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12話 営業マン同士のバトルは心臓に悪い(嫌な思い出が蘇る)

「単刀直入で結構! 商売はスピードが命ですからな。私の要望は三つ。グランディール領内の支店建設許可、ルクセン帝国内の販路の確保、グランディールとアマルディ支店を介した貿易取引の開始です!」


 ワーグナー商会は元の世界でいう百貨店。ありとあらゆるものが商品となる。


 ラスタではまだどこも扱っていない、ポチみたいな魔物便をいち早く導入し、安定安全の配送路を築き上げて売上を爆増させた結果、新興の商会ながらラスタで十本の指に入るまでその地位をのし上げたという。


 渡し船の業者も実はワーグナー商会の一部署なのだ。シエルはここに来る前からワーグナー商会と取引していたことになる。だから、シエル着任の情報がすぐに本店に届いたのだろう。


 ただ、そんなワーグナー商会にも切り崩せない牙城はある。それはルクセンそのものだ。


 ラスタは同盟国だが、ルクセンを捨てたものたちの集まりの小国。建国から八百年経っても、帝国貴族からは取引に値しないと下に見られ、なかなかルクセン本土には進出できないのが実情らしい。


 だからこそ、長らく放置されていたグランディールにシエルが着任したと聞いてハリスさんは小躍りしたはずだ。


 相手は後妻の子供とはいえブリュンヒルデ家の三男坊で、ルクセンではまだ成人もしていない若造。上手くいけば帝国貴族と渡りをつけられる上、自分に有利な取引を進められると思ったに違いない。


 まあ、さっきのジャブで一筋縄ではいかない相手だとわかっただろうが。


 現にハリスさんの要求は想定内だったようで、シエルは動じることなくハリスさんを見つめている。


 きっと不敵な笑みを浮かべているのだろう。想像するだけで胃が痛い。


 前の職場でも、営業のバチバチバトルに巻き込まれたときは始終気が気じゃなかった。隣のロイは何も理解していないようで、のほほんとしているが。


「結構ですよ。領主館の周りは商業都市にするつもりですからね。一等地をご用意しましょう。街道の敷設を請け負っていただけるなら、渡し船の支店も含め、法人税の優遇措置をとらせていただきます。ブリュンヒルデ家の名を使って、帝都の貴族に渡りをつけてもいい。ですが、関税は僕の我儘を通させていただく。食品は六十パーセント、衣料品は二十パーセント、酒類は十五パーセント、その他贅沢品は八パーセントだ」

「素晴らしいご決断力です! ですが、相場はご存知ないようだ。この領地はまだ発展途上ですよね。失礼ですが、弊社以外に取引を申し出た近隣の領地はございますか? 食料の値段が吊り上がっては、領民の方が飢えてしまいますよ。半分の三十パーセントが妥当でしょう」

「おや、我が領地の生産品をご存知ない? お言葉ですが、食料には困っていないのですよ。運営費用も今のところ潤沢だ。なんなら父のブリュンヒルデ領から仕入れてもいい。配送費用はかかっても、関税がかからない分、国内品の方が安く上がりますからね」


 足元を見てくるハリスさんにはったりで返している。


 ハリスさんは微かに片目を細めてシエルを見つめ返している。デュラハンの顔色は全くわからないが、シエルの真意を探っている気配はわかる。南の廃村が復活したとは耳にしたが、ライスの生産地とまでは知らないようだ。

 

「……なるほど、それも一理ありますな。ですが、私もおめおめと退けません。三十五パーセント!」

「五十五パーセント」

「三十八パーセント!」

「五十三パーセント」


 細かい応酬が行き交う。ここまでくると意地の張り合いに近い。ハリスさんの後ろに立つヒト種の部下たちがうんざりした表情を浮かべている。たぶん私も同じ顔をしている。


「四十パーセント! これ以上は上げられませんよ」

「五十パーセントだ。僕も自領の産業を守らなきゃならない。これ以上は妥協できません」


 ハリスさんは一瞬だけ目を見開いたが、感情をそのまま表に出すことはせず、重々しい手つきで面頬を下ろしてため息をついた。


「結構。交渉は決裂ですな。御領には食料品以外を卸させていただく。もし、我がラスタの名産品をご入り用の際はぜひお声がけください。再度テーブルにつく準備はしておきましょう。その頃には他領に卸しているかもしれませんが」


