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見習い聖女の鉄拳信仰 ~癒やしの奇蹟は使えないけど、死神くらいは殴れます~  作者: 日之浦 拓
第七章 虹を望む聖女

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聖女の一日:アプリコット編

 アプリコットの朝は早い。日の出と共に目覚めると、まだクースカと寝ているレーナとシフを起こさないように、こっそりと部屋を出る。なおこの際に高確率でシフがお腹を出しているので、布団をかけ直してあげるのも忘れない。アプリコットは気配りのできる女の子だった。


 そうして建物の外に出ると、最初に行うのは柔軟体操だ。全身の筋肉を解きほぐすように、ゆっくり丁寧に曲げたり伸ばしたりを繰り返す。なおアプリコットの体は軟体動物もビックリの柔軟性なので、一部の動きは余人が目にするとちょっと気持ち悪いくらいグネングネンなのだが、周囲にはいつも気を配っているので問題無い。


 その後は軽く拳を振ったり走ったりして全身を温めると、鍛錬の締めとしていつもの聖句を口にした。


「うむ、今日もいい感じですね! では……見敵必殺、拳撃必滅! 我が拳は信仰と共に在り!」


 祈りと誓いを込めた聖なる言葉を口にすれば、全身の筋肉に稲妻が走るように輝く光が通り抜け、体中に神の力が満ちてくる。


 ちなみに、アプリコットの聖句が一般的な聖女が奇蹟を使う時の聖句と違うのは、力の制御形態の違いだ。通常の聖女が力の扉を「開ける」か「閉める」かのどちらかしかないのに対し、アプリコットはそれを「ちょっとだけ開ける」などの微調整をしているわけである。


 無論、そっちの方が力の制御は格段に難しい。また常に筋肉神ムッチャマッチョスの力に満たされているため、他の神の力を借りた奇蹟を使うことができないというデメリットもある。


 だが、アプリコットが<筋肉の奇蹟>を解除することはない。それは自分が望んだことであり、必要なことでもあると誰より理解しているからだ。


「さあ、いきますよ……弱肉強食、爆裂消滅! <万物を砕く右の豪腕デストロイ・ウー・ワン>!」


 まず振るうのは右の拳。目にも留まらぬ速さで打ち出されたそれは、音の壁を越え空気を破壊し、パァンという高い炸裂音を響かせる。


「なら、次は……盛者必衰、常識失墜! <理を砕く左の怪腕バニシング・サー・ワン>!」


 通常の目には映らぬ何かを見つめ、アプリコットが左の拳を振るう。同じ速度で振るわれた拳なのに、こちらは周囲にそよ風一つ巻き起こさない。だが確かな手応えを感じると、アプリコットはニヤリと笑って拳を引き、今朝の鍛錬を終えた。


 ジンワリと汗をかいた顔を洗って建物の中に入ると、部屋の奥から何やらいい匂いが漂ってくる。フンフンと鼻を鳴らしながら近づいていくと、そこではレーナが料理をしていた。


「おはようございますレーナちゃん! 今日もいい匂いですね」


「おはようございますわ、アプリコットさん。今朝も鍛錬お疲れ様ですわ」


 声をかけるアプリコットに、レーナが調理の手を止めることなく笑顔で挨拶を返してくる。


「毎日毎日、本当に凄いですわね。私尊敬してしまいますわ」


 レーナが知る限り、アプリコットが朝の鍛錬を休んだことはない。そして実際、アプリコットは神の声を聞いた次の日から、一日たりともあの鍛錬を休んでいない。雨が降ろうが雪が降ろうが、体調不良や急ぎの用事があったとしても、鍛錬だけは決して欠かさないのだ。


「まあ、これは私がやりたくてやってることですからね。それよりレーナちゃんこそ、いつも食事の準備をしてくれてありがとうございます」


「ふふ、それこそ私がやりたくてやっていることですわ!」


 お礼を言うアプリコットに、レーナが照れくさそうに笑う。アプリコットも料理はできるが、得意というわけでもない。特に一人旅をしていた頃は、基本的には焼くとか煮るとか、一工程で済ますことばかりだった。


