107 家令
『シズクさん』は、旦那様の手首をつかんだまま、建物に進んでいきます。マイクさんを伺うと、一緒に中に入るみたいなので、私も後ろからついていきます。
『シズクさん』は、ニッコリと笑顔のまま建物に入り、入った途端に旦那様の手首から襟首につかむ場所を変えて、乱暴に引っ張っていきました。旦那様がちょっと引きずられています。チカラモチデスネ。
「あ、みなさんはどうぞ応接室でお待ちくださいね。すぐ終わりますから」
そう言って、廊下の先にある部屋に旦那様を連れ込むシズクさん。私とマイクさんは側にいたメイドさんに応接室に案内されました。
そして案内された応接室。
最初は、私もマイクさんも使用人な訳だし立って待っていようと思ったんですが、メイドさんが『お掛けください』とあまりにしつこく言ってくるので、現在は二人で座って待ってます。あ、護衛さんたちは領地の護衛の偉い人が呼んでいるとかで、出ていきました。結局私とマイクさんが二人でお茶をしているというこの状況。マイクさんも応接室に通されて待たされるなんて初めてのことらしく、二人して居心地悪くてそわそわしてしまいます。
先ほどの平たい顔をした素敵なオジサマな『シズクさん』は、領地の家令だとマイクさんが教えてくれました。
「あの、マイクさん。旦那様とシズクさんはどうしたんでしょう?」
「・・・おそらく、お説教、かと。」
お説教、ですか?
「ええっと、ちなみにシズクさんはどういう方なのか教えていただいても?」
「シオン様のお父上の執事として青国からいらした方です。クリスさんとシオン様の育ての親とでも言いますか、まぁ、その、そういう方です」
そっと目をそらすマイクさん。
な、なるほど。クリスさんっぽいんじゃなくて、クリスさんの基になった人ってことですか。それでお説教ですか。ええ、確かに王都を離れてから、クリスさんが居ないからか旦那様はちょっと羽目をはずし気味でしたからね、私に対して。
そして待つことしばし。
ドアが軽くノックされて、シズクさんと旦那様が入ってきました。
ほら、やっぱりちゃんとした人はノックするんだよね。うん。
あら?旦那様、なんだかお疲れのような?ぷぷぷっ。
「お待たせしました」
そう言って入ってきたシズクさんに挨拶をしようと立ち上がったら『そのままで』と言われました。
旦那様は、上座に座ります。
マイクさんは立ち上がり、旦那様の後ろに立ちます。
メイドさんはお茶を淹れたあと出ていきました。
「さて、改めまして。長旅お疲れ様でした。初めまして、領地にて家令をしております、シズクと申します」
「初めまして、リィナです」
にこやかに私に対して挨拶してくださるシズクさん。平たい顔なので、とても親しみやすいです。こちらも自然と微笑んでしまいます。
「あの・・・青国の方とお聞きしたのですが――」
「ああこの顔ですか?ええ、私は青国の生まれですが、もともと私の両親は茶国人なもので。」
ニコニコニコニコ
「そうなんですね。」
にこにこにこにこ
程よく白髪の混じった髪を後ろにキチっと流しているシズクさん。うーん、日本人の感覚で年齢を推測すると、老け顔の40代か、もしくは見た目が若かったら50代、ってところでしょうか?
二人で微笑み合ってたら、ガチャンと音がしました・・・旦那様がカップを乱暴に置いたみたいです。珍しい。
「リィナ、お茶っ!」
はいはい、お茶ですね。
お茶を煎れるため席を立とうとしたらシズクさんに手で制されました。そしてシズクさんはじっと旦那様を見つめて言いました。
「シオン様、私がたった今、あれだけお話したというのに、何もご理解されていないのですね?」
「リィナすまないお茶を煎れてくれないだろうかっ!」
シズクさんの言葉に反応して、旦那様が早口で言い直しました・・・ほんのちょっとだけ、丁寧に。
なんだか旦那様が必死な顔をしています・・・が、とりあえず無視してお茶を淹れましょうね。
部屋の片隅に用意されているティーセットにてカップの準備をしていると、シズクさんのお説教がはじまりました。内容は、召喚者への接し方から、使用人に対する接し方、言葉遣いや態度も含めて多岐にわたります。
「召喚主としての自覚が足りなさすぎます。もう一度召喚法を勉強しなさい」
「それになんですか、あの命令口調は。使用人に威圧的な態度で接してはならないと、小さい頃からあれほどお教えしましたよね?」
「使用人が居なければ成り立たない生活をしている自覚はおありですか?」
「一緒に馬に乗って領内を巡ったら、どのように思われるかきちんと理解していますか?」
などなど。
正論ですね。
激しく同意させていただきます。
あ、シズクさんが小声で呟いた『大方私とリィナさんが微笑み合っていたのに嫉妬したんでしょうが』というのには同意できませんので、スルーしますけど。
「そもそもリィナさんをメイドとして召喚したのは、シオン様でしょう」
「リィナさんを召喚者だと知らない者たちは、使用人に手を出しているとしか見えないんですよ?」
そうだそうだー!
