10話 晴れ、ところにより獣人が降るでしょう(なんでよ!)
シエルが言い終わるや否や、天井の板が割れて何かが落ちてきた。
咄嗟に横に跳んだので直撃は免れたものの、舞い上った埃で大きくむせる。風魔法で換気したいが、杖なしではそうもいかない。じっと我慢して埃が床に落ち切るのを待つ。
「うう、洗い立ての服が土色に……」
「後で水魔法で洗ってあげるから、もうちょっと我慢してね」
しれっとした顔で自分だけ水のベールで守っているシエルを睨む。頭上では悲鳴や激しい物音と共に、ポチの鳴き声もするので、何が起きているかはなんとなくわかる。
降ってきたのは豚の獣人だった。
漫画に登場するオークみたいな見た目だ。身につけているのは薄汚れた野良着のみで、武器は見当たらない。とりあえず獣人が目を覚ます前に、部屋にあったロープで拘束しておく。
その間に頭上も静かになった。大きく開いた穴からロイがひょいと顔を出す。
「ごめん。ハシゴ壊した。風魔法で上がってくれ」
事情も説明せずに無茶を言う。杖を要求すると、ロイは不思議そうに首を傾げた。
「初めて会ったときも思ったけど、杖なしじゃ使えないのか? 俺もシエルも使えるのに」
「使おうと思えば使えるけど、私はまだ経験が浅いから成功率が著しく下がるのよ。ほら、遠くのものを説明するときは指差した方がわかりやすいじゃない? あれと一緒よ。あなたも魔法を使い始めの頃はそうだったでしょ?」
魔法を使うには集中力がいる。いくら息をするように自然に扱えるといえども、望み通りの事象を起こすには、しっかり対象を見据えて何をしたいのか具体的にイメージしなければならない。
例えば風を起こしたいなら、どの程度の強さでどの向きで起こすのか。火を起こしたいなら、どれくらいの火力で何を燃やすのか。
頭の中に絵を描くが如く、イメージが写実的であればあるほど複雑で強力な魔法が使いやすくなる。杖は対象を捕捉するために使うのだ。
「あんなにすごい魔法が使えるのに……?」
頭に疑問符を浮かべたまま、ロイが手の先に生んだ闇から杖を取り出して穴から落とした。
それをキャッチしてほっと息をつく。今着ている服と同じく、これはルビィが遺してくれた大事な形見。幼い子供が毛布を抱きしめるみたいに、手元になくては落ち着かないのだ。
「ごめんね。ロイは魔法に関しては感覚派だから、一度も杖を握ったことがないんだよ」
「そんなイレギュラーと一緒にしないでよ。私は師匠と出会うまでは、魔法なんて使ったことなかったんだからね」
文句を言いつつ、シエルを連れて穴から抜け出す。怪我ひとつないロイの背後には、舌を垂らしたポチが目をキラキラさせてお座りしていた。
前足の下敷きになっているのは、私たちを閉じ込めた犯人たちだろうか。子供が一人と、大人が三人。みんな獣人のようで、もふもふの中にもふもふが埋もれている光景は一種異様だった。
「ここは……? なんか見覚えあるような、ないような……」
静かに着地したそこは大きな吹き抜けになっていた。
中央には先端が丸くなった太い杭があり、杭の下には大きな石臼が備え付けられている。動力は魔法ではなく、木で作られた歯車だ。元の世界のテレビか何かで見た記憶がある。
「ひょっとして水車小屋の中? 村にあったやつ?」
「当たり。東部の農村は地下に倉庫を作ることが多いからね。何かを隠すには持ってこいでしょ。だから巡回中、あえて確認しなかったんだよ」
確かにそうだった。てっきり、床が崩落するのを避けているからだと思っていた。
「最初から不審者がいるってわかってたの?」
「領主が管理を放棄した土地なんて恰好の潜伏先でしょ。高確率で不法滞在者がいると思ってた。村に着いたときにロイとポチが何かを気にしてたしね。差し詰め、不審者の匂いを嗅ぎ取ったんじゃない? だからロイはポチをわざと放したし、僕はそれに乗った。サーラに眠りの魔法をかけたのは悪かったけど」
やっぱりか。食後に感じた急な眠気はロイの生命魔法だったのだ。