 そしてそれはシフも同じなので、三人の中で料理の担当は、自然とレーナになっていた。今日も美味しそうな食事を作ってくれるレーナに感謝しつつ調理場を後にすると、テーブルのところにフラフラとシフが歩いていた。


「うみゅ……今日もいい匂いがしているのだ……」


「おはようございますシフ。ほら、もうすぐ食事ができますから、顔を洗ってきてください」


「わかったのだ……ふぁぁ……」


 あくびをするシフを苦笑しながら見送り、しばらくすると食事が始まる。今日はいつもの三人に加え、この神殿を管理しているネムも一緒だ。四人で楽しく食事を終えると、そこからは奉仕活動の時間である。ここにお世話になっているのだから、仕事を手伝うのは当然だ。


「今日はどんなお手伝いをしましょうか?」


「そうですね……では、薪割りをお願いしても構いませんか? 冬も近いですから、薪はいくらあってもいいですので」


「おお、私にピッタリのお仕事ですね! 任せてください!」


 アプリコットが強いことは、既にネムに説明してある。なので任された薪割りという肉体労働を、アプリコットは満面の笑みで請け負った。神殿の裏手に回り、納屋の中から丸太を取りだし、それを素手でパカンパカンと丁度いい大きさに割っていく。


「…………これは何だか、いい感じですね?」


 その単純作業が、アプリコットの琴線に触れた。丸太を取りだし、パカンと割り、近くに積む。無心でそれらを繰り返していると、まるで自然そのものと語らっているかのような気分になってくる。


 取り出す。置く。割る。積む。

 取り出す。置く。割る。積む。


 繰り返す、繰り返す。幾度も幾度も、幾十も幾百も……


「あの、アプリコットさん?」


「……はっ!? な、何ですかネムさん?」


 不意に声をかけられ、世界と一つになりかけていたアプリコットがハッと意識を取り戻す。だがその視線の先にあったのは、微妙に困った顔をしたネムの姿だ。


「昼になっても食事にいらっしゃらないので様子を見に来たのですけれど……これはまた……」


「え? あっ!? あー…………」


 アプリコットの傍らには、ちょっと意味が分からない量の薪が積まれていた。もしこれが崩れてきたら、アプリコットの小さな体などあっさりと埋もれてしまうことだろう。


「ご、ごめんなさい! やり過ぎちゃったでしょうか……?」


「いえ、構いません。これなら今年の冬は、薪の心配をする必要はなさそうですしね。食事をしたら、午後は一緒に薪をしまっておく場所を考えましょうか」


「あぅぅ……」


 笑うネムに、アプリコットは大層しょっぱい表情をしながら俯く。その後は狩りに出ているシフを除いた三人で昼食をすませ、午後は約束通りに薪を運んだり、掃除や水くみなどの雑用を少々。残った時間は見習い聖女らしく瞑想などもしてみたが、ぶっちゃけ薪を割っていた時の方が集中できたような気がして、思わず苦笑してしまう。


 そして夜。シフが狩ってきた獲物をレーナが調理することで、分厚いステーキが食卓に並んだ。それをみんなで笑顔で食べると、夜更かしはせずにすぐにベッドに横になる。


(はぁ。今日も一日、楽しく頑張りました)


 天井の暗闇を見つめながら、アプリコットは今日という一日を思い返す。何てことのない、ありきたりな一日。だがそれがどれだけ幸せなことかを、アプリコットは誰よりも理解している。


 だからこそ、その幸せを精一杯に噛み締める。すぐ側で寝ている二つの気配が、涙が出そうなほどに温かい。


 今日が終わってしまうのが名残惜しくて、アプリコットは目を開けている。でも明日はもっと素敵なことが待っていると信じて、アプリコットは目を閉じる。


(おやすみなさい。また明日)


 その一言に万感の思いを込めて、アプリコットは静かに眠りにつくのだった。

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