 丁寧な毒を吐いて立ち上がったハリスさんが、部下を連れて執務室のドアに手をかける。しかし、彼が開けるよりも早く乱暴なノックの音がして、こちらが返事をする前に内側に開いた。


「お前か、ワーグナー商会のハリスってやつは」


 そこに立っていたのは全身を煤で汚したクリフさんだった。左脇に白い布で包まれた何かを抱えている。


 ハリスさんはあまりにも不躾な態度のクリフさんに不快感を抱いたようだった。ハリスさんの背後にいる部下たちも、今にも飛び掛からんとする勢いで身構えている。

 

「……どちら様でしょうか。お見受けした限り職人の方のようですが」

「ふん。出世したじゃないか。ガキの頃はどうしても俺の鎧が欲しいと駄々を捏ねたくせに」

「は? 私が欲しいと言ったのは、かの有名なクリフ・シュトライザーの鎧……で……?」


 そこでクリフさんの正体に思い至ったのか、ハリスさんはクリフさんの顔をまじまじと見つめると、恐ろしい速さでシエルを振り返った。


「正真正銘クリフ・シュトライザー氏ですよ。縁あって雇用契約を結んでいただいています」

「また駄々捏ねてるのか。図体はデカくなっても成長しとらんな」

「いや、駄々というか……。正当な要求で……」


 困惑に染まった声を遮るように、クリフさんが抱えた何かをハリスさんに押し付ける。恐る恐る布を取り払ったそこにあったのは、一振りの短剣だった。


「短剣一振りと、革の鎧兜一式。お前の依頼、工房を閉めるから断ってたな。遅くなったが受け取れ。鎧兜もすぐに作ってやる」

「ワーグナーさん。あなたのご長男、そろそろ鎧着装の儀だそうですね? 鎧着装の儀は、デュラハンにとっては初めて鎧を身につける記念すべき日だ。ご自分と同じく、クリフさんの作品を身につけさせてあげたいでしょう? 今、彼の雇用主は僕ですが、あなたの依頼を受けるのを特別に許可しますよ」

「鎧換装の儀のときも、俺が作ってやってもいい。他に依頼が入ってても優先してやる」


 鎧換装の儀は成長期が終わったデュラハンが革鎧から金属鎧に替える儀礼で、いわゆる成人式のようなものらしい。


 シエルとクリフさんの双方から畳み掛けられて、ハリスさんが狼狽えた気配がする。そして部下たちに視線を走らせ、頷きと微笑みを返されたあと、観念したように短剣を胸にかき抱いた。


「わかりました。あなたの条件を飲みましょう。その代わり、先触れなしに弊社の社員が頻繁にここを訪れるのを許可していただけますか? 繰り返しますが、商売はスピードが命なので」

「もちろんですよ。ありがとうございます。こちらも条件を飲んでいただいたお礼に、ライス以外の食料品は四十パーセントにいたしましょう。特にアマルディ名産の、レモンをかけると色が変わるササラスカティー。あれは貴族の間でも受けますよ。僕が保証人になってもいい」


 そういえば、初めてアマルディに渡ったときに酒場で飲んでたな。あのときから目をつけていたのか。


 ハリスさんは呆然とシエルを見つめていたが、やがて鎧に包まれた肩を大きく震わせて天井を仰いだ。耳が痛くなるほどの爆笑だ。感覚が鋭いロイは露骨に嫌な顔をしている。

 

「あなたは恐ろしい人ですね。いいでしょう! これで商談成立です!」






 煌々と闇夜を照らす月明かりの下、ロイが魔法でつけたキャンプファイヤーの周りで、職人や南の村から顔を出した領民たちが陽気に酒を飲み交わしていた。


 ハリスさんがお近づきの印にと酒と食料を大放出してくれたのだ。さすが大企業。太っ腹である。


 それどころか「今後の開拓に必要でしょうから」とポチを荷台ごと譲ってくれた。ロイは大喜びで、早速夜の散歩に行っている。


 人付き合いが苦手だから、ポチといる方が気が休まるらしい。一匹狼のクリフさんも、ハリスさんの依頼をこなすために鍛冶場にこもっている。


 かくいう私も騒がしい場所は苦手なので、料理を山盛りにした皿を手に宿泊用の小屋――いや、領主館別館の執務室に向かった。


 窓際の机に向かったシエルが、月明かりとランプの明かりを頼りに万年筆を動かしている。薄暗くて文字が見えにくいからか、その背中はひどく丸まっていて、眺めているだけで不安になる。


