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17話 交通事故には気をつけよう(命は大事に)

 レーゲンさんがやって来て五日。ついに臨時の診療所が完成した。職人たちの頑張りのおかげで建物自体はすぐにできたのだが、内装を整えるのに時間がかかったのだ。


 大きさはシエルの執務室と同じくらい。併設場所は私たちの個室の左側だ。外に面した玄関とは別に、別館内のレーゲンさんの個室からも出入りできるようにしたので、夜間の患者にも対応できる。


 素朴な木造りの玄関には『レーゲン・ヴァルト臨時診療所』とミミが文字の練習で書いた味のある看板が掛かっている。


 扉を開けて中に入ると、新築のいい匂いがした。あくまでも臨時なので待合所はないが、その分診察室を広くしてある。


 右手側には診療用のベッド、椅子、カルテ台が載った机があって、左手側にはよくわからない医療器具が詰め込まれた棚が並んでいる。部屋の奥に引いたカーテンの向こうには入院用のベッドが二台置かれていた。


「これが俺の診療所……!」

「大病院とまではいきませんけど、申請された医療道具もあらかた揃えましたよ。これから新しく増やす分については、ある程度までは補助金を出しますのでサーラと相談してください」


 さらっと仕事を増やされてしまったが、やると言ったからには仕方がない。グランディール領に慣れるまでのお世話係はミミが引き受けてくれたので、それだけでも楽だ。


 最初の印象からして、レーゲンさんは私と対極にいる陽キャ。一緒にいるだけでエネルギーを消耗していく。


「すっげぇ至れり尽くせりで嬉しいけどよ。運営資金は大丈夫か?」

「今のところは。その代わり、領民たちの健康診断お願いしますね。領主館の従業員が増えたら、そっちの健康診断もお願いするつもりなので」


 一点の曇りもない笑みで言い放つシエルに、レーゲンさんが引き攣った笑みを浮かべた。開拓途中とはいえ、ルビィ村だけでも三十人はいる。種族も様々だから、診る方は大変だろう。


「まあ、いいさ。自分の城を手に入れるために教団を飛び出したんだからな。これからバリバリ働くぜ!」


 レーゲンさんの背中に熱く燃える炎が見える。それが消火されるのは、ほんの三日後のことだった。





 

「暇だな……」

「患者を前にして言うこと? あれだけ気合い入れてたのは何だったのよ」

「仕方ねぇだろ。お前ら医者が引くぐらい元気だし、健康診断も終わっちまってやることねぇんだから。それに患者っつったってスライムじゃねぇか。それもちょっと木の枝が掠った程度。そんなもん放っておいても一日あれば完治するわ」 

「いいじゃない。研究に付き合ってよ。スライムにも生命魔法が効くかどうか知りたいの」

「あんた、そんなに押しが強い女だったか? アマルディではもっとあっさりしてただろ」

 

 いつになく強気な私に、レーゲンさんは嫌そうにため息をついた。


 私の膝の上には半透明のスライム。養殖用に残していたうちの一体で、大きさは頭より一回り小さいぐらい。成体に近づいて、そろそろ核を作り始めるかな? という頃だ。


 スライムの飼育を始めるにあたり、私はまずアリステラの探索者組合に手紙を送った。血吸い(ブラッディ)スライムの使役者がいたからだ。


 スライムは長いルクセンの歴史の中でも、ただの雑魚として扱われてきた。


 故に研究もほとんど進んでおらず、スライム使いたちは随分と肩身の狭い思いをしていたらしい。だから、スライムについて尋ねた私に、使役者は便箋十枚にも及ぶ飼育方法を教えてくれた。


 簡単にまとめるとこうだ。


 一、スライムに雌雄はない。一匹いれば分裂で増えていくから個体数の管理はしっかりと。

 

 二、大勢の仲間といるか、狭いところに押し込めておくと分裂は止まるが、その代わり他の個体とくっついてビッグスライム化する。ゆとりを持って飼おう。

 

