「新たな学びを得ました!」
山頂の神殿で暮らし始めてから、五日。その日もレーナは柔らかな光の差し込む神殿の奥にて、神をかたどった像に跪き、祈りを捧げていた。
「天にまします偉大なる神に、信徒たる我が希う。その信仰をお認めくださるならば、神の奇跡の一欠片を、今ここにお示しください……家内安全、火無万全! <光を灯す右の指先>!」
そう聖句を唱えると、レーナの右手に淡い光が宿る。それを静かに見つめるレーナに、アプリコットがそっち近づいて声をかけた。
「どうですかレーナちゃん?」
「うーん、ちょっと……ほんのちょっとだけですけど、光が強くなってる気がしますわ」
「おお、それは凄いです! じゃあそろそろ報告に行きますか!」
「そうですわね。あまりお待たせしてはシフさんが待ちくたびれてしまいますしね」
「……ふがっ!? な、何だ? 我はまだ全然大丈夫だぞ!?」
「ふふっ、もう終わりましたわよ」
立ったまま眠りかけていたシフの姿にレーナが小さく笑うと、三人は揃って礼拝室を後にする。そうして別の部屋に移動すると、そこではネムがお茶の用意をしてくれていた。
「お疲れ様です、レーナさん、アプリコットさん、シフさん。さ、温かいお茶を入れましたから、どうぞ」
「ありがとうございますわ! ネムさん」
「ありがとうございます!」
「ありがとうなのだ!」
それぞれに礼の言葉を口にして、テーブルについてお茶を飲んだ。冷え切った体にお日様のように鮮やかな色の紅茶が染みこんでいき、お腹の中からポカポカになっていく。そうして皆が一息つくと、改めてネムがレーナに話しかけた。
「それで、どうでしたか?」
「はい! ほんのちょっとだけですけれど、アマネクテラス様のお力を強く感じて、発現できるようになった気がしますわ!」
「そうですか、それは素晴らしいですね」
元気に告げてくるレーナに、ネムがニッコリと笑って答える。
聖女の力は、神の力。神の存在を身近に感じることができれば、それだけ上手に奇蹟を使えるようになるのは自明だ。以前にアプリコットが指摘した「力の器が拡張される」という部分に関しては現段階では何とも言えないが、少なくともレーナが成長していることは紛れもない事実であった。
「こうなると、癒神スグナオル様がご光臨された場所にも行ってみたいところですけれど……」
「あー、あそこはちょっと遠いですからねぇ」
憧れを表情に浮かべて言うレーナに、しかしアプリコットが渋い声を出す。大聖女フロウリアが癒神スグナオルを降臨させたのは、ここから三つほど国を跨いだ先だ。見習い聖女であれば国境を渡ること自体は可能だが、流石に物理的な距離がありすぎるのはどうしようもない。
「そういう意味では、私は恵まれているのでしょうね。私にお声がけいただいたアマネクテラス様のお力が残るこの場所で、聖女として生きることを許されているのですから」
「ネムさんは、もうずっとここに住んでらっしゃるんですか?」
「ええ、そうです。私が聖女として認められたのが一五歳の時で、この神殿に赴任してきたのが一七歳の時。それから八年、ずっとここでアマネクテラス様に祈りを捧げながら生活しております。
なので一般的な聖女の方とは、違う生き方かも知れませんね」
「それって、寂しかったりはしないんですか?」
町や村に住む聖女は、基本的には病気や怪我の人々の治療や、出産の立ち会いなどを仕事にしている。他にも悩み事を聞いたり<神の奇蹟>を用いて問題を解決したりと、往々にして人に関わる、人に密着した生き方をする。
だがネムに与えられた仕事は、この神殿を維持することだ。一〇日に一度荷運びの人が来るとはいえ、周囲に人などいるはずもない山頂の神殿。その孤独は如何ほどのものかと問うアプリコットに、ネムは小さく微笑みながら静かに語り始める。
「そうですね。確かにここに赴任して一年くらいは、そう感じることもありました。ただ一〇日に一度は荷運びの人が来て下さいますし、それに私は、別にこの神殿に縛られているわけではありません。近くの町や村に用事があれば普通に降りていきますし……それにここは、アプリコットさん達が思うよりもずっと賑やかなんですよ?」
「賑やか、ですか?」
「ええ、そうです。吹き抜ける風、それに揺られる木々の葉擦れの音。小さな虫たちが羽を鳴らして奏でる歌や、小動物が木の実を囓る音なんかも素敵です。
音だけではありませんよ。固めの葉っぱがパリッと折れる感触とか、キノコのフカッとした感触もいいですよね。木の実のコロコロや果実のプニョプニョも可愛いですし、滅多に撫でさせてはくれませんが、小さくフワフワした動物の手触りは最高です!
降り注ぐ雨の冷たさも、照りつける日差しの暖かさも気持ちいいです。流れる水が指先をくすぐり、掘り返した土がホロホロと崩れ……この地にあるありとあらゆるものが、私にとってはおもちゃ箱のように楽しいのです」
「……………………」
「えっと……ごめんなさい、呆れられてしまったでしょうか?」
無言になったアプリコット達に、ネムが少しだけ心配そうな声を出す。だが次の瞬間、席を立ったレーナが素早くネムの側に移動し、その手を握りながら熱の籠もった声を上げた。それに加えてシフもまた、お茶を飲みながら訳知り顔で頷いてみせる。
「違いますわ! 凄く凄く素敵で、感動のあまり言葉をなくしてしまっていたのですわ!」
「うんうん、わかるぞ! 森で暮らしていた頃は、我もオオカミとかクマの子供とそんな風に遊んだりしてたからな! あれはあれでいいものなのだ!」
「……わかっていただけるのですか? 同情ではなく?」
「同情? 何でですの?」
「いえ、それは……」
不思議そうに尋ね返してくるレーナに、ネムは少しだけ表情を曇らせて言葉を続ける。
「この地を訪れる方のほとんど全員が、皆さんのように『寂しくないのか?』と問いかけてきます。その度に私は同じ答えを返しているのですが、どうも多くの人達には、それが『目が見えず、まともに人と交流できない哀れな存在』に思えるようで……」
「ええっ!? でもネムさんは、私達と普通にお話してくださってますよね?」
「それにネムは普通に生活してるのだ! 我なんて、ネムが目が見えないことを、時々忘れちゃってるくらいだぞ!」
「シフさん、それは流石に……」
「…………フフフ、そうですか。ありがとうございます、お二人とも」
哀れむことも蔑むこともなく、ただありのままの自分を受け入れてくれている。レーナとシフの態度にその気持ちを感じ取り、ネムは心から二人に感謝の言葉を告げた。するとそこまでずっと黙っていたアプリコットが、突如として雄叫びをあげる。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「ぴゃっ!? 何ですのアプリコットさん!? 突然大声を出したりして」
「私は今まで、目に見えるものに囚われてきました! でもそれは間違いだったのです! 見えないからこそ見えてくるものがあるのだということを、今の話から改めて学びました! もう目から鱗がポロッポロです!」
「目から何かが出てきたのか? それは病気ではないのか?」
「なので私は明日からしばらく、目隠し修行に入ります!」
「……はっ!? それは素晴らしいですわ!」
「む、目隠しして遊ぶのか? 二人がやるなら我もやるぞ!」
「……えぇ?」
シフの突っ込みをガン無視したアプリコットの宣言にレーナとシフも乗っかり、見習い聖女三人が目隠し生活をすることが決定する。そしてそのあまりに急な流れに、ネムはただ一人「これはどうしたものだろうか?」とひたすら頭を悩ませるのだった。





