19話 クラーケンはタコの味(わさび醤油が恋しい)
「サーラさん!」
「大丈夫よ、ミミ。私に任せて!」
結界を張っているので露天風呂の中には入れない。その隙に風魔法を放とうとした――が、結界をすり抜けてお湯に飛び込んだのを見て、相手が魔物でないことに気づいた。
大河との温度差に驚いたのか、ぴーぴーと可愛らしい声を上げてもがく何かを掬い上げる。大きさはスライムのパールと同じくらい。メンダコのような見た目で、綿毛みたいなふわふわの白い毛が生えていた。
「あら、満月クラゲですね。タコみたいですけど、れっきとしたクラゲの仲間です。毛を剃って食べるとコリコリして美味しいですよ」
「え? これ、クラゲなの? あと、食べられるの?」
「ルクセンでは召し上がりませんよね。ラスタでは珍味なんです。普段は南の海にいるんですけど、最近クラーケンが出たらしいので、逃げて来たんでしょうね。満月クラゲは海水でも淡水でも生きられますから」
うーん、異世界って感じ。満月クラゲを大河に戻してやりながら、アルマさんに続きを促す。
「クラーケンってでっかいタコの魔物だよね。いつまでも居座ってると、漁に出られないんじゃないの?」
「ええ。だから近々、魔法学校の教師とリッカ公の私兵団が討伐に行くそうです。無事に倒せたら、アマルディにも食材が回ってくると思いますよ。普通のタコより大味ですけど、唐揚げにするとなかなかいけます」
「へえー、いいなあ。生では食べないの? 味がタコなら、わさび醤油で食べても美味しいと思うんだけどな」
「通ですね。でも、魔物の生食は当たると怖いですよ。茹でクラーケンの酢味噌和えはどうです? ラスタでは定番の居酒屋メニューで……」
わいわいと話す私たちに、ミミが目を丸くしている。大人だけで盛り上がりすぎたかもしれない。反省反省。
「ラスタって魔物も食べるんですか?」
「食べるわよ。戦争で焼け野原を経験しているからね。食べられるものは何でも食べるの」
穏やかな口調だが、内容には重みがあった。思うところがあったのか、ミミが神妙な顔をする。
モルガン戦争から五十年。見事な復興を遂げたラスタは、今では立派な食料輸出国だ。シエルが関税を吊り上げたのも、ラスタの食料品の価格がルクセンの二分の一だからだ。
空に昇る満月を見上げる。どの世界にも歩んで来た歴史がある。そんなことを考えていると、不意に目の前がぐるりと回った。
「サーラさん!」
アルマさんとミミの悲鳴が聞こえる。のぼせてしまったと気づいたときには、二人の顔が闇の中に溶けていくところだった。
「まだ眩暈はするか? 吐き気は?」
「ない……。仕事増やしてごめん……」
「アルマたちがいたからいいものの、気をつけろよ。まだ精霊界にゃ行きたくねぇだろ?」
濡らしたタオルを額に乗せ、「水をしっかり飲めよ」と言い残してレーゲンさんは寝室を出て行った。ここは元村長の家で、現ピグさんの家だ。初めて来たときにはなかった掛け布団も今はちゃんとある。
「ロイもごめんね。あとは一人で大丈夫だから、シエルのところに戻ってくれていいわよ。護衛でしょ」
「ポチがいるから大丈夫。シエルもサーラを看てろって言ってた」
ベッド脇の丸椅子に座ったロイが水の入ったコップを差し出す。そのまま麦わらストローで飲ませてくれる紳士っぷりだ。好きな女にしか優しくしないと言っていたが、仲間は別らしい。
「運んでくれてありがとう。重かったでしょ」
「ポチより重くない。あー……でも」
そこで言葉を切り、ロイはバツが悪そうに頭を掻いた。
「見てごめん」
「言わないで……」
