16話 嵐は続けてやってくる(いつになったらスローライフできるんだろ?)
「……てなわけで、勝手に話を進めてごめん。お礼は私のお給料から出すから」
頭を下げると、シエルは「大変だったねえ」とため息をついてポチから体を起こした。
「いいよ。職務上のことだもん。僕が出す」
「え? でも、今日って有休扱いでしょ? 私を息抜きさせるためにアルマさんに頼んでくれたのよね?」
「違うよ。ああ言わないと、アルマさん遠慮しそうだったからさ」
胡散臭い笑顔。きっと嘘だ。いや、半分は本当なのもかもしれないが、私が気にしないように言ってくれているのだろう。
「ありがとうね、シエル。私、頑張って働くから」
「本当? じゃあ、また書類仕事手伝ってくれる? 事務員雇うの、ちょっと難航しそうでさあ。事務方は都会志向だから、こんな辺境までなかなか来てくれないんだよね」
前言撤回。余計なこと言わなきゃよかった。でも、口に出した手前頷くしかない。少しだけ給料に色をつけてくれるそうなので、まあよしとするか。
「それにしても、そんなに生命魔法に長けている医者がいたなんてね。そういう人は、大抵エルネア教団に囲い込まれてるもんだけど。……カミサマに嫌われたって言ってたんだっけ?」
頷くと、シエルは「ふうん」と呟いて顎を撫でた。
「逆に好都合だったかもね。ここにはまだエルネア教団は来てないし」
「ひょっとして、レーゲンさんを領民に勧誘するつもり?」
「それは実際に会ってから判断するよ。お人好しなら、お礼を貰いに来ないかもしれないしね」
まあ、そうだ。「任せるわ」と言う私に、シエルが頬を緩める。
「そのワンピース、よく似合ってるよ。綺麗なお姉さんって感じ」
「お世辞はいいわよ。でも、嬉しいわ。一応領収証はもらってきたけど、本当に経費で落としていいの? 礼服だって……」
「いずれ必要になるものだからね。費用は心配しなくていいよ。ハリスさんがスライムを買い取ってくれることになったんだ。核から樹脂が取れるらしくて、今後も増えた分は定期的に買い取ってくれるって」
「えっ、嘘でしょ。まさか、あのスライムにそんな価値があるなんて……」
詳しく聞くと、次のことがわかった。
スライムは餌として取り込んだもので核を作るが、中には自力で核を作る個体がある。
それは通常の個体よりも魔力が強く、大きく成長した個体で、その個体が残した乳白色の核を調べた結果、樹脂に似た性質を持つと判明したという。
試しに塗料を作ってみると、天然ものと遜色ないものができたそうだ。
加工方法により他にも色々なものが作れそうだというので、おそらく合成樹脂の性質も持っているのだろう。このまま研究が進めば、いつかプラスチックやビニールができるかもしれない。作り方を知らないので口出しできないけど。
「そういえば、柵の中に閉じ込めてた個体に乳白色の核を持ったのがいた気がするけど……なんでだろ? 別に変わった餌はあげてないわよ」
「僕、思うんだけどさ。サーラの聖属性の力でスライムたちの魔力が増幅されたんじゃない? 属性は帯びないけど、核は作れる程度に」
「えっ、どうしてそう思うの?」
「人も魔物も死ぬと体から魔力が抜けるよね。魔物素材って魔力が抜けないように加工するじゃん。その加工液ってエルネア教団の独占販売品だけど、あれ、聖属性化したスライムから作ってるんじゃないのかな。聖属性には他属性を弾く効果があるでしょ。結界もその原理だし」
つまり、聖属性で表面を覆うことで他属性の魔力を閉じ込めているということか。
通常の魔物と違って、スライムが魔石を作れないのはその脆弱さにある。属性を帯びるには閾値まで魔力を溜める必要があるのだが、取り込む魔素量が多いと体が自壊してしまうのだ。
燃費が良く、魔属性以外には攻撃力皆無の聖属性なら、少量の魔素でじわじわと魔力を溜めて属性を持たせるのは可能かもしれない。エルネア教団は聖属性の力の元が魔素だと知っているはずだし。
「じゃあ、聖属性化する手前まで魔力を高めれば、樹脂スライムに進化するってこと?」
「たぶんね。あのスライムたち、養殖用に何匹か残してあるから、試しに育ててみてよ。飼育手当はつけるからさ。エルネア教団に睨まれるから加工液は作れないけど、売れば定期収入になるし、懐けば農業にも使えると思うんだよね。雑草取りとかさ」
私がアマルディで青春を楽しんでいるうちに、スライムの活用法まで考えてたらしい。この若い領主には本当に頭が上がらない。
「わかった。できるだけやってみる。飼育結果は都度報告するわね」
「うん。あと、昨日の今日だけど、店を出したいって商人と移住希望者が何人か来たよ。ワーグナー商会との取引が引き金になったみたいだね」
「あら、よかったわね。グランディール領が都市になる日も早いんじゃないの?」
「そうなって欲しいけどねえ。急激な発展は周囲の領地との軋轢を生むから、ぼちぼちいくよ」
