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【第1章完!】異常なのは世界の方だと思うのですが〜普通に生きたいだけなのに、全員が私を伝説扱いしてきます〜  作者: 九葉(くずは)


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第2話 羊皮紙の余白と、深読みしすぎた翻訳

講義室の空気は、インクと古紙の匂いで満たされていた。


ずらりと並んだ木製の長机。

そこにかじりつく数百人の受験生たち。

聞こえてくるのは、カリカリというペン先が紙を擦る音と、時折漏れる苦しげな溜息だけだ。


私は机の端に置いたインク壺の位置を、指先で数ミリだけ右にずらした。

万が一にも肘が当たって倒さないように。

さっきの魔力測定器の二の舞だけは、絶対に避けなければならない。


(……落ち着いて。ここからが本番)


私は深く息を吸い込み、肺の奥まで空気を満たしてから、ゆっくりと吐き出した。

手元の羊皮紙に視線を落とす。


筆記試験。

これこそが、私の「平穏計画」を立て直すための最後の砦だ。


魔力測定で目立ってしまった以上、この筆記試験では徹底して「平均」を取りに行く必要がある。

満点は論外。

赤点も目立つ。

目指すは全体の六割から七割。

「真面目に勉強はしてきたが、天才ではない」というラインを狙い撃ちにするのだ。


私は羽ペンをインクに浸し、余分な液を瓶の縁で丁寧に拭った。


問一から問五までは、魔法史と基礎理論。

これは簡単だった。

「初代国王が建国時に使用した魔法は?」

「火属性魔法の第三階梯における詠唱の省略条件を述べよ」


教科書通りの問い。

私はあえて模範解答を一言一句違わず書き写すのではなく、少しだけ言い回しを崩して記述した。

「完璧すぎる記憶力」もまた、異常値として検出される恐れがあるからだ。

少しばかり字を崩し、ありふれた学生らしい答案を作る。


順調だ。

この調子なら、私は無事に「ただの生徒A」になれる。


ペン先が軽快に滑る。

そうして、最後の問題に辿り着いた時だった。


『問六.以下の古代魔法語の文章を現代語に翻訳し、その意味を記述せよ』


私は瞬きをした。

問題文の下に記された、ミミズがのたうち回ったような奇妙な文字列を見る。


(……え?)


手が止まる。

ペン先からインクが一滴、ポタリと紙の余白に落ちて黒い染みを作った。


私は慌てて吸取紙でそれを押さえながら、もう一度問題文を凝視する。


読める。

スラスラ読める。

というより、これは……。


『マナは うつわに あわせて カタチを かえるよ』


たった一行。

それだけだ。


(……これだけ?)


私は思わず顔を上げ、試験監督の様子を窺った。

教壇に立つ教師は、無表情で懐中時計を見つめている。

周囲の受験生を見回すと、皆一様に頭を抱え、絶望的な顔で髪をかきむしっていた。

中にはペンを置き、諦めて天井を仰いでいる者もいる。


無理もない。

一般的に、古代語は難解だとされている。

文法は複雑怪奇で、一文字に複数の意味が込められているとか、発音するだけで魔力を消費するとか、まことしやかに語られているからだ。


けれど、私にとっては実家の書庫にあった絵本と同じ文字だ。

お爺様に「これを読み終わるまでおやつ抜き」と言われて、三歳の頃から叩き込まれた文字。


だからこそ、困惑していた。

あまりにも、簡単すぎるのだ。


『マナは器に合わせて形を変える』。

これのどこが、王立魔法学院の入試問題なのか。

基礎中の基礎。

なんなら、魔法使いになる前の子供に教えるような童話の一節だ。

「水は高いところから低いところへ流れる」と書かれているのと変わらない。


(……待って)


背筋に冷たいものが走る。


そんな馬鹿な話があるだろうか?

ここは王国最高峰の学び舎だ。

その最終問題が、こんな「そのまま」の意味であるはずがない。


これは罠だ。


私はペンの軸を噛みそうになるのを堪え、眉間に皺を寄せた。


「器に合わせて形を変える」

この単純な一文に、もっと深遠な意図が隠されているとしたら?


例えば、この「器」とは物理的な肉体ではなく、世界そのものを指しているのではないか。

あるいは「形を変える」という表現は、属性変化のメカニズムに対するアンチテーゼ?