私が寝室に入った後、不審者たちを炙り出すためにロイを家の外に出し、私とシエルだけの状況を作り上げたのだろう。ロイはいかにも強そうだから。
しかし、私が引っかかったのはそこではなかった。
「もしかして、ロイって嗅覚も獣人並みなの?」
そういえば、アマルディの酒場でも薬の匂いを嗅ぎ分けていた。後ずさる私に、ロイは「そこまでじゃない」と前置きした上で見当違いの慰めを吐いた。
「サーラはいい匂いだよ」
セクハラじゃん。真っ白な職場だと思ったのに。
今後、お風呂に入れないときは極力近寄らないようにしよう。お互い様とはいえ、女の尊厳が死ぬ。
「……それで? まさか匂いだけで、私と自分を囮にしたわけじゃないでしょ。決定打はなんなの?」
「母さんの輿入れは前々から決まっていたから、領民たちには村を離れるまで相応の準備期間があったはずだ。なのに、あれだけ生活道具が残っているのはおかしい。暖炉の灰も新しかったしね。何より、村の周りの田んぼが生きていたから」
シエルはポチの前に跪くと、獣人たちの中でも一際小さな体を見下ろした。髪の毛のように伸びた頭部の白い体毛からは長い耳が生えている。白兎の獣人だ。
顔つきを見る限り、たぶんシエルよりも若い。ポチの毛で隠れているが、ワンピースらしきものを着ているので女の子のようだ。くりくりの飴色の瞳に涙を溜めてシエルを睨んでいる。
「子供とはいえ、獣人はヒト種よりも遥かに力が強い。僕たちを閉じ込めたのは君だよね? このままだと苗を作れないからでしょ? いつ立ち去るかわからないし、もし野盗の類だったら困るもんね」
「……あんたもライス作りに詳しいの」
兎の獣人が探るように言う。
そうか、ライス……稲作は五月頃から始まると本で読んだ記憶がある。一時期、仕事を辞めて農業をやろうかと思ったことがあったから。私には無理だと諦めたけど。
「もちろん! ライスは本当に素晴らしいよね。噛めば噛むほど甘味が出て、どんなおかずにも合うし、腹持ちが良くて携帯食にも備蓄食料にもなる。その上、百平方メートルで六十キロは収穫できて、五百平方メートルもあれば家族四人が一年は食べていける。何より連作障害が起こらない! 冬の間はレンゲや菜の花を植えれば土壌も維持できるし、水田には洪水を防いでくれる機能もあるんだ。大河が近いグランディールにはうってつけだと思わない? 大陸の四大主食の一つで需要も多いし、ここは水が豊富だから収穫したライスでお酒も作れるよね。ライス酒は他国に高値で売れるから、いい名産品になるだろうなあ。もし粒が割れちゃってもお菓子に加工できるし、ライス粉にしてもいいね。みりんやライス酢なんてのも作れる。知ってる? ライスの糠は美容成分が豊富だから、化粧品だって作れるんだよ。それに……」
「シ、シエル。ちょっと待って、待って。情報量が多い!」
湯水のようにあふれる言葉を制止する。シエルはきょとんとしているが、兎の獣人は目を白黒させている。シエルに圧倒されている様子だ。
「シエルはライスが大好きなんだよ。だからパンよりライス向きの料理を食べたがるだろ。丼ものとかさ」
「う、うーん……。確かにそうだけど、知りたくなかったなあ……。イメージがさあ……」
歳の割には落ち着いた少年だと思っていたのに、まさかこんなに重い愛を抱えていたとは。これからまだまだ知らない一面が出てくるのだろうか。少し怖くなってきた。
「まあ、いいや。ライスの魅力については、また後で語ろう。君たちは元農民かな? どこから流れてきたの?」
「……そんなの、なんであんたに言わなきゃいけないの」
「ここの領主だから」
ピシ、と空気が凍りついた音がした。
まさか、こんな子供が領主だとは思わなかったのだろう。みんな目を大きく見開いてシエルを凝視している。特に大人の獣人は顔を真っ青にして、しきりに震えていた。
「他の家の地下にもまだお仲間がいるよね? 今すぐ集めてくれる? 早速だけど、商談といこうか」
その笑顔は悪徳営業マンそのものだった。
ライス(お米)への愛が迸るシエルです。




