【ex1】 青春交響曲
おまけの短編その1です。こっちは正真正銘のテコ入れ回です。いやうそ、日常回も挟んどきたかったから、マジだから。
この世界は非常に興味深いもので、46億年という長い歴史をかけて紡がれた壮大な舞台の上に俺たちは立っているわけだが。
取り立てて興味深いのは、そんな長い──永い刻の流れを経てもなお、この世界には満ち足りない不完全さが満ち溢れているという完全なる事実だろう。
生物誕生の歴史からおよそ38億年。陸海空とそれぞれの世界でそれぞれの進化を経て、我々人類が誕生して約700万年。
この地上で唯一知識を得た『ヒト』は、これまでありとあらゆる謎を解き明かしてきた。
それはある種、定められた運命だったのかもしれない。なぜならそう決まっていたように、自然界、物理、科学には、ありとあらゆる公式──法則が存在しているのだから。
法則というものはかくも美しい。どんなに乱雑なファクターを含んでいようと、ひとたびソレに当てはめてしまえば一つの解に収束する。もちろん数学界においては、解は一つではないという解すらも存在する。
世界の法則の解明などという、時には分不相応ともいえる冒険を繰り返し、今の社会における『常識』が形を成した。
そして今回は、その法則からひとつ、取り上げるとしよう。
だれもが聞いたことのある、初歩的な『常識』──エネルギー保存の法則をご存知だろうか。
外部からの干渉を受けない孤立系において、その物体が持つエネルギーは、どんな状態であれ、総量が一定である、つまり変化後の総量がプラマイゼロになるという法則である。
あたかも科学や物理の世界にのみ適応されるルールかのようにも思えるが、実はそうでもない。
日常のあらゆる場面において、科学的法則は満ちている。エネルギーなんて、聞く人によっては頭痛を催しかねない単語で表す必要はない。
乾いたら潤す、溜まったら吐き出す。腹が空けば食事を摂るし、ストレスが溜まれば行動に起こして昇華する。人間はそうして本能的に活力を循環させるのだ。
例えばそう、歌うとか。
*
とある日の放課後。
学校終わりの帰り道、俺は自分の家路とは正反対の方向に歩いていた。
それも一人じゃない。あろうことか、俺は現在、学園の二大有名人と歩を並べているのである。
「じゃあ、これから大変なんじゃない?」
「そうだね。だから今日のうちに遊んでおこうと思って」
俺の前を並んで歩く二人。一人は飯田晃成。サッカー部の二年で、先日行われたインターハイ予選を勝ち上がり、無事に全国出場を果たした。
そんな飯田の話を聞いているのは、桜川ひたち。表向きはヒロインなんて肩書きが似合う明るい笑顔と声だが、たぶん飯田の話なんてどうでもいいと思ってんだろうな。
二人の後ろを歩く俺の隣には、花室冬歌が相変わらずなにを考えているのか判らない無表情で俺たちと行動を共にしている。
「にしてもお前、よくついてきたな」
俺が話しかけると、花室は感情のこもっていない声で答えた。
本当なら、桜川を毛嫌いする花室がこうして彼女と歩くことはない。どころか俺だってまっすぐ家に帰る。
時の流れというのは早いもので、気づけば六月。今年一年も折り返しまで来た。
そんで、この一週間いろいろあった。マジでいろいろあった……。
飯田たちのインターハイ出場と、これまでの『課題』を労うついでに俺の停学明けを祝して、パーっと遊ぼう、というのが飯田の提案だ。
俺としてはどちらでも良かった。他に誰とも予定はなかったし、たまには飯田と遊ぶのも悪くない。
問題はこの二人。『ヒロイン』と『高嶺の花』が、そんな提案に乗ってくるかと思ったが。
桜川はわりと乗り気だった。このメンツなら、特に気を遣うこともなくはっちゃけられる。こいつの内情を知る身からしたら、当然まである。
花室が誘いに乗るとは意外だった。他人と馴れ合うなど無駄な行為だ、なんて言うかと思ったんだけど。
「甘いわね。今が最大のチャンスでしょう。桜川は油断しきっているし、この道はあの女の自宅へと続いている。この前は切り上げてしまったけれど、今日という今日は仕留めてみせるわ」
はい、そんなこったろうと思いました。この花室が俺らと素直に遊ぶわけねえもんな。
ただでさえ冷えきったオーラ出してるのに、ここまで殺気を放たれちゃ温度差はえげつない。こいつだけ世界観違うんだよなあ……。
そして歩くこと二十分強。俺たち一行は目的地へと到着した。
やってきたのはカラオケ。いつだったか、俺と花室が尾行したヒロイン、桜川ひたちが訪れていた店舗だ。あの時はひとりだと思っていたのに、まさか飯田と密会していたなんて。
案内された部屋に入るやいなや、飯田と桜川はさっそくマイクを手に取った。飯田はたまにしかないオフだし、桜川もテンションが上がっている。
対して花室は慣れない空間に戸惑っているようだ。暗い箱の中に入ることを躊躇しているのか、入口前でもじもじしている。早く入って、音漏れるから。
「なに歌おうかな!」
「晃成くんはこれとかいいんじゃない? 似合うと思うよ」
