「悪者をやっつけました!」
負け犬の遠吠え……それは声に魔力を混ぜることで、同胞にしか聞こえない声を半径二〇キロというとんでもない広範囲にまで響かせる手法だ。ドルフはそれを使って、シフに自分の声を届けたのである。
ちなみに、何故「負け犬の遠吠え」かと言うと、大きな勝負に敗北した者が、「自分が負けました」と広く周囲に知らしめるためのものだからである。かつては勝者の方が声をあげる「勝ち狼の雄叫び」というのもあったのだが、酒場の飲み比べで勝ったとか、意中の女性に告白して成功したとか、うちの娘が世界一可愛いなどのどうでもいい……ではなく、個人的なことでもテンションが上がると叫んでしまう者が多く、「流石にうるさい」という苦情が多出したので、そちらの文化は自然消滅してしまった……閑話休題。
「それで結局、これはどういう状況なんでしょうか?」
「はわっ、領主様が大怪我をされてますわ!? すぐに治療を――」
「ぐぁぁ、もの凄くクサいのだ!?」
「ははは……この妙な場所から外まで声が届くかは賭けだったが、どうやら『負け犬』が勝ち筋を呼んだみてーだな。おいシフ!」
「おるふ! ひっはいはにははっはのは!?」
「こいつらが襲撃してきた! 全員魔法を使う! 俺はいいから、男爵様を連れて逃げてくれ! 入ってこられたなら、出られるだろ!?」
鼻を押さえて問うシフに、ドルフが最後の力を腹に込めて叫ぶ。助けを呼んだのはあくまでもオイモを逃がすためであり、自分ですら手こずる相手とシフ達を戦わせるつもりなど、ドルフには最初からないのだ。
だが、ドルフの思惑を敵が黙って見過ごすはずもない。予想外の存在に動きを止めていた襲撃者達が、アプリコット達を敵と判断して攻撃を開始する。
「邪魔だ、ジャマだ! 邪魔するなぁ!」
「カキュキュキュ、<火球>!」
「人増えた……来るな、怖い!? 消えろ! <降り注ぐ光の矢>!」
「くそっ! よけろ嬢ちゃん達!」
「盛者必衰、常識失墜! <理を砕く左の怪腕>!」
「…………は?」
動けぬ我が身に歯噛みをしたドルフが、次の瞬間間抜けな声をあげる。アプリコットの振るった左腕が、飛来する魔法を全て消し飛ばしてしまったからだ。
いや、魔法だけではない。その拳は周囲に満ちていた魔力すら消し飛ばし、腐ったドブ川に浸されていたような空気が消え、ドルフの鼻に嗅覚が戻ってきた。
「はー、やっとクサいのが収まったのだ……それでドルフよ、こいつらは悪い奴らなのだな?」
「お、おぅ。そうだが……?」
「ならガブッとやってしまうのだ! いいよなアプリコット?」
「この人達ならいいでしょう! でもやり過ぎないように気をつけてくださいね?」
「大丈夫なのだ! とりあえず生きてれば、あとはレーナが何とかしてくれるのだ! ウォォォォォォォン!」
雄叫びを上げたシフにアプリコットが続き、二人が不審者達をボコボコにしていく。そんな光景にドルフが圧倒されていると、その側にオイモの治療を終えたレーナが近づいてきた。
「あの、お二人とも? 確かに私ならそれなりには癒やせると思いますけれど、できれば最初から酷い怪我はさせないでいただけた方が……」
「あんた、レーナだったか? 男爵様は……!?」
「ああ、そちらはもう大丈夫ですわ。ですから次は貴方の怪我を治しますわね。天にまします偉大なる神に――」
レーナが聖句を唱えて<癒やしの奇蹟>を発動させると、ドルフの体から嘘のように痛みが消えていく。それと引き換えに襲ってきたのは、耐えがたいほどの倦怠感だ。
「はい、これで応急処置は終わりですわ。これ以上は鎧を脱いでいただかないとなんですけど……」