いや、もしかすると、数百年前に起きた「大崩壊」の歴史的背景を踏まえた、皮肉めいた暗喩なのかもしれない。


(危ない、危ない……)


そのまま「魔力は容器によって変化します」なんて書いていたら、笑いものになるところだった。

「君は表面的なことしか見えていないね」と、不合格の烙印を押されるに違いない。


深読みしろ。

出題者の意図を探れ。

この一文から読み取れる、最大限に「それっぽい」解釈を捻り出すんだ。


私はインクをたっぷりとつけ直した。

羊皮紙の残りのスペースを確認する。

足りるか?

いや、足りなければ裏面に書こう。


私は猛然とペンを走らせた。


『本質的な意味において、ここでの「器」とは限定的な三次元空間を指すものではない。

 魔力の流動性は観測者の認識に依存するという、所謂「認識魔法学」の基礎概念を、

 詩的なメタファーを用いて逆説的に説いているものである。

 即ち、不定形であるマナが形を得るプロセスとは――』


ペンが走る。

止まらない。

お爺様の蔵書で読んだ、小難しい理論や哲学的な言い回しを総動員する。


難解であればあるほどいい。

煙に巻くような文章であればあるほど、高尚に見えるはずだ。

嘘は書いていない。

ただ、原文の「クマさんが言いました」みたいなニュアンスを、全力で学術論文に変換しているだけだ。


カリカリ、カリカリ、カリカリ!!


静寂な教室に、私のペンの音だけが激しく響く。

周囲の視線を感じるが、気にしている暇はない。

時間がない。

この「超難問」に対する私の「考察」を書ききらなければ。


(よし、ここをこう繋げて……結論は、循環する摂理への回帰!)


最後の一文字を書き終えた瞬間、終了の鐘が鳴り響いた。


「そこまで! ペンを置け!」


試験監督の鋭い声。

私はふぅ、と大きく息を吐き出し、痛くなった指をさすった。


羊皮紙は、文字で真っ黒に埋め尽くされていた。

裏面までびっしりと書き込まれたインクの羅列。

読み返すと自分でも何を言っているのかよくわからない部分があるが、それが逆に「賢そう」に見える。


(完璧だ……)


これなら、少なくとも「何もわかっていない馬鹿」とは思われないだろう。

かといって正解かどうかも怪しい(と本人は思っている)から、部分点で六割くらい貰えれば御の字だ。


試験監督が列の間を歩き、答案を回収していく。

私の席に回ってきたのは、神経質そうな細身の男性教師だった。


彼は私の答案用紙を手に取り、ふと視線を落とした。


その手が、ピタリと止まる。


「…………」


教師の目が、羊皮紙の上を高速で走る。

一度、二度。

眼鏡の奥の瞳が、限界まで見開かれていく。


紙を持つ指先が、小刻みに震えているのが見えた。


(……え、やっぱり書きすぎた?)


私は心臓が跳ね上がるのを感じた。

字が汚くて読めないとか、インクが滲んでいて減点とか、そういうことだろうか。

それとも、的外れすぎて怒りで震えているのか。


教師はゆっくりと顔を上げ、私を見た。

その表情は、まるで幽霊でも見たかのように引きつっていた。


「……き、君は……」


喉が鳴る音が聞こえた。

彼は何かを言いかけて、けれど言葉が見つからない様子で口をパクパクと動かした。

そして、恐る恐る、まるで壊れ物を扱うように私の答案を両手で抱え込んだ。


「……いや、なんでもない。……なんでも、ない」


彼はふらつく足取りで、次の生徒の元へ去っていった。

去り際、何度も振り返って私の方を見ていたのを、私は見逃さなかった。


(……やっちゃったかな)


私は机に突っ伏したくなった。


やはり、深読みしすぎたのかもしれない。

あんな長文を書く生徒なんて、私くらいだったのだろう。

「変な熱意のある生徒」としてマークされてしまったかもしれない。


まあいい。

破壊活動はしていない。

備品は無事だ。

ただ、ちょっと張り切りすぎて空回りしただけ。

それならまだ「真面目な努力家」の範疇で許されるはずだ。


私は荷物をまとめ、逃げるように教室を後にした。


背後で、あの教師が他の試験監督に駆け寄り、私の答案を見せながら何やら興奮気味に叫んでいる声が聞こえた気がしたが、私は耳を塞いで早足で廊下を歩いた。


聞かなかったことにしよう。

きっと、字が汚いことへの苦情に違いないのだから。

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