15話 他人の恋愛沙汰に巻き込むな(勝手にやってよ!)
「すみません。すぐに戻ってきますね」
「ううん。ここで最後だし、ゆっくり見てきていいよ」
アルマさんとミミを店の中に送り出し、玄関脇の壁に寄りかかる。足元には街歩きの戦利品を詰め込んだ紙袋が三つ。そばの立て看板には『アマルディ書店』と、そのまんまのネーミングが書いてある。
本は好きなので気になるが、人混みに疲れてしまったので、二人で見てもらうことにしたのだ。護衛としては一緒に入るべきなのだろうが、中にいるのは店主のおじいちゃんエルフだけなので目を瞑った。
空はまだ青さを保っている。日が落ちるまでに戻ればナクトくんも安心だろう。
「それにしても、賑わってるなあ。さすが、中継地点の街」
メイン通りから一本外れていても、ざわめきは衰えていない。そこら辺で立ち話している地元民らしき人間が多いからだろうか。
「いつかグランディールもここまで栄えるといいけど……」
そう呟いた瞬間、体の上に影が落ちた。
「ええと……。どちら様?」
私を見下ろしていたのは、顔を真っ赤にしたヒト種の男の子だった。シエルと同年代かもしれない。
男の子は周りを気にするように視線を巡らすと、何故か緊張した様子で喉をごくりと鳴らした。
「あ、あの、さっきメイン通りのカフェにいた方ですよね? 魔法学校生の女の子に魔法紋がつけられていたのを見抜いた……」
「……さあ? 人違いじゃない?」
「待ってください! 僕、あの場にいたんですけど、あなたに一目惚れして……」
内心「やばい」と思いながら店のドアノブに手をかける。しかし、男の子は右手で私の手を押さえると、それ以上動かせないように力を込めた。
咄嗟に手を振り払って逆側に逃げようとしても、左手で体を囲い込まれて逃げられない。
いらないわよ、こんな壁ドンならぬ扉ドン!
「ごめんね。気持ちは嬉しいけど、私結婚してるの。だから、そこどいてくれる?」
嘘も方便。アルで学んだ成果だ。もしどかないなら実力行使も辞さない。左手の長杖を握りしめたとき、どろりと目を濁らせた男の子が低い声で囁いた。
「うるせぇんだよ、ババア。つべこべ言わずに来いよ」
言い終わるや否や、全身に痺れと痛みが走る。男の子は雷属性の魔法使いだったようだ。
抵抗したくとも、声も体も自由にならない。膝の力が抜けて体が大きく傾ぎ、咄嗟に氷魔法でドアノブを凍らせた。万が一にも店の中に入れてアルマさんたちを危険に晒すわけにはいかない。
「大丈夫ですか? え? 具合が悪いって? 近くの病院にお連れしますね!」
白々しいわね!
大きな声でアピールしつつ、私を肩に担いで連れて行こうとする少年に歯噛みする。
周りは心配そうに見つめるだけで、私が拉致されかかってるとは思っていない。もう一度魔法を使おうとも手に力が入らず、ついに長杖が地面に落ちた。まずいまずいまずい。
そのとき、頭上から聞き覚えのある声がした。
「歳下に袖にされたら、今度は歳上かよ。節操ねぇなあ」
何かが地面に落ちる音がして、耳を塞ぎたくなるような叫び声がした。誰かが少年に攻撃したらしい。同時に体が投げ出されて、雲ひとつない空が見えた。
そのまま地面に叩きつけられるかと思いきや、何か柔らかいものに受け止められる。呆然と見上げた先にいたのは、口の端を吊り上げた黒髪紫目の男だった。
「よう、さっきはどうも。何も言わずに去るなんてつれねぇじゃねぇか。寂しかったぜ」
何か言いたくとも舌が痺れて言葉が出てこない。男は「おっ、すまねぇな」と謝ると、その場に跪いて、私の体を自分の膝の上に乗せた。
お姫様抱っこされていたと気付いたのはそのときだ。右手で上半身を支えながら、左手を私の顔の額に翳す。すると、まるで波が引くようにすうっと痺れが抜けていった。生命魔法で治癒してくれたのだろう。
「どうだ? どこか痺れが残ってたり、痛むところはあるか?」
「だ……いじょうぶ。ありがとう」
男の手を借りてその場に立ち上がる。少しふらつくが、行動に支障はない程度だ。落とした長杖を拾い上げて体の支えにする。
男の後ろ――本屋の前の地面には、白目を剥いて泡を吹いた少年が転がっていた。ようやく異常事態に気づいたのか、周りの人間が「警備隊呼んでこい!」と口々に叫んでいる。
「あんたも災難だったな。こいつ、さっきの女の子に振られた腹いせに魔法紋くっつけたんだとよ。俺と女の子が魔法学校の先生に事情を話している最中に逃げ出しちまって、警備隊と探してたんだ」
やっぱりな、とげんなりする。他人の恋愛沙汰に巻き込まれるなんて不運にも程がある。
大方、魔法紋を見抜いた私を逆恨みしたんだろうが、誘い出すならあんな見え透いたナンパじゃなくて、もっと上手い手を使えばいいのに。
「おかげで助かったけど、お人好しね。見知らぬ人間のためにそこまでするなんて」
「そりゃあ、可愛い女の子のためならな。あの子も感謝してたぜ。ここの第三公女様の侍女だったらしくてよ。あんたにお礼したいって言ってたけど」
