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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第七章 虹を望む聖女

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「挑戦してみました!」

 明けて翌日。急遽始まった目隠し生活の初日は……言うまでもなく惨憺たる有り様であった。


「ふぇぇ、何も見えませんわー……」


「そりゃあ何も見えないように目隠ししてるわけですしね」


「フンッ! 最強の我なら、このくらいなんてこと……ふぎゃっ!?」


ガンッ!


「ど、どうしたんですかシフ!?」


「足の……足の小指がぶつかったのだ…………」


「まあ、それは大変ですわ! すぐに<癒やしの奇蹟>を……えっと、シフさんはどこに?」


「こっちですよレーナちゃん!」


「わかるんですか!? 流石はアプリコットさんですわ!」


「……あの、レーナちゃん? 何故私のお腹をモミモミしてるんでしょうか?」


「えっ!? あ、申し訳ありませんわ。とってもモチモチしてましたから、てっきりアプリコットさんのほっぺたかと……」


「むぅ……」


「泣かないぞ……我は最強だから、このくらいじゃ泣かないのだ! ここは元気に立ち上がって……ふぎゃっ!?」


ゴンッ!


「今大分痛そうな音がしましたけど、大丈夫ですか?」


「な、何故我は今殴られたのだ!? 何も悪いことをしていないのに頭を殴られたら、流石の我も泣くぞ!? 泣いちゃうのだぞ!?」


「えぇ!? 誰もシフさんを殴ったりはしてないと思いますけれど……?」


「ならこの固いのは何なのだ!?」


「見えないので、何とも……多分棚とかそういうのじゃないですか?」


「くふぅ……痛いのだ…………」


「…………あの、皆さん? とりあえず今日はそのくらいにしておきませんか?」


 あまりにもいたたまれないやりとりに、ネムが思わずそう呼びかける。そうして目隠し生活は、開始僅か一五分ほどでひとまずの終了を迎えるのだった。





「ああ、見えるって素晴らしいですわ……」


「そうですね。世界が輝いています」


「我はまだ平気だったぞ! あのくらい余裕なのだ!」


 目に映る当たり前の景色に、レーナとアプリコットがしみじみと言う。なおシフが強気なのはレーナに<癒やしの奇蹟>を使ってもらったからであり、少し前まで大分ションボリしていたことは誰も指摘しない。光を取り戻したアプリコット達の心には優しさが満ちているのだ。


 そしてそんな三人に、今回もまたネムが笑顔でお茶を入れてくれる。


「お疲れ様でした、皆さん。何か得るものはありましたか?」


「はい! 人はともかく、物の気配を探るのは大分難しそうですね」


「私はただひたすらに、ネムさんの凄さを思い知らされましたわ……」


「我は意外と何とかなりそうな気がしたぞ?」


 問うネムに、三人がそれぞれの言葉を返す。実際目隠しをした時に得られた情報は、三人で大分違う。


 たとえばアプリコットは、人の気配は完璧に掴んでいた。なので障害物のない草原とかであれば、たとえ目隠しをしていても逃げるシフとレーナを捕まえることができるだろうと確信している。が、反面物品に関しては記憶を頼りにするのみで、その位置を把握することはできなかった。


 それに対してシフは、本人の言う通り人も物もそれなりに場所を把握できていた。これは普段から人より優れた聴覚や嗅覚などを活用していることや、必要であれば暗い森のなかでも獲物を探したり警戒したりする生活を送っていたことが起因する。


 ただしそれらはあくまでも視覚を補正するためにしか使っていなかったため、完全な感知にはほど遠い。中途半端にわかっているせいで思い切って動いてしまった結果が、足の小指や頭をぶつけるという悲劇を生み出してしまった。


 そして最後にレーナは、本当に何もわからなかった。ただ真っ暗ななかをアタフタと動いていただけであり、もしアプリコットが手を繋いでくれなかったら、恐怖と不安でへたり込んでしまっていたことだろう。


