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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第七章 虹を望む聖女

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「試行錯誤してみました……」

 それから三日、アプリコットはひたすらに「音を視る」という訓練を続けた。今日もまた皆が去った寝室からは、アプリコットが訓練する音が聞こえてくる。


コーン……コーン……コーン……


「……………………」


「……なあ、アプリコットは大丈夫なのか?」


「しっ! シフさん、邪魔してはいけませんわ!」


 そんなアプリコットの姿を遠くからこっそり覗きながら囁くシフに、レーナが小声で注意する。扉や窓などを開けておくことでより壁との違いが明確になるため、寝室の中央に佇むアプリコットは部屋の外からでも見えるのだ。


「だが、このところずっとああしているのだぞ? 我は知っているのだ。ああいうのは凄く疲れるのだ!」


 森で狩りをして暮らしていた……そしてそれ以前にも白銀の村で過ごしていたシフは、音や匂いで獲物を探す練習をしたことがある。だからこそ一見するとただ立っているだけのアプリコットが、かなり疲労しているであろうことを経験として理解していた。


 ならばこそ心配するシフに、レーナが優しく声をかける。


「ええ、頑張っておられますわ。だからこそ私達は、私達ができることでアプリコットさんのお役に立たなければ! さしあたっては……そうですわね、元気の出る美味しい食事を用意するのはどうでしょう?」


「おお、それはいいのだ! なら我がまたいい感じの獲物を狩ってきてやるのだ! あと我のママも分けてやるのだ!」


「あら、いいんですか? しばらく町に寄っていないから、もう残りが少しだけだったはずですけれど……」


「アプリコットのためならいいのだ! そのかわり……」


「ええ、とっても美味しいものを作りますわ! バターや小麦粉は十分にありましたから、焼きたてサクサクのクッキーを作って、それにマーマレードを乗せましょうか」


「うぉぉー、それは最高に最強なのだ! そこにステーキが食われれば、無敵に素敵なのだ! よーし、我は早速森に行くぞ!」


「私もネムさんに言って、調理場をお借りしなくては……」


 こっそり相談していた……途中から割と大声だったが……二人が、そうして何処かに消えていく。そんな二人の会話を、アプリコットはしっかりと聞き取っていた。壁に反射する音を聞き分けるなどという訓練をしているのだから、小声とはいえ人の会話が聞こえないはずがないのだ。


(ありがとうございます、二人とも)


 優しい友達の心遣いに感謝の念を送りつつ、アプリコットは訓練を続ける。


コーン……コーン……コーン……


「…………ふむ」


 音の反射を聞き取り、目を閉じたまま少し歩いて壁や物に触れてみる。流石に寸分違わずとまでは言えないが、それでもおおよその位置は合っている。


 そう、たった三日という短期間でありながら、アプリコットは「音で物を視る」という行為をある程度可能にしていた。これは元々戦闘の際に周囲の気配を探ったりしていたことと、耳の筋肉を意識することで飛躍的に学習能力が向上したからだ。


 なので、通常ならばこの後は目を閉じた状態でテーブルに適当な小物を置いてもらい、それが何処にあるのかを当てる訓練に入ったりするのだが、アプリコットはそれをしない。というのも、アプリコットが目指したのは目を閉じて活動できる技能ではなく、目が見えないネムの世界を知ることだったからだ。


 そして今、それはまあまあ達成された。目を閉じたまま音を視るアプリコットのなかには、ただぼんやりと物の形があるだけの世界が広がっている。


(これがネムさんの世界…………いえ、これすらもまだ遠い…………)


 そこには光も、闇すらもない。真っ暗な空間に、白い線で縁取られた壁や物があるだけだ。


 だがそれすら、本来はないはずだ。完全な無のなかでネムがどうやって凹凸を表現しているのか、アプリコットには想像もできない。そしてそれはおそらく、ネム自身にも言葉にすることはできないだろう。


(ここに色を持ってくる……? どうやって……?)


 一定の間隔で杖で床を叩きつつ、アプリコットは思考を巡らせる。近くと遠くの違いはそのままだとして、固い物はよく音を反射し、逆に柔らかいものは音を吸収してしまう。そのため材質によっては距離を勘違いしてしまうこともあり、その判別は大分難しい。


 だが、それより何より難しい……というか不可能だと思えるのが、色の違いを音の違いで知ることだ。当たり前と言ってしまえばその通りなのだが、赤いものと青いものとで、跳ね返る音に違いなどないのである。


 つまり、音の世界では色は存在できない。そしてそれは匂いも同じだ。染料の匂いを嗅ぎ分けるというのなら可能だろうが、それは色の違いを現すものではない。別の染料を使った同じ色は別物に感じるだろうし、同じ染料で色を変えることができるなら、それがどんな色でも同じ色だと認識してしまうことになる。


「……………………」


 無言のまま、アプリコットは壁に手を触れる。黒いものは熱くなりやすく、白いものは冷たくなりやすいらしい。が、そういう温度の違いもまた、色の違いとは言えない。日向にある白いものと日陰にある黒いものなら、そりゃ日向にある方が温かくなる……つまり状況によって変わってしまうのだから、不変の基準にはなり得ない。


(こうして考えると、本当に『色』というのは、目で見ることでしか区別できないんですね……)


 目で見ることさえできれば、誰にでもわかる。だが目で見る以外の方法では、どうやってもわからない。


 それに近い事象は、他にもある。たとえば物に触れる感覚を持たない人は、熱さや冷たさを理解できない。あるいは耳が聞こえない人には、耳元で叫ぶ大声も遠くでのヒソヒソ話も等しく聞こえないというだけだろう。


 だが、そういうのは他の手段で感じることができたりする。熱いか冷たいかは極端なものなら水を一滴垂らしてやるだけでわかるし、音は振動として体で感じたり、あるいは薄い紙を手に持ってそれが震える様を目で見ることでも確認できる。


 だというのに、色は無理だ。音を出さず、感触もなく、味も匂いもしない。世界は色に溢れているというのに、色は目で見る以外の判別方法が一切無い。


「むぅぅ…………」


 知らずアプリコットは眉間に皺を寄せ、声に出して唸ってしまっていた。そうしてしばし考え込んだ結果、頭の中でプスンと音がして集中が切れてしまう。


「……ハァ。少し休憩というか、気分転換しましょう」


 こうなればもう訓練という感じではないし、何より一人室内でジッと考え続けてもいい考えが浮かぶ気がしない。とりあえず手にしていた「音見杖」を寝室の壁に立てかけると、アプリコットは久しぶりに神殿の外に出た。


「うーん、いい天気です!」


 空は何処までも青く高く、空気は冷たいながらも澄み渡っている。天に輝く太陽は世界を虹色に照らし出しており、目に映る全てのものが色鮮やかで美しい。


「……どうすれば、この美しさをネムさんに伝えられるでしょうか?」


 教会から少しだけ離れ、草地の上に仰向けに寝そべると、アプリコットは空を見たまま小さく呟く。全ての色彩を伝えることは難しいにしても、せめてこの空の青さくらいは伝えたい。だがさっきまでわからなかったことが、ここで寝そべったからといってわかるようになるはずもない。


「ふわぁ……いっそ一緒に夢でも見られたら……いえ、それもやっぱり『見る』なので、違うんですかね…………?」


 ずっと引き締めていた精神が緩み、まだ昼前だというのにアプリコットのなかに眠気が襲ってくる。伸ばした手は何も掴むことはできず、そのままカクンと、アプリコットの意識は空へと落ちていった。

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