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18話 念願のスローライフです!(田植えって楽しい)

 五月も下旬に入り、夏の気配が徐々に濃くなってきた。雲ひとつない空の下で、シエルが声を張りあげる。


「みんな準備はいい? これから田植えを始めるよ。焦らなくていいから、確実に植えていってね」


 口々に返事をしたルビィ村の村人たちが、苗箱を抱えて田んぼの中に散っていく。


 彼らはプロなので他に細かい指示は必要ない。少しばかり増えた新顔には、ピグさんがついて懇切丁寧にサポートしてくれる。


 私にもミミがついて、手取り足取り教えてもらうことになっている。


 十二歳に介助されるとは大人の面目丸潰れだが、ど素人なので甘えるしかない。ロイはシエルの手伝いで田植えを経験したことがあるそうで、特に戸惑いもなく田んぼに入っていく。


「サーラさん、私の手を取ってゆっくり入ってきてくださいね、ゆっくり」

「うわわわわ……。ゾワッゾワする。なんだろ、この感覚」


 野良着を着たミミに手を引かれて田んぼに入る。田植え靴という膝まである長靴越しでも粘着質な感触が伝わってきて、剥き出しの両腕に鳥肌が立った。


 ぬかるみって、めちゃくちゃ歩きにくい。ぎこちなく足を動かすたびにズボンに泥が跳ねるが、今日は私もアルマさんお手製の野良着を着ているので、汚れは気にしなくていい。


「頑張れよー」


 畦道の上で、裏返した木箱に座ったレーゲンさんが右手を振る。


 彼が領民になって約二十日。グランディールの長閑な暮らしに慣れていくにつれて、騎士様風の偉丈夫からボサボサ髪の無精髭おじさんに戻ってしまった。白衣を着ていなければ、正直医者とはわからない。


 馬車の事故の一件で一気にみんなの心を掴んだらしく、今や領民たちから「先生、先生」と呼ばれて慕われている。


 私も少しずつ彼に慣れてきた。彼は確かに陽キャだが、私みたいな陰キャに合わせて光を抑えてくれるタイプの陽キャだったからだ。

 

 彼の隣では、パールと名付けた半透明のスライムが自分をアピールするように跳ねている。


 レーゲンさんに傷を治してもらった個体ではない。親指サイズの幼体から育てたスライムのうち、一番私に懐いた個体だ。まだ両手に乗るぐらいのサイズだが、ライスが収穫できる頃には成体になっているだろう。


「パールったら可愛い。サーラさんを応援してるのかな? スライムって人に懐くんですね」

「私もびっくりよ。パールだけじゃなくて、他のスライムも言うこと聞いたからね。魔法紋師で食いっぱぐれても、スライム使いとしてやっていけるかもしれないわ」

 

 パールの周りには見事(グラス)スライムに成長した苔色のスライムたちが餌を求めて彷徨っている。


 草スライムは、その名の通り草を餌にするスライムだ。ちゃんと雑草だけを食べるように躾けたので、苗には食指を伸ばさない。このまま村に残して、草取り要員として役立ててもらう予定である。


「た、田んぼって歩くだけで体力消耗するわね」

「慣れたら早く動けるようになりますよ。もうちょっとなんで頑張ってください!」

 

 田植え靴が脱げそうになりながらも、なんとか開始位置に着く。


 田んぼには予め三十センチ角ぐらいの線が引いてあった。この線と線が交わるところに一本ずつ植えていくのだ。


 親指、人差し指、中指で挟むように苗を持ち、浅く、しっかりと植える。ミミ曰く、置いてあげるだけで立つらしいが、初めてなので力加減がわからない。


 それでもミミの適切なサポートのおかげで、徐々にコツが掴めてきた。田んぼに苗が増えるごとに、植えるスピードも早くなっていく。


 とはいえ、他の田んぼはもっと早い。隣の田んぼでは、シエルがものすごい手際で苗を植えていた。さすがライス好き。領主じゃなくて、実は農民なんじゃないだろうか。

 

「ねえ、シエル。もし苗が余ったらどうすればいいの?」

「水路につけておいて。あとでバケツに植えて持って帰るよ」

「ライスってバケツでもできるんだ……」


 知らないことばっかりだ。そのまま黙々と苗を植えていき、全ての田んぼに水が行き渡る頃には完全に体力を使い果たしていた。畦道にぐったりと座り込み、茜色に染まり始めた空を見上げる。


 全身泥だらけだし、足腰は痛いし、汗は凄いしで酷い有様だが、嫌な疲れ方ではなかった。これぞ、やりたかったスローライフ。達成感が半端ない。


「頑張りましたね、サーラさん。はい、お水です!」

「ありがとう。ミミ先生のおかげよ」


 コップを受け取り、一息に水を飲み干す。周りには同じく喉を鳴らして水を飲む村人たちがいる。みんな満足げな顔だ。


 収穫まで約四ヶ月。ライス糠を撒いたり、成長に合わせて水を引いたり足したり、色々と世話は必要だが、村人たちに任せておけば大丈夫だろう。もし何かあっても、すぐにポチで駆けつけられる距離にある。

 

「初めての田植えはどうでした?」

「楽しかった! 私には向いてないと思ってたけど、結構夢中になるわね。土の匂いも、草の匂いも、こんなに濃いとは思わなかったわ。歳だからって怯まず、なんでもやってみるもんね」