「自分で体験して思いましたけれど、どうしてネムさんは普通に生活できるんですの?」


 だからこそ、レーナは素朴な疑問としてそう口にする。流石にシフの言うように忘れたりはしないが、それでもネムが自分達とそう変わらない動きで生活できていることが、レーナには不思議で仕方がなかった。


 だがその問いかけに、ネムは何とも言えない表情で首を傾げる。


「どうしてと言われても、私は生まれたときから目が見えませんから、これが普通だとしか……そうですね。何故二本の足で立って歩けるのかと言われても、説明できない感じでしょうか?」


 歩くという行為は、実はとても難しい。何もしなければフニャフニャと柔らかい体が倒れないようにするだけですら大変なのに、そこから足を出して歩くとなれば、全身に張り巡らされた数え切れないほどの筋肉を微細にコントロールする必要があるからだ。


 だが、人はそれを意識して行ったりはしていない。説明できないほどの複雑な手順を意識などしてしまったらとても扱いきれないので、その全てを無意識に「歩く」という一つの手順に纏めてしまっているのだ。


 そしてそれこそ、ネムにとっての「見る」になる。先天的な盲人であるネムは視覚の代わりに聴覚、嗅覚、触覚を総動員することで周囲の環境を感じ取り、それを頭の中で立体的な情報に構成し直すことで人や物の位置、動きなどを把握しているわけだが、当然それはネムが意識して行っていることではなく、なので説明もできないのだ。


「一応の確認なんですけれど、何か神様の力を使っているわけじゃないんですよね? アマネクテラス様の奇蹟や秘蹟に、目を閉じていても外が見えるようになる……というものがあるわけではなく?」


「違います。そもそも私はアマネクテラス様にお声がけいただく前から、見えない世界を生きていましたので」


「なら、やっぱり感覚の問題ですか。訓練を重ねれば、見えなくても見えているのと同じくらいに動けるようになる……うむむ、これはやはり、もう少し訓練するべきでしょうか?」


 ネムの言葉に、アプリコットが腕組みをして考え込む。目を閉じたままスイスイ動けるのは、何となく格好いい気がするのだ。そしてそんなアプリコットの思惑が伝わったのか、ネムがそれに微笑んで答える。


「今日のようにみんなで一斉に、というのは危ないですが、少しずつ訓練するというのならいいかも知れませんね。私も私の感じている世界を、皆さんに知ってもらえるのは嬉しいです」


「ネムさんの世界……昨日お話していた、とても賑やかで楽しい世界ですわよね?」


「はい、そうです。あまり人にお話ししたことはないのですが、実は私には夢がありまして……」


「ほほぅ? どんな夢なんですか?」


「それは……私の世界に、色をつけることです」


 そう言って、ネムが静かに目を開く。その白い瞳は光を宿しておらず、だがまるで何かが見えているかのように、手にした紅茶のカップに向けられている。


「世界には、色が満ちていると聞きます。たとえば空は青く、林檎は赤く……そしてこの紅茶は、太陽のような色をしていると聞きました。


 でも、私にはそれがわかりません。温かいや冷たい、固いと柔らかいはわかっても、青というのはただ『青』という言葉でしかないのです。


 だから私はいつか、私の感じるこの世界に、青の、赤の、黄色の、黒の、それぞれの色をつけてあげたいのです。それもできれば私だけではなく、私以外の目の見えない人にも……そして願わくば、皆さんのような普通に目が見えている人達にも伝わるような、そんな何かを創りたいのです」


「それは……とても壮大な夢ですね」


 アプリコットの言葉に、ネムは小さく笑って目を閉じる。別にそれで何かが変わるわけではないはずなのに、それをアプリコットは少しだけ寂しいと感じた。


「荒唐無稽と笑っていただいても構いませんよ。それがどれほど困難なことかは、私自身にもわかっております。でもいつか……いつか伝えたいのです。光も闇もない私の世界は、そういう今は言葉にできない何かが満ちているのだと」


 そう言いながら両手を胸の前で組むネムの姿は、まるで神に祈りを捧げているかのようだった。

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