「その曲二分しかないじゃねえか。お前、自分以外の番早く終わらそうとすんな」
わくわくしながら選曲に熱中する飯田と、さらっと非道な誘導をぶち込んでくる桜川。
桜川に釘を刺す俺を見て、飯田はなぜか笑みを浮かべていた。
「それにしても、天川と桜川さんって、息ぴったりだよね」
「へ?」「飯田、冗談キツイぞ」
不意に投下された話題に、桜川は一瞬気の抜けた声を出して、そのあとすぐに俺に刺々しい視線を向けてきた。
「いやあ、前から思ってたんだ。けっこうお似合いだしな!」
「そ、そんなこと」
「なんでちょっと照れてんだ。お前に関しては絶対にねえだろ、そんなこと」
「……っち、バレたか」
こんな憎まれ口のたたき合いしかしていないというのに、息ぴったりだなんて不本意だ。
「ははっ、そういうとこ。まるで夫婦漫才みたいだぞ!」
「なに言ってんの!」
「ぐべ」
「飯田ァ!」
ひとりでに感情が昂った桜川が、手に持ったデンモクでスパコーンと飯田の頭をぶっ叩いた。
番外編だからって暴力系ヒロインは世間の目が痛々しいからやめとけ。あとカラオケの備品を狂気にするんじゃねえよ、力士じゃねえんだから。
気を取り直して、トップバッター、飯田。
一発目だからという理由で、盛り上がる曲特集みたいなカテゴリから適当に選んで予約していた。その姿に俺は、軽く関心を覚えたものだ。
前までの飯田だったら、場の空気とかセオリーとか考えずに歌いたい曲だけ歌って、室内を気まずくさせていただろうに。いや、カラオケなんて歌いたい曲を歌うべきだし、いちいち気にしていてもしょうがないんだけど。
空気なんて気にするだけ無駄な気遣いかもしれないが、それでもあまり深くない関係性の同級生とってなったら、最低限の立ち回りは意識するのが常識ってやつだ。
どうやら飯田はこの数日間で、花室をはじめた異性と親しくなるために、さりげない気遣いなる物を自然と身に着けていたようだ。
そうなるよう指導したのが桜川ひたちだ、癪だがこの女の存在がこうして大きな影響力を持つことは否定できない。
それに。忘れがちだが、飯田は特進クラス。学業レベルの高い海南高校で特別進学コースに乗りこめているのだ、普段の言動とは裏腹に地頭はいいんだろう。
例えば俺や花室、滝田に対し、自分の立場に驕ることなく接する姿勢。『学園法』なんて気味の悪い規律が存在しているなかでも、普通科の俺らに分け隔てなく話しかけてくるあたり、こいつの人の良さがにじみ出ている。あれ? こいつひょっとしていい男なのでは?
「周、ちょっと」
普通に上手いな、なんて聞き入っていると、遠慮がちな声がかすかに耳に届いてきた。
くいくいと手招きされて、桜川の横に体を傾ける。
「晃成くんの歌、終わらせてくんない?」
「なに言ってんだお前。まだ半分くらい残ってんぞ」
「ところどころ声の張りが玉〇浩二みたいでやだ。わたし玉置〇二好きだからやめさせて」
「知らねえよ。自分で言えや」
似てんの声だけじゃねえか。〇置浩二なめんな。
「あー! 俺の番が!」
ラスサビの一番気持ちいいところで、伴奏がフェードアウトしていき、消費カロリーが申し訳程度に表示されだした。
鼻に着く歌声に耐えかねた桜川の演奏スキップ。こいつ飯田に対して雑すぎないか。
「容赦ねえなお前。それやんなら短い曲選ぶ必要なかったろ」
「ここまでとは思わなかったから……」
いや、ついうっかり……みたいにいじけられても。
「次、俺の番か」
マイクを手渡され、緊張と期待が入り混じった指先でデンモクを叩く。
歌うことは滅多にないけれど、ロックやヒップホップに限らず音楽を聴くのは好きだ。俺の総再生時間五〇〇を超えるプレイリストの中から一般ウケのいい一曲を選び出して、予約。
「──うーん。微妙だな」
「音痴というわけではないけれど、どこか惜しいわね」
花室も感じたままの感想を述べている。そう、なんか惜しいんだよな。
めっちゃ高くはなく、ネタにできるほど低くもない。いちばん反応に困るタイプだ。これが二次会とかだったらとたんに冷めるレベル。
「もっと抑揚とか、音程の細かいズレを意識した方がいんじゃない?」
「声量とかか。意外とむずいな」
桜川のアドバイスを脳内で反芻させながら、続く彼女らの歌を聞いて分析する。
うん、こいつらMIS〇Aとかsup○rflyかなってくらい上手すぎてまったく参考にならん。
しかし、どうしたものか。
俺は青春を謳歌することを志す身。学生の青春の一ページにカラオケは付き物、それを棒に振ってたまるか。
いつか来る美少女とのカラオケデートのために、必ずやモノにしたいところである。
だがご安心あれ、みんな。俺という男について一つ、重要なことを忘れてはいまい。
そう。ご存じの通り、俺は超学習能力を有しているのだ。
カラオケなんて久しいものだからコツを忘れかけていたが、さっき試しに歌ってみて、だいたいの要領は掴んだ。
要はプログラムされたシステムに特定の音程や抑揚の調整を加えればいい話だ。俺にとってこんな作業、取るに足りん。
聴くがいい、そして打ちひしがれよ、俺の歌声に!
