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【第1章完!】異常なのは世界の方だと思うのですが〜普通に生きたいだけなのに、全員が私を伝説扱いしてきます〜  作者: 九葉(くずは)


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第5話 真紅の連撃と、ただ立っていただけの私

演習場の空気は、まだ焦げ臭い匂いを残していた。


授業が終わり、生徒たちが三々五々と校舎へ戻っていく中、私は杖についた土をハンカチで丁寧に拭き取っていた。

指先がまだ微かに震えている。

さっきの「石像消失事件」の動揺が収まらないのだ。


早く寮に帰ろう。

そして布団を頭から被って、今日のことは全部忘れよう。

そう決めて、鞄を持ち上げた時だった。


「――待ち遊ばせ」


凛とした、よく通る声が降ってきた。


私はビクリとして顔を上げる。

目の前に、真紅の髪を縦ロールにした少女が立っていた。

吊り上がった気の強そうな瞳。胸元には公爵家を示す獅子の紋章。

クラスでも一際目立っていた、ベアトリス・フォン・ベルンシュタイン嬢だ。


彼女は扇子のように広げた自分の杖を、切っ先鋭く私に向けた。


「リュシア・エヴァレット。貴女に決闘を申し込みます」


「……はい?」


私は目を丸くした。

決闘。

あまりにも物騒な単語に、思考が追いつかない。


「と、とぼけないでちょうだい。さっきのあれ……石像を一瞬で消滅させた魔法。あれを見せつけられて、黙っていられると思って?」


ベアトリス嬢は頬を紅潮させ、早口でまくし立てた。

その瞳はギラギラと燃えている。


(……怒ってる)


私は血の気が引くのを感じた。

やはり、さっきの失敗を見咎められたのだ。

由緒正しい公爵家の方からすれば、石像をどこかに飛ばしてしまった(と思っている)私の不手際は、学院の品位を損なう許しがたい行為だったに違いない。

これは「教育的指導」という名の制裁だ。


「貴女の実力が本物か、それともただのまぐれか。この私が暴いて差し上げますわ!」


「あ、あの、待ってください、私は……!」


「問答無用! 構えなさい!」


彼女は聞く耳を持たなかった。

周囲に残っていた生徒たちが、「おい、始まったぞ」「公爵令嬢と特待生(仮)だ」と騒ぎ出し、遠巻きに輪を作り始める。


逃げ場がない。

私は鞄を胸に抱きしめ、おどおどと後ずさった。


どうしよう。

戦う? 無理だ。

手加減ができない私が魔法を撃ち返したら、彼女を消し飛ばしてしまうかもしれない。

そんなことをしたら、エヴァレット家は明日にも取り潰しだ。羊たちは没収され、お父様とお母様は路頭に迷う。


(耐えるしかない)


サンドバッグになろう。

幸い、防御魔法なら多少は自信がある。

お爺様に山の上から岩を落とされた時に必死で覚えた、「皮膚ガード」がある。


「行きますわよ!」


ベアトリス嬢が高らかに叫ぶ。

彼女の杖の先に、真っ赤な魔法陣が展開された。


「炎よ、螺旋を描き敵を討て! フレイム・ランス!」


ドシュッ!!


空気を裂く音と共に、槍のような形状をした炎が飛んできた。

速い。

そして、熱い。

私の顔の真ん中を狙っている。


(ひっ……!)


私は反射的に目を瞑り、奥歯を噛み締めた。

身体中の魔力を、皮膚の表面に集める。

薄く、限りなく薄く。

服の下、肌の上一ミリのところに、見えない膜を張るイメージ。


来る。

当たる。


ガィィィン!!


硬質な音が響いた。


「……え?」


私は恐る恐る目を開けた。


痛くない。

熱くもない。


目の前で、炎の槍が弾け飛んでいた。

まるで、見えない鋼鉄の壁に激突したかのように、火の粉となって四散していく。


「なっ……!?」


ベアトリス嬢が目を見開いていた。


「無詠唱……!? しかも、障壁の展開が見えない……!?」


彼女は狼狽した様子で、再び杖を振るった。


「なら、これならどう!? フレイム・バースト!」


今度は爆発する炎だ。

私の足元に着弾する。


ドォォォン!!


