【4-2】 近すぎます、花室さん
そして放課後。
桜川が教室から出てくるところから始まり、駅までおよそ二十分ほど後を追い、最寄り駅までやってきた。
道中の桜川はすれ違う何者をも振り向かせる美貌で学園線通りを闊歩していた。
「一発であいつって分かるな」
良くも悪くも、あいつは目立つから見失う心配はなさそうだ。
そんな桜川が数名の影に捕まるのを確認して、そこで歩を止めた。
「あれは」
「特進の奴らだな」
バスターミナルに続く階段を上がった先のセンター広場。石のモニュメントや埋め込まれた木々にベンチが建ち並ぶ、タイル状に舗装されたモダンな造りの並木道。以前、俺と桜川、そして飯田を加えた三人で出かけた際に、桜川が待ち合わせ場所に指定してきた広場だ。
そこで彼女を捕まえたのは、小数人の海南生徒だった。
桜川と、彼女を囲う男女四人。それも見知った顔だが、さして仲良くない。
特進文系クラス、六組の面々だ。彼らは自分らのコミュニティをこそ至高と信じ、普通科クラスの生徒を嫌悪する。かくいう俺も彼らとはあまり良い思い出がない。
今も桜川を巻き込んで談笑しているが、その笑顔が俺たち普通科生徒に向けられることはまずもってないのだろう。
それを隣で見つめる花室冬歌が呟いた小さな言葉に、俺は耳を疑った。
「低俗な集団ども……」
いつも通りの冷淡な声色。だが、今のは普段のそれとは違う。発せられた音から、苛立ちを孕んだ瞳の奥から――冷たい温度の中に、深く深い、黒い感情が覗いていた。
その一言がひどく怖くて、背筋に走る緊張感に全身が小さく震えているのを気取られないよう必死だった。
聞き間違いかと聞き返すのも躊躇われ、俺はただ視線を桜川に向けたままでいる。
花室の静かな敵意などつゆ知らず、桜川たちはその場で話し込んでいた。
えも言われぬいたたまれなさに呆けていると、その中の一人がスマホに目を向け、それを合図にするように四人は駅構内へと駆けていった。おそらくは電車やバスの時間に差し掛かったのだろう。
そして残った桜川は、踵を返して歩き始めた。
「駅からは別れるのか」
「追いましょう」
花室の合図でそそーっと後を追う。
桜川が抜けていったのは駅前通りだ。
飲食店やカラオケなんかが立ち入ったビルが乱立している通りを、桜川は声をかけてくるバイトの勧誘やナンパを払いのけながら歩いている。こいつもこいつで大変そうだな……。
「本当にこんなんで手がかりが掴めるのか?」
「少なからず、学校での完璧面は崩れるでしょう。その化けの皮を暴いてみせるわ。……それにしても狭いわ。もう少し屈んでくれるかしら」
「もう両膝着いてんだよ。これ以上いったら土下座することになる」
「あら、得意でしょう? 土下座」
なめとんのか。
俺たちはといえば、死角になる建物の隅に身を潜めながら尾行を続けている。桜川が歩を進めるのに合わせて少しずつ前進し、電柱やら路地裏やらから首をひょっこり出して偵察するという古典的な方法だ。
こんな風に誰かを追いかけたことなんかないから、隠れるのに必死で目的の人物から目を離してしまわないか不安になる。それは花室も同じようで、慣れない姿勢にプルプルと体を震わせているの伝わってくる。
「あまね、見えない」
「ちょ」
花室が身を乗り出そうとして、俺を支えに寄りかかってきた。
肩に手が置かれる。
花室の小さな手の感触と、爽やかに香るサボンの匂いに、体の感覚がこいつで支配されたような気がしてこそばゆい。
手入れの行き届いた絹糸みたいな髪の毛先が当たってくすぐったいし、さっきからお前の柔らかい弾力が肩に伝わってきてもどかしいんだよ。というかマジでヘンな気分になるから自重しろ……!
「……こんなに近くで観察する必要あるか?」
「なにを言うの。あのメス猫は気を抜いたらどこに身を隠すか分からないでしょう。こうして近くで見張っていないと」
こうも息を殺して見張っていると、本当に猫でも追いかけているような気がしてくる。
だし、互いの吐息が重なるほど体を重ねていると、それどころじゃなくなっちまうから。勘弁してほしい。
「や、そうじゃなくて。わざわざこんなに密着しないでも」
俺の遠慮がちな指摘に一瞬頭の上にはてなマークを浮かべた花室だが、はっと理解が及ぶと、顔を赤らめて俺から勢いよく手を離してしまった。
俺から手を離したというよりは、俺を突き放すように手を押し出した。
「不貞な!」
「ちょ、バカ!」
誰が不貞だ。不貞はお前だ隠れ天然ビッチ。
動揺のあまり力んでしまった花室に肩を押され、突き飛ばされる形で前方へよろめいてしまう。
受け身を……とれるか! くそ、だったらせめて倒れ込まないように、なにかに掴まって――掴まれるもの。
俺はがむしゃらに腕を振り、傍にそびえ立った電柱めがけて手を伸ばした。……つもりだった。
腕を掛けたつもりだったのだが。
「ひゃっ⁉」
なんか違う、ずっと細くて柔らかいモノを握っていた――――花室だこれ!
