【3-3】 天川周と桜川ひたちの過去/回顧/邂逅
「あっぢぃい~」
注)ヒロインの声です。
街に繰り出して一時間ほど。それぞれの要件が終わり、俺たちは海南へと歩いていた。
「これでひとまずは終わりか?」
「うん……わたしの方は終わり」
「って、大丈夫かよ」
「ん……」
とぼとぼ歩く桜川からはすっかり威勢がなくなってしおらしくなっている。
それもそうだ。西に傾きつつあった日光は、らんらんと光るアスファルトに反射され俺たちを晒している。夏日と呼ぶにはいささか早い気もするが、近場とはいえけっこう移動したからな。疲弊していても無理はない。
その辺りで俺も自分の疲れを自覚した。あちこち買い求めに回っていたら、気付けば両手に袋やらバッグがぶら下がっていた。コミケ帰りのオタクかってくらいの荷物量である。
それに時間も時間だ。さっさと戻らなければ委員長あたりにお咎めをもらってしまう。さっさと戻りたくて、俺はつい急ぎ足になってしまっていた。
「ちょ……まって、周」
「あ、わりい」
桜川の唸るような声に引き止められて、そこでやっと気づく。しまった、女子を置いて歩調を速めるなんて。
淡い青春を理想とする俺にとって、女子との関わりは必修科目だ。さりげない気遣いで好感度を狙わなければいけないというのに、歩くスピードという初歩的な心構えも成っていないなどなんたる不覚。
つい失念してしまいそうになるが、桜川だって女の子なんだ。基礎能力や歩幅はどうしようもない。『青春を謳歌する』――信条に従って、その理解だけは忘れちゃあいけない。
ともあれ、ここは俺の落ち度。こういう時は俺から言い出すのが相場ってもんだ。
俺は視界の先にある公園を指差した。
「ちっと休んでこうぜ。俺もサボりてえ」
俺が向けた指の先。中央公園なんて名付けられた広場には、なんか偉そうなじーちゃんとかばーちゃんとか動物の銅像たちが立ち並び、中央には噴水の構えられた大きな池がある。
池に沿ってベンチが設置されている。連なった木々がちょうど屋根みたいに覆っていて、日陰にもなるから一息つくには最適だ。
そこに誘導しようとしたのだが、桜川は立ったまま動こうとしない。
「べつに疲れてないし」
「や、そこ強がる必要ねえだろ」
強がっているのか、単純に素直じゃないのか。どっちにせよそんな炎天下で突っ立てたらぶっ倒れるわ。お前に気を遣ってんだよ分かれよ。
だが、桜川のつぐんだ口からは思いもよらぬ答えがこぼれた。
「そうじゃなくてさ。こんなとこで一緒にいるとこ見られたらどうすんのよ」
なに言ってんだ、こいつ。
心底めんどくさいやつだ。俺以外の知り合いは近くにいないんだから、無理して完璧ヅラを演じることもないだろうに。
俺は桜川をジト目で見つめるが、彼女は照れくさそうに下を向いてしまって目が合わない。
前から思ってたけど、へんなとこ律儀だよな、こいつ。
「じゃあ俺だけ休んでく。お前は先に帰ってろ」
俺は意地悪そうに言って、ベンチに体を向けた。
半分投げやりだが、適当に突き放すようなこと言っとけばこいつは反発してくるだろ。
その予想の通り、しなしなしていた桜川は俺のその姿を見て口もとをもにょらせる。
「は。行かないし。ぜんぜんサボってやるし」
天邪鬼だなあ。見方によっちゃ可愛らしくもあるんだろうけれど。
俺は慣れない犬の散歩でもするように、桜川をベンチに誘導した。
「そこに座ってろ」
それだけ言って、後ろの自販機に向かう。
適当に飲み物のボタンを押して、彼女に差し出した。
「ほらよ」
「……なに?」
すごい警戒心だ。そんなに信用ならないか、俺。
「いや、目の前でしんどそうにされたら気遣うだろ。なんだよ、飲みもん買ってこいアピールじゃなかったの?」
「なワケないでしょ! わたしのことどう見えてんのよ」
あ、口調が戻った。座ったらちょっと回復したのかな?