「そんな姿勢じゃ、目を悪くしちゃうわよ」


 机の上の紙を一枚取り、光の魔法紋を書いたあとに、ローブの左ポケットから取り出した光の魔鉱石を載せる。魔石ほどの効力はないが、机の上を明るく照らすぐらいなら役に立つ。


「すごいね。こんなに小さくても魔法が使えるの」

「聖属性で効果を底上げする魔法紋も組み込んでるの。含有魔素量が増えるわけじゃないから長持ちはしないけど、仕事をする間ぐらいなら十分持つわ」


 執務室は入り口手前に来客用のソファとローテーブル、その奥に立派な領主の長テーブル、さらに奥の窓際に小さな執務机が二台向かい合わせで置かれている。


 シエルが座っているのはその左側だ。領主のテーブルだと光量が足りないからだろう。


 光属性はレア属性。需要に対して使い手は少ない。光の魔法使いが領地にいない場合、明かりを得るには火か魔石に頼るしかないのだ。魔鉱石だとある程度の大きさが必要なので実用には向かない。


 魔石を手に入れるには魔物を狩るか、自力で魔石を生み出せる魔力量の持ち主に融通してもらうかだが、大抵値段が吊り上がる。


 おおよそなんでもある世界でも、明かりだけは元の世界に及ばなかった。安価に魔石を入手できる方法が確立されれば、きっと革命が起きるはずだ。


「シエルはみんなに混ざらなくていいの」


 シエルの対面の席に座り、料理の皿を差し出す。ローブの右ポケットから笹の葉で包んだおにぎりを出すのも忘れない。


 ライス大好きなシエルは、目を輝かせておにぎりにかぶり付いた。その合間に万年筆を置いた右手で、ライスに合いそうなウインナーや卵焼きを摘んでいる。

 

「領主が混ざると気が休まらないでしょ。特にピグたちは不敬罪で脅した直後だしね」

「大半がラスタの人間なんだから、そんなに気にしなくていいんじゃない?」

「いずれはルクセン国民も増える。どれだけこちらが気にしないと言っても、長らく染み付いた恐れはそう簡単に消えやしないよ。この国は大きい分、変化もゆっくりなんだ」


 シエルにはシエルの考えがあるらしい。それ以上は触れずに、肩にかけていた水筒のお茶を差し出す。


 ハリスさんがくれたササラスカティーだ。彼は闇属性だったので、自身の闇に商品を山ほど詰め込んで来ていた。営業マンってこれだから怖い。


「ワーグナー商会の取引、上手くいってよかったわね。まさかクリフさんがあそこまで協力してくれるとは思わなかった」

「おかげで希少な天然の魔石塗料、格安で融通することになっちゃった。案外それを狙って雇用契約結んだんじゃないかな。結構したたかだよ、あの人」


 シエルにしたたかと言わせるとは。クリフさんを見る目が変わりそうだ。


「何を書いてたの?」

「帝国議会宛ての報告書。表向きはアマルディとの取引だから、そこまでうるさくは言われないけど、一応報告しましたよって(てい)はとっとくんだ。貴族社会は足の引っ張り合いだからね。油断するとすぐに食われちゃう。……でも、僕、交渉事はそれなりにできるんだけど、文章書くの苦手なんだよね。早く事務員雇わないとなあ。アルマさんは現場の裏方で手一杯だし」


 おにぎりをもぐもぐしつつ、シエルが嘆息する。眉を下げて嫌そうに紙を見下ろす姿は、元の世界の高校生と変わらない。


 そうだ。この子はまだ十八歳なんだ。私よりも八歳も下の男の子。なのに、ここに来てからずっと私たちの前を歩き続けている。目の前の道には行手を阻む茨しか見えないのに。

 

「……貸して。代筆してあげる。他所のご領主様はそうしてるんでしょ」

「え? でも、契約外だよ?」

「いいわよ。前の仕事で似たようなことしてたもの」


 シエルは一瞬だけ目を丸くして、おずおずと紙を差し出した。ひょっとしたら、シエルも人に頼るのが苦手なのかもしれない。


 さらさらとお堅い文章を書きながらそう思った。


「村の名前、どうする? まとめて報告しておいた方がいいでしょ」

「うーん……。サーラが決めてよ」

「えっ」


 思わず手を止める私に、シエルは優しく微笑んだ。

ラスタの商人ハリス。彼はまだ若輩者なので、往年のグランディールについては父親や祖父からの又聞きです。首都に居たため実地調査も足りず、シエルにやり込められてしまいました。

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