに、女の子は頬を赤らめてごほんと咳払いした。
「その件につきましては、レーゲン様に謝罪済みですわ。シエル・グランディール様。あなたのお力をお貸しくださいませ」
「では、改めましてご挨拶を。わたくし、リッカ第三公女様の侍女を務めております、魔法学校生のコリンナ・オーベルジュと申します。気軽にコリンナとお呼びくださいませ」
渡し船の業者の受付テントの下で、コリンナちゃんが上品に頭を下げる。
彼女の前に置かれた机を囲むのは、私とシエル。そして、ルビィ村から戻ってきたロイだ。
案の定ピグさんたちが田んぼを守ると言い出したので、伝令を終えて応援に駆けつけた鳥人にあとを任せてきたらしい。堤防はコリンナちゃんが引き連れてきた魔法学校生たちが対応してくれている。
「ええと……。コリンナちゃん」
「コリンナと。歳上には敬意を払うよう躾けられておりますので」
「じゃあ、コリンナ。さっき、力を貸してって言ったわよね。クラーケンを討伐するってこと?」
「はい。このままではアマルディは壊滅してしまいます。グランディールとて、大きな被害は免れませんわ。ですので……」
細くて綺麗な指が机の上の地図をなぞる。そこはアマルディから二キロほど離れた地点で、他よりも少し川幅が狭くなっていた。
「ここに金属製の防護網を張り、雷魔法でクラーケンを仕留めます。水属性は雷属性に弱いですから」
「ああ。そのための土台を作りたいんだね。構わないよ。この件について、グランディールは全面的にラスタに協力する。国の垣根は気にせずに好きにやって。僕も領地を守りたい」
「ありがとうございます。本来ならばリッカ公が出向くべきなのですが、南の討伐隊に参加しているものですから……。公女様も市民の避難誘導でアマルディを離れられないのです」
「……事情はわかったけど、なんでラスタ側の責任者があんたなんだ。主要な戦力は南に取られてるとはいえ、もっと他にいるだろ」
珍しくロイが口を挟んだ。私も同じことを思っていたので黙って頷く。
「わたくしは公女様に全権を委譲されております。侍女とはいえ、わたくしはリッカ家の血を引くもの。公女様の乳姉妹ですので」
つまり分家の子なのだろう。同じぐらいの歳の子を側近につけるのはよくある話だ。
シエルに目を向けると、彼は小さく頷いた。信じよう、ということだろう。雇用主が了承しているなら、これ以上言うことはない。
「すぐに現場に向かおう。もう一度確認するけど、北の個体は南の個体の仲間なんだね? 他に仲間がいる可能性は?」
「額に同じ三本線の模様が確認できました。南の個体は北の個体の同種――おそらく子供です。魔物学の教師の話では、幼体の頃に北の海から南の海に渡ってそのまま成長したんだろうと。クラーケンはその体の大きさ故に、一つのテリトリーに一匹までしか生息できません。北の個体を倒せばひとまず安心だと思いますわ」
つまりママに助けを求めたわけか。迷惑な話である。
とはいえ、やることは一つだ。ポチは市内の守りに残し、有志の職人や魔法使いと共に、アマルディから駆けつけたハリスさんの魔物便に乗り込んで北に向かう。
現場は物々しい雰囲気に包まれていた。ルクセン国民、ラスタ国民の区別なく入り乱れて急ピッチで迎撃態勢を整える。
物見櫓の建設にはナクトくんが、金属網の連結にはクリフさんが活躍してくれた。さすが建築と金属加工の専門家たち。あっという間に前線基地さながらの光景が出来上がっていく。
「もうすぐ来ますわよ! みなさん、位置についてくださいませ!」
コリンナの号令の下、散らばった仲間たちが私の張った聖属性の結界の中に入った。今日は大雨。水を伝って感電する危険があるからだ。
私とシエルとロイはコリンナと同じ物見櫓の上にいる。対岸のリッカ側には、雷属性の魔法学校生たちが待機しているはずだ。
眼下には荒れ狂う大河とバレーボールのネットみたいな金属網が広がっている。足の一本でも触れれば、クラーケンはそのままお陀仏だ。
「来やしたぜ! クラーケンだ!」
空を飛んでいた鳥人が風魔法で拡声し、周囲に状況を伝える。
すぐに地響きと水を掻き分ける音が近づいてきた。大河を泳ぐのは間違いなくクラーケンだ。激しく上がる飛沫で見えづらいが、額に三本線がある。
「迎撃準備! 構え!」
鬨の声と共に、コリンナが杖を網に向かって構えた。彼女も雷属性の持ち主らしい。クラーケンはこちらの意図を解することなくまっすぐに突き進み、そのまま金属製の網に体をぶつけた。
「撃て!」
コリンナの号令一下、眼下に激しい雷光が閃いた。これだけの凄まじい魔法には滅多にお目にかかれないだろう。雷魔法の直撃を受けたクラーケンはがっくりと首を垂れ――そして、けたたましい咆哮を上げた。
「どうしてですの……? 雷属性は弱点のはずじゃ……」
眼下のクラーケンは傷一つついていない。怒り心頭な様子で咆哮を上げる様に、周囲に動揺が広がっていく。そのとき、クラーケンがこちらをギョロリと睨んだ。蛇みたいな縦長の瞳孔を彩るのは――血のような赤だ。
「魔属性だ! 魔属性に取り憑かれてるぞ!」
周囲から悲鳴が上がった。魔属性は他属性を飲み込んで己の力にしてしまう。つまり、どれだけ魔法を放っても無駄ということだ。
金属の網が功を奏したのか、クラーケンは前に進めずにもがいている。だがいずれ、破壊して下流を目指すだろう。
「聖属性の魔法使いはいないか⁉︎」
「エルネア教団の司祭は⁉︎」
「居たとしてもあんなデカブツに敵うわけねぇだろ! それこそ塔の聖女様じゃなきゃ……!」
「あれだけ大きいと刃も通らねぇぞ! どうすんだ!」
悲鳴と怒号が渦巻いている。コリンナはもう真っ青だ。物見櫓の縁を掴み、瘧にかかったように震えている。
「……まさか、魔属性だなんて。ラスタには聖属性持ちはほとんど……」
コリンナが縋るような目で私を見た。あの女の顔が脳裏に過ぎる。やめて。ダメよその目は。
断ったら、また私を罵るの?