「やだなあ、サーラさんったら。そんなおばあちゃんみたいなこと言って。まだお若いでしょ?」

「そんなことないよ。だって私、もう二十……あっ」


 咄嗟に口を押さえる。今日が誕生日だと思い出してしまったからだ。この世界にも誕生日の概念はある。うっかり言ってしまっては、気を遣わせてしまうだろう。


「? どうしたんです?」

「なんでもない。大したことじゃないの」

「嘘です! 気になるんで言ってください!」


 世の中の汚れなど何も知らないような目で見つめられて、誰が突っぱねられようか。「みんなには内緒よ」と前置きした上で、長い耳にこそっと囁いた。


「えっ? 今日が誕生日?」

「ちょっ……声大きいって!」


 案の定、近くにいた村人たちが「なになに、誕生日?」「サーラさん、何歳になったの?」とわらわら集まってきた。その様子に気づいたシエルとレーゲンさんが、狼狽える私に満面の笑みを向けてくる。


「バレちゃったね、サーラ」

「観念して大人しく祝われとけよ。二十七歳おめでとう」

「二人とも知ってたの?」

「そりゃそうでしょ。僕、雇用主だよ。レーゲン先生だって産業医じゃん。自分で書類に記入したの忘れたの?」


 そういえばそうだった。ほんの一ヶ月前の話なのに、すっかり忘れていた。


「実はお祝いしようと思って、前から準備してたんだよ。せっかくだから盛大にやろっか。ロイー!」

「えっ、ちょっと待って。いいわよ、そんな」


 慌てて制止するも、もう遅い。少し離れたところでポチと遊んでいたロイが、「何?」と首を傾げながら歩いてくる。


 直後、背後から飛び出したポチに、彼は珍しく焦った様子で右手を伸ばした。

  

「こら、ポチ! みんな避けてくれ!」


 遊んでもらえると思ったらしい。嬉しそうに駆け寄るポチから、みんな脱兎の如く逃げていく。私も続こうとしたが、田植えの疲労が残っていたので立ち上がれなかった。


「ちょ、ちょっと待ってポチ! あー!」


 自分より大きな体を受け止められるはずもなく、私は背中から田んぼに落ちた。






「災難でしたね、サーラさん。はい、これ着替えです。このカゴの中に入れておきますね」

「ありがとう……」


 全身泥だらけの状態で、アルマさんに頭を下げる。彼女は誕生日会の呼びかけに応じてルビィ村まで来てくれたうちの一人だ。


 篝火に照らされた脱衣所の中には、シエルが木魔法で作った簀子(すのこ)と籐のカゴが三つ並んでいる。汚れた服はあとで洗うとして、とりあえず体を綺麗にしたい。


 風除けに張った布を捲ると、そこはもう外だ。虫の声の他は大河のせせらぎしか聞こえない。


 黒々とした水面の上には湯気がもうもうと漂っている。大河の一部を石で囲ってお湯に変えているからだ。


「すごーい! 本当にお風呂ができてる!」

 

 体にバスタオルを巻いたミミが川縁に向かって駆けていく。満月のおかげで周囲は殊の外明るく、灯りがなくとも足元は十分見えた。注意して歩けば、サンダルでもこける心配はなさそうだ。


「エスティラ大河を露天風呂にするなんて贅沢ですよね。私とミミも入って本当にいいんですか?」

「もちろん。広めに作ったから三人でも余裕よ。対岸からは見えないし、魔物が近づいて来ないように結界を張ってるから安心して入ってね。少し離れたところで、ロイも見張りしてくれてるし」


 ポチを止められなかった責任を感じたらしい。ミミのあとに続いて、私とアルマさんも体にバスタオルを巻いて大河に近づく。


「うわあ、あったかい……! 川の中なのに不思議……」

「火の魔法紋を刻んだ石を沈めてるの。熱いから踏まないように気をつけてね」


 大河と露天風呂の境目辺りを指差すと、ミミは囲いから離れて私とアルマさんの間に身を落ち着けた。素直で大変よろしい。目を細めたアルマさんが、泥で汚れたミミの顔を拭ってあげている。


 落とした泥は即座に囲いの外へ流す魔法紋を書いているので、水面の汚染は気にしなくていい。手にした長杖を水底に突き刺し、髪と顔を洗う。


 ものすごくじゃりじゃりだ。村の浴室を借りていたら、排水溝を詰まらせるところだった。温度もちょうどいいし、あとで男性陣にも入ってもらおう。


「サーラさん、お風呂にも杖持って入るんですか?」


 真っ白な体毛を取り戻したミミが、不思議そうに杖を眺める。

 

「魔法使いは魔法を使えないと詰むからね。普段も杖を持って入るわよ。早く杖なしでも使えるようになりたいんだけど、なかなか上手くいかないのよね、これが」

「杖ありだとダメなんですか? 魔法使いといえば杖のイメージなんですけど」

「使えるけどあえて杖を持つのと、杖がないと上手く使えないのとでは全く違うのよ」


 大抵は二、三年修行すれば杖なしでも初級程度の魔法は使えるようになるらしい。異世界人だからコツが掴みづらいのか、それとも杖に――ルビィに依存しているのか。


 わからないが、これからもこの世界で生きていくのなら、いずれ使えるようにならなければ。私を弟子にしてくれたルビィのためにも。


「まあ、成功率が低いってだけで、周囲の影響を無視すれば杖なしでも使えないこともないから――」


 言葉を遮るように囲いの外で音がした。魚……じゃない。丸い何かが水面を跳ねながらこちらに近づいてくる。


「二人とも、下がって!」


 咄嗟に立ち上がり、闇の中を見据えたまま杖に手を掛けた。

田植えのやり方は色々ありますが、ルビィ村では一本ずつ植えます。

次回、どきどきハプニングがあります。

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