「いいわよ、そんなの。それより、こいつをどうやって気絶させたの?」
「屋根から飛び降り様に生命魔法で神経を攻撃したあと、気道を締めて落とした」
だから頭上から声が聞こえたのか。それにしてもえぐい。さぞかし地獄の痛みだっただろう。まあ、自業自得だが。
「サーラさん!」
顔を真っ青にしたアルマさんが店から飛び出してきた。いつの間にかドアノブの氷が溶けている。よく見ると、玄関から顔を出した店主のおじいちゃんが杖を手にしていた。
倒れた少年を見て一瞬で事態を察したのだろう。アルマさんが私に縋り付く。
「大丈夫ですか⁉︎ 怪我は⁉︎」
「だ、大丈夫だよ。この人のおかげで怪我なかったし。それに、私、護衛だからさ。もしどうにかなっちゃっても、二人さえ無事ならそれで……」
「違う! 違うんです。護衛なんて嘘。シエル様に『気晴らしに連れ出してあげて』って言われて、ここに来たんです。なのに、あなたにもしものことがあったら、私……」
「えっ? シエルが?」
そうか。昨日泣いたから……。
胸にじわりと温かいものが広がったが、今はそれどころではない。顔を覆ってへなへなとその場に座り込むアルマさんの肩を抱く。店主のおじいちゃんの後ろから顔を覗かせるミミも心配そうだ。
どうして出会ったばかりの私をこんなに気遣ってくれるんだろう? こういう優しい人に接するたびに自分が嫌になる。お前は心が醜いと突き付けられているようで。
「あんたいい奴なんだな。そこまで自分のために泣いてくれる奴なんて滅多にいねぇぜ」
「違うわよ。アルマさんが優しいからよ。――悪いけど、先に失礼させてもらうわ。警備隊が来たら事情聴取やら何やらで拘束されちゃうでしょ。お礼は改めてするから、私のことは適当に誤魔化しといて。落ち着いたら対岸のグランディール領に来てくれる? 渡し船の業者にサーラ・ロステムと言って貰えばわかるから」
男が「グランディール?」と口にしたが、詳しい説明はせずにアルマさんを立たせてミミを手招きする。助けてもらっておいて不躾かもしれないが、今は早く戻りたかった。
「そうだ。あなたの名前は?」
去り際に問うと、男はにいっと笑って左手を胸に当て、深々とお辞儀を返した。
「俺はレーゲン・ヴァルト。カミサマに嫌われた天才医師さ!」
グランディールに戻ると、アルマさんはいつも通りのアルマさんに戻った。赤くなった目を瞬かせながら、恥ずかしそうに頬に手を当てる。
「すみません、取り乱して……」
「いいよ。こっちこそびっくりさせてごめんね。この商売、ああいうのは日常茶飯事だからさ。そんなに心配しないで。シエルだって承知の上で私を雇ってると思うし」
アルマさんは何か言いたげに口を開いたが、そのまま何も言わずに閉じた。隣を歩くミミも眉を寄せて私を見上げている。
え? なんで、そんな目で見るの?
「あー、おかえりサーラ」
「おかえりなさいませ、お嬢様方。早速お邪魔していますよ!」
金槌が鳴り響く建築現場の近くで、地面に伏せたポチの腹毛に埋もれたシエルが片手を上げる。
隣で同じくポチの毛に埋もれているのはハリスさんだ。会社の人を寄越すと言っていたのに、結局本人が来たらしい。周りにいる部下の人たちは苦い顔をしている。思わず同情する。
「首都に戻らなくていいんですか? お仕事たくさんあるんじゃないの?」
「ははは! こんなに面白そうな話に首を突っ込まないなんて、商人失格でしょう。まあ、私に首はありませんけどな! デュラハンなので!」
小粋なデュラハンジョークにどう返していいのかわからないので、愛想笑いで誤魔化しておく。
「シエル様、お気遣いいただきましてありがとうございました」
前に進み出て、大人びた仕草で頭を下げるミミにシエルが目尻を下げた。
「みんな可愛い服着てるね。楽しかった?」
楽しかった……が、それ以上のことがあり過ぎた。ただ、ここで話していいものかどうか。
ちらりと視線をアルマさんに向けると、ハリスさんがポチの毛から抜け出して勢いよく立ち上がった。
「アルマ嬢! あなたの旦那様の腕、とても素晴らしいですね。よろしければご紹介いただけませんか? 優れた職人は商売の種……おっと、国の宝ですからな! ミミちゃんも、何を買ってきたのかおじさんに見せてくれる? 天下のステラ商会のお嬢様が、どの店のどんな商品を選んだのか気になるからね!」
「その名前を出すのはやめてください。私がここに居ると、お父様に漏らしたら許しませんよ」
「ご安心を! お客様の秘密を守るのは商人の必須技能なので!」
大きな声で笑いながら、ハリスさんがアルマさんとミミを連れてナクトくんのところへ歩いて行く。さすが仕事のできる商人。空気を察するのも早い。
「さて、何があったの?」
相変わらずポチの毛に埋もれたままのシエルに、私はアマルディでの一部始終を語った。
ロイが毎日ブラッシングしているので、ポチの毛はふかふかです。




