番外編⑪ 風は今日も吹いている(サーラ)
夢を見ている。
何もない荒れた大地に、幼い顔をした少年少女が立っている。少年の髪は見事な金髪。少女の髪は綺麗な黒髪。二人ともヒト種のようだ。
少年少女の傍らには、少し年嵩の男性もいる。立派な黒い体毛を持つ、狼の獣人だ。二人の親だろうか。それとも護衛だろうか。
三人の周りには無数に蠢くスライム。近くに川が流れているのか、ごうごうと唸る音が聞こえる。
三人はしばしその光景を眺めていたが、強く覚悟を決めた顔で、揃って足を踏み出した。
ぱっと景色が切り替わる。
さっきまで何もなかったところに、小さな街ができていた。相変わらず荒れた大地の上には、温かみのある木造りの建物が点々と建っている。
その合間を縫うように歩く少女のそばで、草スライムに進化したスライムたちが雑草取りに励んでいた。街を行く人は、誰もそれに気を留めていない。上手くスライムと共存しているようだ。
『おーい、×××!』
少し離れた場所で、獣人と並んで立つ少年が少女を呼ぶ。残念ながら、少女の名前は聞き取れなかった。
少女は顔を輝かせると、手を振りながら二人の元へ走って行った。その足取りは軽い。余程、二人のことが好きなのだろう。
そうかと思えば、まるでスライドショーのように、次々と景色が切り替わる。
川で釣りをしている三人。一面に実った稲穂を眺める三人。森で野営している三人。領地を襲う魔物と戦う三人。領民たちの喧嘩を仲裁する三人。
そして、結婚式を迎える少年少女――いや、若い男女と、それを泣きながら見守る獣人。
数々の思い出がその胸を過っているのだろう。獣人の涙は止まるところを知らず、新郎新婦が困った顔で眺めている。そこにあったのは、愛しい日常だった。
どこの領地も変わらないものね。
そう思ったとき、不意に純白のドレスを着た女性がこちらを振り返り、微笑みをたたえた唇を動かした。
『……グ……ンディー……をよろしくね』
ところどころ風音で遮られたものの、確かにそう聞こえた気がした。
***
ふっと目を開ける。
どうやら事務机でうたた寝していたらしい。周りに広がるのは、いつも通りの執務室だ。
――いや、この五十年で色々と変わったわね。
昔は中古品しか置けなかった魔機は最新のものになり、アルマさんに選んでもらったソファや緋色の絨毯はかなり色褪せてきた。
変わらないのは壁にかかった肖像画だけ。
まだ髪が黒い私が、真っ白の髪の私を見下ろしている。領民も何人か精霊界に旅立った。でも……いつかきっと、またグランディールに来てくれると信じている。
不意にカーテンが揺れ、ノートがパラパラとめくれた。外はとてもいい天気だ。厳しい冬を越え、今年も春を迎えられた喜びで胸がいっぱいになる。
だからだろうか。なんだか、不思議な夢を見た気がする。とても大事なものを託されたような……。あれはいつかのグランディールだったのかもしれない。
「サーラ」
優しく響く声に、ふと顔を上げた。すぐ隣で、満月色の瞳が私を見下ろしている。
ロイ・ロステム。私の夫。髪は白髪混じりのグレーになり、目尻には深い皺が刻まれている。お互い、すっかり歳をとってしまったけれど、今でも私の一番好きな人だ。
「ちょっと、気配を殺して近づかないでよ。びっくりしちゃうじゃない」
「悪い。つい癖で」
どこかの黒い変態みたいなことを言い、ロイがノートを覗き込む。
「何を書いてたんだ?」
「終活ノート。オリジナルの魔法紋とか、元の世界の知識とか、役に立ちそうなことを色々とね」
言った途端に眉を寄せられた。目は口ほどに物を言うというが、結婚しても無口なのは変わらない。困った旦那様に苦笑しつつ、宥めるように腰を撫でる。
「そんな顔しないでよ。百まで生きる気だけど、いつ何があるかわからないからね」
塔の聖女様も皇帝も代替わりした今、多少異世界の情報を解禁しても許されるだろう。
ラスタにも新たな聖女が誕生し、聖属性と魔属性の力の元が魔素だと発表されたことだし、これからはもっと異世界が身近なものになっていくはずだ。
黒猫夫婦が作る昼食の匂いと共に、窓から風が吹き込んでくる。誘われるように視線を向けた先には、見慣れたグランディールの景色が広がっていた。
さっきの夢と同じ。最初は何もなかったのに、よくここまで立派になったものだ。見渡す限りに続く建物の海の中を、多くの人が行き交っている。
執務室の窓から集会場が見えなくなったのはいつだっただろう。
都市化を喜ぶ反面、寂しくも思ったものだが、今ではこの景色の方が長い。集会場の屋根に掲げられた、グランディールの紋章を描いた旗だけが、かろうじてここから見える。