「いやいや、慎重にもなるさ。なんせ桜川ひたちの引率だからな。かすり傷の一つでも付いたらどこから命を狙われるかわかんねえし」
わざとニヒルに口元を吊り上げて、皮肉を浴びせてやった。素直に渡せばいいのに、どうやら俺も素直じゃないみたいだ。
「そこまでされる筋合いはないわよ。それくらい自分で買えるし」
比較的穏やかにそう言って、ペットボトルに手の甲を添えて俺に付き返してきた。
しかしあれだ、こうして断られたり差し入れを遠慮されたりすると、自分のチョイスが否定されたんじゃないかとちょっぴり不安になる。お茶とかジュースみたいな好みの分かれるものは避けての水だったんだけど、お気に召さなかったですかね。
もったいないので自分で飲もうとキャップを開けると、桜川が自販機からすてすて戻ってきた。
「……んで、ミルクティーですか」
クソ熱い屋外で、少なくとも清涼感は感じないような亜麻色のボトルがとろりと汗をかいている。
それを握る桜川を見て、彼女の髪の色と似ているなんていらん思考がよぎった。
「文句あんの」
「いや、よくそんな甘ったるいもん飲めんなと思って」
「見た目よりサッパリしてるよ。ん」
飲み口に添えられた唇に見入ってしまっていたようで、桜川のその仕草が理解できなかった。
ん。ってなんだよ。飲めってことか。別にそこまでミルクティーを疑ってるわけじゃねえよ。
それに、あれだ。今こいつが口を付けたばっかだから、俺が飲んじまったら、それはつまり……、いや、余計なことは考えるな。
俺は差し出されたペットボトルを受け取った。
「ま、まあ。うまい、な」
「なにそのキモい口調」
言葉の切れ味が戻ってきたということは、ほんとうに体調も回復したのだろう。
どうやら俺の内心は見透かされていないようだ。今どき間接キスなんて大した行為とは受け取られないし、ここで変に動揺するほうがキモい。『これ間接キスだよな……』なんて思っても表面上は堂々とするか、そもそも気付かないふりをするのが得策だ。
もし桜川にバレでもしたら死ぬほどからかわれるかツンデレヒロイン御用達の鉄拳制裁が下されること請け合い。――前者だろうな。男女ともに交流の多い桜川はこんなこといちいち気に留めもしないはずだ。
なんとか桜川の調子もよくなったようで、話題は文化祭へと移った。
「勝てそうなの?」
「まあ、作戦がないわけじゃない。七組がなにかしてこないわけもねえだろうし、今は様子見ってとこだ」
それがなにを指しているかは、言われずとも理解できた。
美浦たち七組との件だ。直接居合わせてはいないものの、さすがに大体のことは聞き及んでいるのだろう。
「今さらだけどさ。なーんかいちいち物騒だよね、この学校。文化祭とか楽しんでなんぼでしょ」
「まあ進路にも響くからな、それなりに意識してるやつはちゃんとやんじゃねえの」
どんなイベントであれ、それが学校のカリキュラムとして組み込まれた行事なら結果如何で内申点に関わってくるし、受験と通ずるところある、どころかウチじゃ立派な受験対策の一環だ。
「受験……周は受験とかするの?」
「なんも決めてねえな。周りも周りだし、まだ考えてるやつの方が少ないんじゃねえかな」
決して悠長にしていられるわけでもないが。
俺らの年じゃこの時期から意識し始めてもおかしくはない。たぶん有名大学やそれなりの国立を目指すんなら、二年の夏という時期は一つのターニングポイントともなりうる。
「ま、どうせ俺が中途半端な進路を選んだところで、廻戸先生が修正しにくるだろうけど」
廻戸先生ほど俺の進路に深い関わりもを持つ人はいないからな。
そう呟くと、桜川が気恥ずかしそうに髪の毛を触りだした。
「あ、あの、さ」
その声はやけに澄んでいる。いつもは貼り付けのように射貫いて離さない視線は、俯いていて交差することはない。
「その……周、中二の時のことって、覚えてる?」
「あ?」
だしぬけに振られた話題に、俺は一瞬戸惑った。
中二か。三年くらい前。人によってはつい昨日のことのように感じるかもしれないけれど、生憎と俺はその記憶に乏しい。
というより、一つの出来事に支配されてしまっているだけなんだけれど。それこそ昨日のことのように、鮮明に脳裏に焼き付いている記憶。
甘く、淡く、痛くて苦しい『彼女』との記憶。
「いんや。そん時は色々立て込んでてよ、そのことしか覚えてねえな」
「へー。……どんな? 恋愛とか?」
ほんとにどうしたんだこいつ。らしくもねえ。いつもだったら「あんたが人間様の感情なんて語ってんじゃないわよ」くらい言ってきてもいいはずなのに。
コイ? なにそれおいしいの? 県南の湖畔でよく釣れる魚? なんてとぼけることもできたが、俺にはなぜか、そうすることはできなかった。
「ま、そうかもな。恋、してたのかもな」
その感情を知らないから、はっきりと言葉にできないけれど。
それでもあの時のじぶんが抱いていた心の靄は、燻っていた劣情は、恋という以外に言い表しようがなかった。
「それこそ受験のことを考えたのなんて後にも先にもそん時くらいじゃねえかな」
「そ、そうなんだ」
桜川を横目に見て、ふと我に帰る。
いらんことを喋りすぎたと自戒しながら、いつものように桜川が毒舌を交えてコメントしてくれることを期待したり。
だが、当の桜川は相槌だけ打って、その先を続けることはなかった。
「にしてももう三年かー。や、あん時は三月だからまだ二年くらいか。あの子も元気してっかな」
「あの子?」
「ああ。二年の三月。俺の最寄り駅の近くに桜並木あんだろ、川沿いの。そこで一人の女の子に逢ってな。今思えばあれがあったから海南に来たんだなって」
『彼女』と出逢い。そして廻戸先生に邂逅した。ターニングポイントというなら、間違いなくあの瞬間だろう。
過ぎ去った瞬間に思いを馳せていると、桜川が俺の顔を覗き込んできた。
「……その子って、金髪でポニテだった?」
「え、そうだけど。なんで知ってんの怖。なにお前占いもできんの?」
たった一度で核心に迫るとかもうア○ネーターじゃん。
「いや! そういうことじゃなくて! なんというかそのー……」
身じろぎする俺に必死で弁解しようとして、桜川は言葉を選んでいるようだ。
「わたしも、同じ経験があるから」
はい?
マジで怖いよ。どういうことだ、俺が出逢った少女は俺以外にもあの河川敷でロマンチックな演出を果たしているような都市伝説的存在だったってか? そこらの心霊より怖い。やっぱり一番怖いのは人間なんだ!
「……ねえ、周」
とりとめもないことを考えている俺の横で、少女はなにやら真剣な風だ。意を決して、なにかを言おうと開口して。
言い淀む。
桜川ひたちは言い淀む。その先を口にしようとして、口ごもる。そして俺は、静かにそれを見守っている。
「わたしが――」
だけど、その思考も沈黙も、ある人物に破られた。




