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【第1章完!】異常なのは世界の方だと思うのですが〜普通に生きたいだけなのに、全員が私を伝説扱いしてきます〜  作者: 九葉(くずは)


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第7話 真っ赤な帳簿と、終わらない「補習」

重厚な扉が開くと、そこは別世界だった。


足音が吸い込まれるような深紅の絨毯。

天井から吊り下げられたシャンデリアは、魔法の光で煌々と輝いている。

窓際には革張りのソファセットが置かれ、部屋の奥には、王様が座るような執務机が鎮座していた。


王立魔法学院、生徒会室。

選ばれしエリートたちの牙城。


私は入り口で立ち尽くし、履いている自分のローファーを見下ろした。

靴底に泥がついていないか、三回ほど確認する。


(……帰りたい)


胃が痛い。

こんな豪華な部屋に、私のような平民上がりの田舎貴族が入っていいわけがない。

空気を吸うだけで課税されそうだ。


「さあ、入って。遠慮はいらないよ」


アルフレッド殿下は、まるで自分の部屋に友人を招くような気安さで私を促した。

彼は上着を脱いで椅子の背に掛け、執務机の椅子に深く腰を下ろした。


そして、机の横に積み上げられた「山」を、指先でポンと叩いた。


「さて、リュシア。君への最初の課題だ」


私はゴクリと喉を鳴らした。

来た。補習だ。

やはり、私の成績があまりに酷いから、マンツーマンで基礎を叩き込むつもりなのだ。


「この書類の整理を手伝ってほしい。期限が迫っているのだが、人手が足りなくてね」


殿下が指差したのは、高さ五十センチはある書類の塔だった。

羊皮紙の束が、崩れそうなほど乱雑に積まれている。


(……これ、全部?)


私は眩暈を覚えた。

今日中に終わるだろうか。寮の門限に間に合うだろうか。


「内容は簡単な計算と確認作業だ。……君の『視点』で、不備がないかチェックしてくれればいい」


「は、はい。わかりました」


私は恐る恐る、ソファの前のローテーブルに案内された。

書類の山の一部、厚さ十センチほどが私の前に置かれる。


私は筆記用具入れから、愛用の赤ペンを取り出した。

これは実家で父の帳簿を手伝っていた時からの相棒だ。

インクの出が良く、間違った数字を容赦なく修正できる。


「失礼します……」


私は一番上の羊皮紙をめくった。


そこに書かれていたのは、数字の羅列だった。

『部費申請書』『魔導具メンテナンス費用』『資材調達リスト』。

タイトルは普通だが、中身の数字がめちゃくちゃだ。


(……うわぁ)


私は眉をひそめた。


汚い。

数字が踊っている。

桁が揃っていないし、合計金額が明らかに合わない。

項目の横に書かれたメモ書きのような記号も、意味不明な配置になっている。


『金貨300枚 × 乱数係数α + 虚偽申請枠β』


なんだこれは。

計算式が複雑怪奇になっているが、要するに「いくら使ったか」を書きたいだけのはずだ。

なのに、わざわざ遠回りな計算をして、結果的に数字がズレている。


(……なるほど。これは「間違い探し」のテストね)


私はピーンと来た。

これはただの事務作業ではない。

殿下が私を試すために用意した、計算ドリルだ。

「この乱雑な書類から、正しい数値を導き出せるか」という、注意力と計算力を問う試験なのだ。


実家の帳簿も酷かった。

お父様は計算が苦手で、羊が三匹増えたり減ったりするのは日常茶飯事だった。

それに比べれば、これは意図的な「引っ掛け」が多い分、まだマシだ。


カチッ。

私はペンのノックを押した。


やるしかない。

これを完璧にこなせば、少しは「使える生徒」として認めてもらえるかもしれない。


私は羊皮紙にペン先を走らせた。


『計算ミス。ここは300じゃなくて280』

シュッ、シュッ。二重線を引き、正しい数字を書き込む。


『この項目、重複してる。削除』

バツ印を大きくつける。


『係数αとかいうの、無駄。単純な掛け算でいい』

謎の記号を全部消して、シンプルな数式に書き直す。

余計な装飾(暗号らしきもの)を取り払うと、驚くほどスッキリした収支が見えてきた。


(ふふん、騙されませんよ)