「ああ、すまん。奴らの魔法で右手と左足が動かなくてな。自分では脱げふっ!?」
不意に手足を固定している力が消えて、ドルフがガクンとその場に倒れてしまう。その衝撃に目を白黒させながら正面を見ると、アプリコットの拳がひげ面の男を思いきり殴り飛ばしていた。
「だ、大丈夫ですの!?」
「ぐぁぁ……へ、平気だ。そうか、魔法が解けたのか……痛くも痒くもねーんだが、全身に力が入らねーぜ……」
「きっと血を流しすぎてしまったんですわね。ちゃんとした聖女様であれば、それもどうにかできると思うんですけれど……」
「いや、十分さ。俺はもう十分だから、万が一に備えて男爵様についていてくれねーか?」
「そうですか? わかりましたわ。ではしばらくはご自愛くださいませ」
そう言って柔らかく微笑むと、レーナが倒れているオイモの方へと戻っていく。仰向けになったオイモの胸は規則正しく上下しており、遠目に見る限りでは確かに容態は安定しているように感じられる。
(どうやら、本当に旦那は平気みてーだな。それに……)
気力を振り絞って首を動かすと、ドルフの視界に大暴れする同胞とその友人の姿が再び映り込む。
「クソガキがっ! 何で俺が!? 俺がガキ? クソクソクくクク! <空間――」
「させませんよ! <理を砕く左の怪腕>!」
「クヒャァ!?」
「殺られろ! 殺らせろ! ちょこまかカカ……<火球>!」
「ハンッ! そんな見え見えの攻撃、当たらないのだ!」
「嫌だ、もう嫌だ! 消える、消えたい! 見えない見ない! <身隠しの衣>!」
と、そこで陰気な男の姿が、スッとその場からかき消える。だが……
「おっと、逃がしませんよ?」
「ヒィィ!? な、何で!?」
「何でって、そりゃあ気配も消さずに歩いていたら、すぐ分かりますよ」
「クサい匂いがプンプンしてるのだ!」
アプリコットとシフに前後を挟まれ、陰気な男がバリバリと頭を掻き毟りながら悲鳴をあげる。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 俺を見るな! 俺を見ろ! 消えろ消えるキルキロキレル……<鏖の大が――ガハッ!?」
何か大きな魔法を使おうとした陰気な男が、突然血を吐いてその場に倒れた。その事実にアプリコットとシフが慌てて男に近寄っていく。
「えっ!? ど、どういうことですか!?」
「違うぞ! 我は何もしてないのだ!」
「あー、そりゃ魔力切れだ。いや、正確には魔力が足りないのに、無理矢理魔法を使おうとした反動、か?」
「そうなんですか?」
「おお、ドルフは物知りなのだ!」
少し離れたところから指摘したドルフに、アプリコット達が振り向いて声をあげる。
「っていうか、その耳は……はっ!? まさか貴方が、シフの言っていた何処かの誰かさんですね? フフフ、名探偵アプリコットの名推理は、今日もメーメー鳴くほどに冴え渡っています!」
「ぬぅ? それはどういう意味なのだ?」
「えっ? いや、それは、その場のノリ的なやつですけど……」
シフに真面目に問われて、アプリコットがフーフーと鳴らない口笛を吹きながら微妙に顔を逸らす。そんな二人のやりとりを見て、更には不審者達が全員倒れているのを確認して、ドルフは全身から力を抜いて大の字に寝転がった。
「元気なお嬢ちゃん達だな…………てか、そうか。聖女ってのはこんなに強ぇのか……えぇ、護衛とかいらねーだろ?」
守る立場のはずなのに、自分も主もすっかり守られてしまったドルフは、情けなさと安堵の両方を込めて、いつの間にか元に戻っていた天井を見上げながら苦笑を浮かべるのだった。