紋章はシエルの成人を機に作ったものだ。意匠はなんと稲穂とライス酒。どれだけライス好きの領地なのか。
絶対やめた方がいいと言ったのに、シエルに押し切られたのだ。その後、マルクくんのライス栽培の研究結果が一世を風靡したこともあり、今ではライスといえばグランディール、グランディールといえばライスになった。
さすがのシエルも、ここまで予期していたわけではないだろうけど……。本当にライスについては頑固なんだから。
「ようこそ、レーゲン・ヴァルト医療学校へ!」
領民の明るい声が響く中、ポチとシロの子供たちが引いた荷台が、一際立派な建物の前で止まる。こちらも最初は小さな診療所だったのに、よくここまで大きくしたものだ。
向かいの窓から留学生たちを見下ろしているのは白衣を着たレーゲンさんだ。歳をとって生命魔法を使えなくなっても、まだ一線に立ち続けてるから頭が下がる。
その近くの運動場では、自警団に入団したばかりのミミの孫が一生懸命訓練している。彼女の先生は、ネーベルがどこからともなく送り込んできたシャドーピープルの少年だ。
黒いローブを着ているからか……。他人なのはわかっているけど、本当に雰囲気がそっくりだ。まるでネーベルがそのまま小さくなったみたい。
ネーベルはある日、チェシャ猫みたいにふらっといなくなった。でも、まあ、心配はしていない。どうせ、今もどこかで飄々と生きているはずだから。
「こら、メルディ! 走っちゃダメだって言ってるだろ!」
窓のすぐそばを、炉の炎のような赤茶色の髪の幼女が、てけてけと走っていく。まだあんよを覚えたばかりに見えるのに、随分と足が早いことだ。
そのあとを、同じく赤茶色の髪の青年が焦った顔で駆けて行く。家族連れの観光客だろうか。少し離れた場所で、赤ん坊を抱いたデュラハンの女性が、呆れた様子で二人を見守っていた。
「サーラ! ロイ! ここにいたの? そろそろ創立祭始めるよ」
執務室のドアが音を立てて開く。その先にいるのは、言わずと知れたシエル。隣には次男に跡目を譲ったシェーラもいる。二人とも、とても五十年経ったとは思えない見た目だ。美人は老けても美人だから羨ましい。
「人の多いところは苦手で……」
「まだそんなこと言ってるの? いいから早く来て! 今日は孫の晴れ舞台なんだからね」
そう。今日の創立祭は、シエルが正式に領地を継いでからちょうど五十年という節目で、シエルの孫の就任式も兼ねていた。
ついこの間成人したと思ったのに、もう孫。時の過ぎるのは早いものだ。
「それは我がことのように嬉しいけど、ここからでも見えるし……」
「サーラの言う通りだ。俺たちはもう歳だし、立ってると腰が……」
「嘘ばっかり。二人とも、毎朝ポチとスライムの散歩してんじゃん。そもそも、今、ロイ立ちっぱなしでしょ。いいから、行くよ! ほら!」
ロイと無駄な抵抗を繰り広げてみたものの、あっさり押し負けてしまった。だよね。初めて出会ったときから、私たちがシエルに勝てた試しはない。
「サーラ様、諦めてくださいませ。皆様、サーラ様たちがいらっしゃるのをずっと待っているのですよ」
シェーラにもやんわり嗜められたので、渋々立ち上がる。長年のスローライフのおかげか、足腰はまだ元気だ。
一歩足を踏み出すたびに、胸元に下げた袋が揺れる。そう。パールも見たいのね。なら、仕方ない。私は今もパールに甘々だから。
「そういえば、さっきナクトくんそっくりな子を見たんだけど……」
「あー、孫がひ孫とお嫁さんを連れてこっちに旅行するって、ナクトから手紙来てたな」
「えっ、アルマさんの手紙には何も書いてなかったんだけど」
「驚かせようと思ったんじゃない?」
明るい光が差し込む廊下をワイワイと歩く。
建設当初と同じ扉を潜れば、そこはもう広場だ。ヒト種、エルフ、ドワーフ、デュラハン、ドラゴニュート、マーピープル、シャドーピープル、獣人、竜人、鳥人……。多種多様な種族が、笑顔を浮かべて私たちを待っていた。
「みんなお待たせ。集まってくれてありがとう。今日は僕たちにとって五十年目の節目で……」
シエルの声が朗々と響く。私たちは並んでそれを見守る。
五十年経とうが変わらない光景。いつも通りの日常。
グランディールの風は、今日も吹いている。
いつかのグランディールと、五十年後のグランディールをお届けいたしました。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございます! 皆様の温かい応援のおかげで完走することができました。
サーラたちのお話はここで終わりますが、グランディールには、今も風が吹き続けています。
では、また次作にてお会いしましょう!