「……シエル、私」
「ダメだ。たとえ君が聖属性でも、あんなのに敵うわけない。槍一つで風車に挑むようなものだよ。ここは諦めて避難するべきだ」
「でも」
「雇用主の言うことが聞けないの? 僕には従業員を守る義務があるんだよ。こんなところでサーラを失うわけにはいかない。――君もわかってくれるよね、コリンナ」
反論を許さない口調にコリンナが小さく頷く。本当は助けてと叫びたいだろうに、必死に我慢しているのだ。私は移民とはいえルクセン国民で、グランディール領主の従業員。無理を通せば国際問題に発展してしまう。
「ロイ。君が一番先に下りて。ここから避難するようにみんなに伝えるんだ。パニックを起こさないように、冷静にね」
頷いたロイが、飛び下りる勢いでハシゴを下りていく。シエルの落ち着いた様子に、コリンナも自分がすべきことを思い出したようだ。風魔法で対岸の魔法学校生に迎撃の失敗を伝えている。
このまま避難すれば、少なくともみんなの命だけは守られるだろう。
でも、私は見てしまった。ロイを見送ったシエルが唇を噛みしめるのを。指先が真っ白になるまで拳を握りしめるのを。
そうだ。悔しいのはシエルだって同じなんだ。せっかく荊の先の道が見えてきたところなんだもの。
「ほら、どうしたのサーラ。次は君だよ。滑るから気をつけて下り――」
「ごめん、シエル」
長杖をシエルに向かって振り下ろす。人を気絶させるのは初めてだが、上手くいったようだ。
「シエル様⁉︎」
目を見開いたコリンナが、くずおれるシエルを咄嗟に抱きとめる。
感謝してよね。そんな美人に介抱してもらえるなんて役得よ。
「これでクビね。短い護衛人生だったわ」
「サーラ! 何やってんだ!」
ハシゴを駆け上ってきたロイに腕を掴まれる。もう戻ってきたのか。さすが獣人の血を引いているだけある。
「あいつは私が倒す。この中で聖属性なのは私だけよ。浄化と同時に氷魔法で貫くわ」
「無茶だ! シエルも言ってただろ! あんなデカブツ、いくらサーラが……」
ロイはそこで言葉を飲み込んだ。私が本気で言っているとわかったのだろう。「……絶対に死ぬなよ」と腕を離して唇を噛む。その目は今にも泣き出しそうに歪んでいた。
「今までもらったお給料分は働かなきゃね」
長杖をロイに預けて、誕生日にもらったヘアゴムで髪を一つに括る。今はこれが私の唯一のお守りだ。
「サーラ、杖……」
「いいの。持ってて。今は必要ないわ」
ロイが首を傾げる。杖がないのにどうやって魔法を使うのかと思っているのだろう。説明はしない。どうせすぐにわかるから。
少しでも魔力を節約するため、近くを飛んでいた鳥人に運んでもらってクラーケンの頭上に出る。見れば見るほどタコだ。さぞかし山盛りの食材が取れるだろう。
「姐さん、本当にいいんですかい」
「いいのよ。やっちゃって。もし死んじゃっても恨まないわ」
合図と同時に、鳥人が私の体から鉤爪を離す。胃がひっくり返りそうな浮遊感と共に、タコの頭が近づいてくる。
私は杖がないと魔法の成功率が低い。それは魔力が強すぎて上手く制御できないからだ。
「覚悟しなさい、クソダコ! わさび醤油で美味しく食べてやるわ!」
タコの頭に右手が触れる。その瞬間、周囲に激しい光が迸った。
コリンナ登場。
この世界のクラーケンには様々な模様があります。同じ模様は家族の証です。
次回、ちょっとサーラのトラウマに触れます。




