【8-2】 エピローグ(裏)
ここからはわたしのエピローグ。
桜川ひたちは入学してから今まで、廻戸先生に頼まれて校内で起こる問題を解消する日々を送ってきた。
入学。
そういえば、わたしが海南の入学を志したのも、このくらいの季節だったっけ。
今でも鮮明に覚えている。脳に焼き付いたように記憶にある。
二年前の春のこと。桜が散るころ、あの川沿いの道で出会った『彼』のことを、その言葉を指針にして、今のわたしがある。
彼が落とした一本の万年筆を拾っていなければ、わたしは今もあの頃のままだったろう。
当時、成績も素行も不良学生のわたしを目に映した彼が苛立っていたのは、わたしたちに対してかと思ってたけど。それもあるんだろうけど。思えばあの時、彼はなにかに囚われていた風だった。
そんな彼が投げやりに放った一言に、当時のわたしは激情しながらも、だけどそれからわたしの在り方は大きく変わったのだ――。
*
「ごめんなさい!」
時が止まった。
凍り付いた、というよりは止まった、教室に満ちた人間の作り出す空気。
わたしは、同級生四十人弱の視線の集まる先で頭を下げた。
週が明けて月曜日。金曜日の放課後に起こったとある事件について、わたしは六組のクラスメイトの前で言及することにした。
「わたしたちのせいで、色んな人が被害を受けたと思う。それを謝らせてほしくて」
謝罪の内容は先々週に流れ始めた一つの噂。桜川ひたちと天川周が付き合っているというスキャンダルについてだ。否――その噂を流布した犯人の正体について。
金曜日の放課後。その真相が校内放送を通して、全校じゅうに知れ渡った。そんなことがあればもちろん、犯人である粟野くんと柿岡くんは槍玉に挙げられることだろう。もちろんそんなことクソほどどうでもいいけど、掬えるモノは掬っとくのが後々好都合になるとわたしは考えた。
だから、それを阻止するために、わたしは動き出した。
「粟野くんたちも、悪気があってやったわけじゃないと思う。だから二人を責めないで上げてほしいの」
「「すみませんでしたっ!」」
わたしから一歩引いた隣では、粟野くんと柿岡くんが極まりが悪そうに身じろぎをしていた。
二人はわたしの謝罪を目にするなり、たどたどしく続いて頭を下げた。なんなら勢いのまま土下座してる。
粟野くんたちときたら、すっかりわたしにビビってしまっている…………それもそうか、二人にはこっちのわたしで接触したから、ヒロインの姿のわたしが不気味で仕方ないのか。
いやだって、わたしの計画をいちいち清純風に説明すんのめんどかったし。もし誰かにバラされてもそれこそこいつら信憑性ないし、そもそもこんなモブに主導権なんてあるわけないし。だったらいっそ本性出して手っ取り早く話をつけたほうがいいってだけ。
二人にとって目の仇である晃成くん。彼と花室冬歌をくっつけようと周が計画してるから、それを妨害すること。わたしが命じたのはそれだけ。
センスのない噂を流し出した時はしょうみ呆れたけど、わたし的にあれは都合がよかったわね。おかげで自然にわたしたちの既成事実も流すことができたし。
「……もういいよ、粟野、柿岡」「うん。反省してるみたいだし、なにより桜川さんに言われたらね」
「お、オマエら」
粟野くんたちは仰ぐように顔を上げた。
「にしても、さっすが桜川さん! それでこそ俺たちのヒロインだ!」
「ありがとう、みんな……!」
クラスメイト達のあたたかい声援に、わたしは口元を抑えて肩を震わせる。
ほんっっっと、チョロいな~、こいつら。
たぶん誰も気づいてないんだろうな、わたしが噂を流した張本人だってこと。
正しく言うと、流させたんだけど。わたしが堂々と断ることで、それまでクラスの雰囲気を曇らせて腫物扱いされていた粟野くんと柿岡くんの信頼を構築させ、間接的に冬歌と晃成くんの誤解も解かれる。
自分が被害者になることで非難の矢を浴びることなく、むしろ好感度を相対的に向上させる。『課題』は解決、クラス仲は緩和、そして迎えるのは誰も傷つかない結末。
そう、誰も傷つかない。どころかわたしは得をする。
これで一人勝ち、あわよくばわたしは周と――――そう思ってたのに。
思ってたのに、あいつ――!