両手で顔を隠す。アルマさんたちの悲鳴を聞いたロイが駆けつけるのと、倒れた弾みで私のバスタオルが外れるのが同時だったそうだ。アルマさんがすぐに隠してくれたものの、ばっちり見られてしまったらしい。
「アルマさんたちにも悪いことしちゃった。……二人の体は見てないよね?」
「見てない。あのときはサーラしか目に入らなかった。でも、ナクトには怒られた。次、同じことをしたら金槌で殴りますよって」
「ナクトくんはアルマさん至上主義だからね……」
ふう、とため息をつく私の頬をロイが撫でる。
「まだ熱い」
「田植えで疲れたかな。いつもなら、あんなにすぐのぼせないんだけど」
「気疲れしたんじゃないか。たくさんの人に囲まれるの、苦手だろ。俺もちょっと疲れた」
おや、ロイが自分の気持ちを吐露するなんて珍しい。出会って約一ヶ月。常に何か喋っているシエルとは違い、彼と交わした言葉はそんなに多くない。ふと気づいたらそばにいて、黙々と何かしているのが常だった。
ロイと二人でいるときは、私も基本無言でいる。不思議と居心地がいいのは、同じコミュ障だからかもしれない。
「じゃあ、ゆっくりしていって。外でお誕生日会の準備してくれてるんでしょ? お酒が入ったらもっと賑やかになるだろうから、今のうちに気力を回復しておきましょ」
「ん」
頬の手が髪に下りる。絡まった毛を櫛けずるその手つきはやけに優しい。
元の職場ならセクハラ認定しているところだが、不快ではないのでそのままにしておいた。私のことを毛並みの悪いポチ二号ぐらいに思ってるんだろう、きっと。
穏やかな沈黙が続く部屋の中にノックの音が響く。
「開けてもいい?」
シエルだ。立ち上がったロイが寝室のドアを開ける。露天風呂に入ってきたらしい。野良着からいつもの服に着替え、下ろした金髪がしっとりと濡れている。
「もうすぐ誕生日会始められそうなんだけど、体の具合どう? 辛いなら、ここで寝ててもらってもいいよ。食べ物は運んでくるし」
「大丈夫よ、出るわ。せっかく準備してくれたんだもんね。それより、髪の毛そのままじゃ風邪引くわよ。ロイ、杖取って」
「いいよ。倒れたばかりでしょ。今日は乾燥してるし、すぐに乾くって」
「ダメ。シエルが倒れると困るのよ。ご領主様なんだから、もっと体を大切にして」
風魔法でシエルの髪を乾かす。こういうとき魔法は便利だ。だから機械がなかなか発展しないんだろうけど。
「……ありがと。でも、サーラも無茶しないでよ」
「大丈夫よ。私はいくらでも代えが利くから」
シエルが黙り、ロイが少し眉を寄せた。何かいけないことを言ってしまっただろうか。首を傾げると、シエルは小さくため息をついて、「体調管理も仕事のうちでしょ」と言った。確かにそうだ。
「給料減額する?」
「しないよ、そんなこと。あと十五分ぐらいしたら始めるから、着替えたら出てきて。ロイ、引き続き頼むよ」
ロイが頷き、シエルが寝室を出て行く。「これ着て」と足元の紙袋から取り出されたのは、アマルディで買ってもらったレモンイエローのワンピースだった。
「これに着替えるの?」
「誕生日だから」
「ああ、そっか。アルマさんが気を利かせて持ってきてくれたのね」
「うん。あと、これ」
手渡されたのは手のひらサイズの小箱だった。中には金色の飾りボタンがついたヘアゴムが入っていた。
この世界のゴムは天然のゴムの木から作られているからそれなりに高い。その上、ボタンには身体強化の魔法紋が刻んであった。
「あれ? この魔法紋の筆跡ってどこかで……」
「アルマに借りて俺が作った。誕生日のプレゼント。使わないときはブレスレットにしてくれ」
「だから最近鍛冶場にこもってたのね。嬉しいけど、なんで今? こういうのって、お誕生日会の最中に渡すものじゃないの?」