爆風が巻き起こり、砂煙が舞い上がる。

周囲の生徒から悲鳴が上がる。


私は咳き込みながら、煙の中を手で払った。


(……びっくりした)


足元が少し暖かかった。

冬場にコタツに入った時くらいの温度だ。

私の靴も、靴下も、皮膚に密着させた「ガード」のおかげで無傷だ。

ただ、制服のスカートが風で捲れそうになったので、私は慌てて手で押さえた。


煙が晴れる。

私はその場に立っていた。

一歩も動かず。

煤ひとつつけず。


「…………嘘、でしょう?」


ベアトリス嬢の声が震えていた。

彼女の顔色は、さっきまでの紅潮が嘘のように蒼白になっている。


「私の最大火力を、直撃させて……防御魔法の光すら見せないなんて」


違うのです。

光らせると目立つから、透明にしているだけなのです。

お爺様が「光る障壁なんぞ、敵に位置を教えるようなものだ」と言って、光ると殴られたから癖になっているだけなのです。


「はぁ、はぁ……まだよ! まだ終わらないわ!」


彼女は肩で息をしながら、次々と魔法を放ってきた。

炎の矢。

炎の鞭。

炎の礫。


私はそのすべてを、ただ突っ立って受け続けた。

動けないのだ。

怖くて足がすくんでいるし、下手に動いてガードの隙間ができたら火傷をしてしまう。

だから、地蔵のように固まって、嵐が過ぎ去るのを待つしかなかった。


カンッ、キンッ、ガガガガッ!


私の周囲で、激しい音が鳴り続ける。

まるで雨あられだ。

でも、不思議と恐怖心は薄れていった。

彼女の魔法は見た目は派手だけれど、芯がないというか、お爺様の「岩石落とし」に比べれば綿毛のような軽さだったからだ。


(……そろそろ終わるかな)


私はぼんやりと、彼女の杖の先を見ていた。

これ以上長引くと、放課後の王太子殿下との面談に遅れてしまう。

そっちの方が百倍怖い。


「くっ……ぅぅ……!」


ベアトリス嬢の動きが鈍くなった。

杖を持つ手が下がり、膝がガクガクと震えている。

顔中汗だくで、呼吸も絶え絶えだ。


「なぜ……なぜ、攻撃してこないの……」


彼女が絞り出すように問うた。


「私なんて……相手にする価値もないと、言うの……?」


「え?」


違います。

反撃したら貴女が消し飛ぶからです。

あと、単純に喧嘩は校則違反だからです。


私が弁解しようと口を開いた瞬間。


カラン、と。

彼女の手から杖が滑り落ちた。


ベアトリス嬢は糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。

両手を地面につき、肩を震わせる。


「……私の、負けよ」


消え入りそうな声だった。


「全魔力を使い切っても、貴女の髪の毛一本焦がせないなんて……。完敗だわ」


「あ、あの、大丈夫ですか?」


私は慌てて駆け寄ろうとした。

魔力切れは辛い。頭痛がするし、酷い時は吐き気がする。

保健室に運んだ方がいいかもしれない。


けれど、彼女は私を手で制した。


「来ないで! ……情けをかけないでちょうだい」


ベアトリス嬢はふらつきながら立ち上がった。

そして、泥だらけになったドレスを払うこともせず、潤んだ瞳で私を睨みつけた。


「リュシア・エヴァレット。覚えておきなさい。……私は、いつか必ず貴女に追いついてみせる。貴女を、私の最大のライバルと認めてあげるわ!」


捨て台詞を残し、彼女はよろよろと去っていった。

取り巻きらしき生徒たちが「ベアトリス様!」と叫んで追いかけていく。


後に残されたのは、無傷の私と、穴だらけになった地面だけ。


「……ライバル?」


私は首を傾げた。

よくわからないけれど、どうやら許してもらえたらしい。

いじめのターゲットにされることもなく、一方的に「認められた」ようだ。


(よかった。友達になれそうってことかな?)


ライバルというのは、確か「好敵手」と書いて「とも」と読むやつだ。

あんなに高貴な方とお近づきになれるなんて光栄だ。

ちょっと激しい性格みたいだけど、悪い人ではなさそうだ。


私は鞄を持ち直し、時計を確認した。

まだ間に合う。


「急がないと」


私は小走りでその場を去った。


周囲の生徒たちが、

「見たか? 一歩も動かなかったぞ」

「魔法を皮膚で弾いたのか?」

「化け物だ……」

と、戦慄の眼差しを向けていることには、最後まで気づかないふりをして。

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