サクサク進む。

計算自体は単純だ。ただ、無駄な迷路が多いだけ。

私は迷路の壁をペンでぶち破り、ゴールまでの直線を引いていく。


カリカリ、カリカリ、カリカリ。


静かな室内に、ペンの音だけがリズミカルに響く。

私は無心になっていた。

ゾーンに入った、というやつだ。

羊の数を数える時のように、あるいはカブの出荷量を確認する時のように、機械的に、かつ正確に処理していく。


『はい、次』

『これも間違い。桁が違う』

『合計が合わない。誰ですか、こんな雑な計算をしたのは』


一枚、また一枚。

処理済みの書類が、私の左側に積み上がっていく。


「…………」


視線を感じる。

殿下が、執務の手を止めてこちらを見ている気配がする。

でも、顔を上げてはいけない。

集中力が切れるし、もし目が合って「遅い!」と怒られたら怖いから。


三十分後。


「……ふぅ。終わりました」


私は最後の一枚に修正を入れ、ペンのキャップを閉めた。

手首をくるくると回し、固まった肩をほぐす。


目の前には、真っ赤に書き込まれた書類の山。

修正液がないから、元の数字を消して書き直した跡が痛々しいが、計算結果は完璧なはずだ。


「あの、殿下。チェックをお願いします」


私は恐る恐る声をかけた。


殿下はゆっくりと立ち上がり、私のテーブルまで歩いてきた。

そして、一番上の書類を手に取り、しげしげと眺めた。


「…………」


無言だ。

怖い。

字が汚かっただろうか。

それとも、引っ掛け問題に引っかかってしまっただろうか。


殿下の指が、私が『無駄な計算式』として削除した部分をなぞる。

そして、私が弾き出した『正解の数字』を見て、口元をピクリと震わせた。


「……リュシア」


「は、はいっ! すみません、字が汚くて!」


「いや。……君は、この『係数』の意味を理解して消したのかい?」


「え? あ、はい。なんかごちゃごちゃしてて計算の邪魔だったので。単純に合計を出せばいいんですよね? 遠回りすぎて、これじゃお金がどこに行ったかわからなくなっちゃいますし」


私は正直に答えた。

お父様もよく「経費をごまかすために複雑にする」という悪い癖があったから、それと同じだと思ったのだ。


殿下は天を仰いだ。

そして、肩を震わせて――堪えきれないように吹き出した。


「ふっ……くくっ! 『邪魔だから消した』か! その通りだ、まったくその通りだ!」


「で、殿下?」


「素晴らしいよ、リュシア。君は……天才だ」


彼は涙を拭いながら、私を見た。

その目は、なぜかキラキラと輝いている。


「王宮の古狸たちが数ヶ月かけて組み上げた『迷宮』を、君は三十分で更地にしてしまった。……これで予算が三割も浮く。財務省の連中が泡を吹いて倒れる顔が目に浮かぶよ」


「はぁ……?」


よくわからないが、どうやら正解だったらしい。

予算が浮く、というのは良いことだ。

計算ミスを修正したおかげで、無駄な出費が減ったということだろう。


「合格だ。これだけの事務処理能力があれば、生徒会の即戦力……いや、私の秘書官に任命してもいいくらいだ」


「ひ、秘書官!?」


とんでもない。

私はただの、図書室勤務希望の凡人です。


「い、いえ! 私はただの補習として……!」


「謙遜しなくていい。……ああ、明日が楽しみだなぁ」


殿下は書類の束を愛おしげに抱え、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「明日の朝一番で、財務大臣が血相を変えて飛んでくるだろうね。『誰だ、この神算鬼謀の修正を入れたのは!』ってね」


「えっ」


財務大臣?

なぜそんな大物が?


「……冗談ですよね?」


私は引きつった笑みを浮かべた。

殿下はニコニコと笑って、答えなかった。


窓の外では、夕日が赤く燃えている。

私の赤ペンで真っ赤に染まった書類とお揃いの色だ。


私は急激な不安に襲われながら、鞄を胸に抱きしめた。

ただ計算ドリルを解いただけなのに。

なぜか、国の金庫番を敵に回したような、嫌な予感が背筋を走るのだった。

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