16話 それはとても美味しそうな
水竜と別れた私は、再び港を目指して海の上を移動した。随分沖の方まで来てしまったので港の様子は分からない。
災害である属性竜の出現によって大騒ぎになっているはずだ。リュカが上手くなだめてくれているかもしれないが、彼一人にその大変な仕事を押し付けるわけにもいかない。同族の責任はできる限り私がとるべきだろう。
(あとは人魚族のヒトにも水竜はいなくなったことを教えてあげないとね……うう、同族が申し訳ないよ)
ヒトの建造物が綺麗で可愛かったので持ち帰って巣に飾りたかった。それだけの理由で家や街を壊されては堪らないだろう。しかし竜とヒトの差は圧倒的で、ヒトには抗う術がない。だからこその生きた災害なのである。
次第にあたりが明るくなり、水平線に光が走る。もうすぐ朝日が顔を出すだろう。
そんな中、海上を走っているうちに港が見えてきた。港のヒトたちはどうやら逃げたり隠れたりせず、海岸沿いに集まっているようだ。桟橋のところにリュカであろう金色の髪が見えたため、動かずに帰りを待っていてくれたらしい。
「おーい、みん……っ……うわ!?」
戻ってきたことを報せようと呼びかけた途端、突然水面が大きく揺らいで波が立った。正確には水面を歩いている訳ではなく、魔力で作った足場に立っている私には影響がないものの、港と私を隔てるように壁が出来上がって驚いてしまう。
巨大な壁から海水が滴りおち、その姿がはっきりと分かるようになった。昇り始めた太陽の光を反射するつるつるとした丸い頭、水面から覗く吸盤のついた触手。ヤギにも似た横向きの瞳孔の目がぎょろりと動いて私を見下ろす。
(これは……タコ……?)
イカではなく巨大なタコなので、クラーケンとは別種かその亜種だろうか。そう思っていたらタコの触手が勢いよく伸びてきて私に巻き付いた。恐らく持ち上げようとしているが、私の体は竜の重さである。水の中のタコが私を持ち上げられるはずはなく、微妙にバランスを崩して傾いていた。
(イカ料理もおいしいけど、タコ料理もおいしいよねぇ……)
タコ刺し、タコ焼き、タコの唐揚げ。イカ料理があれだけ豊富だったのだから、タコ料理だって豊富だろう。是非味わってみたい。
そんな思いがタコに伝わってしまったのか、相手は私を放して反対側を向き、水中に潜ろうとしはじめた。このままでは逃がしてしまう。
『その魔物が水中にもぐって逃げられないように、タコの下部分の海水を凍らせてください!』
『いいよ』
タコ本体を凍らせなかったのは、冷凍したらどんな味の変化をするか分からなかったからだ。どう〆るのが適切かは、港の漁師たちの方が詳しい。動けなくしたら処理の方は漁師に任せるつもりなのである。
そしてタコの下の海水が急に凍り、出来上がった氷は水の浮力によって勢いよく水上へと上がってくる。突如出来上がった氷の大地がタコを水上へと打ち上げた。
(……あ、くっついてる)
冷気を上げる冷たい氷は、表面に残っていた海水も凍らせる。そこに乗っていたタコは皮膚の表面だけが氷に張り付いてしまったようで、身動きを取れなくなっていた。これなら誰でも安全に狩れそうだ。
『この氷の大地と港までつなぐ氷の橋を架けてほしいんですけど、頼めますか?』
『いいよ』
人間が渡れるように氷で道を作ってもらいつつ、私はタコの後ろ側からぐるりと回って港の方へと向かった。氷の大地の上を歩いてみせているが、実際に私が乗れば沈みかねないのでちゃんと足場は作っている。
「リュカー! これ、どうやって〆たらいいか訊いてみてー!」
港側が見えるようになった時、まだ大勢のヒトがこちらを見ていたので、手を振って自分の存在をアピールしながら声を張り上げ、リュカに頼んでみた。
彼が周囲に話しかける様子が見える。タコの〆方を訊いてくれているのだろう。今日は豪華なタコ料理が食べられると喜びながら陸地を目指していると、彼が弓を構えているのが見えた。
どうやらリュカが仕留めるらしい。矢の軌道上から外れるよう、私は脇へとそれる。白竜の弓によって放たれた矢が真っすぐにタコに向かって飛んでいき、その眉間を貫く。途端にタコの色が失われて、一撃で仕留められたことが分かった。
(おお、練習の成果が出てる!)
粉々にすることなく急所だけを射抜いたのだ。これはリュカの修練の成果である。氷の道をたどって桟橋へと上がった私は、リュカに「さすがだね!」と声をかけたのだが、リュカは首を振った。
「こちらの台詞だろう。全く、君は相変わらず無自覚だな」
……そういえば、先ほどから周囲の視線があまりにも熱い気がするのは気のせいだろうか。
「水竜を退けるなんてとんでもないことして……ほんと、あんたには驚かされることばかりだよ。医者の出番はなかったね」
「あれ、エーレさん。酔いはもういいんですか?」
酒を呑みすぎて潰れたはずのエーレが、酔いなど微塵も感じさせない表情で話しかけてきた。夫のゴラムに運ばれて行った時は二日酔いが心配なほどだったのに、酒に強すぎる。
しかしそうか、私はただ同族と話をしただけだが、傍から見れば属性竜を退けたように見えたのだろう。この熱いまなざしにも納得だ。
「属性竜が出たって聞いたら酔いなんて醒めるだろう? その上クラーケンまで出て……まあ、でもあんな完璧な捕獲と狩猟までしてくれたんだ。あんたたちのおかげで、私は寝ててもよかったくらいだったねぇ」
「……あれもクラーケンなんですか?」
「そう、昨日のはオス。こっちがメス。……また味や触感が違って美味いよ。そんな期待した顔しなくても、もちろん食べさせるさ。メスクラーケンに関してはむしろあんたたちに権利がある」
「いいんですか! ありがとうございます!」
「……礼を言うのはこっちだろうに。ほんと、S級の冒険者ってのは特別な御人なのかね」
私は別に大したことなどしていないし、S級冒険者なのはリュカだけなのだけれど。その後、誰も眠っていないだろうに、徹夜明けのおかしなテンションでお祭り騒ぎのクラーケン解体が始まった。
朝日に照らされて輝くつるぴかの頭につい視線を奪われていると、解体場からリュカが戻ってくる。
「スイラ。皆が一番新鮮な刺身を食べてほしいと言ってこれを」
「刺身!」
どうやらタコ改めメスクラーケンの新鮮な刺身を、解体の傍らで用意してくれたようだ。リュカが届けてくれた港のヒトたちの厚意である刺身。絶対に美味しいに違いない。
「私が食べさせよう。……ほら」
楊枝を使ってリュカが刺身を差し出してくれる。朝日を浴びて輝く金の髪がキラキラととても綺麗で、彼がとっても美味しそうに見えた。
(……あれ?)
……私、今、リュカを美味しそうって思わなかった?
刺身と共に発覚するのはどうなんだ




