【8-2】 天川周のシナリオ
俺がそいつの後を追ってやってきたのは、屋上スペースだ。
「浮かない顔だな」
フェンスに身体を向け立佇んでいた少女は、背後からかかった声にひらりと振り向いた。
揺れる木の葉の軽い音に混じってアブラゼミの忙しない声が聞こえる。白光が差す群青の下、花室冬歌が艶髪をなびかせた。
「当然でしょう。ここまでの彼らを見届けて、手放しで喜ぶことはできないわ」
「高嶺の花ともあろうお前が、えらく他人想いなこと言うじゃねえか。どうあれ俺たちは勝負に勝ったんだ、ならそれで結果オーライなんじゃねえの」
「……あなたこそ、他人事のように言うのね」
らしくもないと思っていた彼女の眼差しが、いつものように鋭くなる。
「私はそれら全ての黒幕があまね、あなただと踏んでいるわ」
「……その心は?」
飄々と受け流そうとした俺は、花室の鋼鉄みたいな視線に捕まってしまう。
「北原くんの成績を見れば瞭然でしょう。数学の点数が不自然に飛躍している。……あなたの仕業ね」
「仕業って。人聞き悪いこと言うなよ」
「ならあなたは、自分のしたことが善行だと言えるのかしら」
俺が遠回しに認めると、今度はめんどくさそうな質問が続いて飛んできた。
「今回の七組との勝負。文化祭の準備から期末テストに至るまで、一連の流れはあなたによって操作されていた」
「それは違うな。ハナから意図してこの展開に持ち込んだわけじゃねえ」
「それでも、こうなることは最初から見越していた。違うかしら?」
「…………」
なにかを掴んだような口ぶりで俺に迫る花室。
そこに感情はない。怒りも焦燥も呆れも伺えない、ただ謎を解き明かさんとする少女の姿がそこにある。
「美浦くんの妨害を予め予想して、あえて見過ごして最後に逆転劇に仕上げた。――教えて頂戴。今回の文化祭、あなたはどんな意図で、どうやって勝ったの」
どうやって勝ったか。
立場的にも実力的にも不利、圧倒的不利な戦況をどう覆したのか。
順を追って説明するならば、こうだ――。
「……まず初めに、七組の駒込。あいつが桃園はとりと衝突したことが全ての始まりだが、そこに深い因縁はないと思う。自分より下の連中がはしゃいでいたから、むしゃくしゃしてやった――将来が危ぶまれる動機だな」
そこに彼が居合わせたのが運の尽きだった。
「美浦悠馬はその瞬間を見て、瞬時に利用価値があると判断した。成績も申し分なく学内人気も一定数ある桃園を自分の手駒にしようと――あわよくば彼女の率いる二年五組をまるごと飼い馴らそうという考えに至った。…………ここまではお前に話したな」
リハーサルを終えた後、生徒会室に向かう道で、俺はある程度の真相を花室に説明した。
そして二人で向かった生徒会室。それこそが、俺が実行した最初の作戦だ。
「俺はお前を連れて生徒会長を訪ねた。そこで取り付けた一つの条件は覚えてるよな」
『当事者である田宮智也を文化祭出場停止する代わりに、一切の責任を不問とする』
俺たちと生徒会長の間に結ばれた条件、一つ目。
本来、七組の策略に巻き込まれた無関係な被害者であるはずの田宮を、こちらからあえて悪者に仕立て上げる。そして田宮個人に責任を集中させること、自ら非を認めることでペナルティを最低限に抑えた。
明るみに出ればグレーな(いくらでも指摘する余地のある)示談だが、神峰集という男の天秤にはうまく釣り合っていたようだ。
損失と利益の観点では考えうる最大の得をした。だが、そんなやり方が桃園、ひいては五組の面々に認められるわけがないのは重々承知していた。
だから、もう一つ。
『文化祭における二年五組の予算を既定の半分に減額する代わりに、十一月の学園祭での予算に余剰増額させる』
文化祭だけで見れば致命的な、予算五万円という数字はしかし、俺が持ち出した話だ。
これを一つ目の条件と掛け合わせると、田宮の出場停止に加え予算減額、バンドの出展許可というラベルができあがる。この条件ならクラスメイトも美浦も出し抜ける。
そして、トドメの一撃。
『神峰会長。この旨の条件を、放課後の審議の場であなたから呈していただきたいんです』
『……どういう了見だ』
『どうもこうも、二人のクラス代表にそんなことが言えるのは生徒会長であるあなたしかいません。絶対正義であるあなたから告げられれば、美浦とて意見を呑むはずです』
俺は言った。
確信をもって、堂々と告げた。
机に肘を立て指を組んだ生徒会長――神峰集に、臆することなく。
『貴様、名は何と言ったか』
『天川です』
『天川。お前が私にものを指図するその気概だけは評価しよう。しかし、一個人のために私がそこまで買って出る理由がない。私という「立場」を動かすだけの説得力が、お前の論理には欠如している』
『説得力ならここに居ます』
俺の提案を無情に斬り捨てんとする会長に、俺は食いつくように答えた。
はっきりと言い切って、そして……隣の少女を指差した。
『――はっ……?』
『知っているとは思いますけど。この花室冬歌は入学から現在に至るまで、桜川ひたち一人を除いてあらゆる競技で他者に引けを譲ったことのない実力者です。成績は最優秀、そんな彼女もまた、俺の言い分に同意しています』
『……続けろ』
『先ほど説明した通り、現状では過失の是非を問う判断材料が両者ともにありません。証拠もなにもない、虚実など判じようもない暗闇の中で唯一測れるものさしはと言えば、個人の相対的な信憑性ではありませんか?』
神峰会長は動かない。ただ俺を見据えたまま、沈黙で続きを促す。
『この花室はその仮定を裏付けるだけの信憑性を――神峰集会長、あなたを動かすだけの説得力があります。彼女の誓って誠実な同意に免じて、俺たちに乗せられてください』
明確な判断材料を基準に裁定を下す神峰会長だ。そしてこの学園の法則に則っても、実力という「数字」は強力な意味を持つ。
うろたえる花室に構うことなく、神峰集は無機質に問いかける。
『……花室冬歌。天川の主張に、依存はないか』
『――そ、』
『貴様の裡にある正義に従って、この男の言い分が真実であると誓えるか』
花室冬歌が身じろぎする。
いつも凛然としていて、圧倒的な迫力すら纏う彼女が視線を逸らしたくなるほどの圧力。生徒会長、神峰集の眼差しはそれほどまでに鋭く、そして強い。
『――はい。誓います。私はけして間違っていない』
『……そうか』
やがて神峰会長は、重厚な雰囲気を纏ったまま立ち上がる。
『了解した。お前たちの希望を受理し、ここで取り付けた示談は私の口から桃園と美浦に伝えよう』
『……』
『ありがとうございます』
その返答に、俺は深く頭を下げた。軽い頭を。
例のごとくキリが悪いんで二話またぎます!