「一番がよかったから」
「? よくわからないけど、ありがとう。着替えたら早速つけるわね」
寝巻きを脱ごうとして、ロイがまだ寝室の中にいることに気づいた。後ろを向いているからいいってもんじゃない。
「ちょっと、いつまでそこにいるの。着替えるんだから出てってよ」
「頼むよって言われたし……。野営中は同じ場所で着替えるだろ?」
「そうだけど、今は野営中じゃないでしょ。いくら好きな人以外は興味ないって言っても、最低限の礼儀は守ってよね」
何度も言い聞かせて、ようやくロイは寝室を出て行った。ちょっと不服そうなのはなんでだ。
手早く着替え、乱れたベッドを整えたあと、杖を持って寝室を出る。ロイは扉の脇で壁にもたれて待っていた。まるで忠犬みたいに。
「居間で待っててくれてよかったのに」
「心配だから」
「要介護のおばあちゃんじゃないんだから……。でも、ありがと。このヘアゴムも気に入ったわ。似合う?」
「うん」
ロイが嬉しそうに目を細める。優しくされるのは慣れない。くすぐったさを感じつつ玄関を開けると、予想よりも多くの人が集まっていた。
村のあちこちには篝火が焚かれ、中心部の井戸の周りには美味しそうな料理が載ったテーブルがいくつも並んでいる。その合間を縫って大量のお酒を運ぶのはミミだ。少しずつ女中が板についてきたようだ。
「シエルどこ? 見当たらないんだけど」
「えっと……。風呂のあとで匂いが消えてるからわからないな」
近くにいたナクトくんとクリフさんに尋ねても知らないみたいだった。それに気づいたアルマさんが、そばのテーブルにお盆を置いて駆け寄ってくる。
「サーラさん、もう大丈夫なんですか?」
「うん、ありがとうアルマさん。迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんて……」
アルマさんは、きゅ、と唇を噛むと、私とロイをシエルのところまで連れて行ってくれた。
シエルは村の外れで田んぼの様子を眺めていた。そばにはパールを頭に乗せたポチと、お目付け役のレーゲンさん。そして、露天風呂に入るときにはいなかったハリスさんがいた。渡し船の業者から誕生日会の話を聞きつけて、食料と酒を運んできてくれたらしい。
「あれ、早かったね。まだ五分しか経ってないよ」
「着替えるのに、そんなにかからないわよ。黙って行方不明にならないでよね。護衛の立場がないじゃない」
「ごめんごめん。ちょっと物思いに耽ってたんだ。歴代の領主も、この光景見てたのかなあって」
エメラルドみたいな瞳に、一面に広がる水田が映っている。きっと彼の目には、豊かに実る黄金色の稲穂が見えているのだろう。満月の光に照らされた水田は、それ自体が宝石のように輝いていた。
「今日は領地としての一歩を踏み出した記念すべき日だよ。サーラの誕生日と重なるなんて僥倖だね」
「どうしてよ。私の誕生日、関係ある?」
「いつかここを離れても、忘れないでいてくれるでしょ。ずっと」
思わずどきりとした。そういえば開拓が済んだら、いつでも自由に契約解除できるんだっけ。
すっかり忘れていた自分に驚きつつ、「まだ開拓始まったばかりでしょ」と返す。シエルは口元を緩めると、隣に立つ私に顔を向けた。
「そうだね。これからも手伝ってくれる?」
「三食昼寝付きは譲らないけどね」
シエルが大きく肩を揺らした。その顔に浮かんでいるのは、少年らしい、あどけない笑みだった。
ラスタは魔物に忌避感が強い国ですが、それ以上に食に貪欲なので魔物も食べます。ご飯は正義。クリフは鍛冶場にこもっていましたが、ナクトに連れて来られました。
次回、開拓が始まって以来の大きな事件が勃発します。




