「お礼をしました!」
約束の一〇日が過ぎ、翌日の朝。アプリコット達はこの神殿で最後の食事をみんなで揃って食べていた。
「ふがふが……今日もレーナの料理は美味いのだ!」
「こうして美味しい朝食を食べられるのも、今日で最後ですね」
「えー、残念なのは料理だけなんですか!? そこは『皆さんとお別れするのは寂しいですね』とか言ってくれてもいいのでは?」
「フフフ、それは勿論そうですけれど、今までだってここには沢山の人が尋ねてきて、そして旅立って行きましたから。その方達を皆『寂しいから』という理由で引き留めていたら、今頃この山頂に町ができているところです」
「それは確かに、そうですわね」
軽い冗談を言ったりしつつ、食事は和やかに進んで行く。昨日まではフラフラしていたレーナも、今朝は元気いっぱいだ。
「それで、この神殿での生活はどうでしたか? 最後の方は心配になるくらい真剣にお祈りをなされていたようですけど……何か得るものはありましたか?」
「そりゃあもう、バッチリですよ! ねえレーナちゃん?」
「はいですわ!」
「それはよかったです」
アプリコット達から伝わってくる気配に、ネムは内心でホッと胸を撫で下ろした。昨日までの空気を引きずっているようなら、多少無理を言ってでも引き留めた方がいいだろうかと真剣に考えていたので尚更だ。
「それでですね。短い間とはいえお世話になったネムさんに、是非とも私達からお礼をしたいのです!」
「お礼ですか? 皆さんには十分にお手伝いをしていただきましたし、これ以上は過分だと思うのですが……」
アプリコットのおかげで自分一人では数ヶ月かかるような力仕事が全て片付き、シフが連日森から獣や木の実、山菜などを持ってきてくれることで食料備蓄は消費した何倍にも膨れ上がり、それをレーナが保存食にしてくれたことで冬に向けての備えも万全だ。
差し引きで言うなら圧倒的にプラスであるし、何よりアプリコット達が一生懸命に奉仕活動をしてくれたことに疑う余地もない。ならばこそ更にと言われて少々困った顔をするネムに対し、レーナが席を立って回り込むと、その手を取って自分の手で包み込むように重ねた。
「そう言わず、是非受け取ってくださいませ! これは私達がここで頑張った修行の集大成のようなものなのですわ!」
「ああ、そういうことですか。それでしたら、勿論受け取らせていただきます」
レーナの言葉を「自分達の修行の結果を見せることがお礼」なのだと判断したネムは、一転していい笑顔で頷いた。後輩の成長を感じさせてもらえるのは、確かにとても素敵なお礼だと思ったからだ。
「ではいきますわ! 天にまします偉大なる神に、信徒たる我が希う。その信仰をお認めくださるならば、神の奇跡の一欠片を、今ここにお示しください……家内安全、火無万全! <光を灯す右の指先>!」
ネムと手を重ねたまま、レーナが聖句を唱える。するとレーナの右手に生まれた光が、そのまま二人の手を包むようにして優しい光を放つ。ネムはそこに信仰する神の力を感じ取り、素直な感想を伝えた。
「……アマネクテラス様のお力が、とても安定して発現しているのを感じます。素晴らしい<灯火の奇蹟>ですね」
「ありがとうございますわ。でも、まだここからです! 光神アマネクテラス様、その艶やかなお姿を、どうかこの地にお示し下さい……っ!」
ムムムッと集中しながら、レーナが改めて聖句を唱える。すると白い光の色がジンワリと変わり始め、程なくして鮮やかな赤に変わった。
「どうでしょう? 発現しているアマネクテラス様のお力が少し変わったことがお分かりになりますか?」
「え、ええ。確かに先程までとは少しだけ違うような……?」
「「「おおー!」」」
若干戸惑ったようなネムの反応に、アプリコット達が歓声をあげた。まずあり得ないとは思っていたが、もしここで「わからない」と言われたらそこで今回の試みは終わりにするしかなかったのだから、それを乗り越えた安堵は大きい。
「気づいていただけて良かったですわ! アプリコットさんはこの違いがわからないと言っておりましたので」