その日の放課後。
わたしは一連の事後報告をしに廻戸先生のもとを訪ねていた。
「ご苦労。見事にあいつらの尻拭いをしてくれたな」
ほんと勘弁してほしい。
天川周――先生が一目置く、ただの男子生徒。
ただの男子生徒のくせに、やけに勘がはたらくし、物事を裏の裏まで読んでるし、このわたしに食って掛かってくる、いけ好かないやつ。
なんでわたしがあいつのために――いや。周はいい。
花室冬歌。なんであいつが周に協力してんのよ。
いくらわたしのことが嫌いだからって、二対一はずるいでしょ。物理的に優位なのは当然なんだから。
…………それに。
「天川の隣が羨ましいってか?」
そうよ! なんでぽっと出の女に後れを取るしかないの……って、え?
「声、漏れてんぞ」
廻戸先生はニヤリと笑っている。
「――! 先生! わたしはそんなことっ」
「おいおい。いつからお前らのことを見てきてると思ってんだ。その制服に袖を通す前から、俺はお前らの教師やってきたつもりだぜ」
そうだった。大前提、この人にその手の話で主導権を握ることはかなわない。
わたしが海南にいるのは、廻戸先生の進言あってこそだから。
「しかし、良い経験ができたじゃないか。一時でも天川の恋人を名乗れたのだから、まさしく不幸中の幸いというやつか?」
だからといっても。
恩義は合っても、それとこれとは話が別! なにいっちょ前に教師ヅラしてんのよ! このおせっかいゴシップオヤジ!
「にしても残念だったな。ヒロインとしてのプライドが優先して、結果破局か。おまえがもうちょっと素直だったらなあ」
「わたしは素直です! 嘘を吐いたことだってないし!」
「言葉ではな。だがどうだ。今のお前はヒロインとして自分自身を偽っている。なにより、天川に過去のお前を隠しているだろう」
先生のこういうところがほんとに頭にくる。分かってるくせにいじわるして、でもなにも言い返せなくて悔しさだけが募っていく。
「あの時のお前のままで顔を合わしゃ、あいつの反応も変わってきただろうよ。わざわざ髪色を変え性格を変え、桜川ひたちという人間を作り変える必要はなかったんじゃないか」
だって、しょうがないじゃん!
わたしの正体を知ったら、なおさらあたりが強くなるに決まってる! あの時の印象なんて、最悪だったんだから!
それに。素直になんてなれないよ。
周の話になると調子狂うし、あいつの前だとまともに目を合わせられてるかすら不安になる。緊張で会話どころじゃないんだから。
気持ちを紛らわそうと強気でいると、そのまま強気な態度になっちゃうし……。人と話すのって、こんなに大変だったっけ。
「勘違いすんな。『ヒロイン』桜川ひたちのことは知らんが、天川は今でも本当の桜川の影を追っている。お前が足踏みしている間に、あいつはいずれお前に辿り着くだろうさ」
それって。
「お前はあの時。確かに一人の少年を変えた。道を示した――少年がお前に、道を示したように」
その言葉が聞けただけでいい。
今はそれだけでいい。周が覚えている。
あの時あいつがわたしにかけた言葉を。
『誰もが認めるヒロインになってやるんだから!』
ならそれまで、わたしはヒロインとして在り続ける。あの約束を果たして、全部が終わった後、あいつの前に現れてやるんだ。
あの時周が示した道を、最後まで歩いてやるんだ。