「側に置きたいのであれば、それなりの手順と根回しが必要な事ぐらい、理解してますよね?」
んん?
「悪い噂というのは、それが真実であるかどうかに関係なく、驚くほどの速さで広まるものです」
う、うん?何の話になってるのかな?
「シオン様の評判が下がるだけならともかく、リィナさんがシオン様を誑かしたなどと噂がたったらどうするんですか?」
なんてこと!それは困る!困ります!
「そんなことにならないように、まずは根回し!その為の手段もお教えしていますよね?それと同時に女性に対しては周りから攻めるのが定石です。」
・・・はい?
「情報操作は事前の根回しをいかに入念に行なうかによって成果が異なります。相手が気づいた時にはもう既に逃げ場がないくらいの――」
「ちょっ、ちょーっと待って!何?なんの話をしてるんですかー!?」
叫んでしまった私は悪くない、絶対に。
シオン様は明日からの仕事の打ち合わせをこのお城の護衛さんや騎士さん達とするらしく、マイクさんと退室しました。
部屋には私とシズクさんだけです。
みんなが出て行くと、シズクさんがお茶を入れてくれました。このお茶が!
「美味しい!」
「ありがとうございます。リィナさんのお茶も美味しかったですよ」
「いえいえ、私はまだクリスさんに教わっている最中でして・・・」
「ああ、なるほど。そうでしたか。クリス君にお茶の淹れ方を教えたのは、実は私なんですよ。」
「え!そうなんですかー」
にこにこにこにこにこにこにこにこ
あー、なんか和むなー。
海外で困ってるときに日本人に会った時のような・・・ちょっと違うか?
仲のいい親戚のおじさんに久しぶりに会ったみたいな・・・それもちょっと違うか?
でも、さっきシズクさんと旦那様がとんでもない事を言っていたのは忘れていません。うぐぐ。
私の微妙な心情を感じ取ったのか、シズクさんが頭を下げました。
「先ほどはすみませんでした」
「い、いえ」
「ああでも言わないと、シオン様の気持ちも収拾がつかなくなりそうでしたからね。」
「はぁ」
「でも、安心して下さい。シオン様がこれから根回しをしたところで、リィナさんの帰還には間に合いませんから」
はい?
「もちろん、リィナさんが契約を更新してこの国に残るというなら、色々間に合ってしまいますけどね?」
「いやいやいや、帰ります、帰りますから」
「そんな必死に否定しなくても大丈夫ですよ。そうそう、クリス君がわざわざ私に通信機で連絡してきましたよ。シオン様が“リィナさんの意思を無視して”暴走しないように諌めて欲しいと言って来ました。そして私にも、貴女の味方になって欲しいと。」
「味方?」
「はい。この城に居る使用人は基本、シオン様の意思を尊重して行動するでしょうが、私はリィナさんの味方です。どうぞ滞在中、遠慮なく頼って下さいね」
優しく笑ってそう言ってくれたシズクさん。
どうやら、頼もしい味方ができました――大人の渋さにちょっとトキメキそうです。ドキドキ。
旦那様とマイクさんが戻ってきたところで、私の領地でのスケジュールを説明してもらうことになりました。
午前中はシズクさんのお手伝い、午後は日によって旦那様のお手伝いをする、と?
「シズク、リィナには私の仕事を手伝ってもらうつもりで連れてきたんだが?」
「手伝ってるじゃないですか。シオン様に見てもらう為の書類の整理と、シオン様が見終わった書類の整理をしてもらうんですよ?」
旦那様の指摘に対しての、シズクさんの素晴らしい回答です。旦那様も文句は言えません。
旦那様は『これじゃあ殆ど一日中顔を会わさないじゃないか』とブツブツ言ってますが、いや、それ普通だから。っていうか、今までお屋敷でもそうでしたよね?・・・とりあえず、その呟きはスルーしておきます。
「そうそう、リィナさん宛てに手紙が届いているんでした」
そういってシズクさんに渡されたのは、立派な手紙でした。明らかに上質な紙を使っているとわかる封筒に、おそらく家紋か何かのシーリングシール。
シズクさんがペーパーナイフを貸してくれたので、その場で開けてみます。
中から出てきたのは、結婚式の招待状でした。
「そっか、アリッサの。」
「ああ、リィナを式に呼ぶと言っていたんだったか」
「おや、それではその日程も組まなくてはなりませんね。拝見してもよろしいですか?」
「はい、もちろん」
というか、この世界の文字を読むのは会話ほど得意ではないので、むしろ音読希望だったりしますが・・・さすがにそこまで頼めません。あとでマイクさんにでも読んでもらおうかな。
そして一通り目を通したシズクさんは真面目な顔で言いました。
「リィナさん、ドレスは何枚持参しましたか?」
・・・もちろん、1枚だけですけど。ああ、またしても嫌な予感が。