シエルが頭を掻いたとき、鍛冶場から出てきたロイが「おかえり」と近づいてきた。顔に煤がついている。クリフさんの手伝いをしていたらしい。
「……なんか、いつもと格好が違うな」
「どう? アルマさんが選んでくれたのよ」
調子に乗ってその場で一回転すると、ロイは「いいと思うよ。その色」とだけ言って、また鍛冶場に戻って行った。
「ちょっと、感想は色だけなの?」
別に褒めてもらいたかったわけじゃないが、もう少し何か欲しかった。思わず唇を尖らせた瞬間、建築現場の方で歓声が上がった。
ハリスさんと職人たちの前で、ナクトくんがアルマさんを抱きしめてデレッデレしている。ミミは羨ましそうだ。
「あ、そうか。ラスタには恋人の色を身につける風習があったよね。アルマさんのワンピース、ナクトくんの瞳の色だ」
「そうだねえ。ルクセンでは廃れたけど、身につけると未だに喜ぶ人は多いよ。特に男はそうなんじゃない?」
「へえ、そういうものなの?」
私にはよくわからない感覚だ。首を傾げると、何故かシエルは苦笑いを浮かべた。
アマルディの騒ぎから三日後、レーゲンさんが領主館別館を訪ねてきた。どこで調達したのか、あのくたびれた姿とは打って変わって小綺麗になっている。
侍女を助けたお礼に公女様から一式融通してもらったらしい。単なるお人好しではなかったようだ。
髪の毛をオールバックに整えて無精髭を剃り、胸を張って歩くレーゲンさんはどこぞの騎士様みたいだった。
上背があるし、体格も良くて男っぽい顔つきをしているので、黙っていれば女性にモテるだろう。身なりが良くなると、どことなく上品に見えるから不思議だ。
「先日はサーラを助けていただきましてありがとうございました。雇用主としてお礼を申し上げます」
「いえ、先に助けられたのはこちらですから。まさか辺境伯の護衛の方とは思わず、失礼いたしました」
私とロイが並んで見守る中、ソファで頭を下げるシエルに、対面に座ったレーゲンさんが慌てて右手を振る。
考えてみれば一回り以上も歳が離れている二人だ。見た目だけだと、どっちが領主かわからなくなる。
「……あいつ、医者だって本当か?」
「そうみたい。出生証明書はないけど、ちゃんと医師免許持ってたし」
医者は国家資格なので、免許が組合証代わりになる。レーゲンさんに聞こえないよう囁き声で返すと、ロイは小さく鼻を鳴らした。
そうは見えないと言いたいのかもしれない。首を傾げながらも、「まあ、消毒液の匂いはするしな……」とぶつぶつ呟いているので、納得しようとはしているみたいだ。
「それで、その……。サーラ嬢が仰っていたお礼の件ですが……」
言いにくそうにもじもじするレーゲンさんに、シエルが笑みを漏らす。
「いいですよ。いずれ領立病院を建てるつもりでしたからね。ですが、今は絶賛開拓中ですので、取り急ぎこの別館に併設する臨時診療所で業務を行ってください。診療所の設置はすでに職人たちに依頼済みです。医療道具が一式揃うまでには完成すると思います」
レーゲンさんの目が大きく見開かれた。希望を言う前に全て整えられていたのだから無理もない。正直、聞かされたときは私もびびった。
雇うかどうかは会ってから決めると言っていたのに、他領での評判を聞くうちに確保したくなったらしい。もしレーゲンさんが別のお礼を要求しても、なんとか言いくるめて領民にしたはずだ。
「なんで俺の言いたいことがわかった?」
驚きのあまり素に戻っている。そんなレーゲンさんに、シエルは鷹揚に頷いた。
「予想はついていましたから。カミサマに嫌われたってことは、エルネア教団から追放されたか、嫌気が差して飛び出したかでしょう。エルネア教団が医療を独占している状態を快く思わない人間は一定数いますからね。実家の専属医もよく愚痴ってましたよ」
エルネア教団はルクセンで大きな力を持っている。それは聖女を有しているだけではなく、『扶助』『献身』の教義の名の下に、冠婚葬祭と医療を握っているからだ。
六十年ほど前に当時の聖女様と聖騎士様が教団内部の腐敗を徹底的に浄化したとはいえ、人々の生活に深く食い込んだ部分まで変えることは叶わなかった。
まあ、独占しているとはいえ別に料金をぼったくってるわけでもないし、むしろ腕の保証された医師を抱える国立病院として考えれば悪くない……という意見もあるが、いかんせん小さな村の隅々には施療が行き渡りにくく、教団外の医師はヤブだと不当に扱われることも多いから、自由な市場を阻害しているのも事実だった。
「あんた……噂に聞いてたけど、恐ろしい奴だな。とても十八歳のガキには思えねぇよ」
「それはどうも。褒め言葉として受け取っておきますよ。これからよろしくお願いします。レーゲン先生」
大声で笑いながら、レーゲンさんがシエルと握手する。領民が増えてまたまた賑やかになりそうだ。
それはそうとして、いつになったらスローライフできるんだろう?
仲間が増えました。
知らず知らずのうちに仕事が増えていくサーラです。




