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【第1章完!】異常なのは世界の方だと思うのですが〜普通に生きたいだけなのに、全員が私を伝説扱いしてきます〜  作者: 九葉(くずは)


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第10話 高圧洗浄と、手のひらサイズの「野良犬」

地下室の空気は、不快指数が限界を突破していた。


目の前の巨大な黒い毛玉――野良犬が、耳をつんざくような咆哮を上げた。


「グオオオオオオッ!!」


ビリビリと空気が震え、壁の埃が舞い落ちる。

犬の口から吐き出された黒い煙が、真っ直ぐに私に向かって噴射された。


(くっさ!)


私は反射的に鼻をつまんだ。

酷い口臭だ。何を食べたらこんな匂いになるのだろう。生ゴミか、腐った下水か。

しかも、その煙に触れた床の石がジュウジュウと音を立てて溶けている。

強酸性の唾液?

なんて不潔な生き物なのだろう。


「……汚いにも程があります」


私は右手に握った、折れたモップの柄を突き出した。

先端はささくれているが、今の私にはこれが聖なる掃除用具タワシに見える。


やることは一つ。

丸洗いだ。

この薄汚れた獣をピカピカにして、二度とこんな不衛生なガスを撒き散らせないようにする。


私は腹の底から魔力を練り上げた。

イメージするのは、実家の羊小屋を掃除する時に使った、高圧ポンプの水流。

頑固な汚れも、こびりついた泥も、水圧の暴力で剥ぎ取る最強の洗浄術。


「洗浄魔法――『激流ハイドロ・バースト』!」


ドォォォォォォォォン!!


私のモップの先から、青白い奔流が放たれた。

それはホースの水なんてものではない。

太さ一メートルはある水の柱が、鉄砲水のような勢いで野良犬に直撃した。


「ギャウンッ!?」


犬が情けない悲鳴を上げた。

水流は容赦なく黒い毛皮(に見える汚れの塊)を打ち据え、部屋の奥の壁まで吹き飛ばした。


「逃がしません」


私は水量を調整し、さらに圧力を高めた。

広範囲シャワーから、一点集中ジェットへ。

狙うは、あのドロドロした黒い体毛の奥。


バリバリバリバリ!


水が当たるたびに、黒い煙が悲鳴を上げて消滅していく。

やはり、ただの汚れではなかったようだ。長年蓄積された油汚れのようにしつこい。

でも、私の洗浄魔法(聖水成分100%配合)の前では無力だ。


「グルッ……ガァ……!」


野良犬が必死に逃げ回る。

壁を登り、天井に張り付き、影の中へ潜ろうとする。

なんて往生際の悪い。お風呂が嫌いなタイプか。


「待ちなさい! ちゃんと洗わないと病気になりますよ!」


私はモップを指揮棒のように振り回し、逃げる犬を水流で追い回した。

右へ行けば右から。

上へ行けば上から。

四方八方から高圧洗浄ビームを浴びせかけ、逃げ場を塞いでいく。


ジュワァァァ……!


黒い汚れが削ぎ落とされるたびに、犬の体積がみるみる小さくなっていく。

軽自動車サイズだった巨体が、大型犬サイズへ。

さらに中型犬サイズへ。


「キュゥ……クゥ……」


ついに観念したのか、犬は部屋の隅で丸くなり、震え始めた。

真っ黒だった体はすっかり洗い流され、あとには掌に乗るくらいの、小さな紫色の毛玉だけが残っていた。


(……あれ?)


私は水流を止めた。

スタスタと歩み寄り、その小さな生き物を見下ろす。


そこにいたのは、子犬だった。

いや、犬というよりは、目が四つある奇妙なトカゲのような、あるいはコウモリのような生物だ。

濡れ鼠になって、プルプルと震えながら私を見上げている。


「なんだ、本体はこんなに小さかったんですね」


あの黒いのは、全部汚れ(毛玉)だったのか。

どれだけお風呂に入っていなかったのだろう。可哀想に。


私はしゃがみ込み、人差し指を突き出した。


「いいですか。ここは学校です。汚い格好でウロウロしてはいけません」


「キュッ……」


「あと、あの臭い息も禁止。ちゃんと歯を磨くこと」


「キュウ……」


生物はコクコクと何度も頷いた。

どうやら言葉は通じるらしい。賢い子だ。

でも、また大きくなって暴れられたら困る。

ここはしっかり躾をしておかないと。


私は指先で、空中に光の輪を描いた。

実家の牧羊犬につけていた首輪の魔法だ。

『噛みつき防止』『無駄吠え禁止』『マテ』のコマンドを込めた、簡易的な拘束術式。


「はい、お手」


私が手を出すと、生物はおずおずと前足を乗せた。


カチリ。


その瞬間、光の輪が生物の首に収まり、首輪の形になった。

拘束完了。

これで私の許可なく巨大化したり、毒ガスを吐いたりすることはできないはずだ。


「よし。大人しくなりましたね」


私は満足して立ち上がった。

部屋を見回す。

先ほどまでの悪臭は消え失せ、私の洗浄魔法のおかげで床も壁もピカピカに磨き上げられている。

これなら文句はないだろう。


さて、問題はこれだ。


私は部屋の入り口、壊れた鉄扉の方を見た。

鍵が弾け飛び、蝶番が歪んでしまっている。

このままでは、また変な生き物が入り込んでしまうかもしれない。


「直しておこう」


私は鞄から、筆記用具入れに入っていた『補修用テープ』を取り出そうとして――やめた。

物理的なテープでは心もとない。

また『接着』魔法を使うか?

いや、女神像の二の舞はごめんだ。光ったり聖水が出たりしたら困る。


もっと地味に。

目立たないように。

ただ「開かないようにする」だけでいい。


私は扉を無理やり押し込み、閉じた状態にした。

そして、扉の隙間に沿って、魔力で透明な『封』をした。

イメージは、ガムテープ。

隙間風が入らないように、ペタペタと目張りをする感覚で。


「……シールド」


ブォン、と低い音がして、扉と枠が完全に一体化した。

空気すら通さない密閉状態。

これなら、内側から誰かが体当たりしても、そう簡単には開かないだろう。


「完璧だ」


私は額の汗を拭った。


折れたモップの代わりは見つからなかったけれど、ここを掃除したことで、まあ良しとしよう。

この小さな生き物(元・巨大野良犬)はどうしようか。

ここに置いていくとまた汚れそうだし……。


「……ついてきますか?」


私が尋ねると、生物はパァッと顔(?)を輝かせ、私の足元に擦り寄ってきた。

そして、器用に私の肩へとよじ登り、ちょこんと座り込んだ。

軽い。ぬいぐるみみたいだ。


「まあ、いいでしょう。寮でこっそり飼うなら、バレないかな」


名前は何にしよう。

ポチでいいか。

いや、色が紫だから、ナスとか?

まあ、後で考えよう。


私は肩にナス(仮)を乗せ、ピカピカになった地下倉庫を後にした。


帰り際、私がガムテープ感覚で貼った結界が、うっすらと黄金色の幾何学模様を浮かび上がらせ、古代文字で『絶対封印・神域』と刻まれていたことには、気づかないまま。


そして、私の肩に乗っているのが、かつて一国を滅ぼしたとされる『災厄の魔公爵』であり、今まさに私の魔力に屈服して忠誠を誓った下僕第一号であることにも、もちろん気づいていなかった。


「ふう、いい汗かいた」


私は階段を上り、爽やかな気分で地上へと戻った。

これで今日の不運もリセットされたはずだ。

明日こそは、何も起きない平和な一日になりますように。


そう願いながら、私は寮への帰路についた。

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