 三、分裂したばかりのスライムは親指の先か親指ぐらいのサイズで、徐々に大きくなっていく。人頭大が成体の目安。

 

 四、スライムの幼体には核がなく、とにかくなんでも食べる。餌と水を切らさないこと。

 

 五、成体間際に集中して食べたもので核を作り、成体になったあとはそればかりを食べるようになる。

 

 六、成長には個体差がある。幼体期は四ヶ月から六ヶ月程度で、分裂を二、三回繰り返すと寿命を迎える。

 

 七、怒らせると酸を吐くが、躾ければ吐かないようになる。育成は根気が大事。

 

 八、最近、自力で核を作れる個体から樹脂が取れると聞いた。もし進化したら教えて。

 

 九、乾燥厳禁。夏場は暑すぎると蒸発するから注意。かといって、水に浸けておいても融解する。

 

 十、可愛がってあげてね。

 

 愛が重い。でも、育ててるうちに気持ちがわかってきた。

 

 樹脂が取れるということで脚光を浴び始めているが、できるならそれに先んじて結果を出したい。それは給料アップのためでもあるけれど……一言で言うとハマってしまったのだ。育成ゲームみたいで。


「ええと、誰だ。ロイ……だっけ。黒髪の兄ちゃんに頼めよ。生命魔法使えるんだろ?」

「ロイは微調整できないからダメ。力が強すぎてスライムが自壊しちゃうの」

「まさかロイもそんなことでダメ出し食らうとは思ってねぇだろうな……」


 もう一度深くため息をつき、レーゲンさんはスライムに手を伸ばした。木の枝でできた切り傷が一瞬で塞がる。心なしか、色艶も良くなった気がする。


「どうだ? これでいいか?」

「うん、ありがとう。生命魔法効くんだ……。属性魔法だと初級でも死んじゃうのに」

「スライムも人間もほぼ水だからな。生命魔法と相性いいんだろ」


 首を傾げる私に、レーゲンさんは心持ちゆっくりした口調で言葉を続けた。

 

「魔力は火薬みたいなもんだ。火をつけて一気に爆発させる。生命力は水。流して染み渡らせる。そんなイメージなんだよ。だから水属性の奴に生命魔法使える奴が多いだろ。あとは若い奴な。たぶん血の流れがいいからだと思うぜ」


 思わず感嘆の息が漏れる。ルビィは生命魔法を使えなかったので、ここまで詳しくは教えてもらえなかった。ちょっとレーゲンさんを尊敬する気持ちが湧いてきたかもしれない。

 

「魔力のイメージがわかるってことは、レーゲンさんも属性魔法が使えるの?」

「いや、知り合いが言ってたのを覚えてただけだ。俺は生命魔法特化型のお医者さんなんだよ。腕は今見ただろ? だから宣伝しといてくれ。些細な怪我でも、お悩み相談でもいいから、もっと気軽に診療所に入ってきてくれって」


 切実である。お医者様とてお商売。患者が居なければ経営は成り立たない。了承して治療費を払おうとしたが、「ゆっくりしてけよ」と引き止められた。こっちは仕事山積みなんだけど……。


「スライムの健康管理もいいけどな。あんたは?」

「え?」

「夜はよく眠れるか?」


 一瞬だけ言葉に詰まった。とても疲れていたり、嫌なことがあったりすると悪夢を見る。カミサマに縋り付く女の悪夢を。


「……眠れるわよ。朝までぐっすり。シエルがどんどん仕事増やしてくれるからね」


 いつもと同じ口調を保てたと、思う。レーゲンさんは私の目をじっと見つめていたが、やがて「ははっ」と口の端を上げた。


「あのご領主様は本当にしたたかだよ。まあ、気になることがあれば遠慮せずに言いな。そのために俺がいるんだからな」

「心掛けるわ。……でも、なんでそんなに気にかけてくれるの」

「俺は良心的なお医者様だから、あんたみたいに自分を蔑ろにするタイプは放っておけねぇのよ」


 そんなの初めて言われた。むしろ今まで「自分のことしか考えてないのか」と罵られてきたけど。

 