そして、俺の二週目。
以下、採点結果。
点数──37点。
〈点数内訳〉
しゃくり0。
こぶし265。
フォール0。
ビブラート0。
「低すぎでしょ!」
「あれ? おっかしいな」
さっきより半分近くも低くなってる。なぜだ、なぜか『こぶし』だけ異様に多い。どんだけ音揺らしてたんだ俺。
「バカなの? 普段からカラオケやってりゃ分かるでしょ」「アホなの? 歌唱力を試される技法のひとつとして存在しているだけで、一辺倒に同じ音ばかり出していて高得点が取れるわけないでしょう」「天川、下手だな!」
ありえないレベルの点数だった。聖徳太子でも沈み込む勢いでめいめいにダメ出しを喰らって、俺のライフはとっくにゼロよ!
そして、三週目。
「よし。調子も上がってきたし、得意曲を歌わせてもらうぞ。聞いていてくれ、花室さん!」
飯田は相も変わらずバカでかい声で花室にアピール。お前ただでさえ声デケえんだからマイク持つな。アカペラで歌え。
そんな飯田に絡まれた花室は、心底面倒くさそうにしている。
そして三曲目。イントロが終わり歌い始める、というタイミングで、花室は無機質な一言を告げた。
「私、寡黙で静かな男性が好みね」
『────……』
「晃成くんンンン!」
その残酷な仕打ちに、さしもの桜川も同情を抑えきれていないようだ。
さすが花室。飯田の扱いにもう慣れている。
飯田の三週目のステージは、一音も発さなかったため機械の強制中断により幕を閉じた。
「……はあ、てんでダメねあんたたち。聴くに耐えない騒音ばっかだわ」
たしかに俺たちの壊滅的な歌声が悪いのは自覚しているが、そこまで言わなくてもいいじゃない。
だがな、桜川。そんなボロクソ言われて、黙って引き下がる俺じゃないぞ。
さっきの番で点数の取り方は掴んだ。もはやさっきまでのこぶし製造マシンの俺はいない。
ここはちょっと、こいつの憎たらしい笑顔を屈辱に歪めてやろうじゃないか。
「おい桜川。そこまで言うんなら、俺と点数勝負しないか?」
「はーん。いい度胸してんじゃない。受けて立ってやろうじゃないの」
さすがは桜川、こういう時の負けず嫌いっぷりは健在だ。
「そうね……ただ勝負するだけじゃつまんないし、なにか賭けよ」
「お、いいなそれ」
勝負。俺らの間にはもう馴染みのあるその単語だけあって、やはりそっちの方が気乗りする。そして賭けときた。望むところだ。
「こうしよ。いちばん点数の高い人が、フードと部屋代の会計をぜんぶチャラにしてもらう。反対にいちばん低かった人が、全員分の部屋代を払う」
えげつない内容だが、なかなか面白い条件だ。優勝すれば全額負担、負けてもビリじゃなきゃ時間料金はタダになるなんて、乗る価値はある。
だけどどうせなら、報酬をもっと弾ませたい。そう俺は思い立った。
たとえば、参加人数を増やせばそのぶん勝ち筋は増える。それに、どれだけ食いまくってもこいつらにちょっと分けてやれば、割り勘にして一人あたりの料金は少なくなるからな。
「誰かいい男子でもいるといいんだけどな」
…………。
「「あ」」
「どうしたんだ、天川、桜川さん?」
「なに、ちょっとキャスティングしているだけだ」「あ、もしもし粟野くん? 急にごめんね、今いい?」
俺の下卑た笑みと、桜川の電話越しに聞こえてくる声で、飯田は俺たちの計画をうっすらと察したようだ。
「なるほど。参加者を募ってオッズを下げるとともに、迷惑をかけても心が痛まない人を招集して気の向くままにフードを頼むつもりね」
「その通りだ花室。俺は滝田にかける。飯田、お前は柿岡な」
「俺、三人がたまに怖く感じるよ……」
粟野は去年彼女と別れて出費も減ったはずだ。柿岡とか居酒屋でバイトしてるし、そこそこ稼いでんだろ。
そして、少なくともあいつらに負けるとは考えられない。俺たちが食い荒らしたフードとかパフェのケツ持ちという名誉を与えてやろうではないか。
どうせ俺が一人負けすることはない。今のうちに頼みまくってやろ。
そして数十分後。合流した粟野、柿岡、滝田を加えてののど自慢大会。
以下、個人別点数結果。
桜川──97点
花室──95点
滝田──88点
柿岡──85点(『奏』がやけに上手くて鼻に着いた周が蹴り飛ばしたので中断)
粟野──84点
飯田──82点
天川──失格(柿岡の『奏』がやけに上手くて蹴り飛ばして妨害したため)
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