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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第七章 虹を望む聖女

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「特訓を始めました!」

「本格的な訓練がしたい、ですか?」


「はい! 『見えない世界』というのを、もっとちゃんと理解したいんです!」


 明けて翌日の朝食後。レーナと話して決めたことを早速実践すべく、アプリコットはネムにそう願い出た。てっきり昨日と同じく目隠しをするだけかと思っていたネムはその言葉に驚き……続けられたアプリコットの言葉に更に驚くことになる。


「なので、もし今私の目が見えなくなったとしたら、どんな訓練をすればいいのかを教えて欲しいんです」


「それは構いませんが……一つお聞かせください。何故そこまでしようと思ったのですか?」


「それは勿論、ネムさんの夢の世界を、私も見てみたいと思ったからです!」


「っ!? それは――」


「わかってます! いえ、きっとわかったつもりになっているだけで、本当の答えはもっとずっと先にあるんだろうということを、予想くらいはしています。だからネムさんの夢を、決して軽くみているわけじゃないんです。


 本当に本気で、凄い夢だと思ったから……だからまずは、その入り口に立ちたいんです。どうすればいいか、教えてくれませんか?」


「……………………わかりました。では少しここで待っていてください」


 数秒無言でアプリコットの前に佇んでいたネムが、そう言ってその場を立ち去る。それからしばらくして戻ってくると、ネムの手には細長い木の棒が握られていた。


「これは『音見杖(おとみじょう)』と言って、こうして……」


コーン…………


「床を叩いた時に出る音の響き方で、周囲にある物との距離を知ることのできる杖です。これをアプリコットさんにお貸しします」


「おおー、そんなものがあるんですね! でも、借りちゃってもいいんですか? これが無いと、ネムさんが困るのでは?」


 白い杖を差し出すネムに、アプリコットが問いかける。するとネムは小さく笑って首を横に振った。


「ふふふ、大丈夫ですよ。これはあくまで補助道具の一つですし……それに実のところ、この杖はほとんど使ったことがないんです」


「えっ!? そうなんですか!?」


「はい。この神殿に来てすぐの頃に、大体の物の場所を調べるのに何度か使ったくらいですね。一度覚えてしまえば壁や扉の位置が変わることはありませんから、以後は使いません。


 あと本来なら、外を出歩くときはこれを使うべきなんですが……ほら、ここって山の上ですから、地面の上ではちょっと使えないというか……」


 石畳ならともかく、普通の地面を叩いたところでボスッと鈍い音がするだけだ。苦笑するネムに同意しつつ、アプリコットは問いを重ねる。


「ああ、それは確かに……とすると、それ以外にはどんな方法があるんでしょうか?」


「あとは、これですね。右でも左でも構いませんから、私の唇に手のひらを押し当ててください」


「へ!? えっと……こうですか?」


 そう言って少し前屈みになるネムの唇に、アプリコットは言われたとおり右の手のひらを押し当てた。するとネムの唇がむにょっと動いて広がり、チッチッというくぐもった音が聞こえる。


「今手のひらに感じたように自分の口を開いて、舌打ちをしてみてください」


「は、はい…………ちっちっちっ」


 きっと今のは、目が見えない人に教えるための教え方だったのだろう。自分は普通に見えるのだから、見せてくれればそれでいいのに……とアプリコットは思ったが、その言葉はゴクンと飲み込んで、手のひらに感じた通りに口を開き、舌を打ち鳴らす。


「そうですね。もうちょっと口を大きく開いて、歯の裏に吸い付けた舌を引き剥がすような感じでしょうか?」


「ん? こうですか? チッチッチッ」


「はい、それでいいです。常にその形で同じ音が出せるようにしてください。で、その音の響き方で周囲の状況を探るわけです。こちらなら道具も必要ありませんし、場所も選びません。それに音が自分の口から出ていますから、杖の時よりも距離感が掴みやすいと思います」


「ほほぅ! え、じゃあ何で杖が必要なんですか?」


「出せる音の強さが、自分の察知できる距離にそのまま影響するからですね。私のようになれてしまえば舌打ちだけでも腕の三、四倍の距離くらいまでは把握できますけれど、最初のうちは本当に近く……それこそ触れるか触れないかくらいまで近づかないと差がわからないという方もいますから」


「ああ、そりゃそうですね」


 実に単純明快な理由に、アプリコットは今度も大いに納得した。小さな音の大小を聞き分けるより、大きな音の大小を聞き分ける方が簡単なのは当然だ。


「主立った訓練法としては、この二つを用いることですね。場所もあまり広すぎたり、物が多すぎても少なすぎても分かりづらいですから……そうですね、アプリコットさん達にお貸ししている寝室がいいと思います。


 アプリコットさんの場合は目が見えているわけですから、あえて目を開いたまま杖を鳴らして音の響きと距離感を確かめるという方法か、あるいは目を閉じた状態で壁を向いて壁際ギリギリに立ち、軽く頭を動かして距離を変えながら舌打ちをして音と距離の関係を掴むのがいいかと思います」


「なるほど! わかりました! ありがとうございますネムさん!」


「どういたしまして。私が後天的な盲人であれば、もう少しわかりやすい説明を、実体験と交えてして差し上げられたのかも知れませんが……」


「いやいや、十分です! じゃ、頑張ってきますね!」


「はい。すぐにできるようになるものではありませんから、無理せずゆっくり練習してみてください」


 そう言って笑顔で送り出してくれるネムに背を向け、アプリコットは早速杖を片手に寝室へと戻っていった。レーナもシフもそれぞれがやるべきこと、やりたいことをやっているので、当然ここにはいない。


「よし、では早速やってみましょう!」


 パンパンと頬を叩いて気合いを入れると、アプリコットは部屋の中央に立ち、まずは白い音見杖を床に打ち下ろした。


コーン……コーン……コーン……


「……………………」


 高く響き渡る音が、何とも心地よく耳をくすぐる。だが足下で鳴る音はわかっても、その音が何かに当たって跳ね返った音がどれかと言われると、正直全くわからない。


コーン……コーン……コーン……


 だが、すぐにわからないことなど承知の上。アプリコットは何度も何度も杖を打ち鳴らし、全神経を耳に集中して音を聞く。


コーン……コーン……コーン……


(音……音……そうだ、足下の音は無視しちゃいましょう。で、まずはあそこの音を聞く感じで……)


コーン……コーン……コーン……


 アプリコットは目を細め、近くにあったベッドに意識を向ける。音が跳ね返るというのなら、つまりあのベッドから出る音が特定できれば、それこそが杖を起点とし、ベッドから跳ね返った音ということになる。


コーン……コーン……コーン……


 最初に足下から鳴る音を、できるだけ遠くに感じる。そのうえで刹那の瞬間遅れて聞こえてくるはずの音を捕らえるために、細く細く意識を尖らせる。


コーン……コーン……コーン……


 難しい。全くわからない。だができるとわかっていることなのだから、必要なのは努力だけ。アプリコットの真なる特訓の日々は、こうして誰もいない静かな寝室で、杖の音と共に幕を開けるのだった。

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