「むぅ、仕方ないじゃないですか!」
レーナの言葉に、アプリコットがばつが悪そうに言う。そもそも微細な違いでしかないうえに、アプリコットの場合は全身に筋肉神ムッチャマッチョスの力が満ちていることもあって、アプリコットには今ひとつ判別できなかったのだ。
「まあ、私にわかるのですからネムさんにわからないはずがないとは思っておりましたが……」
「あの、レーナさん? これは一体?」
「お答えしましょう! 今レーナちゃんとネムさんの手を包んでいる光は、真っ赤に光っているのです!」
「真っ赤……赤? えっ、えっ!?」
「さあ、次にいきますわよ! えいっ!」
戸惑うネムをそのままに、レーナが気合いを入れて光の色を青に変える。すると今度はシフがやってきて、ニンマリと笑いながら言う。
「どうだ? 今レーナの手は、空のような青に光っているのだ!」
「青……空の色……」
「そうですわ! そして最後に……」
三度祈りを込めると、レーナとネムの手を包む光が柔らかな緑へと変わる。それをしっかり確認してから、レーナは優しく微笑んでネムに告げた。
「これが緑ですわ。この三つの色……アマネクテラス様のお力の揺らぎの混じり方が、この世界に存在する『色』の全てなのですわ!」
「赤……青……緑…………色、これが、これが色…………!?」
その言葉を聞き終わり、ネムは小さく唇を震わせた。そのまま意識をテーブルの上に置かれたカップに……その中に注がれている紅茶に向ける。
「これ、このお茶は……何色ですか? 赤、と緑の中間くらい……いえ、赤が少し強い?」
「ああ、確かに赤みがかった黄色ですね。ちょうどお日様みたいな色です!」
「お日様……太陽……これが、この光が……!?」
知識として、これがそういう色なのだとは知っていた。だがそれが何を示すのかを、ネムは理解できなかった。色は単なる言葉であり、何色と言われてもそこから連想できるものが何もなかったからだ。
だが今、ネムのなかで知識と意識が繋がった。感覚を広げ室内に満ちたアマネクテラスの力を感じ取れば、今までは気にとめることもなかった極めて微細な揺らぎが「色」という意味を以て伝わってくる。
「わかる……わかります。赤が、黄色が、緑が、白が……ああ、ああ! あああああ!」
世界に、色が広がった。それはアプリコット達が目にする色と同じではなかったが、ネムの世界に今この瞬間、「色」という概念が生まれた。
「――っ!」
「えっ、ネムさん!?」
勢いよく立ち上がり、握ってくれていたレーナの手を振り払って、ネムは思わず駆け出していた。神殿の中を走るなど見習いの頃ですらしたことがない蛮行だったが、胸の内から湧き上がる衝動をどうしても抑えられない。
「ハッ! ハッ! ハッ!」
それでもネムは走る。跳ねる心臓は息を切らせ、ほんの十数秒の距離が初めてこの神殿を訪れた時の山道よりも遠く感じ……そうして外に飛び出した時、そこには光が広がっていた。
「スゥゥゥ…………ハァァァァァァァァ……………………」
両腕を大きく広げて世界の全てを取り込むように息を吸い、入ってきた全てを抱きしめるように愛おしみながら息を吐く。
感じる。感じる。木々のざわめく音を、吹き抜ける風の冷たさを、地を踏みつける感触を。それら全てと一緒に、世界に満ち満ちたるアマネクテラスの力を……光を、色を感じ取れる。
知らず、ネムは目を開いた。白い瞳は何も映さず、だがその奥に宿る魂はこの世の全てを視渡している。涙が止めどなく溢れ続け、震える魂がそのまま喉を震わせ言葉となる。
「神様。光神アマネクテラス様! 私は今、改めてこの世界に生まれました。今初めて、この世界と一つになれたのです!
私の今までの信仰は、今日この時のためにありました! 私のこれからの信仰を、今この時のために捧げます! どうかどうか、この喜びを、感動を、私と同じ見る目を持たぬ者達にお伝えください! アマネクテラス様の照らす世界の美しさを、私の全てで、世界の全てに!」
その瞬間、空から降り立つ光の柱が、ネムの体と魂、その全てを貫き包み込んだ。