「何言ってるの? そんなことないわよ。私はいつだって自分が一番大事だもの」

「なら、いいけどな。そう言う奴に限って人を庇って死ぬんだぜ」

 

 ムッと頬を膨らませた私を尻目に、レーゲンさんは机に向かってカルテを書き出した。こっそり伺うと、患者名のところに『スライム(半透明)』と書いてあった。この人、スライムのカルテ書いてる……。


 きっとルクセン史上初めてだろうな。そう思ったとき、外で激しい衝突音がして悲鳴が上がった。


「何? 事故?」


 私が立ち上がるよりも早く、レーゲンさんが扉の脇に置いていた医療鞄を持って外に飛び出して行く。


 早くも集まってきた野次馬たちの中心で、幌がひしゃげた馬車が二台停まっていた。


 片方はアマルディ、もう片方は他領から来た馬車だろう。馬は全頭大丈夫そうだが、御者が一人御者台から転げ落ちたらしく、地面に仰向けに倒れている。


 鼻から血を流したヒト種の中年男性だ。レーゲンさんは近くに立つシエルと相手方の獣人の御者に状況を聞きながら、男に覆い被さるようにして容体を確認していた。


「どうしたの、シエル」

「すれ違う途中で、こっちの……西から来た馬車が急に向きを変えて幌同士が衝突したんだ。地面に倒れてるのが、ぶつけた方の御者。――先生、この方の容体は?」

「左腕と左足が折れてる。きっと左から落ちたんだな。――なあ、ぶつかる直前、何か変わったことなかったか?」


 レーゲンさんに問われた獣人の御者が、脱いだ帽子を胸の前で握りしめて答えた。

 

「頭を押さえているように見えました。あれ? と思ったら急にぶつかってきて……」


 まさか脳卒中? この世界にはまだMRIやCTはない。治療魔法で怪我を治すには、患部を修復するイメージを具体的に描かなくてはならない。だから、目視できない内臓疾患系の死亡率は元の世界よりも高いのだ。


 シエルの表情が険しくなり、周囲の野次馬からも嘆息が漏れた。しかし、レーゲンさんは一人冷静な表情を崩さないまま、目を閉じて倒れた男の額に手を当てた。


「……あれ? 俺、何して……」


 ゆっくりと目を開いた男が呆けた様子で周囲を見渡す。


 爆発的な歓声がその場に上がった。シエルも珍しく目を剥いてレーゲンさんを凝視している。もちろん私もだ。


「おっちゃん。この指、何本に見える?」

「二本……って、いってええ!」


 体を起こそうとした男が左腕を押さえて叫ぶ。

 

「そりゃ、折れてるからな。治療魔法は生命力を消費する。全部治すとあんたの体が持たねぇから、頭だけ治したんだ。――ロイ! ナクト! 担架でおっちゃんを診療所に運んでくれ。そっとだぞ」

 

 野次馬の整理をしていたロイとナクトくんが、建築現場から持ってきた担架で男を運んでいく。医療鞄を手に歩き出したレーゲンさんの横に並び、頭ひとつ分高い位置にある顔を見上げた。

 

「見えないのに、どうやって治したの?」

「生命力を相手の体に流し込むと、絵を写しとるみたいに中の状態が読めるんだよ。どこが折れてるとか、どこが出血してるとかな。今回は脳に出血が認められたから、そこを治した」


 は? 簡単に言うけど、それって神技レベルの話なんじゃ……。


 口をあんぐりと開けて立ち止まる。肩越しに振り返ったレーゲンさんがウインクした。

 

「言っただろ? 俺は天才医師だってな!」

レーゲン活躍回でした。

次回、ようやくスローライフっぽいことをします。

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