「いッ⁉」
普段の彼女の様子とは似つかわしくない嬌声をあげながら、花室は勢いそのままの俺に引きずりこまれそうになる。
俺と手を取られた花室は、両者その腕を張り合って、傾いた俺の姿勢も相まって、一瞬社交ダンスみたいな構図になるのだが、しかし華奢な花室と重力に身を任せた俺とでは比べるもがな、あっさりと地面に身を打ち付けてしまうのであった。
どしーん。
そんな鈍い音が響いた気がする。「いって……」肩と背中に走った衝撃を噛み締めながらゆっくり上体を起こそうとしたが、身体に重石が乗ったようで叶わなかった。
違和感に視線を落とすと、俺と一緒になって倒れ込んだ花室が、俺の身体に覆い被さるように全身を預けていた。
じっくりと味わった、初めての体験。
なんだ、この感触………女の子って、こんなに細いのか。
刹那の間気を失っていた花室が同じように顔を上げ、俺と視線を交差させる。
一秒。時間にしてわずか百コンマの間お互いの顔を見つめ合って、先に折れたのは、彼女の方だった。
「~~っ!」
異性とほぼ全身を密着させている自覚に顔を真っ赤にしながら、花室は弾けるように飛びのいた。
たぶん、俺も同じような顔をしているだろう。
「その……ご、ごめんなさい」
「いや……謝らんでも」
照れくさくてそっぽを向いてしまう。
なんだよ、いきなりラブコメ展開とかやめてくれ。心の準備ができてねえよ。
なんて、少しでもときめきかけた自分を恥じたい。
「それで、桜川ひたちの行方は把握できた?」
深く息をつくと、花室はさっきまでの動揺が嘘みたいに冷静さを決め込んでいた。切り替えの早さプレミアリーグかよ。
「いんや、一緒になって倒れてたから見失っちまった。……にしてもあいつ、足速えな。もしかして気付かれたか? それで走って逃げちまったとか」
「その線は薄いのではないかしら。そう遠いところには行っていないでしょう」
「というと?」
「アレがどんなに敏捷でも、この長い通りを直進していたら、見失うというのは考えにくいわ。抜け道という道もないし、どこかに曲がっていった可能性は薄いでしょう」
となると、どこか建物の中に入って行ったのかもしれない。
この風景の中で、女子高生が一人で出入りしていてもおかしくない場所は……、
「カラオケ、か?」
「おそらく」
花室は静かに頷いた。俺がその候補にたどり着く前に、既に答えに至っていたのだろう。
「なんだって一人で。あの様子じゃ、誰かと待ち合わせってわけでもないだろに」
「一人でカラオケに行くこと自体はおかしな事ではないのではないかしら」
ごもっともなことを花室が言う。
「確かに、俺もたまにヒトカラするわ」
「あなたが言うと虚しく聞こえるのだから不思議ね」
「否定できないのが一番心にくる……」
余計な一言は置いておくとして、花室も俺の疑念を理解していないわけではなさそうだ。
つまりそういうことだ。
高校生女子のカラオケなんて、友達と一緒に来るもんじゃないのか。偏見だし、放課後に一人で練習、だとか言われたらそれまででしかないけど。それにしたって桜川ならいちいち練習しなくてもそこらのプロレベルの歌唱力を持ち合わせているだろうに。
「で、どうする。俺らも中までついていくか?」
「なかなかにリスクが高いわね……。そこまでして得られる収穫も限られてくるだろうし、ハイリスクローリターンであることは懸念せざるを得ないわ」
それには同感だ。
「じゃ仕方ねえけど、これ以上踏み込む余地はなさそうだな」
「待ちなさい。どこへ行くの」
「げふ。……なにすんだよ?」
これでやっと家路に着ける、と引き返そうとする俺を、花室はブレザーの襟を掴んで止めやがった。桜川といい、普通に声かけろや。なんでそこばっか引っ張んだよ、俺は犬じゃねえっての。
「なぜ帰る気でいるの。ここまで来たら最後まで付き合いなさい。一つでも桜川の情報を得るまでは引き下がるわけにはいかないわ」
こいつこそなんのつもりだ。収穫は見込めないって、たった今お前が言ったんだろうが。
俺が不服そうな目で訴えると、花室は待ってましたと言わんばかりに得意げな顔を浮かべた。
「中がダメなら外で待てばいいじゃない」
マリーアントワネットかお前。




